さつき通り 

 

尾木直樹著 「子どもの危機をどう見るか」内容紹介  
後援・三上 満「いまを生きる子ども・青年とともに」内容紹介

大学の演劇科に望む

 

☆2000/12/31、☆2001/1/1、1/2

尾木直樹著 「子どもの危機をどう見るか」 岩波新書 

最近読みました。なんでこんなことになるんだという、現在の社会状況
について新しい視点を与えてくれました。                 

「第1章・危機の実像」 からいくつかの部分にしぼって、内容を紹介します。

古い荒れの特徴
私達は戦後、少年非行では3回のピーク期をくぐり抜けてきています。・・・いずれの時期にも
共通した三つの特性が見られました。
第一は、非行を引き起こす子どもたちは目だっており、見た目にも特定しやすかったということ
です。・・・・また組織だった行動力をもっていただけでなく、彼らの行動に論理的な一貫性もあ
りました。自分たちを抑制する相手もはっきり見すえていました。」
「第二の特性は、かれらはステップダウン方式で非行を悪化させていったことです。」
「第三は、暴力を振るったり、恐喝したりする理由が彼らなりにはきっりしていたことです。」

 

新しい荒れの特徴
 「第一には、一見すると『普通』に思われる子が荒れるようになったことです・・・ですから、学校
の教師や親は、事件を起こした子どもが逮捕されるたびに、まるで決まり文句のように『まさか
あの子が』と絶句するのです。」
 「第二の特徴は、『いきなり』『突発的に』暴れ出したり人を刺したりしてしまうことです。しかも
自分でも原因がわからないまま暴れる場合が多いのです。・・・我慢ができずに『キレ』て、怒り
の感情だけが爆発したかのように人や物に対して攻撃を向けるのです。例えば、中三の男子
が廊下ですれ違いざまに同級生の男の子をケリつけたりするのです。理由を聞いても『顔を見た
らムカついたから』と言うだけです。『別にぃー』で終わることも珍しくありません。何がムカつい
たのか自分でもはっきりとわからないのです。
『新しい荒れ』の第三の特徴は、凶悪化したことです。これはどういうことでしょうか。背景には
二つの理由がかんがえられます。
 第一は、繰り返し述べているように、突発的なムカつきやイラつきといった感情の爆発やその表
手段として暴力行為に及んでいるためです。かれらには手加減したり、相手の状況を判断して攻
撃する心のゆとりなどありません。・・・・感情が高ぶって頭の中が『真っ白』のキレた状態になる
からそうしたこともできるのだ、と言ったほうが的確かもしれません。」
 「ふたつめの理由は、暴力を『遊び』として発動するケースが多いからです。・・・・ここでは集団
心理が働き、あとから振り返ると自分でも『どうしてあそこまで?』とショックを受けるほど、凶暴な
暴行にエスカレートしてしまうのです。」
第四の特性は、荒れや暴力が全国同時多発的に起きたことです。・・・・むしろ東京では少ない
と言えます。・・・・・ストレスの内圧度の点では、地方の子どもたちの方がずっと高いのではない
でしょうか。
「5番目の特徴は、小学校で衝動的な暴力行為が多発していることです。」

 

いじめのトラウマ
1998年4月に同庁が発表したデータを見ますと、全体としていじめは少しも沈静化などしてい
ないことが明らかです。いじめを受けた者は三人に一人。しかも、調査時点の『今いじめられてい
る』という進行中の被害者が小学生の5.3パーセント、中学生の3.5パーセントもいます。・・・
つまり、40人学級の場合、小学校では一学級につき二人、中学校では一人がいじめで苦しんで
いる子どもがおり、今この瞬間にも多くの被害者が耐え忍んでいるということになります。」
「現役の小・中・高生が過去に受けたいじめのトラウマ(精神的外傷)をどう癒すのかは、今後の
大きな課題です。とくに、他人の目が気になる中・高生の時期には、誰でも他者との関係づくりが
苦手になるものです。その際に、いじめられたトラウマが大きいと、友だち関係を上手に作れず、
自分を閉じてしまいます。また、一転して、自分を守るために他者への攻撃性として噴出させる
とも言われています。」
「もう一つ見落としてならない点として、二十代、三十代の成人した大人が抱えるいじめのトラ
ウマをいかに癒すかという大きな課題もあります。・・・・対人不信に陥ったまま大人になり、親を
することになります。」
「学校時代のいじめのトラウマをいかに癒すことができるのか、今こそ真剣に考えるべき時期に来
ているのです。」

