※「間ということばで間をとるマヌケ」
全体を何場面かに区切り、全体の中のその場面のもつ意味や雰囲気を話し合いながら、読み合わせが進んでい
きます。
ひとつひとつのセリフを大切にしながら相手とかけ合いをしていくと、しだいに気分も出てきて、その場の雰囲気も
出てきます。
「セリフを大切に」という場合、「間違えないように正確に」ということはもちろんですが、裏に流れている「こころを大
切に」という意味で使う場合があります。その場合、句読点の意味や「間(ま)」や「・・・・」と書かれている意味や心
情を大切にしてほしいのです。 句読点のもつ意味を大切にしないで、句読点そのものを大切にする人は、「、」があ
るから休む。「間(ま)」と書いてあるから呼吸二回ほど体む、などどいうことになってしまいます。
日常の会話で、「この辺で少し間をとろう」と思ってとる間というものはないはずです。会話がちょっと途切れたり無
言になったとしても、頭の中は働いているのです。相手の気特ちをおしはかったり、次ぎに話す言葉を探したり、今
話したことを考えてみたり、過去を思い出したり、何かを想像していたりというように、「間(ま)」は生きているのです。
「間(ま)」は、外から見ていて「間〈ま)」であるだけなのです。それはちょうど、音楽の休符と似ています。休符も
音楽の一部なのです。休んでいる時間的空間があるから、逆に音が生きてくるのです。「間(ま)」を上手にとることに
よってセリフが生き生きとし、人物の心情が相手によく伝わるようになります。作者が、わざわざ「間(ま)」とか「・・・
・」と書いている、その裏の気持ちをくみとり、セリフ全体をひとつの流れのようにとらえて、「間」を上手に生かしなが
ら相手に語りかけましょう。木下順二さんの『タ鶴』にある、次のセリフを読んでみてくだざい。「・・・・・」という、つ気
持ちが哀しいほどに伝わってきませんか。「ここの点線では、何秒の間をとりますか?」などと言ったら、つうに叱られ
てしまいます。
つう いないの? 隠れているの?
出ておいでよ・・・・卑怯・・・・ずるい・・・・ずるいわ、あんた違・・・・ねえ・
・・・ねえ・・・・ええ 憎らしい ・・・(略)いえ・・・・いえいえ・・・・すみません、憎いなんて・・・・い
え、どうぞお願い、お願いします。
※「しっかり受け止め、しっかり返球」
相手とセリフのやりとりする中で、自分のセリフに込められている気持ちを確認しながら、ある形へと作り上げていく
わけですが、自分のセリフでないときや、自分の出番でないとき、心が休んでいることがあります。相手のセリフがあ
るから自分のセリフがあるのです。
自分のセリフだけぬきとって
A「お母さん、どうだっだ」
A「やっぱりそうなの。で、どうするの?」
A「私、そんなのいやよ」
これではなんのことなのか分かりません。これだけぬきとって話し方の練習をしたところで、その場の雰囲気や流
れができるわけがありません。
セリフは言葉です。言葉は、感情や意思の表現のひとつなのです。感情や考えや意思は、相手が表現した感情を
含む言葉に対する自分の答えがあるはずです。相手のお母さんの話をしっかり心で受け止め、それに対する自分の
考えや気持ちをのせて話してください。
野球のキャッチボ‐ルと同じです。相手の投げてよこした球をしっかり受け止め、その後、相手が受け止めやすいよ
うにしっかり返球してください。ある俳優の話ですが、相手のセリフに対して「そういうセリフでは、次の私の言葉はで
てこない」と言ったそうです。
心の入っていない、それらしいいいまわしの工夫は意味のないことです。相手の言葉を耳で聞くのではなく、感情
や意思の表れとして心でしっかり受け止め、それによって起きた自分の心の動きの表現としてのセリフとして話して
ください。これが、セリフのやりとりの際の大切な心構えです。しっかり受けとめて返してくれる人が相手をしてくれる
と、案外うまくいくもんです。お互いがそうなるように、心のやりとりをしっかりつかんで読み合わせをしよう。
※「ボドテキスト(覚書)の利用」
読み合わせが進んでいくと、セリフに感情が入ってきます。しかし、表現の仕方は、解釈によってずいぷんと違って
きます。例えば、次のようなセリフでも。子供の父親に対する気持ちが違えば、表現も違ったものになると思うのです
父親「叔父さんのところへ行って、これを返してきなさい。そして、よく謝るんだぞ」
子供「嫌だ」
日頃から、父親を恐がっている子供であれば、相手の表情をうかがいながら弱々くし「嫌だ」と言うかもしれません
誰に対しても、いつも堂々と自分の考えを主張する子供であれぱ、はっきり「嫌だ」と言うと思います。子供が感情的
になっているのであれぱ、父親の言葉が言い終わらないうちに、「嫌だ」とかぶせて口から出るかもしれません。
その時の状況についてみんなで話し合い、こうだと思われるものがみつかったなら、それを脚本の余白へ覚書とし
て子供の役を演ずるキャストはメモしておくのです。この覚書のことをポドテキストといいます。劇全体の流れに矛盾
することのないよう、また、相手との関係に一貫性があるよう、一人の生きた姿としてどんどん脚本に記入し、役の人
物を作っていくのです。
※「生きているひとりの人物として」
読み合わせが進んでいくと、自分が演じる役柄についてのイメージが浮かんできます。人物の性格や友人関係を
含めて自分が演じる人物をそろそろはっきりさせたほうがいいでしょう。演出は、頃合いをみてキャストに「つけ帳」を
