白崎彩子 "LETTER FROM NEW YORK" (Part 2)

Auguat3, 2005 Last Up dated.


「Marian McPartland’s “Piano Jazz”」     NY彩子通信 Vol.26  (Feb. 2006)

大変ご無沙汰しております。皆さんいかがお過ごしですか?
去年の今頃は一時帰国の際、日本に着くやいなやインフルエンザにかかってしまい辛い思いをしたのを思い出します。
今年のアメリカの冬は統計上最も暖かいそうです。確かに大変過ごしやすいです。セントラルヒーティングで四六時中部屋は温かいのですが、そのままにしておくとかなり乾燥がきついので、この時期の加湿器は必需品です。最近性能のいい加湿器に買い換えたのでかなり快適です。お陰で風邪もひかず毎日を送ることができます。

ところで今ブログは大流行ですね。私もウェブ上でのつぶやき記をブログに変えてからはメインテナンスの手軽さも相まってたわいない事からライブの事まで頻繁にアップしています。そのせいもあって少しあらたまった感のあるこのNY彩子通信をすっかり放置してしまい申し訳ありませんでした。また皆さんにご報告したい出来事があったので綴りたいと思います。

女流ジャズピアニストのマリアン・マクパートラント(Marian McPartland)をご存知ですか?今年で米寿を迎える現役一流ピアニストです。ハンク・ジョーンズと同い年です。イギリス出身の彼女は20代で渡米、一線で活躍してきました。1958年に撮影された”A Great Day In Harlem”という当時一世を風靡したジャズミュージシャン58人が大集合した有名なモノクロ写真がありますが、その中で中央右よりの白いドレスを着た美しい白人女性がマリアンです。http://www.a-great-day-in-harlem.com/

その彼女が1978年から続けている”Piano Jazz”という長寿ラジオ番組があります。毎週一人のゲストを迎えトークやソロ、デュエットなどを交えた1時間のプログラムでアメリカでは非常に人気のある番組です。これまでにビル・エバンス、メリールー・ウィリアムス、エルビス・コステロ等をゲストに迎えた録音はCD化されています。ゲストがエバンスのCDを持っていますが、これはかなり興味深い内容になっています。マリアンのピュアかつかわいらしい人柄で彼に直球の質問を投げかけ、彼が演奏を交えて丁寧に説明していく過程は非常にわかりやすく、また演奏内容も素晴らしいです。興味のある方は是非聴いてみて下さい。

前置きが長くなりましたが、その彼女の番組になんと私がゲストアーティストとして招かれたのです!数週間前に知り合いのピアニストから電話があり、「マリアンにアヤコのことを話したが、どうやら面識が無いみたいだね。君の演奏は素晴らしいから是非CDを送ったらいいよ、もしかしたら彼女のショーに出演できるかもよ。」みたいな内容でした。私は彼女のショーも大好きでしたし、彼女自身の演奏や生き方にも共感を覚えていたので素晴らしいチャンスだ、と思いその後郵便局に直行しました。

その1週間後なんと彼女本人から電話が。「あなたの演奏とっても気に入ったから”Piano Jazz”に招待したいわ。でも今の段階ではいつ頃になるかわからないからとりあえずプロデューサーにも私に送ってくれたのと同じCDを送ってみて。」私はただ感激するばかりでした。ちなみにその時送ったCDは”Existence”と今年4月発売のソロCDです。

その数日後にまたマリアンから連絡があり、「1週間後の2月○日空いている?空いていたらその日に収録しましょう。ソロが5,6曲、デュオが2,3曲、私もソロを1曲弾くわ。」あまり急な話でびっくりしましたが、「善は急げ」「思いたったら吉日」とはこのことで、彼女の迅速な行動に感謝しながら収録までの1週間余り、私はその日の準備に明け暮れました。

彼女のラジオ番組はよく聞いていましたが、トークと演奏が流れるように続き内容はジャズの即興のごとく非常にフレキシブルでその場のハプニングもあったりで大まかな構成しか立てていないようです。それが私にとってはかえってナーバスにさせてし
まう材料でした。そうです、英語でトークしないといけないのです。私今年で在米9年目だというのに渡米2年後位から英語力が全く変化してないんです。9年も住んでいたら外国人だからしょうがないねー、という言い訳はもはや使えないのです。まず日頃おざなりにしている発音から気になりました。加えてホールセンテンスとして話したいことを明白に伝えること、これも日常会話においてなーなーにしてきた自分を責めたくなりました。
その前に何を伝えたいかを頭の中ではっきり意識しておくことも大切でした。今まで携わってきた自分の音楽史などマリアンにとっては比べ物にならないほどちっぽけなものですが、それでも私のことをほとんど知らない彼女へ、またラジオを聞いている全米の人へ伝えないといけません。質問を推定して答えの練習をする、私にとってはとっても真面目な作業を繰り返したりしてなんとか自分を落ち着かせようと必死でした(笑)。もちろん演奏曲目も熟考し、練習し、当日に備えました。

実は収録予定日の前日にプロデューサーから電話があり、録音スタジオに2台目のピアノを搬入予定だったがビルのエレベーターが壊れたため(NYらしい!)収録が一日延期になった、と言われました。内心一日練習時間得した!と気持ちが楽になったのは事実です(笑)。

実際の収録はとても楽しく、素晴らしい経験でした。マリアンは思った通りとてもスウィートな人柄で、87歳とご高齢にもかかわらずショーのホストを立派に務め、共演した2台ピアノでの演奏は優しさに溢れて感動しました。心配していた英語は練習のお陰もあってとちりながらもなんとかスムーズに運び、話の流れで彼女のレニー・トリスターノ、ユービー・ブレイク、ジョン・ルイス、ビル・エバンス、ハンク・ジョーンズ等との思い出話も聞けて楽しかったです。私は小さな頃にジャズ好きの父がジャズの道に導いた、という部分を強調して話したので、マリアンにお父さん像がしっかり焼きついたのではないでしょうか?(笑)「私も父から音楽のことでああしろ、こうしろとよく言われたわ。結婚の時は反対されるのが目に見えていたから黙って結婚して事後報告したのよ。あなたは大丈夫だった?」なんてお茶目な質問も。

収録は無事終わりましたが、放送は今年の秋頃になりそうです。全米では200局以上で放送され、日本でもインターネット、有線放送「USEN440」又は各米軍キャンプ付近のAM放送での視聴が可能なようです。

なお、収録当日、彼女のMarian McPartland & FriendsというクリスマスCD用に私も1曲参加させて頂きました。これは今年のクリスマス用に現在制作中とのことです。

Piano Jazz サイト
http://www.npr.org/programs/pianojazz/

以上が皆さんへの久々の嬉しい報告でした。

さて、上記にも書いたように4月19日にソロ・アルバムの発売が決定しました。タイトルは”Home Alone”です。以前の彩子通信で書いたことがありますが、父による自宅録音のこのアルバムは大変よい仕上がりになりました。トリオのアプローチとはまた違ったリラックス感と緊張感のバランスが絶妙な内容になっています。その場で思いついた曲を2日間かけて次々と録音し、その中より厳選した11曲を1枚のCDにまとめました。是非多くの方に聴いて頂きたいです。

最後に、ここ数年は2月、8月で帰国をしていた私ですが、今年はおそらく8月頃まで帰国の予定はありません。少し先になってしまいますが、また皆さんにお会いできるのを楽しみにしています。

皆さんからのフィードバック、近況などお気軽にお寄せ下さい。お待ちしております。

白崎彩子


「Overcome weaknesses」 NY彩子通信   Vol.25  (Aug. 2005)

暑中お見舞い申し上げます。
日本のみなさん、本格的な暑さに日々戦っていることと思います。 こちらNYも今年は蒸し暑い夏のようです。
先週ブライアントパークでのピアノソロコンサートで1週間毎日野外で演奏しました が、いや〜、暑かったです。大きなパラソルで直射日光は避けられるものの、ある日は35度くらいまで気温が達し、思考回路がおかしくなってしまいました。今回でこのギグは3回目、今回がはるばるライブを聞きに来て下さったお客様が一番多かったライブでした。

私、最近ブログを始めまして、日常の些細な事を頻繁にアップしていたもので、こちらの彩子通信のエッセイの更新がすっかり滞っていました。今のところ、簡単に写真や文が更新でき、読者(ほとんどがお友達ですが)からの生の声がストレートに返ってくるブログ、快適です。皆さんも冷やかしついでにたまに見に来て下さいね。
http://blog.livedoor.jp/ayakoshi/

私が日本の皆さんにNY通信をお送りするのは、CDの発売、コンペティション等こちらNYで何かしらのアクティビティーがある時なので、「いつも前向きですね」 「元気をもらいます」などお言葉を頂くのですが、こう見えても(どう見えてるんでしょう?本当のところは)石橋を叩いて渡るタイプの典型で、新しいものに挑戦していくのがとっても苦手なんです。 苦手意識がとっても強く、自分に経験の無いものに対して、私にもできるかも、というよりは私は無理、と最初から決め付けてしまう悪い癖があります。数えたらキリが無いほどで情けないのですが、その一つが英語圏の子供達と接する、事でした。 もともと子供はあまり得意な方でなくどう対応してよいのかわからない部分がありましたが、英語でとなるとその思いが更に強くて、子供が苦手、英語が苦手と2重苦なので、そういった機会は避けて通ってきたところがあります。でもその苦手意識を克服できるチャンスを義母が与えてくれました。義母は才能教育で知られる鈴木メソッドの資格をもつピアノ教師で、沢山の子供達を教えています。マサチューセッツ州の鈴木メソッド協会の理事を務め、今年初の夏期講習を企画、実践しました。その夏期講習で私にジャズの即興のクラスで教えないか?と提案してくれました。 せっかくの義理母上からのお願いだし、これも新たなステップになる、と思い引き受けました。
4日間の夏期講習では10−15歳のキッズにジャズとは、アドリブとは、ブルースと は、などを教え、子供達の毎日の音楽的成長を目の当りにし新鮮な経験でした。子供達と同時に私も今回の機会で成長させてもらいました。1対1で英語で会話するのは大丈夫ですが、クラス単位で先生として英語で指導していく、というのは考えれば考えるほど私にとっては恐いものでしたが、本番に強い私、今回もそれまで隠れていた ハッタリがしっかり現れてくれて、事無きを得ました。子供達にも私の英語が伝わったことや、ジャズへのアプローチを理解してもらえたことで少し自信がつきました。これをきっかけに今後もワークショップなどクラス単位で教える機会があったときは恐れることなくやっていけそうです。 (http://blog.livedoor.jp/ayakoshi/の 7/11-16参照)

ブライアントパークのコンサートでも最終日は子供達に囲まれて、それまでの私だと無視(失礼)か戸惑っていたと思いますが、今回の経験を利用して子供達にジャズはアドリブでできているんだよ、と解説をしながらわかりやすい曲を演奏したので、最後まで興味津々で聞いてくれた子供達が何人かいたのがとっても心強かったです。これで最近熟年の方々からの支持が多かった私、ファンの平均年齢がグッと下がりました! 他にも苦手意識を感じている事はいーっぱいありますが、今回の経験を生かして、やればきっと何か開ける、と希望を持ちながら今後も一歩ずつ石橋を渡っていくことでしょう。

最後に日本でのツアーのお知らせです。
6月22日発売のMusically Yours (まだお求めでない方、ライブで是非買って下さい ね! )の発売記念ライブは8月20日から始まります。日本で大活躍中の井上陽介氏 (ベース)とNYを拠点に頑張っているレコーディングメンバーの高橋信之介さん (ドラム)を逆輸入してのトリオです。何だか素晴らしいユニットになりそう。乞うご期待!

