中 野 城 山

中野区中野、谷戸運動公園他 




 中野駅東南の中野一丁目付近は古くから城山と呼ばれ、昭和の初期頃の中野町史には「土塁や

空堀の跡が残り歴然と城址の面影をなしていた」と記されています。その場所は現在の谷戸運動

公園付近で、現在は何の遺構も見られませんが、平成3年までは公園北側の個人邸宅内に土塁等

が残されていました。ところが、その敷地にマンションが建つ事になったので、工事に先立つ発

掘調査の結果、その遺構や出土品等から中世の豪族の城館跡であることが確認されました。その

豪族は古くからこの地を開いた堀江氏で、(この地は堀江氏の屋敷地跡)小田原北条氏の時代に

は中野郷の代官に任じられ、徳川の世になると土着して代々中野宿の名主を務めました。



    堀江氏城館跡


 谷戸運動公園の前に城山の

表示板が立っています。現在

は平坦な公園や住宅地ですが、

この公園と後ろに見えるマン

ションにかけての地の四方に

土塁があって、典型的な中世

の城館跡だったそうです。






    桃園川緑道


 桃園川は、城址南側の外堀

となっていた流れで、現在は

暗渠にされて遊歩道になって

います。この川沿いの低湿地

を内堀とし、さらに東に神田

川、北に妙正寺川の三方を川

に囲まれています。





     城山公園


 谷戸公園の北にある公園で

この西に中野駅操車場や文化

センターのある紅葉山の高台

があります。この付近には堀

江館以外にも平忠常の城砦が

あったとか、大田道潅の陣跡

などの伝承があります。






    紅葉山の高台


 推測なのですが、堀江氏館

はこの高台から見下ろせる位

置にあるので、館が築かれた

のは付近の情勢が落ち着いた

北条氏の頃で、それ以前の平

忠常の城砦や大田道潅の陣等

はこの紅葉山の高台にあった

のではないかと思います。




    アクセスガイド


  城山城址・・・中央線 中野駅より南東に徒歩約700m(谷戸運動公園)






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