イ ン ド の 民 衆 劇

インドもこの十年間でずいぶんと変わったと思いますが、

  私達の創っている演劇とは全く違う、われわれの思い及ばない、
  しかも現に実践されていた演劇の姿を、お読みください。   

 中村先生はインドに5回ほど行ってるそうです。そして今回の1999年の決断になりました。  

哲学を専門に学んだ先生がインドに魅かれる理由は、キーワードで表現すると、「生命

力」「死と再生」「認識の必要のない、そのまま全部あり、受け入れられる」
 となり

そうです。                                             

 インドで彼女がたずさわることになる民衆劇について、紹介します。           

なお、以下の内容はすべて「地球市民教育センター」が主催した「民衆劇を通してイ

ンドの人々に出会う旅」
の報告集「地球市民教育センターニュースレター(1999年

12月発行)No/9」
からの転載です。                             
 

 地球市民教育センター所長の池住義憲さんがコーディネーターを務

めた今回のツアー。池住さん自身が今までに何度か滞在したARPでの

活動が、現在の日本の教育が抱えるさまざまな課題への解決のヒン

トになるのではないかと、このツアーを企画しました。特に、ARPが実

践している「民衆劇」を通して、日本杜会とインド社会それぞれが抱え

る具体的な課題を共有し、問題解決への取り組みを起こす一つの出

発点をつくることを目的としました。

 今回の旅のブログラムはダリット解放運動に関する講義、ダリットや

山岳部族の村落訪間、日印民衆劇フォーラムなどで構成され、中身の

濃い旅になりました。

             

目    次

インドの民衆劇に「教育」の原点を見た
民衆劇がめざすもの
生活は教育そのもの
民衆劇を創る         
民衆劇を通してインドの人々と出会う旅
    ○砕かれた者
    ○地域に根ざした活動
    ○民衆劇の可能性

                           

 インドの民衆劇に「教育」の原点を見た
                                        

 こんな想いを日々感じ取れるような教育ができないか。日本には、今日、論理的にも

よく整理され、洗練された“良い"教材が多く作られています.それらを用いる教員やフ

ァシリテーターのスキルは以前に比ぺれぱ格段に“上達”しています。それはそれで大

切なことです。しかし、私はいつも何かものたりないという想いを持っていました。私は、

その想いが何であるかを、今回のインド訪問で再発見することかできました。この想い

を開発教育協議会に連なる人たちとも共有したいものです。私にとってのこれからの開

発教育の「基点」にしたいと思っています。

                                          (1999年9月24日記)

