百年の計

(前頁より)



「大体順調ですが、昨日セントラル・ヒーティングの具合が悪くて・・・」
「それはいけないわ。すぐ修繕屋を手配しなきゃ。二、三日かかるかもしれ
ませんよ。ハリー、使っていない電気暖房器があったでしょ。あれを貸して
あげましょうよ」
「そうしょう。一部屋でも暖かくしていないと、今晩にも風邪をひいてしまうよ。
すぐに出してあげよう。」
ご主人のハリーさんが部屋を出て行った。

「ロンドンの秋から冬は東京よりも冷え込むでしょう?」
「でもこちらではセントラル・ヒーティングなので助かりますね。日本では家
屋の構造も気温も違いますが、普通の家庭ではセントラル・ヒーティングで
はありませんから」
「どの家の屋根にも暖炉の煙突があるでしょ。ちょっと前までは石炭で暖を
とっていたんですよ。そのころはもう煙がもうもうと天を覆っていてね、スモッ
グがとってもひどかったのよ」

「煙の町ロンドンと言われていたころですね」
「そう。ロンドンのもうひとつの名物は霧でしょ。煙(スモーク)と霧(フオッグ)
が合成されて、スモッグなどという不名誉な言葉が国際語になったのは残
念ね」
「シティの建物が黒く汚れているのは当時のスモッグの影響と聞いたことが
ありますが?」
憶良氏はバンク・オブ・イングランドの裏、モアゲート通りにある清泉銀行ロ
ンドン支店が入居しているくすんだ建物を思い浮かべていた。

「そうなのよ。ロンドンにはホワイト・ハウスはないわねえ」
白い建物とアメリカ大統領府をかけた洒落である。
ハリー小父さんがヒーターを抱えて帰って来た。
「冬になると喉が痛くなってねぇ。ハリー、あれは何年だったかしら?ひどい
スモッグで死者や病人が沢山出た年は?」
「1952年(昭和27年)の12月だよ。ほんとにひどかったね。気温が急に
冷え込んでね、石炭を焚いた濃いスモッグが家の中まで入って来たよ。気
管支炎で死者6千人と記憶しているよ」
とご主人のハリーが相槌をうつ。

「政府も真剣に公害対策に取り組んだのよ。ロンドンの全ての工場や家庭
で石炭を燃料とすることを禁止したの」
「それじゃ暖房に困ったでしょう」
「政府は、全家庭が、ガスか電気のセントラル・ヒーティングになるようにし
たのよ。補助金制度でね。3、4年かかったかしら。一時的にストーブは無
煙炭に切り替えられてね。政府も国民も党派を越えて、真剣に取り組んだ
わね」



憶良氏は驚いた。日本でこういうことが出来るのだろうか。昭和27年とい
えば、戦勝国といえども英国政府は戦後の復興で大変だったであろう。
この頃から英国は環境問題の解決には国民的規模で取り組んでいたの
である。

「だから今ロンドン市内で煙を出している工場や家庭は一軒もないんです。
スモッグで死者や病人は皆無となりました」
「テームズ川の辺で白い煙が出ているのを見たような気がしますが?」
「ホッホッホ、あれは水蒸気なのよ」
「それにしても、よく徹底して出来ましたね」

(日本だったらどうだろうか。いろいろ例外を作ったり、抜け道を考えたり、
真夜中にもくもく出したり、喉元過ぎれば暑さを忘れ、徹底しないんではな
かろうか)
と思ったが、口には出さない。日本の東京の冬が、全戸セントラル・ヒーテ
ィングするほど寒くないのが幸せである。



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