悲しきポピーの日

(前頁より)



1914年6月、オーストリア皇位継承権のある太公夫妻がボスニアの首
都サラエボで、セルビアの青年に暗殺された。オーストリアのセルビアへ
の宣戦布告により、ドイツ、ロシア、フランス、英国、イタリー、トルコなど欧
州を巻き込んだ第一次世界大戦が始まった。

毒ガス、タンク、塹壕戰・・・凄惨な大戦であった。とりわけドイツ軍と英仏連
合軍はフランスの北部ソンム川で激戦を続けた。英国軍は勇敢に戦い、
戦場を赤い血で染めたという。その激戦地には赤いポピーの花が乱れ咲
いていた。それは、あたかも戦死者の血の色を思わせたという。

四年間続いた戦乱は、1918年11月11日に終わった。
英国軍の戦死者は94万7千人、負傷者は2百万人を越えた。
いつしか人々はこの戦没者慰霊の記念日をポピーの日と呼ぶようになっ
た。




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