晴耕庵の談話室

NO.22


REPORT

98/12/ 4
標題: ちょっと長いメールで恐縮です(ガイフォークス事件)
ロンドン憶良様

メールありがとうございました。
高校時代の恩師が、学生時代に受けた宮先生の御講義の様子について、よく話し
てくださったものです。 復員後、お子様を亡くされ、それについての一連の作
品でもよくしられる先生のことですから、子供に勝る宝があろうかと詠う憶良
に、殊のほかの思い入れもおありだったのでしょう。

ガイフォークス事件について、いつもながら挿し絵が楽しく、一気に読ませて
いただきました。 (8.雑感 が表題のみなのですが・・・)

エリザベス1世即位以前の部分ですが、このあたり、イングランド一国のみでな
く、西ヨーロッパ全体の勢力関係を考慮に入れないと今一つはっきりしないとこ
ろがあるのではないかと考えます。残念ながらイングランドは、いまだそれほど
強大ではなく、さりとて、完全に無視されるほどに弱体でもなく、強国の思惑に
翻弄される格好の餌食。 ルター以降の各国混乱の縮図と言えないでしょうか。

ヘンリー8世の個人的事情も確かに一因ではあったでしょうが、そうした状況を
招いたローマカトリックの権威の失墜と、巻き返しを図る旧教国側の勢力争いを
視野に入れてこそ、この時期のイングランド・スコットランドを理解できるので
は、と思います。 そして、多分その状況を誰よりも良く了解していたのがエリ
ザベス1世だったのではないでしょうか。 だからこそ、いずれの国とも婚姻関
係で束縛されることなく、一種のモンロー主義で富国強兵に努め、次代の飛躍の
基礎を固めたのだと思います。 ジェームズ1世はその遺産で楽できたのでしょ
うか。
憶良さんのジェームズ1世評は厳しいですね。 私は、ジェームズ1世というと、
欽定聖書が一番に浮かんできて、この功績、最も賢明な王にふさわしいと思うの
ですが。

ちなみに我が家のNelson's Bible Encyclopedia For The Family(アメリカで買
ったものですが、著者の顔触れを見ると、ほとんどがマンチェスター大学教授を
はじめ、英国系)を見ると、ハンプトンコートの会議について、このような記述
があります。

  When James I succeeded her in 1603, he called a conference at Hampton
Court to regulate affairs in the Church of England. The only decision of
importance taken at this conference was that a new edition of the English
Bible should be prepared, which would-it was hoped-take the place of both
the Geneva Bible and the Bishops' Bible.(中略) For 300years and more the
Authorised Version(つまり欽定聖書)came to be recognised as The Bible above
all others throughout the English-speaking world. It was superior to all
versions that had gone before it, and in some respects it remains the Best.
The beauty of its style and the rhythm of its prose have ensured that it
is still the most suitable version of the English Bible for reading aloud
in public.

ロチェスタ-で聖書を読む会に通っていた頃、その中の一人の方が、やはりこの
聖書の素晴らしさについて話しておられました。「自分はこの聖書を読み、聞い
て大きくなったからか、やはりこの表現が一番聖書にふさわしく思われるし、教
会で朗読を聞いていても、美しいと思う」と。
もちろんジェームズ1世が書いたわけではありませんが。

今回この国内の宗教をめぐる混乱を読んでいて思い出したのが、「チェサピー
ク物語」です。少々俗な小説ですが、アメリカのネイティブアメリカン初期から
1980年代に到る大河ドラマで、確か2巻か3巻にこのあたりのイングランド国内の
様子も出てきたと思います。 もちろん宗教だけが新大陸移住の原因ではない。
おそらく十字軍後半以降、宗教はもはや(とくにイングランドでは)最大の関心
事ではなくなっていて、実は、経済を中心とする世界観が国を動かす最重要項目
になりつつあり、それを具体化してみせたのが、植民地アメリカの誕生であり、

以後独立へとつながる歴史の流れです。 このアメリカの萌芽となったものが、
今回のガイフォークス事件をめぐる憶良さんの解説で、非常によくわかりまし
た。 初めて住んだ異国だからか、アメリカはいまだに、近しい国です。

(以上 N.N.)

>>>英国は景気もよい様子

どうも最近そうでもないようです。(日本よりはましかも知れませんが)これか
らリセッションに入る、としきりに言われております。Bank of Englandが利下
げしたのはご存知と思いますが、にもかかわらず、株式市場は不安定です。今年
のクリスマス商戦がどうなるかが一つの目安と思いますが、Boltonのような小都
市に最近2年くらいの間にRetail Parkがいくつか続いてオープンしているところ
などは、数年前の日本を彷彿とさせるものがあります。その後は・・・?

経済面では大陸との関係がやはり気になるところです。来年から実施されるEURO
。ブレア首相のような加入推進派から、感情的に反駁する人たちまで、さまざま
な議論があります。新聞をいろいろ眺めてみると、SunやMirrorのような大衆紙
は反対、高級紙になるほど賛成の方に傾くようで、その読者層を考えると中々面
白いものがあります。貨幣と言うヴェールはまだ統合されていませんが、実体面
では英国=大陸企業の合併・買収が相次いでおり、静かですが着実に欧州は一つ
になりつつあるようです。

昨日ボイラーが故障してしまいました。風呂は使えなくなり暖房も働かず、この
季節の寒さを改めて実感した次第です。翌朝修理に来てもらって何とか事無きを
得ました。朝には霜が降り、退勤時間には車が白く凍てついている今日このごろ
です。

                          (以上 Y.N.)