Musically Yours Japan Tour 2005 の詳細
http://www.geocities.jp/ayakoshirasaki/musically-yours-tour-2005.html

CD Musically Yoursの詳細
http://www.geocities.jp/ayakoshirasaki/cd-Musically-Yours.html

それでは皆さん、夏を元気に乗り切ってください。日本でお会いできるのを楽しみにしています。

白崎彩子


「私とクロネコ」 彩子通信 Vol.24  (April 2005)

皆さん、こんにちは。お元気でお過ごしのことと思います。 1年前のNY彩子通信でフロリダのピアノコンペティションで戦ってきた話、読んで下さっている方も多いと思いますが、今年も懲りずに本選出場のためにフロリダに行って来ました。今回もテープ審査(CD審査)で選抜される5人の中に選ばれ、去年の屈辱戦、ということもありやる気バッチリでした。

伝統あるフロリダ劇場に今年も戻ってきました。ソロピアノ、トリオをミックスして自由曲3曲を20分以内で演奏する、なんと大らかな決まり事でしょう。今年の本選出場者はNY,ワシントンDC圏内に在住の5人で、コリアンアメリカン、ベネズエラン、私日本人を含めた国際色豊かな組み合わせでした。去年の入賞者は私含めて2人いました。今年はモンクのFour in OneとEmbraceable Youをトリオで、It’s all right with meをソロで演奏しました。

去年は5人の中で最後に演奏し、勢いあるままエアジンまで弾き切り、聴衆から割れんばかりの喝采を頂いたものの、惜しくも3位でした。今年の出番は3番目(毎年くじ引きをする)。去年興奮しすぎて演奏が雑になってしまった部分があったので、今回は音の細部まで、1曲の流れの細部まで神経を通わせて演奏しました。自己評価ですが、なかなかいい演奏ができました。 期待と不安が入り混じった結果発表、私は残念な事に3位入賞にも選ばれず4位で終わってしまいました。ああ、現実はなんて厳しいんだろう。。1位はワシントンDC在住のベネズエラン男性でした。彼の演奏の際の大きなジェスチャー、笑顔、積極的なリスナーとのコミュニケーション、等は関係ないようで大事な要素なんだな、とつくづく思いました。

結果は残念でしたが、今回も私を強くサポートして下さった地元のジャズファンの方々、地元ラジオ局のDJ、審査員を務めたジャズピアニストから応援、賛辞、激励の言葉を頂き、私の表現する音楽を通して何かしら人の心を捉え、感じてもらう事ができたのは大きな収穫だったと思います。これらの励ましを糧に「白崎彩子音楽武者修行」これからも続けて参りたいと思います。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、今回の彩子通信は私とBlack Catの密接な関係についてお話させて下さい。(以下「である調」に切り替え)

2002年自主制作のライブレコーディングのCDを作った際、なんかカンパニーネームがあったほうがいいなと思い、猫好きの私は実家で長い事飼っている黒猫のプルや主人の実家にいた2匹の黒猫にあやかってBlack Cat Musicと勝手に名前を作った。ジャズは黒人の作った音楽という事もありなかなかいいでしょ、と自負していた。ちょうどその頃HPも作ったのでオフィス名としてもBlack Cat Musicを使った。特別会社としてこの名を登録しているわけでもなくただ自分の都合で使っていたわけだがオフィス名やレーベル名があるというのは大事な事。

ある日、自分のアルバムは自作曲は自分で守らないといけないということに気づき、アメリカにある音楽著作権協会、ASCAPのメンバーになるために書類の手続きをとっていた。 作曲家としては自分の名前で登録できる、でも同時に自分の曲を出してくれる出版社というのが必要で、なければ自分で作る事が出来るということで、出版社名を考えていた。Ayako Shirasakiを使う事も出来たのだが、出版社名は個人の名前でないことが多い。ならもちろんBlack Cat Musicでしょ?ということで第2、第3候補のKuroneko MusicやKuroneco Musicも含めて応募した。

先日1ヶ月ぶりにNYのアパートに戻り、デスクの上に山積みされたレターの中からASCAPのレターを発見。どうやらBlack Cat Musicは既に使用されていたようで却下。代わりに第二候補のKuroneko Musicが採用されていた。悪くないじゃん、この名前も。 でもこのKuronekoというつづり、なんか見た事ある、初めてじゃないと思って、なんだろう、なんだろうと考えていたらなんと私の母の旧姓が黒川佳音子(クロカワカネコ→クロネコ)なのであった!なんだ、母は黒猫、Black Catと深いつながりがあったんだなぁと納得。実家で飼っていた(現在は兄宅在住、13歳、♀)黒猫=プルは母に一番なついていたもんなぁ。 13年前に実家のマンション1階にプルが迷い込んでくるまでは黒猫は不吉な印、目が合ったら3歩下がれ、などの迷信を信じていたが、黒猫は私にとって大切なプルちゃん、母の名、自分の音楽出版社名、と切り離せないものとなった。

今後の私の出版社KURONEKO MUSICの今後の繁栄を祈ってCheers!


「自分探しの旅〜Journey of Self-discovery」 NY彩子通信 Vol.23  


(Dec.2004)

2004年ももうすぐ年収めです。皆さんにとってどんな1年でしたか?
私にとっての2004年は流れに身を任せ、ゆったりとした気持ちで過ごせた1年だったような気がします。今年の始めに母方の祖母が95歳で亡くなったのはとても
残念ですが、その他は、家族も含め怪我や大病など無く過ごせたのは何よりです。

1年の自分の活動を振り返ってみたいと思います。まずつい最近のことから。11月半ばにピアノトリオアルバム第2弾のレコーディングがありました。今回はメンバーも一新してドラムスは高橋信之介さん、ベースはマット・クローシーさんにお願いしました。お二人とも若さに溢れるとても創造的で意欲的なプレーをしてくれました。10代の頃からプロに紛れてジャズを演奏してきた私ですが、いつの間にかメンバーの中で最年長になってしまいました(笑)。リリースは半年位先になりそうです。詳細は追ってお知らせしますね。

3月にEXSITENCEのベーシスト、マルコ・パナシアを迎えてのジャパンツアーが成功し、夏の帰国ライブでも多くの暖かいリスナーに囲まれて好きな音楽を好きなように表現できたのは幸せでした。また今年はソロピアノに携わる機会が多い1年でもありました。小林武仁さんの作品を演奏したCD”LOVED ONES”を1月に録音、6月にリリースし、NYではレギュラーで弾いているウエストチェスターの映画館でのソロ、夏に行なわれたブライアント・パークのピアノソロ・コンサート”Piano in the Park”、タップダンサー達との1対1のセッションなど。様々なシチュエーションで違ったスタイルのソロピアノをやってきて、改めてピアノで表現することの奥深さを感じました。ピアノは1歳に満たない赤ん坊でも叩けば音が出てしまう楽器ですが、あれだけ大きな楽器を真に“弾きこなす”ようになるまでは相当長い道のりを要します。腕の使い方、脱力の仕方、打鍵の仕方などの技術面にも増して、音楽に対する深い理解力、情熱など年や経験を重ねることによって得られる精神面での成長が出す一音一音を深くて意味のある音にしていくのだと最近常々思うようになりました。

「自分の言葉で音楽を語る」、簡単なようでいてこれが一番難しい。マネから入っても最終的には自分の言葉に換えて表現していかないといけない。穐吉敏子さんが
NHKの番組の中で「渡米して4年目にバドパウエルのコピーから自分の言葉(音のクセ)を捜すのに苦労した。『クセ』を持たないとジャズをやっている価値がない。誰も認めてくれない。死ぬまでジャズを通して自分捜しの旅を続けなければいけない」と語ったそうですが、70歳を超える彼女の語る言葉はずっしりと本物の重みがあります。30年続けてきたビッグバンドの活動に最近終止符を打ち、これからは時間ができるので、もっと練習して更に上手く弾けるようになりたい、とのこと。彼女の情熱には本当に頭が下がります。

私がプロのジャズピアニストとして活動を始めて間もない頃はとにかく覚えたい曲が沢山あって毎日レパートリーがどんどん増えていきました。そんなある日、知り合いのミュージシャンに「とっかえひっかえ何でも演奏すればいいってもんじゃない。結局演奏している本人が出す音は変わらないんだから曲なんて本当は何だっていいんだ。」その当時は曲の力を借りることによって自分の仮の姿をリスナーに見てもらっていたかもしれません。その人の云わんとしていることは何の曲を弾こうと自分がいないといけない、自分を見失ってはいけない、ということだったのだと思います。振り返ればプロとして都内のライブハウスで活動を始めて以来10年の月日が経ちました。そのうち7年もNYで過ごしているとは、時の流れは本当に速いですね。これからも今現在できる最高のもの、前に進み続ける気持を忘れずにロングランでジャズに接していきたいと思っています。

ソロピアノといえば、今年の夏帰国した際、実家のマイルームにてソロの録音をしました。エンジニアはなんと最近本格的録音に興味を持ち出し機材を買い込んだ父、白崎謙太郎が!実家のマイルームには8年位前にお茶の水NARUから譲って頂いたKAWAIのRX-Aがあるのですが、それがまたナチュラルで素晴らしい響きを持つ楽器なのです。なんとかこのピアノの音色を生かしたいと本格的な録音をしてみました。曲はその場で思いつくままに、日頃弾き慣れているスタンダードやジャズチューンから1テイクずつ計22曲を2日に分けて録りました。正直期待していなかったのですが、それがなんと素晴らしい音で録れている事か!その上演奏も、気負いなくリラックスしている雰囲気が出ていてとてもいい感じです。ハードなライブスケジュールが続いた後、余力を振り絞って録音したのですが、無理してまでも録っておいてよかったなぁと思います。成長過程の白崎彩子の記録の一つになりました。音も演奏内容も予想以上の出来に仕上がったので、この録音も近いうちにアルバムにしようと思っています。是非皆さんに聞いて頂きたいです。

これまで応援して下さったファンの皆さんにこの場を借りて大きな感謝を送り、2004年の幕締めの挨拶とさせて頂きます、Thank you so mush for your
support with big love!!来年は1月にNYCのCobi’s PlaceにてBud Powell, Thelonious Monk, Bill Evansの曲を中心としたソロコンサートを行います。2−3月に帰国ライブ、6月頃に2枚目アルバムリリース、発売記念ツアーと予定しています。今後も心を込めてよい音楽を少しでも多くの方にお届けできるよう頑張っていきます、これからも応援よろしくお願いします!