インドヘのスタディツアー

 今年の8月、インドヘ行ってきました。地球市民数育センター主催のインド・スタディツアーで、

チェンナイ(旧マドラス)から80キロ位離れたダリット(注1)の村ヘ。「民衆劇」(注2)という教育

方法を通して、日本とインド社会それぞれが抱える具体的課題・問題を共有・分析し、問題解決

への取り組みを起こす「出発点」を創ろう、というものでした。

 日本側参加者は13名。インドからはNGOワーカー20名位。それを取り囲むようにダリツトの

子ども、女衆、男衆合せて約2∞名位だったか。8月26日の夜7時項から二時間半、熱気につ

つまれて行われました。

インドで出会った「民衆劇」

 日本側とインド側参加者入り乱れて4チームを編成。計四つの民衆劇か演じられました。内容

は、「エビを採って生活するインドの漁民と多国籍企業と日本人の食卓」、「多国籍企業に土地を

だまされて取られた農民の苦悩と怒り」、「ダリットの女性が如何に虐げられているかその現状・・

・」、「日本の学校の現状とそこで起こっているイジメ問題」など。いずれも問題提起風の劇です。

 ドラムあり、踊りあり、歌ありの劇、劇、劇。その劇をきっかけにして、観ている人たちと対話を起

こします。

 やりとりかはじまります。そして、はじめは劇の“観客”だと思っていた子どもたちも劇のなかに入

ってきて、“役者’が入れ替わります。「私たちだったらこうするわよ」といわんばかりに、劇を作り

進めていく。いや、「現実をこうしたいんだよ」という想いを体で演じなから、社会のなかでのこれか

らの自分を、自分の生き方を創っていく・・・。

「スキル」ではなく「生きざま」

 圧巻でした。理屈抜きで私の心に迫ってくるものが次から次へとありました。技術(スキル)では

なく、そこには人々の悲しみ、怒りなど、人々の生きざまがそのままありました。私は、これが「教

育」というものの原点だ、と体で感じ取りました。問題解決のためのアクションを起こすきっかけにな

っているのです。もっと大きな言い方をすれば、社会を変革するための出発点になっているのです。


注1.「ダリット(Dalit)」とはマラティ語で「砕かれた者」「抑圧された者」という意味で、カーズト

制度における‘不可触民’たち自らが自分たちの呼称として用いている言棄です。


注2.「民衆劇」とは、英語でPopular Theatre またはPeople's Teatre、さらにはStreet Teat
re とも言います。民衆が主体,主役となって劇を作り、その過程を通して自分たちの生活現状・
社会状況を分析し、状況を変革していく方策を互いに学び探り合うという参加型学習方法の一つ。

                                              池住義憲

 

 民衆劇がめざすもの

 差別と搾取の長い歴史の中で、「怒り」の感情さえも奪われてきた民衆が、それらの問題を 

「意識化」 していくきっかけの一つとして 「民衆劇」 か゜あります。『地主による搾取と抑圧』

 『役人たちの不正の実態』、『家庭での女性たちの過酷な状況』 などを劇のなかで演じてみ

せることによって、観衆はその劇に自分たちの姿を重ね、その現状を変革していくための闘い

を動機づけられていきます。民衆劇はアニメーションシアターとも呼ばれ、劇を演ずる者 (アニ

メーター)が民衆一人ひとりに 『この夫の暴力に泣いている女性があなたの娘だったらどうす

るか』 と問題を投げかけ、やりとりをすることで、観衆は自分の現実に置き換えて意識化しま

す。つまり、それまで沈黙の文化に押しやられていた人々を動かす(アニメーション)という劇なの

です。

 民衆劇の目的として、

@批判的な視点が持てるようにきっかけをつくる、

A民衆があきらめていたことに対して、自ら社会を変えていくことができるということに気づかせる

B「神話」によって温存されてきた差別や抑圧の状況を変えるため、「神話」を「非神話化する。

Cグロバリゼーションや近代化の影響で、従来の独自の文化を失うことがよくない結果を生むこ

とに気づく、

などが挙げられます。

 民衆演劇を創るに当っては、まず村に入って人々と対話するなかで、対象・実施時期・場所・

課題を分析することから始めます。課題については、どれが最も重要か、どの課題を解決したい

のか、どれが最も解決しやすいか、すぐに取り組みたいものは何か、など複数の課題から選択し

ます。

 民衆劇への民衆の参加は、『劇を見る』 『できあがった民衆劇に参加する』 『民衆自ら課題を

発見し、劇を創っていく』 という 3つのパターン に分かれます。そのつど、現状にあった参加を

うながす民衆劇が行なわれています。

                                              堀川克法

 

 生活は教育そのもの 

 プログラム初日、ダリット解放運動の教育活動に22年携わってこられたカルナカランさんの講

義を受けました。

 カルナカランさんが解放教育のなかで最も重視していることは「批判的視点をもつ」ことです。な

ぜなら民衆一人ひとりがそれぞれの立場から、「これはどういうことなのだろうか」と社会を批判

的に見ていくことなくして社会変革はあlりえないからです。

 今までインドで行われてきた公教育とノンフォーマルエデュケーションを比較した場合、公教育の

場では教師・学校此判は許されず、教師と生徒の間に不平等な関係があるのに対し、ノンフォー

マルエデュケーションの場では、ファシリテーターと学び手がそれぞれの視点・立場から豊かなもの

を感じているという平等な関係性が前提にあります。また、学ぷ内容が固定されている公教育に対

して、ノンフォーマルエデュケーションの場合は、民衆やその地域が直面している問題に対基づい

て内容が構築されていきます。つまり、人々の生活そのものが教育内容になっていくわけです。こ

れは「生活中心型教育(ライフオリエンテッドエデュケーション)」と呼ばれ、生活・人生そのものが教

育だという教育観へとつながっています。内答が生活そのものに直結している問題を指向している

ので、学び手は学ぶことに強い関心をもっています。学びが与えられたものではなくて、自分の中か

ら出て来た内容だからです。

 生活中心型l教育は、特に「社会問題」「経済問題」「政治問題」「文化問題」の4つの領域を包括し

ています。社会問題に関して言えば、インドで最も不公正・不乎等なものをうみだしているものとして

カースト制度が挙げられます。民衆はこうしたカースト制度や農地改革などの問題について、具体的

に自分たちに何ができるかということを学び、できるところから行動を起こしていくことを始めます。

 このように、「教育→行動→ふりかえり→教育」のサイクルを繰り返しながら、ノンフォーマルエデュ

ケーションは深められていきます。
                                                   
岩田浩然
    

 

