水戸藩西山御殿

常陸太田市新宿町、西山荘 




 水戸の黄門様こと水戸徳川家二代藩主の徳川光圀が隠居後の10年余りを過ごした隠居所で、当

初の建物は火災で失われ、幕末の文政2年に水戸藩の手により当時のままに再建されました。この

黄門様の全国漫遊記はフィクションですが、鎌倉などには出掛けていて、関東地方についてはある

程度自由に歩き回ったようです。他の大名家の藩主ではそんな自由な行動は許されませんが、時の

将軍の叔父にあたる副将軍の身分なので、諫められる事もなかったようです。そんな自由で気さく

な行動は隠居所にあっても引き継がれ、民百姓とも身分を超えて接していたとされています。

 そのような黄門様の遺徳が水戸藩士だけなく広く領民にも慕われていたので、再建された西山御

殿は廃藩置県後の明治以降も大切に引き継がれて、今日まで当時のまま残されました。



     西 山 御 殿


 西山荘の中心となる建物で光圀

が居住していました。一番手前の

玄関から入ると、いくつかの部屋

を経て当主との面会の間に至る作

りで、隠居所ではあっても身分あ

る武家の御殿としての格式は備え

ていたようです。






     守 護 宅


 文化年間に再建された西山御殿

を守護管理する守護役の役宅とし

て建てられました。この守護役は

藩から派遣された武士だったよう

で、やや小ぶりですが中級藩士の

屋敷の特徴が見られる建物です。

現在は展示室になっています。






    外濠状の紅蓮池


 光圀がいくら庶民的だったと言

われても徳川家の一門なので、や

はり警備には万全を期していたよ

うで、この池なども外堀を兼ねる

ような細長い池で、一段高い屋敷

地の手前に配されています。(注)



注1・・・

 今はかつての裏門がメインルートの出入り口となっていますが、当時の正式ルートは池の上手の

小橋を渡って坂を上り、突上ご門と呼ばれたを表門を通って玄関へと続いています。漫然としてい

ますが表門の前に堀を配した城郭のような構えが見られ、隠居所とは言っても、身分のある武家の

館らしい雰囲気を見せています。さらには、この谷の入り口には光圀に付き従っていた家臣たちの

屋敷が広がっていたそうで、この谷全体が厳重に守られていたようです。