中 曽 根 城 址
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中曽根神社の境内に説明碑と共 に建っています。この碑のある境 内が城址の一部で、周囲より一段 高くなっていたそうですが、今は 平坦な境内地となっています。ま た平成8年の発掘調査で幅7m程 の濠跡が確認されています。 |
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もとは千葉氏の守り神の妙見堂 だったのですが、昭和になって興 野の雷社を合祀して中曽根神社に なりました。文政年間の(1818- 30)新編武蔵国風土記稿には「外 構えの堀及び土居の跡のみ残れど 其内は今畑となれり」と記されて いるそうで、江戸時代末までは掘 等の遺構が残っていたようです。 |
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城址の200mほど西にある寺 院で、鎌倉時代の板碑が発掘され ています。足立区南部はかつては 沼沢地だったのですが、この地域 が古くから開かれた場所だった事 を物語っています。また付近には 「小屋の内手」という城に関する 地名も残っていました。 |
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住宅地図を見ていて気付いたの ですが、城址のある中曽根神社の 周囲には、神社を中心として湾曲 した道が何ヶ所か見られます。中 曽根城も葛西城のような掻揚げ式 曲輪だったようなので、この路地 は水濠の跡とも考えられます。こ ちらも発掘する事が出来れば確か な事がわかるのですが・・・ |
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