伝川越城移築城門

ふじみ野市大井、徳性寺   




 徳性寺の山門は薬医門形式の立派な門で、川越にあった南院(明治に廃寺)か、あるいは川越

城から明治25年に移築されたものとされていますが、その形式や大きさは川越城二の丸蓮池門

を移築したとされる川越市末広町にある榮林寺の山門によく似ています。そこで榮林寺の山門と

比較する事で川越城の城門だったのか否か考察してみました。

 まずは袖塀の屋根瓦の紋様は榮林寺山門の屋根瓦と酷似しています。ただ、この「流れ三巴」

の紋様は水の渦を表わしていて、火災除けの意味で古い瓦屋根には多く使われている紋様なので

この紋様が同じというだけでは何処から移築されたとは断言出来ないようです。

 つぎに門の細部の造りを比較してみると、徳性寺の山門は棟中央を支える小屋束の蛙股が梁の

上に載っているのに対して、榮林寺山門の同所の小屋束は棟の下に通した桁に載っています。門

の強度としては、この方がしっかりした造りになりますし、また柱材や蛙又等の装飾も簡素で、

いかにも武家門らしい質実剛健な門となっています。それに対して徳性寺の山門は装飾彫刻など

が多く見られ武家門というより寺院山門として造られた門だったように思われます。

 という訳で、徳性寺の山門は私が見る限り川越城門ではなかったようですが、由緒の定かでな

い建物を推論してみるのも一興と思い、本章に取上げてみました。


    徳性寺山門


 徳性寺は川越街道の宿場町

だった大井宿の中心にありま

したが、明治14年の大火に

より悉く焼け落ちた為に、こ

の山門は上記のどちらかから

移築されたものです。







  徳性寺袖塀屋根瓦
   榮林寺山門屋根瓦


 徳性寺山門の屋根瓦は見る

からに新しい瓦ですが、袖塀

の屋根瓦は移築以前と思われ

る時代のありそうな瓦で、榮

林寺山門の屋根瓦とよく似て

います。








   徳性寺山門小屋組


 屋根は近年になって修復さ

れた物のようですが、小屋組

みの柱材は当時からのようで

蛙又以外にも装飾が施されて

いて、いかにも寺院らしい優

雅な門です。








   榮林寺山門小屋組


 一転して榮林寺の山門は、

冠木の太さも門柱と同じくら

いあって全体にがっしりとし

た造りで、また装飾も少なく

質素な武家門らしさを見せて

います。