 民衆劇を創る 

 インド人・日本人が4つの混合グループに分かれ、それぞれ5分程度の民衆劇を創りました。民衆劇

づくりのようすを絡介してみます。

 まず、劇のなかで取りあげたいテーマをプレーンストーミングで出しあい、そのなかから共適するテーマ

を5つ選ぴます。私のグルーブでは「ダリットの女性がいかに苛酷な状況におかれているか」ということ

を念頭において「健康衛生」「夫の飲酒」「迷信」「結婚持参金」「女児扶殺」の5つを選びました。

 さらに.これらのテーマをどのような場面・方法で入れるのか、アイデアを出しながらストーリーを決めて

いきます。例えば「ある母親が市場に赤ん坊を置き去りにするが、みんなに知れわたってしまう。母親は

周りの人から責められる。家庭内では、彼女は家事・育児などの重労働、姑のいぴり、夫の飲酒・暴力

などに苦しんでいる」といったインド人女性の苦しさを再現し、母親がどうして赤ん坊を置き去りにしたの

か疑問を投げかけていく内容を設定します。この後、ストーリーに沿って1度リハーサルを行います。

 リハ‐サルの後、再度グループ内で内容についてディスカッションを行います。ここでは「周囲を取り囲む

観衆があらゆる方向から見て理解できるようにする必要がある」といった意見や、「理解者や援助者など、

ダリットの女牲たちが求めている対応をする役割を他の俳優に担わせてはどうか」という意見が出されま

した。本番ではこれらの意見を受けて、さらに改善を加え実演しました。

 翌日の全体のふりかえりでは、インド人の参加者から「劇中の女性と自分が今まさに同じ状況にあり、

自殺以外の解決方法があることを知り、はげまされた」という」コメントも出されました。

                                     (小松昭子、竹内聡子、藤本多真季)


 