それではよい年をお迎えください。Happy Holidays!! 白崎彩子


「カード社会=アメリカ」   NY彩子通信 Vol.22

(Oct. 2004)

6週間に渡る夏の帰国は楽しくリラックスした日々を過ごすことができ、また1回1回のライブでは「ジャズ=瞬間芸術」の醍醐味を味わう感覚が我ながら得られ大きな収穫となりました。皆さんには演奏もよかったけどMC上手になったねぇ、と誉められました:) ライブではお客様とのコミュニケーションがとても大事で、その場の雰囲気がその場の音楽を変える力にもなっているので、私のMC術は今後も音楽と平行線となって上達していくことと思います(!?)。さて今回は音楽の話ではありませんが、アメリカでの生活で直面したクレジットカードのことについて書いてみたいと思います。(以下ですます調→である調に切り替え)

アメリカに7年もいるというのに今までアメリカ内のクレジットカードを持ったことがなかった。日本にいるときからクレジットカードの便利さ=無駄使いと、いう構図が出来ていて、便利さが逆に恐くてあまり使用してこなかった。日本では便利、分割・後払い、特典という利便性以外には使用理由がないので使わなくても問題なかったのだが、アメリカでのそれはちょっと違うようだ。上記の理由以上に本人を証明するもの、本人の支払能力を確認するもの、としての目的が重要なようだ。要するに今までカードで買ったものを期限までにちゃんと支払っているか、というのがクレジットヒストリーといわれ、ヒストリーの成績がよいと、今後ローンを組むとき、あるいは何かを契約するときなどに事が運びやすいということ。こんなことアメリカ社会では周知の事実なのだろうが、私はカードに関して無頓着だったこともあり最近なって事の重大さにやっと気づいたのだ。クレジットカードがないと本人と本人の支払能力を確認するすべがない、さらに大げさに言ってしまえばカード無しではその個人がアメリカ社会では存在しない、というおおざっぱなな自己解釈が成り立ち、持ってないことに焦りと不安を抱き始めたのである。
現に携帯電話などを契約する際はアメリカのクレジットカードを持たない海外留学生などの非移民(ノン・レジデント)はかなり苦労しているらしく、契約時に数百ドルの保証金を要求されるようだ。

夫のトムはアメリカ人なので、私が大きな買い物をしないといけないときはいつも彼のカード名義を使わせてもらっていた。でもこれだといつまでたってもAyako
Shirasaki、という存在が成り立たないわけで、最近になってやっとお世話になっているC○t○bankでクレジットカードを作ってもらった。簡単に発行してくれるよ、と知人から聞いてはいたが、切羽詰らないと行動を起こさない私は渡米7年にしてやっと、これでAyako Shirasakiはアメリカに存在しているぞ、と証明してくれるカードをゲットしたのだった。

今までスーパーでも薬局でもデパートでもいつも必要な現金を持参してキャッシュで支払っていた私は、今月からヒストリーを作らねば!と躍起になりスーパーの小さな買い物でもカードを使い始めた。始めは自らがカードをスライドする機械をどう使ってよいか戸惑う私がいたが、今となっては手馴れたもの、超コンビニエント!日本では、特に小さな店ではカードが普及してないので使う方も不便だったり躊躇があったりするが、アメリカはカード社会、些細な買い物から気兼ねなしにカードを使える。クレジットヒストリーを作る、という以外に日本同様、現在持ち合わせがないから使う、という人も多くいるようだ。あとは現金はあまり多く携帯しない、というのが常識なようだ。私も150ドル以上(たかが15000円強なのに) 携帯している時は無意識に身を引き締めていたりする。
でもカードは恐い。同じ金額でも現金払いなら我慢するかも、という商品でもスイスイ〜って買えてしまう。少しずつショッピング感覚が麻痺していく自分が既にいて、つい先日もブティックで衝動買いをしてしまったのだ。そう、どうせカードが払ってくれるから、みたいな錯覚。。一度はまった甘い誘惑からはそう簡単には脱出できなさそうだ。

No matter where you are at, カードの無駄使いに注意しましょう!

白崎彩子



“The Great American Jazz Piano Competition”    NY彩子通信 Vol.21     

(May 2004)

皆さん、こんにちは。GWはいかがでしたか?よいお天気に恵まれましたか?私はGWより一足先にフロリダにてヴァケーションを兼ねた旅行をしてまいりました。
本来の目的はジャズピアノコンペティションのファイナリストとして本選出場するためです。フロリダの北東部に位置するJacksonvilleという都市では1983年に始まったJacksonville Jazz Festivalの一環として “The Great American Jazz Piano Competition”という伝統あるピアノコンペティションが毎年行なわれています。120名の応募者の中からCD審査で選抜された5人がファイナリストとしてフロリダ・シアターでの本選に出場しました。私はイグジスタンスのCDから数曲とソロ曲で応募しました。ファイナリストの5人に選ばれただけでも誇るべき事なのですが、せっかく5人に残ったのなら優勝しなければ!と意気込みはたっぷりでした。きっと他の4人も同じ事考えていたでしょう(笑)。

審査員は第1回優勝者のマーカス・ロバーツを始め、ジョアン・ブラッキーン、ジョー・サンプル他、計5名。当日私は取りをとることに。7時開演から約2時間
半、他の演奏者を聞きながら時間を潰すのはちょっとこたえました。1500人の聴衆に囲まれての20分間のステージはなかなか迫力あるものでした。1曲がソロ、残りの2曲をベース&ドラムスとトリオで演奏し、ソロにはLennie’s Penniesを、トリオでFar Away, Aireginを弾きました。それぞれの曲の特徴など、思い描いていたものは全て出し切れたと思います。気持ちがかなり高ぶっていたので若干思った以上にアグレッシブになってしまった感はありますが。実際20分がとても短く感じられ、また瞬間瞬間を楽しみながら演奏することが出来ました。演奏が終わったとたん、聴衆からの溢れるような拍手、喝采を受けた時は本当にいい気持ちでした。結果をワクワク、ドキドキ待ちましたが、私は3位に終わりました。正直残念です。今回の1位を獲得した人はJoe Gilmanで今回が5回目の本選出場とのことです。彼の粘り強さを知り、この大会がいかに価値のあるものなのかを思い知らされました。優勝者として彼の名前が呼ばれたときには思わずもらい泣きしそうになりました。キューバ出身NY在住の若手ピアニストMauel Varelaが2位に選ばれました。1位のJoe以外は全員、出身がどこであれ現在NY在住のピアニストで、やはりNYには世界中から凄いミュージシャンが集まるんだな、と改めて思ったのでした。

私は他の4人の演奏を聞き、客観的に(自分の演奏を客観的に捉えるのは難しいが)みて、皆それぞれのスタイルを持ち、質は高かったものの、どんぐりの背比べ的な部分があったのは否めません。実際、多くの聴衆が後から「あなたが1位になると思っていたのに、残念」と言葉をかけてくれたり、4位になったピアニストもスタイリッシュな演奏で聴衆からの評価は高かったので、正直びっくりです。残念なのは審査員の方々とコミュニケーションを計る、という機会を設けてもらえず、客席に行ったときにはほとんどの審査員が去った後でした。一人地元のビッグバンドのディレクターのMichael Davisという審査員が「君の演奏の間中鳥肌が立っていたよ」と言ってくれました。「コンペティションにはいろんな要素が絡んでいるのでなかなか難しいくて。。」と言っていましたが、具体的にどんなことなのか。。

後から地元のラジオ局の人に、過去の本選出場者で優勝できなかった人のリストを見ると非常に興味深いんだよ、とブラッド・メルドー、ハリー・コニックJr.、ビル・シャーラップ等の名前を挙げていましたが、少なくとも私にとっては慰め、希望にはなりました。。
そんなこんなで、過ごしたフロリダでの4日間、アメリカに6年以上いて、純粋にアメリカの中で行なわれている大規模なジャズのソサエティーの一部として私の音楽が受け入れられたことは何よりも嬉しいですし、今後の自信につながります。また気持ちを切り替えて張り切ってやっていこう、と思っています。応援して下さっている皆さんに「やったぞー!」と嬉しいニュースをお伝えしたかったのですが、また次回、チャンスがあったら挑戦したいと思います。 

以上ジャズコンペティションの報告でした。

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♪白崎彩子 最新情報

小林武仁 作品集/ 白崎彩子 ピアノソロアルバム「Loved One」(税込¥2500)が5月末〜6月初旬に発売されます。
在米歴20年以上、現在は日本で活動中の作曲家&ベーシストの小林武仁氏の曲を全てピアノソロで録音しました。ちょっと一言では表しにくいのですが、小林さんの作品は目を瞑って聴くと木々ざわめきや風の音、潮騒、自然の香りが直接素肌に感じるような暖かな優しい気持ちになれる曲ばかりです。ただ俗にいうヒーリングミュージックとは違ってシンプルな響きの中にジャズの一ひねりが入ってますし、結構インプロビゼーションの部分があり、深い作品に仕上がりました。違うサイドの白崎彩子をお楽しみいただけること、間違い無しです。是非聴いて下さい。予約受け付け中です。下記のアドレスにお申し込み下されば、詳細は折り返しご連絡致します。 

CDお申し込み専用アドレス  ashirasaki@yahoo.co.jp


“マルコ・パナシアとの出会い” NY彩子通信 Vol.20 

(January 2004)

新年明けましておめでとうございます。2003年は皆様にとってどんな年でしたか?私はデビューCDを出すことができ、それを通して新たな人々との出会いがあり、とても恵まれた1年だったと思います。サポート、応援して下さっている皆様に感謝の気持ちを送ります。今年もさらに自分の音楽を高めるための精進、また素晴らしいもの、美しいものを見て触れて、心豊かに過ごせたらと思っています。皆様にとって2004年が健康でよい年となることを願っております。

今日は私のCD”EXISTENCE”でベースを弾いているマルコ・パナシアのことをちょっとお話しようと思います。彼はイタリア人で在米歴5年、現在はNYを拠点に非常に忙しく演奏と学校活動をこなしている若手ベーシストです。ドラムのルイス・ナッシュは説明がいらないほど超一流のミュージシャンですが、マルコに関しては皆さん、「いいベースだけど、初めて名前聞くねー。」なんて言っていたので、今回もう少し彼のことを紹介したいなと思いました。

あれは2002年の3月でした。私の母校、マンハッタン音楽院から来年度入学生のオーディションのピアノ伴奏の仕事を頼まれました。歌のオーディション、管のオーディションと来て午後にリズムセクションのオーディションがあり、その頃には受験生への気遣いなどでかなり疲れていて、ドラムのオーベッドと二人で、「眠いねー、退屈だねー」なんてぼやいていました。各受験生が試験部屋に入る前に何をどうやりたいか、私たちと簡単に話し合う時間があるのですが、マルコの時も他の生徒と同様に「うん、うん」と半分聞きしていたのです。でもこの彼、やたら気合い入っているな、とその頃から感じていました。で、演奏が始まると、いきなりのブンブンと勢いのある音で、私とオーベッドはとたんに目が覚めました。おお、これはこっちも気合いれないとついていけないぞ、と。

その時の印象は、その前が半分死んでいるような状態の私たちに冷水をパッとかけられたかのような、そんな衝撃がありました。彼が退室した後、私とオーベッドは「今ので完璧目が覚めたねぇ。」とうなづきあったのでした。これがマルコと初めて会って共演した時のエピソードです。その後、その年の9月に別のリーダーのライブでたまたま彼と共演することになり、半年振りに再会、再演をしました。その時はミュージシャン全員がプロということもあり、前ほどの驚きはありませんでしたが、やはり相手の音を敏感にキャッチして下からドスコイ、と支えるような安定したベースで、ソロになると華麗にフレーズが舞っていました。マルコはその頃マンハッタン音楽院に無事、奨学金生として入学してまもなくのときでした。その前にバークリー音楽院に行っていたらしく、ボストンやバークリー内では結構活躍していたそうです。その後、NYでもたちまち忙しいミュージシャンの一人に仲間入りし、今では彼のウェブサイトでもお分かりのようにほぼ毎日ギグをこなしています。

