晴耕庵の談話室

NO.6


THANKS & QUESTION

Date: Thu, 29 May 1997
Subject: 感謝

大杉さん、いつもありがとうございます。

迷惑だなんてとんでもないです。わたしの周りには歴史の話しはできても
百年戦争とか中世の話しができる人がいなくて、ひとりさびしく調べごと
をやってる中、こうして教えてもらえることがどんなにありがたいことか。

ところで、一つ質問です。エドワード3世の妻フィリッパのことなんです
が、この婚姻がエドワードの母イザベラがクーデター資金調達のためにエ
ノー伯と結んだものとある少女漫画で読んだのですが、これの裏付けって
とれますか?
フィリッパは軍隊の前で演説したり、フロワサールを秘書にしたりなかな
かの女性ですね。

ところで、『英国王室史話』買いました。
わたしは単純にブラック・プリンスは、黒い鎧だからと思っていたら、ブ
ラックには「凶悪」という意味があって、シェークスピアの一節を引用し
て補強されていておもわず納得してしまいました。

フロワサールの方もようやくポワティエの戦いまで来て、ようやく3分の
一が終わりました。今後ともよろしくお願いします。


REQUEST

98/10/16
T.O.さん

本日「晴耕庵の談話室」にアップロードしましたので、ご覧ください。
ただ一部のメールを保管し損なっています。日付のミス指摘と地名などを
照会越しあったものですが、そちらに控えがあれば、再送頂ければ幸甚です。
エドワード三世の件もそれに含まれているのかと思いますが・・・
お手数わずらわし恐縮です。しかし、大関さんの質問内容に深みがありますので
レベルの高い談話と自画自賛しています。
今後ともよろしくお願いします。
                   ロンドン憶良


RESEND & INFORMATION

98/10/17
標題: Re: お礼とお願い

ロンドン憶良さん、こんばんわ。

> ただ一部のメールを保管し損なっています。日付のミス指摘と地名などを
> 照会越しあったものですが、そちらに控えがあれば、再送頂ければ幸甚です。
> エドワード三世の件もそれに含まれているのかと思いますが・・・

ファイルを添付しますので、壊れていたらご一報ください。
LZH 形式の解凍はご存知でしょうか?もし解凍でご不明な点があれば
いつでも聞いてください。

以下私事になりますがすこしお付き合いを。
インターネットでサイトを昨年二月につくってからいろいろなことが
起きました。もともとのきっかけはフランス国立図書館のフロワサー
ル年代記の写本の画像をみたのがきっかけでして、日本で中世をやっ
ている人は、いるのかなあとおもいYahoo で調べたところロンドン憶
良さんのサイトを知り、そのほかのサイトをみながら、日本人でもこ
んなにやってる人がいるんだから私もやってみようというのが始まり
でした。

あれから不特定多数の方がみてくれたと思うと感謝でいっぱいですが、
なによりもロンドン憶良さんのサイトがつねに更新されていることが
励みでした。

この秋、大学院に合格でき、また一からインターネットで発言しよう
と考えています。今後もどうぞよろしくお願いします。

T.O.


THANKS

T.O.さん
メールありがとうございました。
解凍できましたので近日追加します。
こうしてみると、まだお返事してないものも見えてきます。

ではまた           ロンドン憶良


BELATED ANSWER

98.10.19
T.O.さん

神田の古本屋で偶然見つけ重宝しています「The Dictionary of English
History」(Sidney J.Low and F.S.Pulling編Cassell & Company,Ltd 1889)
では、次のように書いています。
なにしろ100年前の出版で、所有者だったエジンバラ大の学生か先生か
の日付は1941。太平洋戦争の年、私が国民学校1年(6歳)の時ですが
実に読みやすい英語です。


> エドワード3世の妻フィリッパのこと

Philippa,Queen(b.circa1312,d.1369),wife of Edward 3.,daughter of
William,Count of Holland and Hainault,was contracted to Edward in
1326,and the marriage was celebrated in 1328.She accompanied her
husband on some of his foreign expeditions,and at other times defended
the kingdom in his absence;though the story of her presence at the
battle of Neville's Cross rests on insufficient authority.
Better authenticated is the well-known anecdote of her intercession
for the burgessese of Calais.