 民衆劇を通してインドの人々と出会う旅

 1999年8月21日(土)〜30日(月)、地球市民教育センターが企画した「民衆劇を通してイ

ンドの人々と出会う旅」が実施され、日本各地から11名が参加しました。今回のスタデイツアー

の受け入れ団体は、ダリット〈後述)や先住山岳部族の人たちの権利回復と、差別・抑圧からの

解放を目指してさまざまな活動を行っている「農村貧困者のための協会(Association for the

Rural Poor、以下ARP)」です。10日間の貴重な学びをご報告いたします。

 
砕かれた者

「民衆劇」とは民衆が主体となって劇を創り、その過程を通して自分たちの生活や社会の現状を分析し、

状祝を変革していく方策を相互に学ぴ、探りあうという参加型学習方法の一つです。ブラジルの民衆

芸術運動家アウグスト・ポアールの理念と方法が基盤となっています。「ダリットlという呼び名は.ィン

ド憲法の起草者で、ダリット解放運勧の父と呼ばれるアンベードカルによって始められました。マラティ

語で「砕かれた者」、「抑圧された者」という意味です。カースト制度における「不可触民」たちが自らを

そう呼んでいるのです。アンペ‐ドカルもダリット出身でした。これに対しインド建国の父といわれている

マハトマ・ガンジーは彼らを「ハリジャン」(神の子)と呼び.差別の撤廃を主張しました。しかしガンジー

自身は熱心なヒンズー教徒で、カースト制度自体の廃止は考えず、むしろ社会を維持していくのに必要

なシステムとして受け入れていました。

 アンペードカルはイギリスからの独立よりもまずカースト制度の廃止を叫び、差別・抑圧からの解放の

ために闘いました。これが「ダリット」解放運動です。


 地域に根ざした活動 

 ARPは1980年に設立されたインドのNGO(非政府組織)です。チェンナイ(旧マドラス)から北東へ

80km、車で2時間程度のタミルナドゥ州アンバッカムにその研修センターを構えています。ARPはガン

ジーの非暴力の方法論を用いながらも、アンベードカルの考え方に基づき、取り組みを進めてきました。

すべての活動の根底ににバウロ・フレイレの教育思想と方法論があり、ダリットの人たちの「意識化」を

重要視していることが、今回のプログラムの中でも随所に見受けられました。

 団体の代表を務めているのはフェリックス・スギルタラージさん。彼自身もダリットで、紆余曲折の後、

1970年代半ばからダリットの人たちと共に、抑圧されている人々の解放を目指して精力的に活動を

行ってきました。ARPの活勤は4つの段階を経て現在に至っています。 第1段階は1980〜85年.

「ノンフォーマルエデュケーション・問題提起型教育の開始の時期」です。この段階ではダりットの人た

ちと共に生活をしながら、自らが社会の状況に目覚めて問題を発見し、それらに取り組んで行く力を獲

得するための教育活動が実践されました。

 第2段階は1985〜90年、「民衆の組織化の時期」です。特に政治・社会・文化・経済の問題が意識

化され、解決に向けての行動が始まります。

 第3段階は、1990〜95年、「各地域のグループづくり」の時期です。過去10年間にARPでの活動

過程を終えた人達が、自らNGOを立ち上げ、各地域で独自の活動を展開していきました。

 第4段階は、1995−97年、「団結の時期」です。各地の団体が集まり、連携のありようを模索しま

した。政治団体・政党の設立、民衆運動のさらなる展開など、団結を強めました。

 こうして19997年、「現状を分析すること」と「実行に移すこと」、この2つを切り離すことなく取り組ん

でいく民衆のための運動体として「ダリット土地なし農民労働組合」が生まれました。この段階で初代

ARPスタッフは身をひき、かつては学び手であったダリットの人々にその運勤のすべてを委ねていった

のです。

 講義で語られる被抑圧者の解放を目指して活動した彼・彼女らの熱い思いは、言葉が通じなくとも肌

で感じることができ、運動にかけた長い歴史と地道な闘いに思いを馳せました。


 
民衆劇の可能性

 
今回のツアーのメインプログラムである「日印民衆劇フォーラム」。各地域に散らばっていた社会活動

家たちの3つの民衆劇グループ総勢約30名が前日から加わりました。民衆劇に関する講義や質疑応

答が行われた後、4つのグループに別れ、実際に民衆劇を創っていきます。言葉の壁も何のその、ジェ

スチャーを交え想像カをフルに発揮し、日本人参加者にとっては初めて経験する民衆劇づくりに挑戦です

リハーサルで演じた後、各グループでコメントを出し合い、相互にアドバイスを受け、本番に備えました。

 8月26日、ARP研修センターの中庭、午後7時。地域のダリットの人たちや山岳部族の人たちなど総

勢1∞名ほどが夜空の下で行われた民衆劇フォーラムに参加しました。4つのグループが創った民衆劇

の内容は「エピを採って生活するインドの漁民と多国籍企業と日本人の食卓」、「多国籍企業に土地をだ

まし取られた農民の苦悩と怒り」、「ダリットの女性がいかに虐げられているか、その現状」「日本の学枝

の現状とそこで起こっているイジメ問題」です。問題提起型の民衆劇は、その終盤にさしかかると、「あな

たならこの問題を解決するためにどうしますか?」と観衆に問いかけていきます。見ていた側だった人が

役者になり、「こうありたい」と恩うようにシナリオを作り替えて演じてみます。いよいよクライマックスの場

面になると「あなたも手伝ってください。参加してください」とさらに観衆に呼ぴかけます。入々はそこから

問題解決の方法・参加を学ぶのです。おとなたちが社会を変えていくために行動を起こしている姿、知恵

と力を寄せ合って協カしている姿、解決のための行動に参加して欲しいと子どもたちへ手をさし伸ばす姿

をみて育つ子どもたち。民衆劇のもつ無限の可能性を感じました。

 「あなたたちは何のためにインドヘきたの?」「日本へ掃ったら何をするの?」・・・訪問したノンフオーマル

エデュケーションの学校で、ある少女から問われました。この質問にどう答えるか、参加者一人ひとりが自

問しているところです。インドのアンバッカムで過ごした10日間。「教育とは何か」を考える旅でした。

                                                      (事務局)

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