晴耕庵の談話室

NO.26


HELLO

99/2/19
標題:英国歳時記番外・アテネ編

ロンドン憶良様

英連邦の絆についての項、読ませていただきました。 そういえば、ニュー
ジーランド人の友人も、何かというと”British Commonwelth"といっていまし
たっけ。
当時は、どうしてこんなに英国英国というのだろうと思っていぶかしく聞い
ていましたが。
別のニュージーランド人の友人も、「UKにはぜひ行ってみたい。自分の
ルーツがあるところだから。」というような事を言ったことがあります。
言葉が同じということは、ある種の文化的土壌が同じということですからね。
思考法にも影響するだろうし。


先週末は、駆け足でアテネに行ってきました。
初めて体験する地中海の太陽。うーん、明るい、暖かい。
誰だ、アテネは公害がひどくて薄汚れた街だなんて言ったのは。確かに
建物が雑然としていて道路もぼこぼこ。秩序が感じられるのはアクロポリス
の丘の上ぐらい。神々のおはす丘を下るとそのすぐふもとから、うねうねと
いりくんだ狭い道とその両脇にひしめきあって建つ家々。でも人口500万
の大都会。

いくら由緒正しい歴史の街だとはいっても、「今を生きる」人々にとっては、
長い年月の間ずっと、まず自分の暮らしを守ることの方が大切だったに違
いない。
景観を守りながら歴史と共存していく街があり、一方で、そんな物には頓着
せず存在する街もある。 どちらがよいとか悪いとかいちがいにいえないと私
は思う。
現在の街のありようは、そこに住み続けてきた人々の生活の結果であるか
ら。そして、それこそが、訪れる者に、その土地独特の空気、「・・・らしさ」と
でも呼ぶ何かを感じさせるのではないだろうか。

空港からアテネ中心部へ向かう道路沿い、街路樹として植えられたオレン
ジの葉の緑の濃いこと。たわわに実った実の橙色の鮮やかなこと。
ボーッと霧に覆われた灰色のボルトンとはなんと違うことだろう。そこではよ
うやくスノードロップが、かたく凍った地面を割って白い小さな花を咲かせた
ばかりだったというのに。

そして何より、人々の穏やかで親切なこと。子供を見る目の温かなこと。
自分の孫も同じ年というようなおじいさんおばあさんはさもありなん、でも、若
い人々のあのまなざしの温かさにはとても心うたれた。
自分の子供だけではなく、隣の子も、見知らぬ人の子も皆同じようにいとしみ
慈しんで育てよう、見守ろうという共同体の中で育った人だからこそ、自分もま
たそれと同じ思いを年下の者たちに返してやることができるようになるのでは
ないか。子供、すなわち未来であるなら、この街の未来はなんと温かく育まれ
つつあることか。

それは一つには、ここにしっかりと根をはったギリシャ正教ゆえかもしれない。
ちょうどカーニバルの時期だったせいもあるだろうが、月曜の朝、出勤前に教
会に立ち寄る人の多いこと。ビーズを手に正装で教会に向かう女性。教会学
校の本を抱えた孫娘の手を引いて歩くおじいさん。

「子供を教会に連れて行きたいとは思うけど、日曜にまで予定が入ってつぶ
れてしまうのはかなわない。」といったボルトンの友人のことが思い浮かんだ。
ここでは、宗教は人々の日常からかなり遠くなりつつあるようだ。
でも英国では、学校で特定の宗教を教えることが義務づけられている。我が
家のように、家庭では一切キリスト教と関係がなくても学校が教える。子供は
そこで、人としてかくあるべしという価値観(の一例)を確かに学びつつある。

かえりみて日本はどうだろう。すべての宗教教育が公立の学校で禁止され、
修身の教科書が墨で塗りつぶされて以来、多くの人は、何を心のよりどころ
として生きればよいのか見失ったままだ。
いや、それを、科学の進歩やお金といった、目に見える成果に置き換えてし
まった人も多くいたのだろう。そして今、子供を通してみる日本の未来のなん
と暗澹たること。その子を育てているのは、この私なのだという重い現実。
おまえには何があるのか。

