高校卒業学年のための最後の授業

  講義メモ・・飯田史彦の「生きがい論」
  
     
2005年1月(こやま)

T 「生きがい」とは

 人間にとっての「生きがい」とは、「自分の人生を、より価値あるものにしたい」と願う意志のことです。その意志は、自分という人間の存在価値を認識することから生じます。

 家族や趣味や生きる目標のような「生きがいの源泉」を自覚していなくても、「より価値ある人生を創造したい」という意志さえ持っていれば、「私は生きがいを持って生きている」と宣言してもよいはずです。 生きがいは、「自分には価値があり、その価値を充分に発揮したい」という意志を持った瞬間に生じるものなのです。

U 「ブレイクスルー思考」とは 

 @「マイナス」「プラス」という見方をしないで、「すべての物事はプラスであり、本質的にマイナスなものは存在しない」と考える。

 A「目の前の試練を解決することによって、初めて価値が生まれる」と考えるのではなく。「目の前の試練そのものが価値を持っており、価値のない試練など存在しないのだから、その試練に果敢に挑戦するだけで、乗り越えたのと同じくらいな価値がある」と考える。
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 ブレイクスルー思考とは、「すべての物事には意味と価値があり、表面的には失敗・挫折・不審のように見える出来事も、すべて自分の成長のために用意された順調な試練である」という信念を持つことによって、「その試練に挑戦するだけで、乗り越えたのと同じくらいの価値がある」という自尊心を抱く。そして数々の試練に彩られた自分の人生を全面的に肯定し、受容し、できるだけ楽しみながら生きていこうとする人生観のことをいう。

V 「物質主義的な観点」の問題点

 @物質的な観点のみで生きてしまうと、物質的な成功こそが自分に意味や価値をもたらすことになり、物質的に成功していない人は、「無価値な人生を送っているかわいそうな人」ということになってしまう。

 A物質的な観点で生きると、「死」は肉体という物質の喪失であるから、「死」によって自分は無になる、ということになってしまう。肉体という物質の機能不全である「病気」になった人は運が悪い人、「不合格」は成功から見放される挫折、ということになる。こうした観点では、「死」や「病気」や「不合格」に意味や価値を見出すことは困難である。このような人は、「不運で無価値」ということになってしまう。

 Bしたがって「物質主義的な観点」のみで生きていると、精神的な安定は得られない。現状を打破したいと考えている人の大部分は、これまでの価値基準とはちがった思考方法です。

W 「意味が現象に優先する」とは

 @自分の人生に最も意味と価値を見出しにくい人生観とは、「現象が意味に優先する」つまり、「人生における全ての現象は偶然の積み重ねにすぎない。」という人生観です。これでいけば、人生にはもともと意味も価値もない、人間が後でかってに意味づけしてるだけだ、ということになります。不運や悩みを背負った人は,救われません。

 A人生に対して、より多様な意味づけを可能にするのが、「意味が現象に優先する」という人生観です。これは、人生におけるすべての現象は、まず先になんらかの意味があって、その意味を具現化したものであり、意味のない現象は生じない」という人生観です。言い換えれば、宇宙とは「意味空間」であり、宇宙の本質は「物質」ではなく、その意味を生み出している「精神」であるという考え方です。

X 「スピリチュアルな観点」とは

 「スピリチュアルな観点」とは、「人間の本質は精神(心)であると仮定し、精神的な豊かさを追求する観点」だということができます。これは科学的な情報・考察をもとにして読み解きながら構築した仮説なのです。

 (ちょうど、多くの物理学者が、宇宙の成り立ちを純粋に科学的に研究すればするほど、「宇宙は人間を存在させるために誕生した」という結論しか考えられなくなる、ということと同じような気がします。…こやま)


仮説1 人間は、トランスパーソナルな(物質としての自分を超えた精神的な)存在である。

 近年の心理学や人間学では、「人間は、トランスパーソナルな(物質としての自分を超えた精神的な)存在である」という新たな人間観が、ひとつの研究分野として確立されてきています。この人間観をわかりやすく言い換えますと、「人間は、心の奥で、ほかの人間や生物をはじめ、地球や宇宙のあらゆる存在と、精神的につながっている」

 私達の正体は、今は人間の体と一体化して生きており、人間の体から離れても存在することのできる「心」という想念なのです。

 

仮説2 人間の本質は、肉体に宿っている(つながっている)意識体(spirit;soul)であり、修行の場である物質世界を訪れては、生と死を繰り返しながら成長している。

 私達は、このような人生観を持つことによって、死の恐怖から解放され、人生を「研修所」として客観的に見ることができます。今回の人生で起きる出来事や出会う人に対して、過去の人生や未来の人生と関連づけながら、長期的な視野から奥深い意味を見出すことができるのです。

                               

仮説3 人生とは、死・病気・人間関係などの様々な経験を通じて学び、成長するための学校(修行の場)であり、自分自身で計画した問題集である。したがって、人生で直面するすべての事象には意味や価値があり、すべての体験は、予定通りに順調な学びの過程なのである。

 人生はなかなか思い通りにならないものですが、それは、わざわざ自分自身で、思い通りにならない人生を計画して、その葛藤や克服から学ぼうとしているからなのです。人生は思い通りにならないからこそ価値があるのです。一見すると、嫌なこと、面倒なこと、辛いこと、悲しいこと、腹が立つことにしか見えないような出来事が、あなたに、「成長」という大きな価値をもたらしてくれるのです。それはほかの誰から押しつけられたものではありません。自分の意志で計画して生まれ、人生を終えた後には、自分で評価するものなのです。

     

仮説4 人生では、「自分が発した感情や言動が、巡り巡って自分に返ってくる」という、因果関係の法則が働いている。

 この法則を活用して、愛のある創造的な言動を心がければ、自分の未来は、自分の意思と努力によって変えることができる。

 

仮説5 人間は、自分に最適な両親(修行)を選んで生まれており、夫婦や家族のような身近な人々は「ソウルメイト」として、過去や未来の数多くの人生でも、立場を交代しながら身近で生きる。



飯田史彦 国立福島大経済学部助教授。経営心理学者。米国経営学博士。
     Intercultural Open University統合医学部名誉教授
     詳しくは 
http://homepage2.nifty.com/fumi-rin

         「飯田史彦研究室」で検索してもよい。
     著作「生きがいの創造」 「生きがいの本質」 他 多数 
     いずれも出版は、PHP研究所より

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