上野寛永寺黒門

荒川区南千住、円通寺 




 明治維新により江戸城は無血開城されましたが、薩長に不満を持つ江戸の士族が集まって寛永

寺のある上野の山に立てこもりました。そこで薩長を主力とする官軍は、大砲などの近代兵器で

上野の山に総攻撃を掛けましたが、中でも激戦地となったのが寛永寺黒門の辺りでした。俗にい

う上野戦争でしたが、戦いは一日で決着が付き、戦場となった上野の山には多くの彰義隊々士の

遺体が残されました。その遺体を円通寺の住職が引き取って手厚く葬った縁で、のちに寛永寺の

黒門が円通寺に移築されました。

 という事で、この黒門は寺院の門ですが短期間でも彰義隊の陣所の門となっていたので、実戦

を経験した砦の建物遺構という事で取りあげました。


    移築された黒門

 江戸市中の木戸のような造り

ですが、寛永寺は壱万壱千七百

九十石という大名並みの寺領を

もつ寺院なので、境内の警備が

厳しかったのかも知れません。

なお門柱には上野戦争時の銃弾

の跡も残されています。




   彰義隊々士の墓所

 黒門の奥には上野戦争で亡く

なった彰義隊々士の墓所が並ん

でいます。私が訪問した時は、

この地に眠る隊士たちを弔うか

のように、真っ赤な彼岸花が咲

いていました。