晴耕庵の談話室

NO.87



標題:史実のマクベス知った上で、シェークスピア劇演じたい(2)

INFORMATION

2003/5/15

K.K.様

とりあえずマクベス関連年表案(A4で1ページ)を作成しましたので、
別途系図などとともに郵送します。急いだ理由は、ご公演の組み立て
にあるいは変更をされるかもしれないと愚考したからです。

森護先生のご高著と私の資料では、重要な部分に相違があります。

(1)マルコム2世には3人の娘がいた。(森護先生では二人)
  3女(氏名不詳)はオークニー伯Sigurd Hlodverson(1014没)と結婚
  Thorfinnを生んでいます。当時オークニー島はノルウェー領でした。
 (詳細な系図を森先生の系図と対比されてください)
  マルコム2世は3人をアサル、マーレー、オークニーの3実力者に
  嫁がせ国王の座を狙い、更に強固にしようとしたと思います。
  マクベスには従弟となるThorfinnはオークニー伯を継承。生涯をオ
  ークニー領(含むヘブリデス諸島)の安定に注力し、マクベス王の
  治世では盟友としてダンカン王殺害とマクベス安定政権へ重要な
  役割を果しています。

(2)ダンカン王のオークニー侵略戦争の失敗と敗死
  (森護書には肝心の場面の記述がありません)
  ダンカン王は第5回目の外征対象としてオークニー諸島に向かい
  ました。この戦いで王に従軍したマクベス将軍はソーフィン伯と同盟
  し、ダンカン王率いるアサルのクランたちやスコットランド南部のク
  ラン及びアイルランド傭兵はBurgheadの戦いで、ソーフィン伯に敗
  れます。敗走したダンカン王は鍛冶屋で捕らえられ殺害されました。

(3)ソーフィン伯は終生マクベスと盟友の立場を崩さず、双方の領地
  は安定します。
  マクベス王の17年の治世を支え、彼が1050年にローマ巡礼が
  できたのもソーフィン伯との信頼ある関係がわかります。

(4)バンクォウBanquoには疑問があります。
  私の資料では、Banquoはスチュアート王朝の先祖という配慮から
  書かれたのではないかと指摘しています。
  マクベス夫人やその他もHector Boeceの創作のようです。シェーク
  スピアの種本のさらに原本)
  森書ではマクベスがバンクォウを1043年謀殺したとありますが
  私の資料では、マクベスの王位就任後の反乱は1045年のクリナ
  ン僧院長(兼アサル大領主、ダンカン前王の父)一回のみです。
  マクベス王への信頼はマーレーのみでなく、アサルなど他のクラン
  からも厚かったので、1054年の敗戦後さらに3年も統治できたと
  指摘しています。

いずれにせよ歴史のマクベス王ではソーフィン伯の存在が大きいと思
います。
マクベスの地位を脅かせる存在は、王位継承権と実力からソーフィン
伯が最右翼ですが、彼は、地理的問題や器量など分をわきまえていた
ように思います。
今度の劇でソーフィン伯をどう扱っておられるのか興味があります。

いずれコメントで纏めてみます。

                          ロンドン憶良


THANKS

2003/5/15

ロンドン憶良様


資料ありがとうございます。
さっそく本日稽古場に持って行き、皆に見てもらいます。

私達が現在調べている限りで、シェイクスピアの戯曲でソーフィン伯
に当たるのでは、と思われる登場人物は、ケイスネスという呼び名で
出てきます。が、特にマクベス側という訳ではありません。他に、レノ
クス伯(クラン名ではステュワートと思われます。台本の原文で、バン
クォーに「COUSIN」と呼びかけてます。)、メンティース(どこを治めて
いたのかわかりません。演じる役者がスカイ島領主と決めました。)、
ロス、マクダフ、アンガス(史実ではダグラスと思われますが、バンク
ォーに向かって「COUSIN」とよびかけているので、ステュワートに
しています。ロスにも同じように言っています。)
こちらの資料によるとロス、アンガス、はハイランド。レノクス、マクダフ
はローランドに領地があるようです。バンクォーの領地は、そちらのHP
にある地図で、ダンカン側でもマクベス側にも入らないロッハバーです。

このクラン達の関係・思惑が戯曲では良くわからず困り者です。ケイス
ネスも台詞が少なく、ダンカン殺害後しばらくしてマルカムが兵をあげ
たときに、そちら側に付くことになっています。マクベスに手を下されな
ければ、一番マクベスに対抗できる位置にあるのはバンクォーのよう
です。私たちは、ダンカン殺害を最初に心に決めたのはバンクォーとい
うふうにしています。お客さんに見て理解してもらえるよう、何とか台詞
の無い箇所でお互いの関係性を作ろうとしているところです。


追伸
送っていただいた資料、今日稽古場で演出家他に見て貰い、稽古前
に色々話し合いを設けました。やはりシェイクスピアが書いていない
以上、ケイスネスではなく、バンクォーをその位置に強く持っていこうと
いう事になりました。それ以外でも色々参考になりました。
ありがとうございます。

                            K.K.


INFORMATION

2003/5/16

K.K.様


シェイクスピアの戯曲は登場人物が、歴史上の人物とは反対の性格
になっていたり、あるいは創作されているので正史に近づける演劇に
するにはかなりの裏付け調査が必要ですね。

私はソーフィン伯が登場しないマクベス劇は史劇にならないのでは
と思っています。なおソ−フィン伯は1057年に病死し、マクベス王
への支援が出来なかったと見られております。

しかし、皆様がいろいろな調査で、ご自分なりのマクベス像あるいは
諸侯の実像にに近づけばよろしいかと思います。
最初から完璧な物はありませんから。

参考になるかどうかわかりませんが、スコットランドの最北端地方が
ケイスネス(CAITHNESS)であり、当時はオークニー伯の領土でした。
この地図も送りましょう。
オークニー伯の領土の広大さが分かり、終生マクベス王と盟約し、両
者が共存共栄を図ったことが分かるでしょう。

当時スコットランドの脅威はノルウェー・ヴァイキングとデンマーク・
ヴァイキングの侵略でした。ノルウェー領のオークニー伯とマクベス
の両者が盟約し、デンマーク・ヴァイキングに対処しました。

一方マクベス王の時代のイングランドは、ヴァイキングの侵略がひど
く、一時はデーン王朝(デンマーク・ヴァイキング)が出来ていました。
マルコム3世が世話になったエドワード懺悔王はその後です。

この混乱期に17年間、いろいろなクランを支配して安定的な統治
をしたマクベス王の才能は、凄いと思っています。

またアンガス(ANGUS)は南はダンディー付近から北はアバディーン
の海岸に面する地方です。


                       ロンドン憶良




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