(前頁より)



数日後、仮免とともに法規の本が送られて来た。




いよいよ実習開始である。
緊張してスクールなる小店に赴くと、ハンサムな教師(インストラクター)
のジャック君に紹介された。

彼は自分の乗って来た車に憶良氏を乗っけると、閑静な住宅街に連れ
て行った。
住宅街が閑静なのは、道路の幅を十二分にとっているからであろう。
両脇には、ゆったりとした歩道をとっているから、車道が一層広く感じる。
そこで路上駐車をして、憶良氏にギヤーだとかクラッチなどを一通り簡
単に説明すると、サッサと憶良氏と席を変わった。

憶良氏はぶっ魂消た。
初日からいきなり路上で車を動かせというのである。いかに閑静な住宅
街とはいえ、歩道には人が歩き、車道には車が走っているではないか。

「エイッ、ママヨ!」
とばかり、ジャック先生の言うとおりに、クラッチを踏み、ギヤーをニュー
トラルに入れ、エンジンキイをひねる。
「ミラー」「シグナル」さて「スタート」というのが運転の基本らしい。

ギヤーを入れ替えて、サイド・ブレーキを降ろし、恐る恐るペダルを踏む
と、「モア・ギャス、モア・ギャス(もっとふかせ)」という先生の声。

ああ!憶良氏の運転により、車は天下の大道を走るではないか。箱庭
の中と違って緊張の余りハンドルを持つ手に力がこもる。
「リラックス! 軽く握れ」
と、声がかかるが、憶良氏それどころではない。動いているからとて喜
んではいけない。ノロノロ運転はさせてくれない。たちどころに、「モア・
ギャス!もっと早く!」と声がかかる。




あちこちに駐車している車にぶっつけないように、大道のど真ん中を悠
々走りかけると、「キープ ツウ ザ レフト(左を守れ)貴君は初心者だか
ら、道の一番左を走らなくてはいけない」とくる。

(冗談じゃない。左を走れば、路上駐車の車にぶっつかるではないか)
と思っても、「イエス、サー」と答えて必死にハンドルを握る。いやはや神
経が疲れること疲れること。

しかし、英語で叱られる方が、日本語で叱られるよりましだ。貴様も、お
前も、君も、テメエも、貴方様も、全て「ユー」なんだから神経に触らない。

はるばる英国くんだりまで来て、「テメエ!」とやられちゃあかなわないが、
そこはまあ新人の悲しさ、「ユー」のニュアンスが分らない。
でも、ジャック先生の発音には、「テメエ」という感じはない。

もっとも、奥谷君の助言もあって、憶良氏はキチンとカジュアル・スーツ
に洒落たレジャータイを締めていたから、ジャック先生の扱いは、おおむ
ね紳士的である。


次頁へ