佐地家の門・供待

川崎市多摩区、日本民家園   




 川崎市の丘陵地帯にある日本民家園には全国の民家が移築されていますが、その中に武家屋敷

門も移築されています。それが佐地家の門で、佐地家は名古屋にあった尾張藩家中の250石取

の武士で、母屋は移築されなかったのですが、門と付属屋(供待)が移築保存されています。



    佐地家の門


 門は独立した棟門で、門番

の小屋は脇の武者窓の付いて

いる部分ですが、付属屋の中

を区切って設けています。ま

た手前の小さな屋根は提灯を

下げる為のようです。







   門と付属屋(供待)


 手前の付属屋は供待と言う

そうで、来客の従者が待機す

る場所のようです。通常、屋

敷の外に面した窓は、必要最

小限の小さな物が多いのです

が、来客の従者に配慮して大

きく開けられているのかも知

しれません。





    供待の内部


 この供待という部屋は関東

では珍しく、身分の高い武家

屋敷ならではと思います。名

主屋敷の接客では来客の従者

は次の間とかに待機するので

すが、佐地家での従者は足軽

中元と同様に主屋に入れない

のでしょう。