・・・私一人に何ができる?と問うまい。あのアテネの人々の温かいまなざし
は、それほどに私を勇気づけてくれた。そんなおまえにもできることはある
はず。やってごらん、と。


パルテノンは、見事でした。
我が家の子供達は、確実に、木の文化よりも石の文化を身近に感じて育ち
つつあります。今度日本に帰ったら、絶対東大寺を見せなければ、などと思
ったことでした。

そして、今日、クルド人についての報道を聞いてびっくりしてしまいました。
アテネでタクシーの運転手さんが、ちょうどクルド難民のたくさん集まってい
る広場の横を通った時、「クルド、クルド」と教えてくれ、その先少し行ったと
ころでUNHCRの車を見かけたばかりだったからです。泊まったホテルの向
かいがギリシャの国会議事堂で、今日はそこにクルド人達が集まって、自ら
に火をつけて抗議行動をした人もいたとのこと(Daily Telegragh Net版)。

英国に暮らしていると、こうした問題がとても身近に感じられます。
日本にいると、海を隔てたすぐ隣の国のことさえ、よくわからないままだったり
するというのに・・・
この違いは何に由来するのでしょうか。
一つには、マスコミの報道姿勢も影響していると思います。日本のマスコミ
は自国が直接絡まない問題には関心が薄く、いかにも遠い彼方の出来事
という扱いしかしません。決して無関係ではない筈なのに。

たとえば緒方貞子さんの毎日を追うという形ででも、最初の興味を引きつけ
ることはできるでしょう。そこから世界の政治紛争を追ってという連載も可能
ではないでしょうか。
日本が経済力に見合った政治力・外交力を自力で身につけない限り、いつ
もお金の無心をされた上、日本は何もしないなどと言われ続けることになる
でしょう。政治家や外務省だけの問題ではない。無心されているのは、私達
が払う税金に他ならないのですから。
(そういえば、今申告の時期ですね。どうしてサラリーマンは天引きなのでし
ょう。全員が申告制になればよいのに。)

この頃は、世界中の国に、日本の若者が出かけていき、現地の様子をイン
ターネットのホームページで紹介しています。その人々にも、単なる旅行情
報・生活情報だけでなく、そこに住まなければ分からない現状を伝えてほし
いものです、日本語で。

雛人形に日本から送ってもらった菱餅も飾って、家の中は一足早く春がや
ってきました。日本では、この日女の子のパーティをする習わしだから、とい
って去年開いたパーティは好評でした。今年はどんな趣向にするか、今思
案中です。

ではまた次回を読ませていただくのを楽しみにしております。

                                  N.N.

REPLY

N.N.さん

英国歳時記番外・アテネ編楽しく拝見しました。
そのうちロンドン憶良世界見聞録も書きたいと思っています。

> 別のニュージーランド人の友人も、「UKにはぜひ行ってみたい。自分の
>ルーツがあるところだから。」というような事を言ったことがあります。

以前出向していました外資との合弁会社の非常勤役員にニュージーランド
人がいまして、彼の奥さんは弁護士でしたが、息子さんも弁護士の修行に
ロンドンに行かせていました。まだSolicitor(事務弁護士)でしたが。
やはり英連邦では文化的土壌はUKになるのではないでしょうか。

ところで弁護士はUKではSolicitor(事務弁護士)とBarristor(法廷弁護士)
に分かれていますが、SolicitorはBarristorの下で作業を行い、腕を磨くよう
です。

>先週末は、駆け足でアテネに行ってきました。
>パルテノンは、見事でした。

パルテノンはやはりあの丘に立って、はじめてアテネという都市国家が
地中海の覇権を得て、神々をたたえ、権勢を見えるもので誇示したと
いうことがわかりますね。巨大さに芸術性を加え、地中海世界を圧倒した
のでしょう。

