旧小栗上野介邸

前橋市総社町総社、都丸邸 




 幕臣小栗上野介は幕末の維新戦争の時に主戦派だったのですが、徳川家の方針が恭順となって

全ての役職を解かれたので、知行地の権田村(高崎市倉渕町権田)に隠遁し、自身の居住と村の

若者を育成する私塾として新たに住宅を建てました。ただ小栗自身は、この住宅が完成する前に

新政府軍に捕らえられ、全くの言いがかりで問答無用で殺されてしまいました。

 という訳で、この建物が完成した時は明治に変っていたかも知れませんが、すでに主のいなく

なった住宅は総社町の都丸邸として移築されました。ただ現在の様子を見ると、総二階になって

いたり煙出しが設けられたりと、養蚕農家として使うように大分改造されているようです。それ

でも屋根付きの玄関が設けられているところに武家屋敷の面影を感じさせます。

 なお以下のページには正面からの写真が掲載されています。

  史跡訪問の日々 都丸邸


     都 丸 邸

 この付近には都丸姓が多いのです

が日枝神社の南側の大きな家です。

駅前の名所史跡の案内図にも載って

いるそうで、見学者を受け入れてる

のかも知れませんが、とりあえず庭

の方には立ち入らず通路の側から撮

りました。


     小 栗 邸 跡

 東側に烏川沿いの低地を見下ろす

見晴らしの良い高台にあって、さら

に南側も北側も烏川に合流する支沢

が深い谷を刻んでいるので、お城好

きが見ると城としての地の利がある

場所に見えます。薩長軍にも同様に

見えたようで、上野介に反逆の疑い

ありとして捕えられたそうです。


    小栗上野介終焉の地

 上記のような疑いは全くの難癖で

初めから処刑有りきだったので、取

り調べもなく翌日には近くの烏川の

水沼河原で殺されました。終焉の地

に建つ顕彰慰霊碑には「偉人、小栗

上野介 罪なくして此所に斬らる」

と記されていて、薩長軍の理不尽と

上野介の無念を今に伝えています。