書いてくるように連絡します。
「つけ帳」とは、自分が演じる人物について、あらゆる角度から検討し、脚本にないことも含めて、生きているひと
りの人物としてはっきりさせる作業なのです。その劇のテーマを表現するためにふさわしい人物を作ってみよう。
「私の海は黄金色」のつけ帳から、礼子と節子のものを紹介します。
<礼子>
○家族構成‐‐‐父、母、姉二人、私の五人家族
○節子に対して---−高ニのクラスがえで節子と出合う。クラスの人たちをほぽ把握できた五月上旬頃から節子を
からかいはじめた。軽い気持ちからの、だだなんとなくといういじめっ子。いじめて反応を楽しんでいる。
○芳恵に対して----高校に入字して、一二年と同じクうス。芳恵はいつも味方で、仲のいい友達と思っている。芳
恵は私を裏切らない。
○クラスの人達に対して----かなりみさげた態度で応対している。「うるさくて、バカで騷ぐしか能のない人達」と思
っている。「本当、バカ見たい! 誰も私にはかなわない」。
○部活動----陸上部。スプリンターで、割に活躍している。中学一年のときバレー部に入っていたが、生意気な態
度で部内で問題になり、退部。以後、団体での行動は苦手。陸上部に入ったのも、個人プレ‐で自分を発揮したか
ったから。
○先生に対して----先生の前では猫かぷり。お行儀がいい。あまり沢田先生のことは好いていないが、これも平常
点のため。かなり救いようのない性格。
○クうスの中で‐‐‐委員会活動はいっさいしない。他人のめんどうはみたくない性格。成績は中の上。自分のことだ
けはしっかりやる。友違づきあいは限定されていて、広くない。
<節子>
○性格‐‐‐おとなしいというか、思ったことをはっきり口に出せない。口数が少なくて真面目なので、他人から見ると
面白みのない性格。いじめられるのもそのせいと思われる。
○家庭‐‐‐表面的にはごく普通の家庭。ただ、両親は忙しくて、節子の話しをあまり聞いてやれな。そのため、自分
の娘がいじめられていることにも気づいてくれない。家族構成は、父、母、節子の三人家族。
○礼子に対して‐‐‐‐もうこれ以上、自分にかまってほしくない。ほっておいてほしいとも思う。しかし、無視されたの
ではもっとこわいし・・・つっぱねるほど強くもないし、かといって学校を休むことで問題を解決しても、それでは自分
が負けたことになると思っている。
○優子に対して‐‐‐‐家では話しを聞いてくれるのに、学校に行くと無視する立場になるので、琳しいと思う反面、仕
方がないと妙なところで納得している。自分に係わって優子まで仲間外れにさせるのは悪いと思っている。
○劇中劇の道子に対して‐‐‐一言で言って「節子の理想、憧れ」。目が見えないというハンディがあるのに、どうして
あんなに明るくいられるのかと不思議に恩うところもある。 (以下略)
さあlどうでしだか。「読み合わせ」を深めていくと、自分の役の人物がこのようにはっきりしてきます。うまくやろう
とするのではなく、劇の中の世界の生きたひとりの人物として理解することで、自分が演じようとしている姿が見え
てくるのです。
お婆さんの役だから、「腰を曲げて、しわがれ声にする」というような、類型的な役作りはしないことです。現実に
は、八十才でも元気にシャキッとした姿勢で歩いている人を見かけます。外形を作るのではなく、あるべき姿を理
解することで、形が決まってくるのです。
※「話し言葉とセリフ」
話し言葉にもいろいろな種類があるように思います。祝辞や国会の質問のような文章を「読む」かたちのもの(話
し言葉に入れていいのかどうか迷いますが)。ラジオやテレビのニュースのような「伝える」もの。昔話のような「語
り」や普段話しているような「会話」など思い浮かぴます。
セリフは話し言葉ですが、普段の話し方そのままを舞台にのせたのでは、聞き取りにくかったり、なにを言ってい
るのかわか会話としてらないところがでてきます。だからといって、弁論大会のような演説口調では、会話になりま
せん。聞きやすいことばで、しかも感じるような話し方でセリフを言うのです。
初めてキャストになったとき、「セリフが硬い」と言われても、どうしたらよいのかわからない事があります。セリフを
登場人物の生きた会話の言葉として話すためには、「読む」、「語る」、「伝える」、「話す」という違いを意識すること
から始めよう。そして、力を抜いた普段の喋りの雰囲気を生かしながら、セリフを話すことへと高めていくようにしよう
このような練習は、できれぱ基礎練習の時に自分のものにしておくことを進めます。
セリフは、昔段の会話そのものでは書かれていませ。観客が聞いていて分かるように、ある程度整理されて書か
れています。計算されていると言ってもいいかもしれません。そのように意識して書かれたセリフを「舞台語」という
ことがあります。例えば、東北地方を舞台としたテレビドラマを全国放送する場合、九州の人にも理解してもらえる
ように、方言をアレンジします。東北の人に言わせると東北弁ではないと言うかもしれませんが、「舞台語化」する
ことでわかってもらうことができるのです。
日常使っている話し言葉とセリプの違いを理解することで、自分の話すセリフが、登場人物の生きた会話の言葉
となるよう高めていってください。
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