関東管領上杉氏平井城々門

藤岡市中 光明寺、同市西平井   




 関東管領の山内上杉氏は、戦国時代になって小田原北条氏が台頭してくると徐々に後退して

最後に拠点としていたのが上州平井城でした。それでも北条氏には抗しきれず関東を逃れて越

後の長尾景虎(後の上杉謙信)を頼り家督まで譲ったのは有名な話ですが、北条氏に奪われて

いた平井城を一時は上杉謙信が奪い返したりと、北関東の攻防の舞台となった城でした。その

平井城にも近い光明寺の山門は、平井城の城門を移築したものと伝えられています。



    光明寺の山門


 光明寺は上州三十三観音札所

になっているそうですが、本堂

は鉄筋コンクリート製ですし、

境内の緑も少なく殺風景な雰囲

気です。そんな境内で、歴史の

ありそうなこの山門だけが存在

感を見せています。






    山門の柱材


 門の形式としては薬医門形式

で、戦国時代の城の門にしては

整っていると思ったのですが、

上部小屋組みの柱材は比較的新

しく、後世の改築のようです。

 しかし主柱等は木肌の様子を

見ると古そうで、これら主要な

柱材は城門転用のようです。






    平井城本丸跡


 平井城址は平井集落の南端に

ありますが、近年、土塁の一部

が復元されて県道を南下すると

道沿いにこの土塁が現れます。

さらに奥に案内板などもあって

城跡らしい雰囲気は見せていま

すが、本丸跡の隣に養豚農家が

あって臭くて参りました。






   復元された堀と橋


 平井城は立地からも判るよう

に平時の居館で、有事の際の詰

の城は南方の山の上に築かれた

金山城でした。しかし北条氏の

圧迫を受ける中で平山城の戦闘

力も強化されて、後期には本丸

を中心に強固な土塁や堀が築か

れていたようです。