二つのレガッタ
(前頁より)
驚いたことにこの日のプログラムには、前日までの結果がちゃんと印刷
されている。この手際のよさも見事というほかはない。
最終日の音楽の演奏曲目、指揮者まで印刷されている。
楽団は近衛ウエールズ連隊音楽隊、指揮者はウォーカー少佐である。
曲目はマーチありワルツありラテン・アメリカンあり。
「あらっ、マイ・フェア・レディよ」
「これはウエストサイド・ストーリーだ」
「素晴らしいレガッタですね」
「これがヘンレー・ロイヤル・レガッタなんだ。日本ではヘンレー・レガッ
タと呼んでいるが、『ロイヤル』を落としているのは間違いだよ。
時に本質を見落とすからね」

「ヘンレー・ロイヤル・レガッタが始まったのはいつ頃からですか?」
今から約150年ほど前の1839年の3月、ヘンレーの町の公会堂に
住民の有志が集まっていた。日本では江戸の末期である。
ヘンレーの町は、昔から水上交通の要衝であり、また周囲の景色に恵
まれているので船遊びが盛んであった。町の人々は次のように決議し
た。
「ここ数年ヘンレー界隈でいろいろなボートのレースが行われ、大変賑々
しく活気があり結構なことである。ついてはこのボート・レースをきちんと
した威厳のある運営の下で、毎年大々的に開催したい。そうすれば町の
繁栄に寄与するだけでなく、近隣の地域の人々の楽しみにもなり、国民
の娯楽にもなることであろう」
こうして、ヘンレー・レガッタはきちんとしたコンセプト(意思統一)の下に
誕生した。
1851年、王室として正式にこのレガッタを後援することになり、ビクトリ
ア女王の夫君であるアルバート殿下が、初代のパトロン(後援会長)と
なった。
この時からヘンレー・ロイヤル・レガッタと呼ばれ、世界の各地から多数
のクルーが参加する、権威ある格調高い、遊び心ある、優雅なレガッタ
となった。
「今のパトロンはエリザベス女王だよ。なにしろ百年以上経っている、町
ぐるみ参加の伝統的レガッタだ。町興しのお祭りみたいなものさ」
「日本にもこういう優雅なレガッタとか出来るといいですね」
「日本のスポーツは精神主義で何でも『道』にしてしまうからな。それは
それでよいがこうした格調のある遊び心のあるスポーツ大会もあってい
いんだろうな。たぶんエコノミック・アニマルと軽蔑されているわれわれ
日本人の、今後の大きな課題だろうな」
後日談ながら、憶良氏の本を読み、K先輩はヘンレー・レガッタを訪れ、
雰囲気を楽しまれたと報告があった。
さらに、60前後の後輩OBクルーも2000年のヘンレー・ベテランズ・レ
ガッタに出漕した。(現地クルーには歯が立たなかったようだが、雰囲気
を実感する後輩が増えるのはうれしい)
在英の方には是非お勧めしたいレガッタである。
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