悲しきポピーの日

(前頁より)



こういう点で、日本人は柔順すぎるのか、淡白な性なのか、抵抗したり抗
議することに不慣れなのか、長いものには巻かれろ式の日和見主義が大
衆の心理であろう。

欧米人にとっては、自分たちが行った戦争はあくまでも正義の戦であっ
て、侵略の戦いではなかったのであろうか。
それとも戦争の大義名分とは関係なく、自国の戦没者の慰霊を弔う気持
ちであろうか慰霊碑は必ず見かける。

もしも前者であれば、人間にこれほどの傲慢さやエゴイズムが許されるの
であろうか
もしも後者であれば、敗者の日本にも戦没者の慰霊碑は残してもよかった
のではあるまいか。

しかし、いつの世にあっても、戦争の犠牲者は弱い市民たちやその家族で
ある。
国と国、国民と国民がより親しくつきあい、理解を深めれば、戦争はかなり
避けられるのではないか。
憶良氏夫妻にとって悲しきポピーの日となった。

短歌二首

ポピーの日寄付を拒みし老人よわが妻もまた遺族なりしに

南冥に果つてふ義父の三三忌英京にあり心経を誦す


第一次大戦から約80年後の今、バルカン半島ではユーゴスラビヤは分
裂し、再び悲劇的な民族抗争が勃発している。一日も早く無事解決され
ることを、憶良氏夫妻は祈るばかりである。




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