クロッカス通り 

☆2011/02/25 開始

「ローマ人の物語・・
      8〜13 ユリウス・カエサル」
           塩野七生著
     新潮文庫     
4/10 
「私の生涯」 
           ヘレン・ケラー著  
      岩橋 武夫 訳  
2/26 

 

『 ローマ人の物語』のうち『ユリウス・カエサル』
   塩野 七生   新潮文庫

 『ローマ人の物語』が単行本で出たときは、すぐ図書館で借りて読んだ。次回が待ち遠しかった。日本人なのによくもまあ、こんなふうにラテン語の資料を自由自在にこなせるものだと、読むたびにあきれた。
 最も面白かったのは、やはりカエサル(僕ら若かったときは、もっぱら「シーザー」と呼んだ。)の編だ。単行本で全12巻だから、文庫本ではその3倍かな? 文庫本で出た機会に、その『カエサル』編をもう一度読んだ。やはり面白い。何度読んでも面白い。
 遊びの天才、女たらしの天才、借金の天才は、同時に先を見通す神のような目を持っていた。彼には、遠い将来の世界にあるものが見えたのではないか。彼は軍事の天才、すぐれた戦略家、土木工事の天才、金の調達の天才、外交の天才、扇動家としての天才、法律の天才であった。国家観を明確にもっていた。インフラの重要性を認識していた。経済の本質をよく理解していた。民衆の生活をよく理解していた。権力の本質も、動かし方も知っていた。人権の視点をもち、人それぞれの生き方、考え方を尊重できた。寛容を重視していた。教育の重要性も理解していた。こう見てくると、カエサルを一人の人間とはとても思えない。この一人の人間に、世界のあらゆるものが一度に顕現したのだ。こんなことがありえたのだ。人間歴史上では、時々起こることらしい。
 人間ドラマとしても面白い。とにかくおすすめの一品。

 

『 私の生涯 』  ヘレン・ケラー

 30年目に買って読もうと思ったままなぜか読まないまま、どんどん時間が過ぎて、今度初めて読み始めた。映画の『ヘレンケラー』はすばらしい名画で、何度も生徒達と鑑賞したものだ。何度見ても感動した。
 ヘレンは日本に三度着てるという。日本で97回の講演を行っているという。

 訳者の岩橋武夫氏は、早稲田大学在学中に失明、関西学院を経てエディンバラ大学を卒業、盲人福祉事業にすすみ、昭和10年に盲人福祉施設ライトハウスを建設、日本・アジアの盲人福祉にすぐれた業績を残した人。ヘレン・ケラーとは深い信頼で結ばれている。こう見てくると、この人自体もすごい人だ。

 さて、「ヘレン・ケラーの幼い可憐な魂が、闇と沈黙のどん底から、いかにして解放され、ついに『闇に光を』見るにいたったか」

「暁を見る」
 見えない、聞こえない、話せない、三重苦の幼子。「光を奪われ、闇の世界に追放された幼子」。

 「とかくするうちに、私は自分の意志を人に伝えたいという願いがだんだん強くなってきました。それまで私が用いていたわづかな手まねでは、しだいにもの足らなくなり、自分の思っていることがわかってもらえぬときは、私はきまってかんしゃくの発作を起こすようになりました・・・ますますこういう感情の嵐は毎日のように、ときには毎時間ごとにくりかえされるようになってきました。」

 water・・「こうして物にはみな名があることがわかったのです。しかも一つ一つの名はそれぞれ新しい思想を生んでくれるのでした。そうして庭から家へ帰ったとき、私の手に触れるあらゆる物が、生命をもって躍動しているように感じはじめました。それは与えられた新しい心の目をもって、すべてを見るようになったからです・・・この日も暮れて、小さい寝台に横たわりながら、この日が自分にもたらした喜びを思い返していた時の私ほど幸福な子供を発見することは困難であったでしょう。私は生まれて初めて、きたるべき新しい日を待つことを知りました。」

 「その時サリバン先生は私の額に手を当てながら、力づよく『考える』と指話されました。稲妻のように、私はこの言葉がいま自分の頭の中に起こっている働きの名であることを悟りました。これが私が抽象的観念について、意識的な認識をもったそもそもの最初であります。長い間私はじっと手をとめていました――膝の上の南京玉を考えていたのではなくて、この新しい観念の光に照らして、『愛』の意味を発見しようと努めていたのです・・・先生はもっと簡単な言葉で説明してくださいました・・・『・・・あなたは愛には触れることができませんが、それがあらゆる物に注ぎかける優しさを感ずることはできます。愛がなければあなたは幸福であることもできず、その人遊ぶことも望まないでしょう。』 この美しい真理は、たちまち私の心に徹しました。私は自分の魂と他の人の魂との間には眼に見えぬ糸がむすばれていることを感じました。

 「私が初めて筋の通った物語を読んだのは、1887年の5月のことで、七歳の時でありました。それ以来今日まで、私は飽くことを知らぬ、指先が触れうるかぎりのあらゆる書物を、むさぼるように読みました。」

 「私は人間にはみな、その歴史が始まって以来経験してきた、印象や感情を理解する一種の力が与えられているように思います。」

  「先生は、自分のような者のために、その一生を捧げきって死んでいかれた。それこそ完全な奉仕の生涯である。残されたわたしこそ、その連続でなければならない。」