 

虐 待
 「大人には子どもをケアする責任と義務があります。にもかかわらず、無防備で社会的にも身体
的にも弱者である乳幼児に対して、近年大人が暴力をふるったり、命まで奪ってしまうケースが多
発しています。・・・・今日の子どもの危機は、非行や問題行動を起こす加害者としての側面だけで
はなく、大人社会からの被害者としての側面も急速に増大させているのです。」
 「厚生省が示す虐待の事例は次のように広い範囲にわたっています。

@身体的虐待・・・殴る、ける、食事を与えない、冬戸外に閉め出す、布団蒸しにする、一室に拘束
 する。
A性的虐待
B心理的虐待・・・言葉による脅かし、無視や拒否的な態度、自尊心を傷つけるような言動、他の
 きょうだいとは著しく差別的な扱い。
Cネグレクト・・・家に閉じ込める、病気になっても病院に連れて行かない、乳幼児を家に残したま
 またびたび外出する、乳幼児を車に放置する、適切な食事を与えない、長期間不潔なままにする。」

 虐待によって子どもの心は深く傷つけられることになるのです。
 深刻な事態を派生させているのは、この『新しい虐待』の方です。その特徴は、

「第一には、虐待が、経済的豊さの中で発生しているということです。・・・・知性・教養が豊かではあ
っても、それらを生かせる子育て環境が整備されていない今日の日本社会の状況では、当然子育て
不全に陥ります。多くの家庭で、『しつけ』や子育てが行き詰まり、そのイラ立ちの発散として、いか
に有能な親といえども反教育的な虐待行為に走ってしまうようです。」

「第二は、『子どもの心を傷つける行為』としての『心罰』が、家庭・学校を問わず日常的に広がって
いることです。・・・人としての尊厳と人格を踏みにじっても平気な教師や親の増大・・・子ども達の日常
そのものが、『心罰』を生み出す危険に満ちている・・」

「第三は、メディアを中心とした社会的虐待が登場してきたことです。・・・・『援助交際』番組の例のよう
に、子どもたちはメディア電波によって日々傷つけられ、豊かで健康な感性の成長を阻害されていると
いって良いでしょう。( 援助交際の調査結果では、『マスコミや友人に影響されやすい』と自分を分析
している女子高生が多いのです。はからずも、メディアもまた子どもへの性的虐待の一翼を担ってしま
った )

第2章「危機の背景をさぐる」 からいくつか紹介しましょう。

 社会の危機
 「状況がここまで深刻化しているのは、それが、社会の劇的な変化によってもたらされた構造
的な危機であるからです。子どもの危機とは、まさに社会の危機であり、日本の進路にかかわ
る問題なのです。」
○「毎年高校中退者が10万人は出ており、そのうちの半数以上は不登校が理由と言われているため、
20代、30代の『引きこもり』が数十万人から百万人とも推定されています。」
○「そうした学歴社会の申し子たちが、90年代に入って若い大人になった時、自分たちの居場所を求
めてさまよい苦悩する姿が集中的に現れています。その一つが、『引きこもり』という形をとって表れて
います。」
○「衝撃的な事件を起こした原因がどんなに個人的に見えても、精神的疾患など特殊な問題だけ
に帰すべきではありません。『引きこもり』はれっきとした社会現象であり、その多くは、学校時代の
不登校の延長線上の姿でもあります。社会全体もまた問われるべき問題です。社会が責任を持って
受け止め、新しい世紀作りのプロセスの中でみんなが痛み分けしながら解決していく課題なのです。」

