阿 部 順 夫 ・ 資 料 集 (1)

 

2002年
 問題点浮き彫りに・・・高校演劇東北大会をみて

発声練習、観客本位の舞台づくり
基本的な努力怠るな

                
                    阿部 順夫

 高校演劇の東北大会がこのほど、多賀城市民会館大ホールで開かれた。各県代表二校ずつ計十二校によるコンクールである。

 熱心な高校生と観客に支えられて熱気にあふれた大会となった。その一方で、現在の高校演劇が持つ問題点もあらためて浮き彫りになったように思う。 大会最後の講評で審査員の一人、成井豊氏(劇団キャラメルボックス主宰)が指摘したのは、舞台のせりふがよく聞こえないということである。たとえせりふの通りにくい大きな会場て゜あっても、日常訓練をきちんとして状況に対応すれば、そうなるはずはない。現にきちんとせりふを聞かせた学校もあったのだから、それは役者の怠慢にほかならない、と。この厳しい指摘に場内は粛然となった。
 せりふが通らないのは観客にとって大変な苦痛である。成井氏の指摘は審査員五人の一致した意見であった。役者はどんなことがあってもせりふを聞かせなければならない。それは義務である。しかし近年は、明せきな舞台発声がともすればおろそかになり、客席のすみす゜みまで声を届ける訓練が軽んじられているのではないか。 それは劇場機構が発達し、演劇用の小劇場も増えて、声が通りやすくなったためであろう。より大きな理由は、テレビなど映像ドラマの影響が高校演劇にまん延していることだろう。のどと口先だけのしゃべりでも間に合うテレビ演技をそのまま舞台にのせているのである。それがナチュラルな演技ということなのだろうか。誤算はそこにあった。
 一方、身内のウケ狙いのギャグやドタバタ演技が最近の生徒創作には頻出する。テレピお笑いタレントのそれである。早口と絶叫の連発、それが高校生の実在感なのか。もしそうだとしても、演技者の実感にとどまらず、より広い観客層のための舞台を作らないかぎり、高校演劇は自らその世界を狭めてしまうことになろう。生徒の創作が日の目を見、活発になったのは大いにいい。しかしそれに甘んじて、基礎的な舞台づくりの努力を怠り、日常訓練をおろそかにしてはなるまい。
 近年、劇都仙台を合言葉に宮城の演劇活動がかつてない盛り上がりを見せている。東北各県も同様と聞く。身近な存在とは言えなかった舞台演劇がわれわれの日常生活の中に根づくことができるか、いま重要な地点にさしかかっているのだ。高校演劇も当然その一翼を担っている。
 大会は福島県小名浜高校(いわき市)の「チェンジ・ザ・ワールド」を最優秀賞に選んで幕を閉じた。感動的な優れた舞台だった。センスのある簡潔な大道具。広い客席の隅々まできっちりと届けられたせりふ。笑いと涙に彩られたテンポのいい演技。作者石原哲也氏の高校演劇に傾ける情熱と力量が報われた。夏の全国大会での活躍が大いに期待される。
 高校演劇のすばらしさを知ってきた一人として、現状にあえて警鐘を鳴らしその発展を心から念じたい。

(大会審査員。元宮城県高校演劇協議会事務局長)

河北新報200212日(月)掲載