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小泉八雲「ダブリン作家記念館」に栄光の帰国


8月16日の朝日新聞夕刊は、作家小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の肖像写真
と業績が、故国アイルランドのダブリン作家記念館に19日より展示され、19歳
で出国以来128年ぶりの栄光の”帰郷”だと報じています。
8月15日に北アイルランドのコーナーを開設してすぐの朗報に欣快にたえません。
多くの方が小泉八雲の「怪談」を読まれ、日本的情緒の霊異の世界とロマンを感じ
られたと思います。また松江を訪れ、節子夫人と過ごされた純和風の住居に、在り
し日のハーン氏を偲んだ方もいましょう。


同紙の記事によれば1984年から5年間、駐日大使を務められたショーン・ロー
ナン氏が退官後もハーン研究と業績の見直し運動、記念館への顕彰を呼びかけてき
た成果とのことです。
ローナン氏は「優れた文学的スタイル、何より日本とアイルランドの両国民に共通
する繊細な感覚が故国で認められたことを意味する」と喜ばれているそうです。

この機会にラフカディオ・ハーンの生涯を概観しましょう。
ハーンはアイルランド人の軍医だった父が駐在していたギリシアで、1850年に
生まれました。母はギリシア人でした。
6歳の時父母は離婚し、アイルランドの父の叔母に引き取られ育ちました。
そのため父への反抗心が強く、アイルランドのことを語りたがらず、生母への慕情
が深かったと言われています。
一時はフランスで教育を受けたとのことです。

(多くのアイルランドの若者のように)19歳で新天地アメリカに渡り、新聞記者
になり、さらに西インド諸島に行き、「西インド諸島の2年間」さらに「中国怪談集」
で文名をあげました。その後1890年40歳の時、日本に通信記者として来ました。
日本に惹かれ、旧制松江中学の英語教師、さらに熊本の旧制五高さらに東京帝大や
早稲田の英文学講師になりました。
豊かな教養を背景に、学生に深い感銘を与える講義をしたそうです。
つまりハーンは「東から西へ」地球をぐるりと回り、ギリシヤで生まれた西洋文明
の知性と教養を、ギリシア生まれの身につけ日本に運んだことになります。
一方で、愛日家のハーンによって日本の心情といった面が欧州に紹介された功績は大
です。


曾孫小泉凡氏は「・・アイルランドの怪談や妖精の民話が、代表作「怪談」の原点に
なっているという点で、「アイリッシュ魂」を持っていたと思う」と述べています。
これまで故国では評価が低かったようですが、このたびの顕彰を皆様とともに祝いた
いと思います。

ところで、この機会に日本での資料を見ますと、ハーンの父は「イギリス人」とか、
ハーンは「イギリスで育つ」等のように書かれているものがあります。そのためラフ
カディオ・ハーンは「英国人」と誤解されている方も多いと思います。
憶良氏の家の某社大百科辞典は「イギリス」となっていました。
「イギリス」という表現は「イングリッシュ」を聞き間違えた「エゲレス」からいい
加減な当て字が作られただけに、概念がいかにも曖昧で、誤解を生みやすいか、この
例でもよく分かります。

当時のアイルランドは大英帝国の支配下にありましたから、「イギリス人」でいいの
だと言う学者がいるかもしれません。
が、「アイリッシュ」は「ブリティッシュやイングリシュ」ではありません。
台湾人を父とする方に、一時期日本の統治下にあったからと「父は日本人」と書くこ
とが大変失礼になるように、その国の歴史を知れば「アイリッシュ」に「イギリス人」
という表現を使うことは避けるべきだと思います。
「イギリスという国はない」うえ、アイルランドの歴史はイングランドの支配に抵抗
した歴史なのですから。
言語学者、歴史学者、ジャーナリスト、マスコミなどの方に、「イギリス」という表
現はできるだけ避けるようお願いしたいと思います。
皆さんのご意見はいかがですか?

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