太陽光線に乏しい冬のイングランドでは、やはり地中海はまぶしいですね。
私たちもパルテノン神殿に感激しましたが、神殿の装飾彫刻のかなりの部分
が大英博物館に持ち去られている現実には、複雑な気がしました。
(19世紀初頭、駐トルコ大使エルギン卿の力はそれほど強大だったのか)
とはいえ大英博物館で間近に堪能した大理石の彫刻を、パルテノン神殿で
は瞼に思い出し、ギリシャ文化の偉大さを建築技術と彫刻の両面から堪能で
きました。

>でも英国では、学校で特定の宗教を教えることが義務づけられている。
>かえりみて日本はどうだろう。
>子供を通してみる日本の未来のなんと暗澹たること。

その通りです。
日本では軍国主義に宗教(神道)が利用されたので、その反動として宗教教
育が否定され、ココロの問題がおろそかにされているのでしょうか。
アメリカの戦後の占領政策でもあったのでしょうが、政治色の強い教員組合
にも、ココロの荒廃の原因があるような気がします。
教育は数十年たって効果がわかります。学級崩壊はその結果の一つでしょ
う。社会の投影でもありましょう。

クリスマス・イヴがプレゼントの日やホテル予約の日となったり、バレンタイン
やホワイト・デーなどやたら商業主義がはびこりました。
難しい面はあるかもしれませんが、世界の主な宗教の存在や教義の概観を
教えるだけでも意義あることだと思います。

>あのアテネの人々の温かいまなざしは、

私たち家族はアテネからクレータ島にいきましたが、クレータの市内で温か
いまなざしを感じました。子供はマーケットでオレンジをいただいたりしまし
た。島内はのどかで、クノッソス宮殿をはじめ、オリーブの丘の遺跡群を満
喫した懐かしい思い出があります。

しかし当時はキプロス問題で緊張感があり、アテネ空港には軍用機がいて、
市内にも軍服が多く見られました。

>そして、今日、クルド人についての報道を聞いてびっくりしてしまいました。

かってSハンター著「クルドの暗殺者」(上)(下)新潮文庫を読んで、クルドの
人々の置かれている厳しい現実の一端を知りました。
しかしクルドといっても日本人にはピンとこないでしょう。(それは海外に出な
い前の私もそうでしたから)

ロンドンに赴任して間もないある夜、同僚とスイスコテージ(地名にもなってい
る有名なパブ)で飲んでいた時、隣の若いグループがバスクの人々でした。
「バスク?」
フランスとスペインの国境、スペインから独立したい願望をもっている地域と
知りました。欧州では否応無しに民族や宗教問題にぶつかりますね。

>日本にいると、海を隔てたすぐ隣の国のことさえ、よくわからないままだったり
>するというのに・・・この違いは何に由来するのでしょうか。

マスコミの報道姿勢もさることながら、教育の姿勢もありそうです。
身近な素材で近隣の国々を知る教育をする国と、テスト評価の知育に偏る国
の差かもしれません。「長靴持って修学旅行」を載せたのは、小中学校の先生
方に読んでもらいたいと思ったものです。

最近6年生や父兄の方から「イギリス」の発表で私のHPが参考になったとの
メールが来ています。
一人でも民族や宗教問題の並存に興味と理解を持ってくれればと願います。

>たとえば緒方貞子さんの毎日を追うという形ででも、最初の興味を引きつけ
>ることはできるでしょう。そこから世界の政治紛争を追ってという連載も可能で
>はないでしょうか。

面白そうな企画ですね。朝日新聞の「声」などに投書されてみてはいかがで
すか。

>単なる旅行情報・生活情報だけでなく、そこに住まなければ分からない現状
>を伝えてほしいものです、日本語で。

「晴耕庵の談話室」がその役割の一端を担えればと思います。
談話室にアクセスされた世界の各地にいる若い皆さんへ。
これからもどんどん談話室に情報やご意見をお寄せください。
それがNGO、NPOとも一味異なる個人ホームページの双方向通信の面白さで
すから。

                              ロンドン憶良

            
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