今年初め、私の初レコーディングの話が出た際、リズムセクションの選択、特にドラムは紆余曲折があったのですが、ベースは数人の候補者の中から日程的やその他の条件を満たしてくれそうだったのがこのマルコでした。彼もルイス・ナッシュとの共演もできるということで、かなり意気込んでいましたし、今振り返ってとってもいいセッションレコーディングだったと思います。二人ともおおらかな人柄でナーバスになっていた私の気持ちをうまく解きほぐしてくれたのが印象的です。

CDの写真を見ると、みな口をそろえて(年齢的に)中堅ミュージシャンだと思っていたようですが、マルコは私より年下、まだまだ若手の域の新進ミュージシャンです。そんな彼と来年の3月初旬に2週間の日本ツアーをする予定です。今回は関東、東海、中部、関西と前回より規模を拡大してツアーします。彼も2度目の日本上陸を心から楽しみにしているようです。これからどんどん忙しくなって私など相手にしてくれなくなってしまう前に、思い切り日本でマルコちゃんを振り回したい(?)と思っています。どうぞ次回のライブを楽しみにしていて下さい。。

白崎彩子 ウェブサイト http://www.ayakoshirasaki.com
Marco Panascia ウェブサイト http://www.marcopanascia.com


“Music in USA vs. Music in JAPAN” NY彩子通信 Vol.19 

(November 5 ,2003)

皆さん、こんにちは。8月以来の彩子通信です。夏から秋にかけて6週間程日本に帰り、CDリリースのライブツアーをしましたが、皆様の応援のおかげでどの場所でも本当にいいライブが出来たと思います。長いこと応援して下さっている方、また今回のCDを通して初めて生演奏を聞きに来て下さった方、どうも有難うございました。今回の日本滞在は凝縮された時間の中でやることが沢山あったため、充実した毎日でしたが、ある意味、非現実的でもありました。NYに戻りまたマイペースな日々を送っています。

最近日本とアメリカを行き来して、感じたことがありました。日本でライブをやるときは、私にとっては限られた日程の中で集中していいライブをいいメンバーで、という気持ちでやっていくので、演奏内容、お客様とのコミニュケーション、ピアノのコンディション、ライブハウス主催者側の熱意、など何をとっても密度の濃い、充実した内容のライブをさせて頂いていると思います。

その反面、NYでは実にさまざまな内容の仕事が入ってきます。決して毎回ベストのシチュエーションとは言いがたく、キーボードとアンプ持参でレストランでのBGMや歌判仕事、ピアノが店にあったとしても調律はひどく、鍵盤が調整されてないため弾くことによって逆に手を痛めてしまうような仕事もあります。仕事の内容はジャズに限らず、合唱の伴奏も引き受けます。また小・中学校にプレゼンテーションするためのタップダンスのオーディションでの伴奏もします。

つい先日、ジャムセッションで私の演奏を聞いて気に入ってくれたドラマーに、彼のバンドが毎週ハーレムでリハーサルをやっているので、一度参加してみないか?ということだったので、半信半疑で行ってみました。残念ながらそのバンドはアマチュアの域を越えていない、やっていてちょっと辛いものがありました。でもそこで私が感じたのは、この人たちはこの音楽・状況の中なりに一生懸命やっているということ、レベルは低かったものの、音楽が心底から好きだ、という気持ちが伝わってきました。なので、そのリハは今回限りと決意しつつも、どこかで楽しい部分、人間的な部分を見い出そうと努力しました。

まさに、内容もギャラもピン・キリの世界ですが、ひとつだけ言えることは、音楽が気取りや、建て前抜きに日常に浸透していることです。これはミュージシャンに限らずアートやダンスの世界でも言えることだと思いますが、いい意味で音楽が垣根の高くない場所に存在しているので、ミュージシャン達は、たとえ一流からアマチュアまでのレベル差があっても、実際ランクを超えた付き合いが出来ているのだと思います。

どんな出会いも大事にする、これが音楽家以前に人間として心に留めておきたいことです。そんな訳で今日も素敵な出会いを楽しみにしつつ仕事に行ってまいります。

白崎彩子  http://www.ayakoshirasaki.com


“Jazz Summer Program in Aspen" NY 彩子通信 Vol.18

(August 3, 2003 Up Dated)

暑中お見舞い申し上げます。お元気でお過ごしですか?
私はつい先日10日間のジャズ夏期講習 in アスペンから帰ってきたばかりです。 アスペンはコロラド州のロッキー山脈に位置し、スキー場で有名です。夏は避暑地として賑わい、山や緑に囲まれてのんびりとリラックスできる格好の地です。クラッシックが主の音楽祭の場としても有名です。さて、そんなジャズとはちょっとかけ離れた土地で、オーディションに合格した22名の受講生は、個人のジャズ愛好家達からの多額な寄付金から成り立つこのプログラムで、全奨学金制度という恩恵を受けて10日間のジャズに浸りきった日々を過ごすことができるのでした。それにしても生徒一人当りに1万ドル(約120万円)の費用がかかっているということですから、規模の大きさにびっくりしてしまいます。

スタッフは計10名ほど、講師陣は8名、びっしりとタイトなスケジュールに追われながらの日々で、忙しくも充実した日々でした。講師陣はミュージック・ディレクターのクリスチャン・マクブライド(ベース)を代表に、今年はサイラス・チェスナット(ピアノ)、グラディー・テイト(ドラム、ボーカル)、テリル・スタフォード(トランペット)、ジェームス・カーター(サックス)、スティーブ・デイヴィス(トロンボーン)、アラン・ハリス(ボーカル)、ローレン・ショーエンバーグ(サックス、歴史)と豪華な顔ぶれ。彼らのコンサートや、ワークショップ、ジャムセッション、など普段なかなかお近付きになりにくいワールドクラスのミュージシャンに演奏を聞いてもらったり、個人的なアドバイスをもらったり、対等に話したりできる絶好の機会でもありました。生徒はほとんどが20代前半の大学生、古いスタイルのサックスを渋く吹く最年少17歳の高校生も注目を集めていました。大学院卒で私の年に近い生徒も何人かいたので、それほど年齢差を感じずにすんだのが幸いです(^ ^; ホーンプレイヤーで光っている生徒を何人か見受けましたが、リズムセクションはちょっと期待外れ、特に始めに3つのグループに分けられ、そのグループ毎でのリ
ハーサルや、コンサートばかりだったので、ちょっと欲求不満でした。

ピアニスト、サイラス・チェスナット(NY在住のベーシスト、中村健吾氏も数年サイラスのグループで活躍した)はとっても真剣に私たちの演奏を聞いてくれ、私がバッキング(ホーンプレイヤーが多いので伴奏している方が多かった)をしていると、スーっとピアノの傍に来て、小声で「もっとこうした方が言いよ」とかアドバイスやデモンストレーションをしてくれました。彼はしきりに「演奏が機械的にならないように」「ギアやシフトを時にはピアニストが変えて、常に音楽が先に進むように意識する」など「音楽の全体像を常に考えての演奏」の大切さを教えてくれました。また、ピアノの生徒だけのレッスンでは、彼の素晴らしいハーモニックセンスを生かした、リハモニゼーション(曲に付随する規定の和音を変えること)やバッキング(リズムセクションの一人としての伴奏)についてのとっても内容の濃い時間を過ごしました。普段、自分だけで練習したり音楽の事を考えていると、知らず知らずのうちに自分ができることだけに限定された内容になってしまいますが、こういう機会に、他のミュージシャンの音楽に対する捉え方が垣間見れてそれは興味深かったし、自分に取り入れられそうなものは新しい要素として消化、吸収していきたい、という気持ちになれたのが何よりの収穫だったのではないかと思います。トロンボーンのスティーブ・デイヴィス(チック・コリアやフレディー・ハバードのグループで活躍中)とはある夜、ホテルのロビーでデュオでセッションする機会に恵まれ、彼は私の演奏をとっても気に入ってくれました。

私たち生徒はアスペンの町のレストランやクラブでのライブもしましたが、何といっても多額のお金を寄付して下さった大金持ちのご夫婦宅での演奏会、これがなんとも風変わり、ミスマッチで思い出深いです。とにかくアスペンはお金持ちが沢山住む避暑地で、山の景色が壮観できる地に大豪邸を建て、シーズンの時だけ住む、といった私たちとはかけ離れた生活をしている人が沢山いるんです。私たちのグループもとある豪邸で演奏会をしましたが、豪華すぎて、逆に落ち着くことができませんでした。NYからわざわざ一流シェフを呼んでのパーティー。噂によると過去にマライヤ・キャリーがお忍びでそのお宅を1週間5万ドル(約600万円)で借りたそうです。 凄い世界です。でも、こんな形で大富豪達と私たち貧乏ミュージシャンとの接点ができたのもこのジャズプログラムのお陰です。今回の講習の写真をHPにアップしたので見に来て下さい。

さあ、また現実に戻って、今度はCD発売や帰国ライブに向けての準備です。皆さん、8月20日発売の白崎彩子デビューCD “EXISTENCE”を是非聴いてください!タワーやHMVなどのオンラインショップでも予約受け付け中です。詳しくは私のHPを
ご覧ください。

それでは楽しい夏をお過ごし下さい。もうすぐ日本でお会いできるのを楽しみにしています。

白崎彩子 http://ayakoshirasaki.com


"アメリカ医療保険" 彩子通信 vol.17

(June 5, 2003 Up Dated)

さて今回の彩子通信は前回で予告した通り、アメリカの医療制度についてお話したいと思います。仕組みははっきりいって複雑です。私もちゃんと理解しているとはいえませんがあくまでも私の体験上わかる範囲で書きたいと思います。

アメリカは日本のように国の健康保険がないので、個人が民間の保険に加入しなくてはいけません。会社に勤めている人や学生はベネフィットとして自動的に加入できるようですが、私のようにフリーランスだと自分で自分の身を守らないといけないのです。医療保険は掛け捨てで、最低でも月200〜300ドル(年収や保険の種類によって変化する)するのでミュージシャンの中には保険なしで凌いでいる人も少なくはありません。高いとはいえやはり健康な体が一番大事ですし、止めることはできません。年老いて収入もないミュージシャンを援助している“Jazz Foundation of America”という素晴らしい民間団体も存在しています。医療制度がこれまたやっかいで、行きたい病院にいつでも行けるわけではなく、自分の登録している主治医のいる病院にまずアポをとってその後、紹介状をもらって個々のスペシャリストにみてもらうという仕組み。この紹介状がないと全て自己負担になりとんでもない金額を要求されてしまいます。(注 月々の掛け金が高い保険の中には紹介状なしでアポを取れるものもあるようです)診察が済むとそれぞれの医療保険で決められているco-payといわれる一定の金額を払います。これは診察内容にかかわらず一定です。大体5〜20ドルくらいのようです。

