晴耕庵の談話室

NO.66



標題:小説より奇なり(倫敦観劇事情)

REPORT

2001/7/29

ロンドン憶良様


 すっかりご無沙汰しています。英国出羽の守ことSYです。相変わら
ず充実したHPの内容を拝見し、頭が下がる思いです。
 実は小生この度英国を去り、何の因果かスイスの片田舎で早すぎる
老後を過ごすことになりました。引越し準備の合間にものした雑文を例
によって送らせて頂きます。

 英国からは離れましたが、3年間のロンドンはこれまでの海外生活の
中でももっとも充実したものでした。ということでこれからも貴HPのファ
ンとして蔭ながら声援させて頂きます。


          小説より奇なり(倫敦観劇事情)
 3年に及んだロンドン生活を終えるに際して、ニューヨークのブロード
ウエイと並ぶ劇場街ウエストエンド近辺に日夜出没し、オペラ、ミュー
ジカル、演劇と片っ端から見物した。その結果、この街の奥深さに改め
て気付き、これまで何と怠惰な生活を送ってきたのかと反省しきりであ
った。

 そのロンドンを去ってスイスの田舎都市に暮らすようになってしばらく
して、「ジェフリー・アーチャー有罪判決」のニュースを聞いた。実は数
ヶ月前筆者は目の前で当のアーチャー氏が「無罪宣告」を受けるのを
撃している。といっても、それはアーチャー作の戯曲 Accused の中の
話であった。

 アーチャーはこの裁判劇の中で妻殺しの容疑で起訴された医者の役
を自ら演じ、さらにその結末を観客の判断に委ねた。すなわち、一連の
証言が終わった段階で観客に被告が有罪か否かを陪審員として投票
してもらうのである。

 この形式の裁判劇はアーチャーの独創ではない。筆者はかつて米国
で全く同じ趣向の劇を見たことがある。名前を失念したがその劇はワシ
ントンのケネディー・センターでかなりのロングランを記録していた。

 しかし、話題性という意味ではこのロンドンの公演が圧倒的に上だ。
何しろ被告の役を演じている原作者が現実に刑事犯罪の被告人とし
て告訴されたのだ。
 アーチャーの容疑はもちろん殺人罪ではなく、自らの売春疑惑に関
する偽証工作であった。ところが、その重要な鍵を握る売春婦が裁判
の最中に突然謎の交通事故死を遂げ、裁判への興味をいやがうえに
もかきたてたのであった。

 有罪判決は、アーチャー氏が上院議員として受けたLordの称号(従
って彼の正式な呼称はLord Archer、アーチャー卿である)の剥奪論
争にまで発展している。

 アーチャー卿の作品は、代表作「ケインとアベル」が典型的だが、登
場人物の描き方が大袈裟でいかにも作り物の印象を受けることが多い。
ところが、アーチャー自身の人生がその小説に輪をかけて波乱万丈で
ある。何しろ小説家としてのデビューからして詐欺事件で逮捕され獄中
で書いた小説がベスト・セラーになったというのである。

 この成功を機に政界進出を果たし、「鉄の女」サッチャーの側近とな
るが、ここでも様々なスキャンダルに直面し紆余曲折を辿った末、サッ
チャー政権で廃止されブレアーにより復活したロンドン市長選への立
候補を画策するもこの犯罪容疑で挫折した。有罪判決で獄に入って今
度は「小説より奇なる」自叙伝を書いてもらいたいと思うのは筆者だけ
でないだろう。

 その他、ロンドン出発直前にみた多くの劇の中で印象に残ったものは
数々あるがやはり圧倒されたのは、アガサ・クリスティーの「ねずみ取り」
マウストラップ)だろう。ウエストエンドではミュージカル「キャッツ」や「オ
ラ座の怪人」のように10年を超えるロングランは珍しくない。

 しかし、「ねずみ捕り」の初演は1951年、今年で50年のロングラン
という化け物劇だ。推理劇だから内容は記さないが、多分ミステリー・
ファンは外部との連絡が絶たれた一軒家での殺人といった場面設定
に若干陳腐な印象を持つだろう。しかし、よくよく考えてみればこうした
設定ももともとはクリスティーが創作し、世界中のミステリー作家によっ
て模倣され定番となったものに他ならない。

 クリスティーの作品は聖書に次ぐ売れ行きを記録しているという。そ
れにしても感じるのは、クリスティーといい、アーチャーといい、英国が
次々と生み出す知的サービスの豊かさだ。いうまでもなくそのルーツを
辿るとコナン・ドイル、シェークスピアを経てカンタベリー物語辺りに及
ぶだろう。

 また、それらがロンドンという国際都市で演劇、ミュージカル、映画の
ような形で加工され、世界各国に広まっていく、あるいはそれを求めて
世界各国から人が集まる。ユーロが発足してもロンドンの国際金融都
市としての地位は揺るがないという関係者の発言には、こうした「文化
のインフラ」としてのこの街の力への自信もあずかっているのも知れな
い。

 黒字大国の日本だが、こうした文化の輸出入に関してはまだまだ英
国の足許にも及ばない。英国を去った英国出羽の守としては、せいぜ
い日本の誇る数少ない文化輸出品の一つ、鳥山明作「ドラゴン・ボー
ル」ドイツ語版の宣伝にでもつとめることにしたいと思う今日この頃であ
る。

                                                        英国出羽の守SY




2001/7/30

英国出羽の守殿

 スイスへのご転居のお知らせ拝見しました。
ロンドンとは違った素晴らしい自然環境と国際的な機関の多い中で、
一層のご活躍をお祈りします。

 国際的な視野からの現代的あるいは歴史的トピックスを今後も談話
室へお寄せ頂けるとのことでご協力に深く感謝します。

 テキストファイル確かに受け取りました。
アーチャー氏の人生は、本当に面白そうですね。

アガサ・クリスティーの「ねずみ取り」(マウストラップ)はロンドン赴任
当初家内とすぐに観劇したもので大変なつかしく思っています。
そのときいつか家内とまた見に来ようと約束しているので、この手形は
決済しなければなるまいと思っています。

 ともかく観劇が日常生活に溶け込んでおりますね。
私も「ロンドン憶良見聞録」の中で、『シティはしたたか』と題し、国際金
融都市の条件の第六として、文化的条件をあげました。
「文化のインフラ」は国家や国民のあり方として、大事なことですよね。

 ではまた、
                                   ロンドン憶良




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