晴耕庵の談話室

NO.98



標題:ウェールズの王家


QUESTION

2004/1/21


ロンドン憶良様


スールです。メールをいただいてからかなり日数がたってしまいま
して、御礼が遅くなってしまいました。
申し訳ありません。改めまして、ありがとうございました。

丁寧な解説をつけていただけて本当によく分かりました。グウェン
リアンの生涯を教えていただけるとはまったく予想もしていなかっ
たので嬉しい限りです。ダフィズにも子供がいたというのも初めて
知りました。

修道院があったリンカーンシャー(リンカーン州?)も地図で見て
みました。グウェンリアンはイングランドの修道院に送られていた
のですね。

ウェールズの歴史はあまり知られていないので(世界史ではまっ
たくというほど出てきません。よくても「エドワード1世ウェールズ
侵攻」の1行です)、調べ甲斐があります。意外とイングランドの
歴史の中にちょくちょく顔を出していたりするので、発見の連続だ
ったりします。

テューダー朝はオウエン=テューダーというウェールズの地方有力
者(?)の家の者から始まっているなどと資料にあったので、調べ
てみたらルーウェリン大王の家老職にあったエドナヴェット=ヴァ
ハンまで遡るとありました(英米史事典)。
ルーウェリンが意外なところで顔を出したのでかなり驚きましたが。

ここでまたつまらない質問なのですが、ウェールズ史の中では「ル
ーウェリン・アプ・グリフィス」とか「グリフィス・アプ・ルーウェリン」と
か言う名前がよく出てきますが、この「アプ」というのは「〜の息子」
という意味なのだと資料で読みました。

ということは、彼らには家の名前(プランタジネットとかテューダー
とか)が無いのでしょうか?

息子の場合は「アプ」でいいのでしょうが娘のときにはどうなった
のでしょうか?

質問を送ったお礼に付け加えるような形になってしまってすみません。


                          スール




ANSWER

2004/1/22


スールさん


私の回答が、貴女の勉強の参考になれば、幸甚です。

1 グウェンリアン姫が没した場所

グウェンリアンが没した尼僧院の所在地Sempringhamは確定できま
せんが、従姉妹の没した尼僧院のあったSixhillsはリンカーン市の
北東約16マイルの場所にあります。Market RasenとLouthの町を
結ぶA631号線から少し入りますが、Willingham Forest と呼ばれ
る森林地帯ですから、この近くとすれば当時は相当寂しい場所だっ
たでしょう。


2 ウェールズの王家

ウェールズはその地形から、古代は多くの小王国に分かれていま
した。ウェールズにも王家の名前があります。
後につながりのある王家は次の通りです。

紀元400年頃

(1)KINGS of CEREDIGION and YSTRADTYWI(中西部地帯)
(2)KINGS of GYNEDD (北部地帯)
(3)KINGS of POWYS  (北部内陸地帯)
(4)KINGS of DYFED (南西部)
(5)KINGS of GWENT and GLAMORGAN
            (南部イングランドとの国境地帯)

紀元900年頃、(2)(3)の血統のRHODRI大王と(1)の血統の
Angharadの結婚によりその子孫からグイネッド家(THE HOUSE
OF GWYNEDD)が創始されました。

1000年頃には、この血統と(4)の血統が結びつき、デハイバー
ス家(THE HOUSE OF DEHEUBARTH)とポウイス家(THE HOUSE
 OF POWYS)が創始されています。
1100年頃には、さらにグウィンルッグ家(THE HOUSE OF 
GWYNLLWG)とマエリニド家(THE HOUSE OF MAELIENYDD)など
ができました。
Llywelyn The Great はグイネッド家です。


3 テューダー王朝とウェールズの血統

  テューダー王朝の祖先は、デハイバース王家の血統のディネファ
ー家(DINEFWR)のRHYS AP TEWDWRです。

Llywelyn The Greatの大叔母になるグウェンリアン(GWENLLIAN)
が、RHYSの息子GRUFFUDDと結婚し、その子孫がオウエン・テュー
ダー(OWAIN TUDUR)です。
したがってオウエン・テューダーはウェールズでの二つの王家の血
を引いていることになります。

イングランド王室の秘書官だったオウエン・テューダーは、ヘンリー
5世の未亡人キャサリン・オブ・ブロアと結ばれ、エドマンド王子が
生まれました。

エドマンドはランカスター家の血を引くマーガレット姫と結婚し、
ヘンリー・テューダー(後のヘンリー7世)が生まれました。

エドワード一世によってリューウェリン王は殺害され、ウェールズ
の王家の主流であったグイネッド家は断絶しましたが、いろいろ
な血統で、イングランド王室とも結びついています。


4 女性の名前

男子は確かに「アプ」をつけています。そうでないと祖父や、曽
祖父にも同名が多いですから、混乱をさけたのでしょう。

「アプ」に相当する表現は女性にはあるのかどうか知りません。
これまで見かけていません。

5 参考書とウェールズ史家

もっと詳しく知りたいのであれば、先にあげましたJohn Davies著
の「A History Of Wales」L.11.99が大変参考になります。
原著で読むことを薦めます。

また、翻訳としてはA.H.Dodd著吉賀憲夫訳「ウェールズの歴史」
京都修学社 ¥4,000+税。
原著は「A Short History Wales」T.Batsford Ltd.London 
L.3.50です。

吉賀憲夫先生のHPとはリンクしていますので、より詳しい研究を
されるのであれば、アクセスをお勧めします。


                     ロンドン憶良




愛知工大吉賀憲夫先生の「WALES」
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