先日主治医の病院へ行き、胃のスペシャリストとカイロプラクターの紹介状を書いて欲しいと要求しましたが、カイロの方はあえなく却下。どうやらドクターは一般的にカイロプラクターを似非ドクターと思っているらしく信用していないようです。あいつらは客のちょっとでも悪いところをみつけて商売を維持してるんだから、とあっけなく言われ、反発できず。どうやらカイロの病院もアメ
リカの医療保険制度ではお金を請求しずらいと分かっているらしく、もっぱら海外旅行保険を対象にやっているようです。だから、海外に(アメリカ)留学で来ている外国人などが海外旅行保険の恩恵を受けて、ただでカイロの治療を受けているのに、もっと高いお金を払っているアメリカ市民が自腹で行かないといけない、という変な構造になってしまっているのです。附に落ちませんがこれが現状のようです。職業柄、もっと自分の体のことをよく理解して根本から治したいので、一度体のどこが歪んでいるのか診てもらいたいのですが、私にとっては保険対象外の治療のようです。

とにかくどこか具合が悪くてもまずは主治医の病院にアポをとって紹介状を書いてもらい、その後スペシャリストの病院にアポを取るという仕組みなので実際診てもらう日には症状が軽くなっていたりあるいは更に重くなっていたりとタイミングを逃すこと必須です。去年はこんな事もありました。婦人科系で心配な症状ががあったためなるべく早く診てもらいたいといろいろな病院に予約状況を聞いたのですが、イマージェンシーの症状でないのなら予約が3週間や1ヶ月先だったりして、まったく取り合ってくれません。
結局私の電話口での症状の説明不足や押しが足りなかったらしく、トムに代わりに話してもらったらあっさり3日後に予約が取れてしまったんです。英語で言いたいことも説明できない自分が情けなかったです。

昔は病院に20年もかかっていないことを自慢にしていましたが、家族や親戚など身の回りでちゃんと定期検診していればこんなことにならなかったのに、というのを実際に見てきてしまっているので、それ以来、自分の体調には敏感になりました。痛いのを我慢するのは偉いと思いますが、我慢しすぎはよくありません。ちょっと怪我したり具合が悪いくらいで痛い痛いと周りを巻き込むくらいがちょうどいいようです。

私の目標は病気にならないように精神、気力を養うだけでなく体力をつけることです。ミュージシャンはいってみればスポーツ選手と同じで強い体力と精神力を持っていないと続かない職業です。もちろん自然現象の老化には反発できませんが、その年齢年齢で持ち合せている力を最大限引き出せるような日常生活を送りたいものです。こんなこと書いておきながら、ウォーキングなどのエクササイズは寒いから、雨が降っているから、暑いからとなかなかやらないし、食生活も気をつけようとはしていても矛盾だらけだし、だめなところだらけです。

話は変わりますが、8月20日発売のCD"EXISTENCE"の制作は順調に進んでいます。9月から10月初旬にかけて発売記念ライブ(今回はちょっぴり遠出もします)で帰国します。詳細は追ってお知らせしますが、その時、皆さんのお元気な姿を是非見せて下さい。

白崎彩子

http://www.ayakoshirasaki.com (ドメイン取りました!ブックマークの変更お願
いします)



“食パンとの出会い” NY彩子通信 Vol.16

(May 11, 2003 Up Dated)

日本は花のゴールデンウィークが終りましたね。お天気もよかったようでなによりですが、どこかに出かけてエンジョイされましたか?私は一足先にボストン近郊(トムの実家)に行きバケーションを楽しんだので、今はまた日常に戻り、雑務をこなす日々です。

CDの発売が8月20日に決まり、着々と準備をしている段階です。入れたいトラックを決め、ミキシングもほぼ終りました。現在はアルバムジャケットの制作や中に入れる文章の翻訳作業などに追われています。細かい作業が多いとはいえ、やはり自分のアルバムですし、少しずつ形になっていくのを楽しみながらやっています。9月中旬よりCD発売記念のライブのため帰国します。どうぞその節はライブにお出かけ下さい!

NY生活もあっという間に6年目に入ってしまいましたが、いまだに馴染めないものの一つにパンがあります。よくベーグルは手頃だし種類も豊富なので朝食用に買いますが、食パン系のものでこれだ!というものに出会ったことがありません。こちらでは白い食パンより胚芽が入った中身のぎっしり詰まった系のパンをよく見かけますが、これもたまにはいいのですが、なんかパサパサしていて飽きてしまいます。だからといってよくスーパーに売っているビニールに入った柔らかい食パンはなんだか妙に柔らかくて食べる気がしません。結局私の求めているのはシンプルだけど素材の味が生きている日本の食パンなんです。そうです、実家がパン屋をいうこともあり、パンには人一倍うるさいのかもしれません。

マンハッタンは本当に何でも手に入る便利な場所で、日系のスーパーもよく見かけます。特にイーストビレッジには日系スーパー、レストランが集中していてちょっとしたリトル東京と化しています。自宅から結構不便なので最近はあまりいく機会がありませんでしたが、最近イーストビレッジにあるその名も「PANYA」で普通の食パンとレーズン入りの食パンを買いました。食べた瞬間「これだ!」と思いました。何もつけなくてもパン自体がいい味で、ちぎれ具合もいい感じで弾力性があって、もちもちっとした食感。ちょっと誉めすぎですが、こんな日本ではどこにでも手に入る何でもない食パンになかなか出会えなかったのです。おいしいパンは(菓子パンや調理パン以外で)トーストして薄くバターを塗るだけで満足なのです。クリームチーズをごってり塗ってごまかす必要はないのです。最近はこの食パンでピザトーストをするのがマイブーム。日本にいた頃、よく母が日曜の朝に作ってくれました。これは私にとって日本の味、ソウルフードの一つなのかもしれません(ちょっと大袈裟かな?)。だから最近はイーストビレッジに行ったらまとめ買い。すぐ冷凍して、食べる分だけを解凍して大事に食べています。

それにしてもNYはもともと東京に似ていて何でも手に入る便利な街だし、最近では地球上どこにいてもインターネットやメールで簡単に情報交換ができる、おまけに日本食レストラン、スーパーにも困らないといったらNYにいるという特別の思いが薄れがちです。よいところもわるいところも含めてNYにいるという意識をしっかり持つことが、日本を故郷に持つ私にとっては大切なことなんだと思います。思っていながらもだらだらと日々を過ごしてしまうんですけどね。

次回はアメリカの医療制度について私の体験からお話したいと思います。

白崎彩子



"Identity in Music" NY彩子通信 Vol.15


(February 28, 2003 Up Dated)

今年のNYは今まで私の生活してきた中で最も寒い冬でした。毎日曇り空で時折雪が降り、なんだかこんな暗い気候はNYの雰囲気や人種にあいません。早く春の訪れが来ないかと待ち焦がれています。最近NYはイラクとの戦争の反対運動やテロの可能性などで厳戒体勢に入っています。ミッドタウンやダウンタウンに行く時は嫌が上にも緊張してしまいます。恐くても日常の生活を送らなければならないので市民にとってはやりきれません。

さて、今回は応援して下さっているファンの皆さんや友人に嬉しいお知らせがあります。2月初旬にNYでピアノトリオのレコーディングがありました。私にとってリーダーアルバムのスタジオ録音は遅れ馳せながら初めてのことなのです。スタジオでのレコーディングではいろいろな意味でライブとは違うので、1月はそれなりに準備に時間を費やしてきました。若手のMarco Panascia (bass), ベテランの Lewis Nash (drums) の強力なサポートを得て自分の今ある姿、力を出し切れたと思います。詳しくはレコーディング報告記をお読み下さい。8月に日本国内にてデビューCDとしてリリースされる予定です。是非お楽しみに。

今、日本でもアメリカでもヨーロッパでも新人ミュージシャンが続々と出ています。今まではアルバムを作る側の立場でCDを意識して聴いたことがなかったんですが、一体いいアルバムって、音楽ってなんなんだろう?と非常に初歩的な疑問が沸きました。若手からベテランまで、プロからアマチュアまで猫も杓子もCDを簡単に作れる時代になりました。中にはさっと一度聞いただけでお蔵入りのものも結構あったりします。そんな中、リスナーの心に焼きつけることができる魅力的なCD(音楽)とはどんなものなんでしょう?

リスナーにはそれぞれ、その人の趣向があります。スイング系が好きだったりモダンが好きだったり、癒し系が好きだったり、あるいはアグレッシブなものが好きだったり。いくらミュージシャンが一人よがりの音楽でなく多少でもリスナーを意識して歩み寄ったとしても、そのミュージシャンの持つ個性、カラーというものを失ってしまったらなんの意味もないと思うんです。それなら、別に「白崎彩子」でなくってもいいわけで。

よくジャズ(特にボーカルなしのもの)は一般の人には難しい音楽だと敬遠されます。確かに、インプロビゼーションが曲の大部分を占めているのでけっして耳馴染みのいいわかりやすい音楽ではないと思います。でも、そのミュージシャンのやっているジャズを全て理解する必要なんかないと思うんです。大事なのは聞いていて、気持ちがゾクゾクするとか、安らぐとか、引き込まれるとか、何かその人の心に訴えかけるものがあればその時点で、ミュージシャンとリスナーとの垣根というのはなくなったと考えていいと思います。これはジャズに限らずどんな音楽や芸術でも言えることですよね。そんな中でジャズが好き、というリスナーはジャズの特徴ともいえる、即興、グルーヴ、特有のハーモニー、メロディーラインなどに惹かれて、ジャズを支持してくれていると思うので、これらの要素をいかに高い芸術性を持ちつつ、自分の言葉で表現できるか、これが大切だと思うのです。

ミュージシャンにとって音楽に自己のアイデンティティーを持つというのは非常に大切です。私は最近の若者のCDをあまり進んでは聞きません。もともと新しいものに疎いということもありますが、そういうものに気になってばかりいると、まだ自己のアイデンティティーが確立しきれていない私はすぐに、いい意味でも悪い意味でも影響されてしまって、自分が自分でなくなってしまったような演奏になってしまうんです。でも昔に比べると、自分は何がやりたいかというものが今やっと少しずつ見え始めてきたので、たとえ新しいものを聴いてもだいぶ動じなくはなってきましたが。自分が出来ないことを人がやっていたとしても、それはその人の個性、自分は自分の個性で勝負というように割り切って、また他人のやっている素晴らしいことは評価して、いい意味で影響されるようになりたいと思います。

なんだかこのまま書き続けたらとりとめのない文章になりそうなので、今日はここら辺にしておきます。

今回のアルバムはこんなことを考えている私が今の自分に正直に、一つ一つの曲に思いを込めて作りました。音楽は演奏する人と聞く人がいて初めて生きた作品となると信じています。多くの方とその感動を分かちあえたらこれほどの幸せはありません。

白崎彩子


“もうすぐ日本” 彩子通信 from NY vol.14


(11.22.02)

(October 24, 2002 Up Dated)

お元気ですか?NYもすっかり寒くなって来ました。先日近所のビルで大火事があったのですが、この寒さの中で何十人もの住人が家を失ってしまい、気の毒でなりません。たばこの不始末が原因だったそうですが、こんなちっぽけなことで多くの犠牲者
は彼らのすべてを失ってしまったという事実は決して軽視できるものではありません。冬は乾燥しているので特に火の元には注意しなければなりませんね。

来週末にはトムと一緒に一時帰国します。CDの方もティムコリンズとのデュオのCDとAyako Live (去年もう買って下さっている方もいますが、これはジャケットを付けた改良バージョンです)の2種類がいろいろ苦労の末、ようやく出来上がりました。本当に苦労しました!マスタリングやデザインから業者のやり取りまで。とりあえずは限定発売ということで12月のライブの際にお求めできるようにするつもりです。近々HPからでも購入できるようにセットアップしていく予定です。

HPといえば、10月12日の起ち上げ以来、暇人の私はとりつかれたように更新したり、校正したりしていました。インデックスも増え、なんとか「らしく」なってきたと思うんですが。久々の方は是非この機会にチェックして下さい!