RESPONSE WITH THANKS

98/12/17
標題:ガイフォークス事件
新倉ご夫妻様

今年は欧州も大変寒いようですが、日本にもいよいよ寒波が来ました。
最近景気の底入れ感が企画庁長官や財界の方々から発表されていますが、
実態はまだ冷えているような気がします。

月末に私用があり返事が遅れましたが、ガイ・フォークス事件関連のご指摘
ありがとうございます。

> (8.雑感 が表題のみなのですが・・・)

ちょっとバタバタとまとめアップしたため漏れなどあり修正をいたしました。
恐縮ですが再度ご覧ください。

> 、西ヨーロッパ全体の勢力関係を考慮に入れないと今一つはっきりしない
ところがあるのではないかと考えます。

その通りです。さすがに、ちょっと書こうかどうしようかと思った点を指摘さ
れました。
読者の方々に当時の西ヨーロッパの勢力関係を概略説明するため、次の補記を
したいと思います。
________________________________
(9)補記――当時のイングランドとスペインとの勢力関係

読者からの示唆もあり、より理解しやすいよう参考までに当時のイングランド
とスペインとの勢力関係を概略説明したい。
ヘンリー8世、メアリー・イングランド女王、メアリー・スコットランド女王、
エリザベス女王の項目と参照ねがいたい。

ヘンリー8世の頃のイングランドは一島国に過ぎなかった。

欧州はオーストリアのハプスブルグ家が強大となり、ドイツ王から更に神聖
ローマ皇帝となり、カール5世(1516-1556)はスペイン女王と婚姻しスペイ
ン王(カルロス1世)も兼ねていた。
すなわち当時の西ヨーロッパはハプスブルグ家の支配下にあった。

欧州毛織物工業の中心地フランダース(オランダ・ベルギー)は、戦略的に
も重要であり、1482年にハプスブルグ家の領土となっていた。

カール5世が逝去したあとハプスブルグ家はオーストリア系とスペイン系に
二分され、スペインはフェリペ2世(1556-1596)が継承し、フランダースは
1584年にスペインの支配下になった。

スペイン王フェリペ2世はイングランドの女王メアリーの夫である。
当時のスペインは無敵艦隊アルマダを擁し、欧州最強の勢力の一つであった。
だがプロテスタント系のイングランドの国民は、スペイン人の夫を持つカト
リックのメアリー女王(ブラッディ・メアリー)に不快感を抱いた。

プロテスタントを弾圧したメアリー女王が1558年他界すると、スペイン王フ
ェリペ2世はエリザベス女王に求婚したが、プロテスタントのエリザベスはこ
れを拒絶した。

スペイン王フェリペ2世は、当時イングランドに幽閉されていたカトリックの
メアリー・(スチュワード)スコットランド前女王とエリザベス女王暗殺の
謀略を図ったが、成功しなかった。

エリザベス女王はキャプテン・ドレイクにスペインのアメリカ貿易船を襲撃さ
せ、さらに1588年、無敵艦隊アルマダをも撃破し、大西洋の海上支配権を逆転
させた。これより大国としての英国の繁栄が始まった。
スペイン王フェリペ2世は、エリザベス女王求婚に失敗した上、謀略でも海戦で
も完璧に破れたのであった。

カトリックの英人ガイ・フォークスがスペイン軍の傭兵としてフランダースに
いたのは、このような宗教と国家の争いが複雑に絡んだ状況下であった。




なおガイ・フォークス事件後であるが、ジェイムズ王の勅許状によって作られ
たロンドン会社(後のバージニア会社)が1607年にアメリカのジェイムズ河畔
に入植団を送り込み、これがバージニア州となった。

一方ピューリタン清教徒は国王の弾圧に耐え兼ねて、オランダに逃げたが、
1620年メイフラワー号に乗り込み、アメリカ(マサチューセッツ州)に上陸
し、プリマス植民地を作った。

ガイ・フォークス事件前後の欧米史も面白い。
___________________________________

> Nelson's Bible Encyclopedia For The Family
> ハンプトンコートの会議

Nelson's Bible Encyclopedia For The Familyのご紹介ありがとうございま
した。
私は国教会でもなく、カトリックでもないのでキリスト教のことは深く語れ
ないのですが、ハンプトンコートの会議は、国教会の立場から見れば、お説
の通り当然重要な意味があったことになります。
(当時欧州列強はカトリックが多かったので、ジェイムズ王への評価は、カ
トリック側からは低かったとしても)

新倉さんの博学には驚きました。当方が教わること大です。

> 静かですが着実に欧州は一つになりつつあるようです。

アメリカと日本に対する防衛的経済ブロックの形成でしょうが、キリスト教
文明圏という共通の価値観があるような気がします。
アジアは、欧州のようなまとまり方は相当に難しいのではないかと愚考しま
す。(民族・宗教・言語・習慣・価値観等が違いすぎますので。)

> この季節の寒さ

今年は欧州は格別に寒いようで、どうぞお風邪を召さぬようにしてください。
ではまた


                     ロンドン憶良

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