 

 学  校 の 危 機
○「今日の子どもの危機には共通して、学校が心安らぐ場ではなくなっているという事実が横たわっ
ています。」
○「子どもは本来、失敗や問題行動、友達とのトラブルをくり返し、そのつど親や教師の叱責や深い
愛情、支援を受けながら、ものごとの本質を体験的に理解し、感性豊かな人間に成長するからです。
・・・・ところが、今日の評価制度ではこの「くぐり抜け」のプロセスが許されないのです。」
○「『よい子競争』を学力だけでなく、全生活から人柄にまで要求する内申による評価システムは、
子どもたちの心とアイデンティティを育てることができず、演技の上手な子には『透明な存在感』を肥
大化させるばかりです。反対に、演技下手な子たちにはイライラ感をつのらせ、今日の『新しい荒れ』
現象の土壌にさえなっています。
○「大人が考えている以上に『よい子ストレス』が大きく、子どもの発達を歪めているということです。」
○「『よい子』ばかりか、よい子になれなかった子どもたちも『よい子』を求める学校的価値や文化の中
でいかに抑圧され、歪められてきたことでしょうか。」
○「社会心理学者エーリッヒ・フロムは、その著『悪について』の中で、人間は周囲の状況によって完
全に『受け身』の状態にされることには耐えがたいことを指摘しています。
○「教師は、そうしたこれまでの評価システム自体が子どもたちを抑圧していることに気づかなくてはな
りません。」
○「これまでのように一元的な競争を強いる方向から、個性や多様性を尊重する方向へと、いま、人々
が求める価値や生き方は大きく変化しています。」

 

 家 庭 の 変 容
○「また、たとえどんなに学校の管理主義がひどかったり、いじめや暴力が教室に蔓延していても、家
庭が安心な居場所・逃げ場所としてわが子に認識されていれば、自殺だけは避けられるでしょう。とこ
ろが、家庭が、家族どうしのコミュニケーションそのものを成立させない場になっているだけでなく、そ
の家庭にまで学校的文化や価値観が浸透して、家庭の学校化が進行している状況では、もはやそう
した役割を期待できません。」
○「それどころかこの調査は、これから取り上げる若い親の世代が子育て不全に陥っていることをも白
日の下にさらけ出しました。」
○「第一には、子どもの基本的な生活習慣づくりの意義がわからず、『食べる』『寝る』『遊ぶ』という基
本のしつけがおろそかにされている」
○「第二には、子どもに対して愛情を感じることができずに悩んだり、何を話しかけていいのかわから
ずに戸惑うなど、親になった動揺が浮き彫リになっている」
○「第三には、親同士がコミュニケーション不全に陥っており、お互いに孤立した子育てを余儀なくさせ
られている」
ホテル化した家庭
○家庭はもはや家族の共同生活の場ではなくなっています・・・・自分の家で夜を過ごさなくてはなら
ないという意識が薄れてきているのです。家族生活における共同作業やその時間的共有もなく、家庭
の独自の文化も喪失していきます。
○今日の孤食は、その質を変えています。食事の時間帯は同一であるか、それぞれが食べている場
所とメニューが異なるために『孤食』になるというケースが増えているのです。
○親と家族関係を持とうとすれば、そこにはリアリティを感じられない学校的価値の押しつけばかりが目
立ち、子どもにとっては自分の個室で一人でテレビを楽しみ、一人で食事をとっている方が幸せに感じ
られるということではないでしょうか。

 