今回の帰国はライブも大事なんですが、12月4日の母の1周忌がメインです。早いものでもう1年もの月日が経ってしまいましたが、母への気持ちや思い出は前と変わらずしっかりと私の心の中にしまってあります。時々母の夢を見るのですが、去年の闘病
している母しかまだ出てこないんです。早く、それまでの逞しく、優しく、美しかった母が現れてくれるといいんですけど。

ちょうど暮れからお正月にかけての帰国となったので、家族とものんびりしたいし、日本独特の雰囲気を充分楽しめることでしょう。皆さんとライブであるいは別の機会でお会いできることを本当に楽しみにしています。

それではお風邪を召されませぬよう。See you soon…

白崎彩子




「Peaceful Sunday」   NY彩子通信 Vol.13.


(October 8, 2002 Up dated )

静かで平和な朝を迎えることが出来るのにこれほど感謝したことはありません。平日は相変わらずアパートの目の前で行われているコロンビア大学のビル工事で私たちのクオリティーオブライフ(QOL)は最悪です。今年の春先から始まった岩堀作業も大詰めに近づき、今は最後のひと踏ん張りの如く3台のクレーン車が一斉に悪夢の狂想曲を猛奏しています。

またまたしばらくご無沙汰してしまった彩子通信ですが、日本の皆さんはいかがお過ごしですか?今年は猛暑だったようで、大変でしたね。一人でベーカリーを切り盛りしている父も今年の夏は厳しかった、と嘆いておりました。私は何していたかな?あっそうそう、7月はカナダのモントリオールとケベックシティーへ夫のトムと旅行してきました。モントリオールは近代的でしたが、人々はのんびりとしていてフランス語訛りの英語で親切に対応してくれました。あいにくモントリオールジャズフェスティバルの終わった直後に行ったのでいい音楽には巡り合えませんでしたが。ケベックシテイーはヨーロッパ調の古い城下町で、それぞれの建物がカラフルにペイントされていたりと、とても可愛らしい町でした。この旅行ではすさんだ気持ちになりがちのNYでの生活を忘れさせる、心豊かになれる何かを与えてくれました。

音楽的活動では、前回の彩子通信でお伝えした、9/11救援プログラムのミュージックカウンセラーとして毎日NY5区を駆けずり回っていましたが、残念な事に私の入っているエージェンシーがこの活動を止めてしまい、8月末をもってカウンセラー全員がクビになってしまったのです。こちらNYでは何の前触れもなしにいきなり仕事がキャンセルになったり、解雇されたりが、日常茶飯事であるというのを聞いていましたが、まさに実体験してしまいました。「一寸先は闇」とはこの事です。9月に入ってからはすでにブッキングしてあった老人ホーム、病院の仕事がすべてキャンセルになったため、始めのうちは怒り、落胆の気持ちで途方もなく時間を持て余していましたが、気を取り直してこの機会に練習しよう、と心に決め、日中はコロンビアが提供する3畳程の練習室にこもってさらったり作曲したりしました。(クラッシック時代はよく「さらう」という言葉を使っていました。なんだかこの響き、
好きです)それまでは毎日数カ所の老人ホーム等で演奏して、帰ってきたらバタンキューの生活が続いていたので、自分のレベル維持(レベル向上と言いたいところですが)にはこんな時間が必要だったのかもしれません。

とにかくそんな感じで9月以降はまたフツーの貧乏ミュージシャンに戻っています(笑)。
マンハッタンでは日米で精力的に活動しているベースの中村健吾さん、元エルビン・ジョーンズバンドのべーシスト、スティーブ・カービー、ベイシー楽団出身のサックスプレーヤー、ハロルド・オーズリー、マンハッタン学校出身の若手ホープ、バイブ
のティム・コリンズらのバンドで演奏しています。先日ティムとマンハッタンから車で6時間くらい離れているNY州のプラッツバーという町でデュオのコンサートをしてきました。彼とは、音楽的な好みが似ていて、お互いのレベルを高め合うことができる数少ない音楽的パートナーです。この時のライブレコーディングをじきにCDにする予定です。
詳細は追ってご報告しますね。最後になりますが、12月の始めに1ヶ月の予定で帰国することになりました。都内でのライブもいろいろ予定していますので、その時に皆さんにお目にかかれるのを楽しみにしています。

それでは皆さん、実りの秋となりますように

白崎彩子


「Project Liberty」 NY彩子通信 Vol.12

(June 25, 2002 Up Dated)

日本は梅雨の季節に入った頃でしょうか?うっとうしい気候は嫌ですね。NYは肌寒かったり雨が続いたりしていましたが、いよいよ夏の兆しが見えてきました。


NYでは6月半ば過ぎからいたるところでサマーフェスティバルが開催されます。大きいところではJVCジャズフェスティバル、このフェスティバル目指してわざわざNYに観光に来る人も結構います。それに、セントラルパークの野外ステージで行われ「Summer Stage」、これは無料の催し物で世界中の音楽が楽しめます。ダウンタウンの川沿いでも何かしらほぼ毎日音楽が楽しめるようです。NYに長く住んでるといつでもまた行けるや、と思いついついおいしいイベントも行かずじまいってこと、よくあるんです。観光で来る場合は限られた時間を出来るだけ充実させたいと意気込むので、こちらに来る友達皆とっても精力的です。見習わなくては。

先週の土曜日はハーレムに1年前にオープンした素敵なレストラン「Sugar Hill Bistro」でピアノトリオで演奏しました。去年の夏の彩子通信で書きましたが、ウィントン・マルサリスがオープン記念で演奏したお店です。ハーレムによくあるジャズが聞けるソウルフードの店とはちょっと雰囲気が違って、3階建てブラウンストーンをおしゃれに改造して1階はステージ、テーブル席、バー、2階ではすべてテーブル席でしっとりとお食事が出来るそうです。値段は決して安くはありませんが、フレンチでどれもとても繊細でおいしいんです。アメリカでもこういうのあるんだー、と本当の高級料理店に行った事の無い私は感心してしまいました。ミュージックチャージは無いのでトータルで考えると手頃かもしれません。客層は高級レストランだけあって品の良い黒人、それに私たちの知り合いの日本人も何人も来てくれました。 リーダーはNYで活躍中の日本でも人気のべーシスト、中村健吾さん。健吾さんはとっても前向きで明るい性格で、ベースもハッピーでアコースティックなとても良い音を持っています。ハーレムのど真ん中で日本人2人と白人のドラマーの織り成す音楽をブラックアメリカンが耳を傾けて聞いてくれるのはちょっと複雑ですが嬉しい事で
す。肌の色なんて関係無いと思いたいのですが、やはりジャズは黒人が生み出した音楽ですからね。お客さんの中にドラマーのジョー・チェンバースがいて私の演奏をあとで誉めてくれました。「レイ・ブライアントが弾いてるのかと思ったよ」と言われましたが、ん?レイブライアントほとんど聞いたことないんです…
http://www.sugarhillbistro.com/ (レストランのHP)

NYでは9月11日のテロで多くの犠牲者が出ましたが、家族を失って精神的に参っている人、復旧作業にずっと携わってきた人、仕事を失った人、子供の事が心配な親、などNY市民は少なからず何らかのダメージを受けています。そこで政府が「Project Liberty」という人々の悩みや苦しみを聞いてあげるようなカウンセリングシステムを始め、多くのカウンセラーが雇われました。実は私もそのプログラムのカウンセラーの仕事をしています。どうして英語もままならない私が?とお思いでしょうが、音楽療法として主にバンドで学校、病院、老人ホームなどをまわって演奏しているんです。でもこのプログラムの趣旨は音楽さえ演奏していればいいわけではなく、テロにまつわる事やその後の心の変化などを話し合ったりする事なのでそう容易い事ではありません。トランペッターのリーダーは演奏はともかく、20年以上のセールスマンとしての実績を生かして(!?)それはそれは巧みに話と音楽を展開していくんです。ではアヤコも一言、とリーダーから振られてしまうと緊張で半分固まってしまいます。

聴衆の反応は場所によって全く違うので面白いです。老人ホームでは車椅子のおばあちゃん、おじいちゃん達が参加するのですが、演奏前は半分天国に行っちゃってるんじゃないの?と思われるような人も、音楽が始まると歓声だか奇声だかわからないような声をあげ反応したり、手を空中で舞うようにしてリズムを取ったり、音楽の力って凄いなーと思います。最近は住む場所が無い戦争経験者のためのシェルターでも活動しています。それはそれは様々な変った人が住んでいるし、戦争のトラウマなどで普通の生活には戻れなくなってしまった人などもいます。正直始めは行くのが恐かったです。戦争で精神的にダメージを受けたりした人にテロの事を話すのは結構勇気のいる事だと思います。でもそこはリーダーの巧みな話術で次第に人々は気持ちが解れ、それぞれの思う事を話
すようになり、最後には笑顔で帰っていくんです。これも合間合間にクッションのようにジャズ演奏を挿んで人々の気持ちをほぐしているからだと思います。先週行ったブルックリンにあるブラックコミュニティーの公立小学校ではちょうど6年生の卒業パーティーと時間帯がぶつかり、私たちが行うべき講堂には誰も来ず、生徒達は学校の中庭でプロのDJを雇い、鼓膜が破れんばかりのボリュームでラップの音楽をかけて踊っていました。時代は変化してますねー。でも私たちのリーダーは物怖じもせずそのラップを止めさせて数曲演奏しました。子供たちからもそこそこ反応ありましたよ。リーダーは仕事を取るためならどこへでもと意気込み、今度は刑務所だ!と興奮しています。どうやら本気みたいです。クワバラクワバラ…

白崎彩子



「Greetings from New York」    NY彩子通信 Vol.11

(May 14, 2002 Up Dted)

しばらくご無沙汰しておりました。昨年夏以来の彩子通信です。皆さん、いかがお過ごしですか?私は昨年末母が亡くなったり、音楽以外の事で何かと大変な1年でした。精神的にも結構ダメージの大きかった1年でした。2月に約半年ぶりにNYに戻ってきたのですが、3月末には実家の事情や自分の病院通いなどで日本にまた舞い戻ったりと実にバタバタしていました。やっと諸々の事が解決しまして4月半ばに、NYに戻ってきました。今後はしばらくNYで落ち着く事になりそうなのでまた新たな気持ちで頑張っていきたいです。今、彩子通信をコロンビア大学の図書館で書いています。というのは、以前の彩子通信でも書いたんですが、私たちの住むアパートを取り囲む空き地にコロンビア大学が新しく寮と学校を建てることになり、付近の住民による反対運動も虚しく今年2月から建設が始まってしまったんです。ところでNYは岩でできているって知ってました?実は3ヶ月経った今も岩を大きなドリルみたいなもので掘り起こす作業がずっと続いているんですがその音量ったらないんです。朝8時から夕方4時半までまるで戦争す。実際騒音が凄すぎて普通の生活ができないなんですよ。電話は聞こえない、テレビも大音量にしてやっと何言っているのか理解できる、耳栓はもう必須アイテムです。これでは昼間は音楽どころじゃないんです。旦那のトムは家で翻訳の仕事をしているのですが、これでは全く集中できません。そこで、コロンビアの関係者に苦情を言って何とか静かに仕事が集中出来るような場所とピアノやギターを練習できる部屋を確保してほしいと頼み込み、今週からコロンビア大学内のすべての図書館を利用していい事になりました。練習室に関してはいまだ検討中とのことです。早く何とかしてくれ!!
お陰で、昼間は天国のような静かな環境で勉学に励む事が出来ます(!?)ここ音楽とアート専用の図書館は、持ち出しはできないものの、CD、レコード、DVD等が自由に聞けるので何かと便利そうです。今回の建設で工事のない週末は静かでなんて平和なんしょう、と当たり前の事に感謝してしまい、私たちにとっては非常に深刻な問題となっています。真剣にどこかにエスケープできないかと引越しも含めて考えているんです。

さて、音楽生活in NYですが、そんなに甘いもんじゃないですね、NYは。ほぼ1年こちらで安定した音楽活動をしていなかったわけで、音楽に限らず新旧常に入れ替わりの激しい忙しい街ですから、帰ってきたからってまた仕事が簡単に舞い込んでくるわけではありません。とにかく連絡をまめに取る、出歩く、そして常に、「私ここにいますよー、アベイラブルですよー」と存在をアピールしないといけないんです。まあ、東京も同じですよね。もともと出不精で度胸が無い私にとって足取り軽く行動するのは簡単な事ではありません。でも少しずつでも前に進まないと。Keep moving forward!!