とあります。世に名高いNeville'sCross の戦い(前述)では彼女は現場には
いなかったようですが、その部下はよく働いたのでしょう。
いずれにせよある時は夫エドワード三世と海外遠征に、ある時は留守を守った
気丈の有能な女性ですね。


> この婚姻がエドワードの母イザベラがクーデター資金調達のためにエ
> ノー伯と結んだものと

フィリッパの父WilliamはCount of Holland and Hainaultですが、エドワード
三世(当時はまだ王子)の母イザベラは1326年のクーデター(フランスより
イングランド再侵入)のために、1325年から1326年に兵士をHainaultで集めて
います。(Hainaultがどこらあたりか知りませんがオランダの隣接地でしょう)
フィリッパとエドワードの婚約は1326年ですから、婚姻によってクーデターの
資金調達・兵士調達がされたとみてよいのではないでしょうか。

当時Holland あたりはフランス王に臣従する公国領でしょうから、フランス王
(イザベルの兄)からフィリッパの父ウィリアムへ一声かければ婚姻は成立し
たのでしょう。

Isabella,wife of Edward 2(b.1295,d.1358),was the daughter of Philip 4
of France.・・・・・A dispute having arisen between Edward 2.and his
brother-in-law ,the French king,Isabella was sent over to France to
arrange the matter in 1325. Having induced the king to send over Prince
Edward to join her,she openly declared her intention of returning to
England to deliver her husband from the hands of the Despencers.
Many of the excited and discontented barons had assembled at the French
court,and with their aid and troops she obtained from Hainault,she got
together a sufficient force to enable her to venture on invading England.
She landed in Sept.,1326,near Harwich ,where she was joined by many of
the nobles.Her party gradually gathered strength as she marched westwards
against the king.Edward surrenderd,the Despencers were executed,and shortly
afterwards the king was deposed,and Prince Edward placed on the throne.
from this time till the end of 1330 the queen and her paramour,Montimer
,were supreme.・・・・・・・・・

とあります。夫エドワード二世及びthe Despencers (デスペンサー一族)を追放、
愛息子エドワード王子を三世王に即位させたが、イザベラが寵臣Montimerと政治
を壟断したのは僅か3年あまり。まさかその息子から幽囚の扱いを受けるとは
思わなかったでしょう。

映画ブレーブ・ハートのイザベラが光って見えますが、この時代もまたロマンと
政略に溢れますね。

それにしてもこの辞書の編者は、簡潔に要点をまとめてくれて、かつ状況が目に
見えるようですね。早くノルマンコンクェストの続編を書かなくてはと思います。

以上回答いたします。
大学院で頑張って下さい。

ロンドン憶良


INFORMATION

98/10/20
標題: Re: イザベラとフィリッパ

ロンドン憶良さん、こんばんわ。T.O.です。

> 神田の古本屋で偶然見つけ重宝しています「The Dictionary of English
> History」(Sidney J.Low and F.S.Pulling編Cassell & Company,Ltd 1889)
> では、次のように書いています。

その古本屋の名前は北沢書店でしょうか?
もしいい洋書屋を知っていたら教えてください。

> とあります。世に名高いNeville's Cross の戦い(前述)では彼女は現場には
> いなかったようですが、その部下はよく働いたのでしょう。

なんでも、スコットランド王を捕まえた兵士に対して、フィリッパは
王を差し出すよう命じたのですが、褒賞に不安を持ったその兵士は頑
として断り、仕方なくカレーに、その兵とスコットランド王は送られ、
エドワード3世から土地をあげるからスコットランド王はフィリッパ
にあげてくれといわれてようやく納得したんだそうです。あわれなの
は海峡を引きずりまわされたスコットランド王ですね。

> (Hainaultがどこらあたりか知りませんがオランダの隣接地でしょう)

エノーだとおもいます。ベルギーの東部です。

> 映画ブレーブ・ハートのイザベラは光って見えますが、この時代もまたロマンと
> 政略に溢れますね。

王侯貴族も教会人も民衆も大災害、大飢饉、大戦争をいかに克服したかが
中世幕引きの時代である百年戦争の時代だとおもうのです。克服していな
いのかもしれませんが、それから百年して日本にかれらの子孫が来たこと
を考えると、百年戦争のヨーロッパ人にとても興味を覚えるのです。

T.O.カノッサ



CONGRATULATIONS WITH THANKS

98.10.21
T.O.カノッサさん

遅くなりましたが大学院合格をお慶び申し上げます。
これからは貴方にお尋ねすることができますので、欧州中世史がますます楽
しみです。

> その古本屋の名前は北沢書店でしょうか?

ラベルには崇文荘書店とありました。数年前の入手ですから、今この書店が
あるかどうか知りません。最近は隠棲の晴耕庵遊翁ですので。

> エノーだとおもいます。ベルギーの東部です。

Hainaultはエノーですか。成る程これで政略結婚による資金調達は明確にな
りましたね。
私はフランス語をやっていないのでカンピューター(冷や汗)なのですが、
今後ともよろしくご指導お願いします。

      ロンドン憶良

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