 崩れゆく「子ども期」・・・・「子ども期」を奪う大人社会
          子どもをターゲットにする消費主義・・・・子どもの『性』を商品化する社会
          ・・・・映像の暴力にさらされ子どもたち
○「今日は、これまでの『子ども期』が成り立たなくなったままで、かといって新たな関係性の模索も
なされていないという子どもにとっては厳しい状況にあると言えます。」
○「子どもの文化は今や大きく変容を遂げています。・・・・大人社会の消費主義は、土足で踏み込む
ような形で子どもの世界に入り込んでいます。・・・・これでは子ども達はマイペースで自己を形成する
ことさえままならないのではないでしょうか。」
○「大人社会の側からの境界侵犯によって『子ども期』が脅かされ、大人と子どもの関係性は致命的
な傷を負っています。当然ながら、子どもの大人への不信感も増大しています。
○「六都市の中で東京の子ども(小6)たちの自己評価は、7項目とも他の五都市と比べるといずれも
大変な低さです。・・・・いかに日本が子どもの自尊感情を衰弱させる社会であるかが、これらの数字
から明らかになります。自尊感情が高ければ、いかに状況が悪くても単純にキレることは少ないと考
えられます。
○「『子ども期』とは?・・・・『独立した人格の主体である子どもが未来の主権者になるために、最善の
利益を受け、権利行使をする発達保障期間』と定義したいと思います。」

 

 方 向 性
○「しかし、子どもたちはすでに、大人世代が持ち出す『よい子』像や『企業人間』『会社人間』には
未来がないと完全に見限ったのです。私たち大人が、将来の幸せのためにと自己犠牲を強いた生
き方をとってきたのに対して、若者たちはそのベクトルを徹底して内側へ、つまり現在の自分自身に
向け始めています。」
○「バブル経済の崩壊と同時に、かつての安定した社会構造が大きくゆらいでいます。それを見つ
める子と゜もたちは『頼れるのは会社や地位よりりも自分自身である』との認識を持ち始めました。
ですから、最も身近な社会人である教師とともに現代社会を考え、生きる意味をさぐりたいという中・
高生の思いや期待にはこれまで以上に強いものがあります。」


どうも、重要なことがぬけてしまった気がする。うまくまとめられなかったようだ。
この本は充分な具体的論証と全体の関係性をもって説いているので、
どうか直接読んでいただきたい。


☆ 2000/12/17

三上 満「いまを生きる子ども・青年とともに」

という講演の記録久しぶりに読み直しました。
     心に染みたことばを、いくつか、紹介します。

良さだけが伸びていくなんてこと、まず絶対ない
 良さだけが伸びていくなんてこと、まず絶対ないんですよね。「良さ」はいつも「まずさ」
と抱き合わせでしょう。元気が良くなれば乱暴になるとか、連帯感が強くなれば悪いこと
も一緒にやるとか、度胸がついてくりゃ悪いことも一緒にやっちゃうとか、自分を見つめ
る目が厳しくなれば何か反抗的になるとか、そんなようなものをみんな持ちながら、抱き
合わせで伸びていく、そういうものでしょう。
 子どもいうものはみんなそういうものでしょう。ジグザグ運転しながら成長していく。子ど
もがそうであるだけでなく、大人だってそうですよ。大人だってアラだらけなものです。アラ
だけの良さというものが、これが人間の特徴でしょう。
 人間というものはそういうふうに不完全なんだけれども、なぜかといえば人間が発展して
ゆくものだからですよ。だから人間は、一人の人間としては不完全なんですね。そういう人
間観というものが私は大事なものだと思うんです。
 人間というのは不思議なものです。自分に対する誇りと、自分自身に対するすごい自己
嫌悪とが、同じ鉢から育ってくるという、そういう不思議な生き物なんですね。
 そういう人間観というものをしっかり太らせることによって、子どもたちもまた見えてくるん
だと、そう思うんです。子どもたちが、何も完全である必要なんかないんだ、と思うんですね。
子どもたちを、そういうアラなんかをいっぱい持ちながらも、子どもを自分自身を好きにさせ
てやるというのが、私たちの仕事なんじゃないかなあと、そう思うんです。


