私の高校演劇 そのA
松島高校時代

 

高校演劇コンクールへのデビュー

 塩釜女子高の定時制に五年間いて、だから五本の芝居を作って、松島高校の定時制に異動した。三年後、同全日制に移った。
 移って初めの年は新聞部の顧問だった。二年目に演劇部の顧問の役が回ってきて、始業式の日に、演劇部の三年生で、部長でもある横橋という名の生徒が挨拶に来た。前の年、演劇部の公演はなかったから、当然の質問として、私は尋ねた。
 「部員は何人?」
 彼女は平然として、
 「私だけです。」
 唖然とした私の、次の質問も待たずに、彼女はさらに平然として続けた。
 「大丈夫です。文化祭まで、友達を引き入れますから。」
 これが松島高校における演劇部との最初の接触だった。
 彼女は言葉どおり、必要な人数をそろえて、文化祭公演をやってのけたので、このときのやり取りは、強烈な印象として私の中に強く刻みつけられてしまった。
 古いけれどもSSPが二個あった。昔の高校では、どんな高校にもこのワン・セツトがあって、高校における最低必要物件となっていたらしい。松島高校体育館のステージを改めて見て驚いたのは、三色のボーダー・ライトが釣ってあることだった。さらに移動式のロアー・ホリゾントライトも、かなり古いけれど、あった。何にもなかった前任校では、全日制からSSPを二個借りて前明かりとするだけの照明でやっていたから、これらは私にはすばらしいものに見えた。うれしくてしょうがなかった。
 この年文化祭の芝居は、記憶では「萩の月」になっているんだけれど、これはお菓子だから、「萩」かしら。明治維新の時の話で武士が出てくる。会津だったような気がする。刀をどうしようかと、ずいぶん悩んだ覚えがある。このとき使用した鍔付き木刀は、今でも私の部屋にある。強盗が入ったら、これで対抗してやろうと、枕元に置いてある。
 主役は、部長の友達のH嬢であった。まったくの無口な生徒で、授業中、指名して答えさせるのに苦労する生徒だった。ただ成績はよかった。こんな無口な生徒がやれるのかしら、と私は首をかしげたが、舞台は別物なのだった。彼女は今も仙台の演劇界でたびたび舞台に立っている。私も何度か観たことがあり、そのたびに感慨無量になる。
 この年、新入部員は1名だった。まじにヤバイと思った。
三年が引退したら、一人になる、彼女は泣きそうだった。
でも、コンクールに出たいという気持ちがなんとか彼女を引き止めていた。
 翌年春、8名の新入部員があった。すばらしい部員たちだった。みんな高校演劇コンクールにあこがれ、その舞台に立つことが夢だったので、宮城県高等学校演劇協議会に加入し、この秋、コンクールに参加した。私は自信がないのでおじけついていてが、生徒たちは意気盛んだった。
 宮城県東部地区コンクールは、この年だけ、多賀城高校の体育館で行われた。われわれは、生徒も顧問も、なんにもわからなくて、リハーサルの時、係の生徒に、
 「カラー、もって来た?」 
と聞かれて、お互いに顔を見合わせて、
 「カラーって、何だ?」
 このときの芝居は「試行錯誤」で、高校生活を題材にした、今では高校演劇の古典と言ってもいい、作品だった。しっかりした演技の、結構いい芝居ができたと、私は思った。もしかしたら賞をもらえるかも、などと不貞な想像をしたりした。
 しかし、塩釜女子高の全日制の演劇部の舞台をこのとき始めて見て、びっくりこけた。まるで大人の芸達者な芝居に、なんだ、これは、と正直唸ってしまった。鼎が浦の芝居も、装置から群舞から、演技はもちろん、衣装メイク、何もかも本格的で、すごかった。多賀城高校も、妙で変で新鮮な印象を与えるという、一味も二味も違ったものをやっていた。
 かくて、松島高校と私と、ともに、高校演劇の世界にデヴューを果たしたのだった。
 同時期にあった文化祭では、当然「試行錯誤」を上演した。
 翌年の春に二回目の合宿をやって、新入生歓迎公演を企画し実行した。演目は「狂育白書 」だった。ただし私は、宮城広瀬高校への転任を突然に命じられていて、だからといって準備していた合宿と公演をやめるわけにはいかず、春休み中、もはや勤務地ではなくなった松島高校で、生徒と芝居作りに熱中していた。 
 結果として、一年三回公演(新入生歓迎公演、文化祭公演、コンクール公演)、と二回合宿(春・夏)の活動パターンが出来上がった。
 私は、三十代最後の年になっていた。

 

演劇部1982文化祭公演
於・松島高校体育館

「 萩 」

 

演 劇 部 校 内 公 演
1983年6月25日

「日曜にホームドラマはない」

 

 第21回宮城県高校演劇コンクール地区大会
1983年11月6日(日)
会場・多賀城高校体育館

演劇部1983文化祭公演
於・松島高校体育館

        「試 行 錯 誤」
                   作・佐々 俊之

あらすじ

 この劇は、今の高校の状況を一つの形に表したものです。青島という大変頭のいい、秩序からはみ出している生徒が中心になって、メッタヤタラと先生たちをひっかきまわしてしまいます。皆さんの、ふだん言いたくても言えないようなセリフが、あちこち出てきます。そして先生は「必死になってあなたたちに教えてきたことって、なんだったのかしら。」と、ためいきをつくしかないのです。笑って、笑って、笑い飛ばして、最後に思わず頭を抱えてしまうような、そんな劇になれば成功なのですが。

スタッフ

キャスト

演出 Y.suzuki A 沖野先生 S.Tuboya @
舞台監督 H.SibuA 本田先生 K.Yamaji @
照明 T.Miyata A 母親 M.Tiba  @
H.Sibu A 女生徒青山 T.Watanabe@
Y.Saito @ 女生徒千代田 M.Tuburame@
効果 M.Saito @ 女生徒馬場 H.Kato @
    語り手 H.Sasaki @
演出のことば

 私達に身近なもの、ということでこの脚本を取り上げました。松高演劇部の出発点としてふさわしいものは、何よりも自分達の問題に関するものだと思うからです。本当に何もかも初めからの出発で、発声にしても、セリフの言い回しにしても、身振りを一つとっても、わからないことばかりで、それでも私達としてはできるだけの努力をしたつもりです。スタッフとキャストの動きはどうあるべきか、高校演劇部の活動はそうあるべきか、そんなところもこれから学んで構築してゆかねばなりません。どの程度の劇ができあがったのか、それは皆様の批判を受けて知ることになりますが、精いっぱいやれたという点では満足しています。

 

演劇部第一回新入生歓迎公演
1984年4月
於・松島高校体育館

       「狂 育 白 書」
                作・佐々 俊之
  この年、4月1日付けで、私は宮城広瀬高校への転任を命ぜられ、転任した。3月下旬の内示であった。