語り継がれる悲話

グレンコーの悲劇−GLENCOE



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名誉革命によって、妻メアリーと共に戴冠したオレンジ公ことウィリアム3世は、
スコットランドのクラン(Clan氏族)にも誓約書を求めました。
しかし、わずかにグレンコーのマクドナルド家は提出に遅れてしまい、王はキャン
ベル(Campbell)一族のアーガイル伯爵に虐殺を命じてしまったのです。

1692年2月13日
演習の名目で、マクドナルド(McDONALDドナルドの息子の意味)の一族の家に泊っ
た兵士達は、温かく迎えられたにも関わらず、夜に虐殺を始めたといわれています。
アーガイル伯爵はこの功績により、公爵になり両一族は長い間、反目してきました。
この事件をグレンコーの虐殺(Masacre of Glencoe)と、いいます。
なお、Glenは峡谷や谷間を表し、グレンコーはthe Weeping Glen(嘆きの谷)とも
呼ばれています。

グレンコー(Glencoe)は、フォートウィリアム(Fort William)から南へ約20kmです。

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