「学習」って?
 学習権とは、読み書きの権利であり、問い続け深く考える権利であり、想像し創造する権
利であり、自分自身の世界を読みとり、歴史をつづる権利であり、あらゆる教育の手だてを
得る権利であり、・・・・・・学習権なくして人間的発達はない・・・・・しかし、学習権は単なる
経済発展の手段ではない。それは基本的権利の一つとして捉えられなければならない。学
習活動はあらゆる教育活動の中心に位置づけられ、人々を、成り行き任せの客体から、自ら
の歴史を作る主体に変えていくものである。・・・・・・1985ユネスコ学習権宣言
 つまり学習というのは、何が何だか分からない世の中に流されて生きる、そういう力をつけ
るんじゃなくて、人間の幸せの方向にしっかり築いていける、そういう歴史の主体を担うため

にこそ学ぶんだと、そう言ってるわけでしょう。
 社会というのは確かに経済が土台だけれど、もっと豊かなものですよ。その豊かなところに
私たちがしっかり目を向ければ、この社会が明日をはらんだ豊かな社会だってことが分かる
んじゃないですか。
 教育の仕事というのは。過去に照準を当ててやる仕事じゃないんだ。今の状況を続けさせ
るためにやる仕事でもないんですよ。明日を呼び込む仕事でしょう。明日というものにつなが
る仕事ですね。

 

「教師は平凡で欠点だらけで、悔いの多い人間だ!」
 ところが、人間的理想を掲げて明日を呼び込むはずの仕事を担う私達が、そんなに人間的
理想を掲げる顔をしていないんですよね。また、そんな生き方もしていないんです。これは不
都合なことでしょうか。私は断じてそうじゃないと思うんです。
 私達は、どちらかと言えば平凡な教師でいていいんだ。悔いて悔いて、教育というのは年
中悔いる仕事です。悔いのなくなったときは、教育は教育じゃなくなると思いますね。うまくい
かない悩み、子ともがなかなかついて来ない苦しさ、眠れない夜もあり、「眠れぬ夜の教師の
ために」なんて誰かが書いてますが、私はそういうものだと。悔いときどき喜びだと。
 私は、こういう悔いの中にこそ、教育の本当の姿があると思います。私たちが、平凡で欠点
だらけで悔いの多い人間だなんてことは、避けることができない。避けることができないとし
たら、誠実に悔いること、ここにしか、私達が子どもたちに、人間て結構いいものなのよ、って
いうことを見せる力がないと私は思います。
 私は、そういう私たちの日常があるからこそ、だから子どもたちに明日を語れるんだと思うん
です。私たちが悔いも知らない、そういう人間だったら、子どもたちは、そういう中から人間的
な良さみたいなものを見つけだすことが出来なくなるんじゃないですか。


 

大学の演劇科に望む・・・「大学で教鞭をとる演劇人」

☆2000/2/2

大学で教鞭をとる演劇人へ   
    

次の資料は「せりふの時代」 18号所収

「大学演劇科新設ラッシュ、その実情は」 からの抜き出しです。

唐十郎 横浜国立大学教授 佐藤信 東京学芸大学教授
川村毅 早稲田大学客員教授 長谷部浩 東京芸術大学助教授
竹内銃一郎 近畿大学教授 蜷川幸雄 桐朋学園短期大学教授
鈴江俊郎 近畿大学教授 木村光一 桐朋学園短期大学教授
西堂行人 近畿大学教授 扇田昭彦 静岡文化芸術大学教授
岩崎正裕 近畿大学非常勤講師 串田和美 日本大学芸術学部教授
平田オリザ 桜美林大学助教授 太田省吾 京都造形芸術大学教授
永井愛 桜美林大学講師    


