蔵波代官屋敷

袖ヶ浦市下新田袖ヶ浦公園、旧進藤家住宅   




 進藤家は市内蔵波の地にあった豪農で、江戸時代後期には郷代官を務めていたそうです。た

だ支配地の領主や石高など肝心な事が分からないのですが(注)、建物は東に袖ヶ浦公園の池

を見下ろす丘の上に移築されています。




    旧進藤家住宅


 建てられたのは江戸時代後

期の弘化4年(1847年)で、

玄関や奥座敷などに上層農家

の格式を見せる建物です。






 その後分ったのですが、蔵波村の石高は約597石で、幕末になると頻繁に領主が変わり、

最後は江戸町奉行所の与力給地となったそうです。この幕末に頻繁に領主が変わったのは、黒

船等の来航に備える為に外房や南房総の海岸付近数ヵ所に海防陣屋が築かれたので、その替地

や手当などにより頻繁な領地替えが発生したようです。