ここ2週間で大事な人が2人も亡くなってしまいました。毎週月曜に行われるミュージシャンユニオンのジャムセッションでリーダーを務めていたドラマーのジーン・ガードナー。とっても明るく楽しい人でした。奥さんの祥子さんは結婚5年弱でいつも寄り添ていた最愛のだんなさんを失ってしまって本当にお気の毒です。ジーンは私の母と年も近かったことや、病因が母と同じくガンだったという事もあり複雑な気持ちです。彼の家に招かれてサンクスギビングデーを過ごした、というのを以前彩子通信に書きました、覚えてますか?もう一人はタップダンサーの大御所、バスター・ブラウン。2年ほど前からNY在住ピアニストの三上クニさんのトラでタップダンスのジャムセッションで演奏しているのですが、バスターはそこで司会進行をしていまして、88歳という高齢にもかかわらずお元気そうでした。最近はダンスの方はされていませんでしたが、いつもステージの椅子に座って歌ったり音楽に合わせてスキャットしたり皆を楽しませていました。私はあまりタップダンスの世界は詳しくないんですが、彼が若い頃はキャブ・キャロ
ウェイ楽団の専属ダンサーだったり、ソロイストとしてエリントン楽団、ベーシー楽団、ガレスピー楽団等と各地で公演したそうです。とにかくバスターを慕って下は4歳の子供から上は60代くらいの人までいろんなスタイルのタップダンサーが集まります。リズムセクションはピアノトリオ。ダンサーは各自踊りたい曲をその場でリクエストして、こちらは素早く彼らのテンポに合わせて曲を始めないといけません。スイング系のダンサー達は大概昔懐かしのスタンダードをリクエストするので簡単ですが、黒人の若者はファンク、ヒップホップ系が好きみたいでこちらも状況に合わせてスタイルを変えていかないとならないので結構大変です。でも、一緒にやっていて楽しめるダンサーと、辛いのとはっきり分かれますね。うまいダンサーというのは本当に軽やかな音色を出すんです。リズムもクリアでスイングしています。出す音がただリズムだけでなく歌のように聞こえてくるんです。下手な人はただ、どたばた音だけ大きくて乗ってないんです。ここらへんは私たちミュージシャンにとっても勉強になります。NYはタップダンスがとても盛んで、ジャズの様に多くの才能のあるダンサーが世界中から来ます。今の季節はタップダンスのフェスティバルも盛んみたいで、今週末はハーレム・ジャズダンス・フェスティバルが開催され、その中でタップダンスのコンペティションがあるようです。面白そうだし近所なので見に行こうかと思っています。
バスターと最後に仕事をしたのは3月でしたが、その時「この娘の何が良いがって、それはいつも抜群にスイングすることだよ」と私の事を紹介してくれ、とても嬉しかったのを覚えています。ジーン、そしてバスター、皆の大きな愛に包まれて安らかに眠って下さい。
http://drbusterbrown.com/ (バスターの記事はこちらのサイト)

彩子通信は私が気の向いた時に気ままに綴っている実に勝手な通信です。しばらくご無沙汰した事はお詫び申し上げますが、また近いうちにお便りしたいと思います。そして今後はデジカメをもっと活用したいと思っています。ご意見、ご感想があればお気軽にメール下さい。それではお元気で

白崎彩子 May 2002




“Summer Memories” Sep., 2001 彩子通信 Vol.10.

(September 10, 2001 Up dated)

アメリカでは9月の第一週月曜日のLabor Day(勤労感謝の日)を区切りに新たな年度が始まります。5月半ばから長い休みに入っていた学生たちも皆、また学生生活に戻っていきます。私はコロンビア大学の近所に住んでいるので、長い間NYを留守にしていた学生たちがレンタカーを借りて、沢山の荷物と共に戻って来たり、あるいは初めてのNY入りをしている光景をよく見かけました。今が一年の中でも最もさわやかな季節なので余計に私まで新入生と同じようなすがすがしい気持ちになってしまいます。

私、来週末にはまた日本へ行きます。今回は私のバースデーでもある(何気に宣伝!?)9月16日を皮切りに約4週間、みっちりライブスケジュールが詰まっています。ライブスケジュールは追って皆さんにメールさせて頂きたいと思います。沢山の方に聴いて頂けたら嬉しいです。

という事で今回のNY生活は2ヶ月と短いものでしたが、明るくハッピーなNYの夏を垣間見る事ができて良かったです。夏は何といっても無料の野外コンサートが沢山開かれていますが、私は近所のグラント将軍の墓で毎年行われる「Jazz Mobile Concert」に何度も足を運びました。スティーブ・ウィルソン(sax)、ウィナード・ハーパー(ds)、ジミー・ヒース(sax)、ロイ・ハーグローブ(tp)らのバンドを聞きました。その他、私自身もKit McClure率いるビッグバンドで野外コンサートに出演しましたが、野外は屋内の演奏とはまた違って明るい雰囲気でいいですね。聴いている人たちも自然とダンスしたり、体を動かしたり、自己表現が気兼ねなくできるのが野外コンサートの醍醐味だと思います。

また野外ではありませんでしたが今回はウィントン・マルサリスを聞く機会が2度もありました。私自身、彼のビッグファンではありませんでしたが、たまたま、ハーレムにオープンしたお洒落なレストラン「Sugar Hill Bistro」でベースの中村健吾さんがウィントンと演奏するというのを知って行ってみました。案の定、店はパンク寸前の人の山でしたが、こじんまりしたブラウンストーンの室内でウィントンの音は丸く、大きくきれいに響いていました。この日はリンカーンセンターバンドでいつも一緒に演奏している仲間を使っていたのでアンサンブルとしてはとても良くまとまっていて私は好きでした。

2回目にウィントンを聞いたのは先週の金曜日、ヴィレッジ・ヴァンガードでの事です。この日はアルトサックスのチャールズ・マクファーソンバンドのゲストとして出演していました。サイドメンはロニー・マシューズ(p)、ルーファス・リード(b)、カール・アレン(ds)。チャールズ・マクファーソンは今生きているサックスプレーヤーの中で、パーカーのスタイルに最も近いところまで表現できる唯一の人、といううわさを聞いていたので、一度聞いてみたかった人でした。彼は、とても柔軟なリズムを持ちつつもとにかく何も考えず吹きまくるタイプの人。自然と音楽が彼の中から溢れ出てくる、そういった感じの演奏でした。一方ウィントンはテクニックももちろん素晴らしいのですが、その前に、何かしてやろう、びっくりさせてやろう、という魂胆が見え隠れしてしまうのが、私には鼻に付きました。アドリブのフレージングも不自然で(私にはそう聞こえた)、でも一方、ある種の強引さが逆にお客さんを無理にでも惹きつける力があったので、そういったところは学ぶべきところかなとも思いました。それぞれのミュージシャンは素晴らしいのに、音楽としてひとつにまとまっていないのが残念でした。ウィントンは自分のバンドでリー
ダーとして、またはオーケストラなどの大きなユニットの中でのゲストとして演奏するのがあっているという私なりの結論に至りました。ヴァンガードでの演奏を聞き終えた後、無性にクリフォード・ブラウンが聞きたくなりました。コテコテのフレンチを食べた後にさらっとしたお茶漬けが食べたくなる、あの心境です。

他に私自身の反省点としては、オリジナルを全然書く事ができなかった事です。去年の秋から冬にかけてあれだけ書けたのに、なんなんでしょう、この違い!きっと寒くなったらまた部屋にこもって書けるようになるのでしょうか?音楽以外に今年の夏はペンキ塗りの達人になりました!?浴槽、洗面台、たんす、本棚とあらゆる物を好きな色に塗りました。音楽で食べるのに困ったら次はペンキ職人かなぁ、なんて半分真剣に考えたりして。

それでは、また皆さんに会えるのを楽しみにしております。皆さんの夏の思い出も聞かせて下さい。

白崎彩子




“Real Estate in NYC”   Aug.2001   彩子通信 vol.9

(August 12, 2001 Up Dated)
 

 7月30日(月)、ビル・クリントンのオフィスがハーレムの125丁目に移ってきた。125丁目の7番街にあるニューヨーク市役所ビルディング前の広場で、彼のスピーチが聞けるということで(聞けるというよりか、見られるの方が正解)近所に住む私たち夫婦はミーハー根性丸出しで駆けつけた。予想通り多くの人と記者たちで広場はあふれかえっていた。司会には女優、ダンサーで、マイルス・デイヴィスの元彼女でもあった、シシリー・タイソンが務めた。演説した人々も、それを見に来た支持者、近所の人々も今日という日が、とても晴れやかな、素晴らしい日だと称えあっていた。つくづく、クリントンはブラック・コミュニティーから圧倒的な支持を得ているんだなと感心した。演説台の背後には「 Harlem Welcomes President, Clinton」と、彼が大統領の時に使われたものを引っ張り出してきたのかと思われる垂れ幕が掛かっていた。あるいはこれは彼らにとって、現在の大統領を大統領と思いたくない気持ちの表れかもしれない。

これでハーレムも少しはいい方向に町が活性化されていく事だろう。ハーレムに程近いところに住んでいる私達にとっては有り難いことだ。しかし治安がよくなると同時にこれまで以上に土地、建物の値段もうなぎ上りに高騰していくことは否めない。10年、20年と同じ場所に住み続けている人の家賃は市のレント・コントロールで守られているため、昔の家賃にちょっと上乗せした程度の破格の安さで住んでいる。