大学演劇科新設ラッシュの理由について、

内容記事より、ニ点紹介します。

@まず、学生本人の気持について
「ただ聞くだけの授業にはうんざりしてるんですね。体を動かしたいとか、なにかを作りたいとかみんなそういう自己表現に飢えている。」
A次に、社会的な要請について
「膨大な文化施設が全国に建ったんですけど、それを生かすにはスタッフの充実が欠かせない。またこれからは、地域における文化活動のリーダーの育成が必要になってきます。」        


さて、このことを、「桜美林大学 文学部 総合文化学科パフォーマンス・

演劇コース」 について検証してみます。                    
                    
資料は同大学作成のパンフちらしです。

教授スタッフ
井関義久文学部長・高校演劇協議会顧問 沖田大三郎 プロデューサー
水落 潔 劇評家 坂口芳貞 俳優・演出家
平田オリザ 劇作家・演出家 永井 愛 劇作家・演出家
松本 修 演出家 安田雅弘 演出家
勝田安彦 演出家・翻訳家 野村万之丞 能楽・俳優・演出家
宮城 聡 演出家 袁 英明 中国戯劇家協会・国家一級俳優
加納幸和 俳優・劇作家・演出家 堀内 充 舞踊家
宮田慶子 演出家 岩下 徹 舞踊家
成井 豊 劇作家・演出家 島 次郎舞台美術家
金 英秀 照明家 中川眞主美 オペラ歌手・ミュージカル俳優

これだけの人材を集めて、何を目的としているのでしょうか。

助教授・平田オリザ氏 の言葉に耳を傾けましょう。

 総合文化学科では、演劇に関するあらゆる授業を行っています。俳優に必要な発声練習や身体訓練はもちろん、照明や音響の技術や制作の知識など、幅広い内容を学びます。ずっと演劇に関わっていくには、スタッフの仕事を知ることも大切ですから。
 俳優以外の道に進む学生にとっても大いに役立つ内容です。プロの俳優になるのは、ほんの一握りでしょうが、ほかにも演劇を生かせる分野は数多くあります。たとえば地域の演劇活動や文化活動などのアートマネージメントの世界などです。日本では、こうした分野の人材は圧倒的に不足しています。
 ですから、本学科では、第一線で活躍できるプロの俳優を育成するプログラムと、幅広い演劇の教養を身につけるプログラムの2本立てでやっていく予定です。一方で、先進的な俳優を育て訓練を行い、もう一方で演劇文化の裾野を広げる人材を養成する。これまでにないシステムだけに、大いなる実験だと思っています。

それで、私は。次のような感想を持ったわけです。

  私の希望意見
 演劇の効用というのは、実はもっと広く、もっと根本的なものです。

 今の日本では、社会が、子ども達に人間関係の持ち方について教えるようになっていません。

 まずは学校でそれを取り入れていかないと、どうにもならないところまできていると、思うのです。

 それが、演劇教育です。

 人間という存在の深さ、暖かさ。人と人とが関係を持つということがどういうことであるのか。

 想像力と思いやりの関係。体と心と言葉の関係。

 今のこどもたちの教育に欠けている、子ども達が幸福な人生を送るために不可欠の、この、もっとも重要な要素に、実は演劇が深く関われるのです。

 今は、というか、これからの教育の場では、というか、演劇教育しかないのです。

 ですから、演劇関係の学科において、教育との関係を、福祉との関係を、人間学として社会学としての演劇を取り扱うようになることが、今緊急に必要な、ことじゃないかな。

 日本の社会にも絶対的に必要な学科として定着させること、学科としても豊かになること。

 私の目には、ことは緊急だと映っているのだけれど。

 演劇教育を通して、人間を、関係を、しっかり学んだ者が、経験した者が、教育の場、福祉の場、行政の場にどんどん入っていかないと、日本の子ども達は、つまりは、日本は、救われないと思うのです。 

 

戻 る