阿 部 順 夫 ・ 資 料 集 (3)

 

1996年(平成8年)

 高校演劇に三千人の観客を

                      阿部順夫
 ここに一つのメモがある。
 わたしちの合同公演の記録である。宮城県高校演劇合同公演。これは昭和四十一年の「夕鶴」をはじめとして、昭和五十六年の第3回仙台地区合同公演まで計十二回、断続しながら行われた。
 眺めながら、はたと気がついた。
 合同公演が集めた観客数である。
 第2回までは一回公演で、約千名を動員、加盟校は七校だった。
 第3回から第5回まてでは2回公演でそれぞれ約二千五百人を集めた。午後の公演には千五百の座席に立ち見が数十名出るほど、純益も十万を越え、それで全国大会に五十名以上の代表を派遣した。参加校はまだ十校だった。入場券百円。

 6回は県民会館で金土3回公演を決断。三千人を動員、十八万の収益。以後第9回までこのスタイルが続く。参加校は漸増し、3年で十六校に。第7券売り上げ三千百三十枚収益十九万、第8回は動員三千五百人、第9回は三千人。入場券二百円。

 1回仙台地区合同公演。仙台地区以外の加盟校が増え、県全体でやることが不可能に。組織を地区制にしたのを機会に仙台地区合同公演とする。十三校参加。土曜日2回公演。券売り上げ二千五百枚。翌第2回は売り上げ二千四百枚で十二万の赤字。第3回は入場券二百五十円に。それでも実質三万円の赤字。会場費、印刷費の高騰が原因。二十二校参加で券の売り上げは二千七百枚だが、実観客数は千五百人にとどまった。一人十枚の責任枚数はこなすが、観客は来ない。券が捌けないのだ。お祭り気分が強く、券売りに熱心でなかったとの反省メモがある。その証拠に当日売りが三百枚もあった。以後合同公演は小さなものを除いて行われていない
 三千人の観客動員を何年間も続lナていたという事実にわたしは改めて注目した。
 どうして過去にそれができたのか? これからはもう不可能なのか? 今それを考える必要があるだろう。一つは組織の問題だと思う。つまり全員で券を捌くという体制を作り、きちんと動かすことだ。会計だけが厳しく集金しても観客数には結びつかない。
 もう一つは組織を動かす考え(意識) の問題だと思う。多くの人に来てもらいたいと切実に思っているのか。観客なしに演劇は成立しない筈。いい演劇とは多数の観客の中でこそ可能なのだ。審査員に褒められる劇などではない。
 仙台演劇鑑賞会に次ぐ多くの観客を集めていた高校演劇合同公演その舞台で彼等は確かに幸福だったのだ。そしてそこで育ったのだ。
 その幸せが今の高校演劇には足りない。お金じゃない、やはり人なのだ。私達は金はないけれど人があった。それが唯一の財産であり、その手と足を使った草の根活動で客を集めたのだった。
 時代も違い条件も違うというだろう。しかし、券(パンフレット)をひとりひとり捌き歩いて、会場に釆てもらうよう最大限努力する、という行為と意識は、高度情報化時代といえども変わりはないと思う。その努力が芝居作りの努力と同じ位必要だということを忘れてはいないだろうか。
 かつての先輩たちは一人十枚から十五枚の入場券を責任持って捌いていた。それを考えれば、今、一人五枚の券やパンフを捌いて、自分の学校の上演に部員数かける5ぐらいの観客を動員することは可能ではなかろうか?広告取りもさることながら、こんな義務づけもしてみたい。仙台市内三百人の部員がそれを実行すれば千五百人の観客がすぐに集まるのだ。 がらんとしたコンクールの客席に座って、わたしは「これは演劇じゃない」と心の中で言い続けていた。
 再び言う、高校演劇に三千人の観客を/ 家族に、親戚に、隣人に、友達に、中学の後輩たちに、部活の先輩たちに来てもらおう。そのために手足を使おう。自分の手足を。
 手づくりのぬくもりこそ、その思い入れとこだわりの深さこそ高校演劇の真骨頂なのだとわたしは思っている。

宮城県高等学校文化連盟十周年記念誌演劇専門部資料
         みやぎ高校演劇第14号

 

1992年(平成4年)

 広い視野と強い連帯を

                      阿部順夫
 5月の総会で事務局長を解任された。ようやく辞めさせていただいたのである。昭和四十二年以来二十五年間、途中二年程度交替した時期はあったが、長い道のりではあった。考えてみれば、現在の中心指導者である佐藤喜志夫先生や大石和彦先生の高校時代の舞台を見ているのである。そのころまだ生まれていなかった顧問の先生もいるかもしれない。 
 演劇部顧問としては、もう五年ほと゜その前にあるから、三十年以上もの間、とにかく夢中でやってきた。ここ数年は、専ら渉外係りや挨拶要員で、作品も書かず、第一線を退いた感があったが、ふりかえって見れば尽きぬ思いが湧いてくる。今ここでそれを述べる紙幅はないから、次の機会に譲るとして、宮城高演協の課題ともいうべきことを三つ挙げておきたい。
◇観客拡大の努力を

  事務局長としての月日を私はほとんど協議会の経済的基盤をつくるために費やしてきたといってもいいだろう。協議会の生徒も顧問も、広告を取った、パンフを売り歩いたり、芝居をつくる以外にたくさんのエネルギーを使ってきた。今、それが少し楽になった。高文連や仙台市(文化事業団)の援助があるからである。
  しかし、観客の数は増えているだろうか。それが問題だと思う。たとえ世の評価は高くなったとしても、自分の手足でお客を呼ばなければなるまい。その努力を忘れたとき、高校演劇は堕落する。身近な人や中学生などはもとより、ひとりでも多くの人に見てもらうために熱心に足を運ぼう。ポスターやパンフを持って。広告取りやパンフ売りの意義は、経済的理由以上のものがあるのだ。そこに私達の活動の基本がある。

◇狭い視野から抜け出そう
  努力しなくとも見に来てくれる人ばかりを前にしていると芝居はひとりよがりの狭いものになりやすい。かつての高校演劇の欠点はここにあった。特定の観客(審査員)ばかりを相手にしているという意味では、コンクール主義といわれるものも同じ誤りを犯している。幅広い観客を獲得することによってのみ高校演劇は視野の広いものになり得る。

◇心と技術の授受を
 演劇は共同作業であり、縦にも横にも、伝え合い教え合うことによって成り立つ。このはたらさが弱くなったとき演劇は衰弱する。生徒はもちろん、顧問も含め、組織を挙げてこの働きを強めてゆかなければならない。講習やリーダー研修会の発展として各地に合同公演が成立し、その幕が上がる日を私は心待ちにしている。

宮城県高等学校文化連盟十周年記念誌演劇専門部資料
         みやぎ高校演劇第10号