唐沢山城々門
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慶安寺山門 伝承の通りなら戦国時代か ら残る門になりますが、木肌 の古さを見ると、充分納得さ せるものがあります。 形式としては薬医門形式で すが、戦国時代にそんな形式 に拘るとは思えないので、後 の世の改造かも知れません。 |
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屋根瓦の紋様 当初は瓦屋根ではなかった かも知れませんが、佐野氏の 家紋は「三つ巴」なので紋様 としては似ています。しかし この瓦の文様は水の渦を表す 「流れ三巴」にも見えるので 家紋ではなく単に火災除けの 文様かも知れません。 |
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唐沢山神社 明治になって本丸跡に佐野 氏の祖である藤原秀郷を祀る 神社が創建されました。この 時に補修された石垣もあった そうですが、唐沢山城の曲輪 や大手口等は当初から石垣で 築かれていました。 |
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本丸下の石垣 ひときわ目を引くのがこの 石垣で、関東の城では珍しく 見事な高石垣です。難攻不落 だったと言うのも頷けますが 江戸時代に外様大名の居城と して関東に在ったのでは、相 当目立った事でしょう。 |
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南城から遠望 南の曲輪からは関東平野が 一望ですが当時も江戸まで見 えたそうで「江戸城を見下ろ すとはけしからん」となって 廃城となったそうです。しか し本当のところは、上記の高 石垣もある堅固な城が目障り だったのだと思われます。 |