例えば、私の知り合いがマンハッタンの中心地であるミッドタウンのアパートに20年住んでいるが、家賃はなんと$500ちょっと。でも同じビルの中には同じ間取りで$2500払っている人もいるという。ニューヨークに自分の夢をかけて世界各国から様々な人が来るが、そういう人たちにとっては本当に不利な条件だ。特にミュージシャンや他の分野の芸術家にとってマンハッタンに住む事はほとんど高嶺の花という事になってしまう。だから新しくニューヨークに入ってきた者は必然的に、ブルックリン、クイーンズ、などの川を越えた隣の区に住む事を余儀なくされる。それもほとんどの私の知り合いは何人か共同で大きいアパートを借りて住んでいる。

マンハッタンの中でもハーレムの物件は安いので、多少の危険を承知の上で住んでいる日本人を何人か私は知っている。でも最近のニューヨークタイムズ紙によると、ここ数年間の統計で、マンハッタンの中でもハーレムの不動産物件の値上がり率が一番著しいと書かれていた。私は約4年前からNYに住んでいるが、やはりその頃に比べてどの地区も一段と賃貸、分譲とも価格が上がってきたと思う。ハーレムには誰も住んでいなくて、窓も中身もないまま長い間野ざらしになっている沢山のブラウンストーン・ビルディングがある。場所によっては夜な夜なドラッグディーラーがドラッグの引き渡し場所に使ったり、ホームレスが住んだりと危険にさらされているところもある。

今、ハーレムでこのようなブラウンストーンが沢山市場に売り出されている。ブラウンストーンとは煉瓦で出来ていて間口が4、5メートル程と狭く、奥行きの長い4、5階建てのビルのこと。これらがビルごと平均$400,000〜 $500,000(5000〜6000万円)で売りに出されている。これらも10、20年前は10分1くらいの値段だったのかもしれない。今買える余裕のある人はほとんどが白人だろう。
アメリカ人にとってブラウンストーンに住む事は一種の憧れで、高級なイメージがあり、実際アップタウンやダウンタウンの高級住宅街には沢山の美しいブラウンストーンハウスが建ち並んでいる。今まで長い間、ハーレムで歴史を築いてきたブラックアメリカンの社会に白人の波が押し寄せてどのようにに変わっていくのだろう。今でも地区毎にはっきりと居住する人種が分かれているニューヨークに黒人と白人の共存は成り立つのか?

ちなみに私たちは2年前、コロンビア大学近くでアパートを見つけ、ラッキーにも価格的には良い条件で購入した。築93年でところどころ手直しを必要としたが、その分愛着を持ち、大事にしている。このビルを囲む土地のすべてがコロンビア大学の所有で、今までは駐車場と空き地だったので見晴らしがよかった。ところが最近、コロンビアが2つの大きなビルを建てるという計画を始めた。着工は来年の3月かららしい。
たまったもんじゃない!7つの窓がすべて駐車場側に面していて、そこに14階建てのでかいビルが、私たちのか弱いおばあさんビルに覆いかぶさるようにして建つなんて。それもビル完成まで2〜3年かかるとか。私たちはノイズとダストに悩まされながら、挙げ句の果てには光を遮断されて生活していかなければならないなんて。何とかしなければ!今このビルの住人同士で会議をしたり、コロンビアの会議に出席して反対運動したりしている。しかし、相手はコロンビア大学。一昔前は、やくざを使ってここら辺の地区に住んでいた人達を追い出したといわれている。何とか手だてはないものか?あっちのいいなりになってたまるか!!どなたかいい案があったら教えて下さい。

そんなこんなで最近は外の物件に目を向けているが、あまりの価格の高さにほとんどあきらめの心境の私たちなのであった。

ハーレムのアパートの写真はこちら
http://www.geocities.com/g7alt/nyc_real_estate.html

クリントン演説の写真はこちら
http://www.geocities.com/g7alt/clinton.html

白崎彩子



「Welcome back to NY!!」 July 2001 彩子通信 Vol.8

(July 25, 2001 Up Dated)

暑中お見舞い申し上げます。日本は猛暑が続いていて大変そうですね。ニューヨークもここ2、3日は蒸し暑く、日本の寝苦しい夜を思い出します。ずっと長いこと彩子通信の方をご無沙汰していました。今回は4月から7月半ばまで、たっぷり3ヶ月間、東京の実家に帰国しておりまして、すっかり居心地のよい日本に馴染んでしまったため、今回のニューヨーク逆里帰りは気分的には旅行者のような、新鮮且つやや不安な気持ちで戻って来た次第です。人って自分が生活している場所を軸に生きているじゃないですか?ですからどこにいてもその土地の風土、慣習に自然に自分を合わせているというか、いつのまにか馴染んで生活しているんですよね。今
回は日本にしばらくいたので感覚がすっかり日本の中の日本人に戻っていました。良識を持ち、仲間と調和して、我を出しすぎない。自分のポジションが枠の中からはみ出ていないかどうか、など。ニューヨークではOKな事が、日本では非常識だったり考えられなかったり、そのような違いってたくさんありますよね。具体的な例では、歩きながらランチを食べたり、さらには電車の中でしっかりサンドイッチをほおばったり。こちらではそれが普通なので特に持ち上げる問題でもありませんが、日本ではやはり人目というものを気にせずにはできない事です。といっても最近の電車の中ではいとも器用にマスカラを片目だけで100回くらい付けている器用で恥知らずのお姉ちゃん達を見かけますが。とにかくここニューヨークでは他人がいかに自分の想像を超える行動をおこしても、人はびっくりしないし、逆に感情をストレートに表わすので反応があっていきいきしている。中には見て見ぬ振りをしていた方が無難な事もありますが。

さて、ここ2日間連続、ギグ(演奏の仕事のこと)とジャムセッションでブルックリンに行き、すっかり洗練された日本での生活に慣れていた私にはショックな出来事が続きました。一日目は仕事が終わってブルックリンの下町(ダウンタウン、こちらでいう下町とは街の繁華街のこと、ちょっと浅草のイメージとは違うかも)にあるスパニッシュレストランに友達と行った時のことです。とっても庶民的な、南米の大衆食堂といった感じの飾り気のないレストランでした。それほど混んでいないのになかなか注文を取りに来なかったので、ようやく来たウェイトレスに友達のジャックが「なんでそんなに時間かかるの?片づけより先に客である僕達の所に来るのが普通だろ?」とまあ、半分からかうくらいの気持ちで聞いたら、「違うわよ、本当はウェイトレスの女の子が3人でやってるんだけど、ちょっと一人の子に急に用が入っちゃって。本当は私はこのテーブルの担当じゃないんだけど、あたしは彼女の頼みを聞いてあげてるんだから!」と返ってきました。何か言ったら絶対返してくる。お客様と従業員なんて関係はここでは成り立たないのです。その後もオーダーしたものと違う種類のフライド・プランテイン(バナナに似ていて甘くておいしい)が出てきたので、「これじゃないじゃん」とジャックが言ったら彼女は顔色も変えずポカーンとした表情で彼の顔を見つめています。もう一度「こっちのプランテインじゃないでしょ?僕がオーダーしたの。」と言ったら「Yes, I made a mistake.(そうよ、間違えたのよ。)」それがどうかして?と言わんばかりの立派な態度。こっちは怒るというよりも呆れてものも言えないのでした。

今回の日本里帰りで一番強く印象に残ったのは、どんな店でも従業員がしっかり訓練されていて気持ちの良い対応をしてくれた事です。時にはちょっとこのサービス過剰かな?と思う事もありましたが、自分の感情というものを押し殺してマニュアル通りしっかり働く、これは気持ちのいいものです。もちろんアメリカは階級社会の国ですから、それなりのお金を払えば、素晴らしいサービスにも巡り合えるわけですけど。

さて、第2夜はブルックリンのまた別のタウン、Flatbushという多くのカリブ海諸国から移民してきた黒人が住む街にあるライブハウス「Pumpkins」にドラマーの友達、カリルとはるばるやって来ました。マンハッタンからも少し距離があるので、まず白
人やアジア人は見当たりません。ここでカリルが店のすぐそばのストリート沿いに駐車をしようとして車を少しバックさせたら、真後ろの本来は駐車するスペースでない交差点に車があったためカリルの車が接触してしまいました。そうしたら車の中から
カリビアンの40代くらいの女性が出て来て「あんた何考えてるの?このクソッタレ!あんたみたいな奴がこの世にいるなんて信じられないよ。」みたいな事をさんざん言って、その後2人はしばし口論となりました。私は横で事が終わるのを見届ける以外に何も出来ませんでした。彼女は八百屋に立ち寄りたくて違法なスペースに車をちょっとだけ停めるつもりだけだったのですが、違法は違法。でもカリルもちょっと不注意だったと思います。何しろ彼は70歳を超える高齢ミュージシャンで、目の調子があまり良くないので、彼の車に乗る時はいつもドキドキハラハラなんです。まあ、とにかく警察呼ぶぞ!までカリルは叫んでいましたが、彼女が暴言吐きながら去っていくのを見届けて、安堵と共に店に入っていきました。

店では明るく挨拶を交わしたりしてしばし和やかなムードが続いたかと思ったのもつかの間、5分もしないうちに今度は男女4人くらいのグループで多分その中の一人の女性がトイレに行きたかったのでしょう、トイレだけ借りに店に入ってこようとした
ので、入り口近くにいたオーナーが頑なに断りました。始めは「うちはだめだめ、トイレだけ貸すような事はしてないんだ」くらいだったのに、相手が全然諦めない、どころが、突っかかってくるのでオーナーも負けまいと大声で怒鳴る。もうもみ合い寸前ま
でになって、演奏中のミュージシャンもこっちに気を取られていました。近所のマクドナルドに行ってコーラの一杯でも買えばすんなり貸してくれるんだからそこへ行けばいいのに!全く無礼です。オーナーも(彼はブラックアメリカン)このような地域で長く商売しているので、あるところでしっかり線を引いていかないと店を守れないのでしょう。私にとっては新鮮すぎる出来事なのでちょっと恐かったですが、こんなことがこの区域では日常茶飯事で起きているのだと思います。立て続けにショッキングな事が続いたので、感情的になった私はその夜のセッションでしっかり怒りとか悲しみとかを演奏にぶつけてきました。

「AYAKO, WELCOME BACK TO NEW YORK!!」と言う声を何度も聞いたような気がした2
日間でした。


“Winter 2001 In New York”    彩子通信 Vol.7

 (March 7, 2001 Up Dated)

皆さんこんにちは。日本ではもう梅が咲いている頃ですね。前回の彩子通信から2ヶ月以上もの月日が流れてしまった事をお詫び申し上げます。その間に私が大変お世話になったライブハウス「NARU」のオーナー、成田勝男さんが癌のため死去されました。今から5年以上前、お客さんを通して成田さんを知り、以来お茶の水と代々木のNARUではたびたび演奏させて頂き、沢山の素晴らしいミュージシャンやお客様に出会うことが出来ました。成田さんには本当に可愛がってもらい、いつも私の音楽的成長を喜んでくれていました。今でも成田さんの可愛らしい(礼!)笑顔が蘇ってきます。実際この彩子通信を読んで下さっているお客様はNARUを通して知り合った方が多いんですよね。成田さん、いろいろと本当に有り難うございました。この場を借りてご冥福をお祈り申し上げます。

さて、今回の彩子通信では特別なテーマはありません。だらだらと最近の出来事を書き連ねる事をお許し下さい。
この冬は長くて寒くて雪がたくさん降りました。実は昨日から今日未明にかけて何十年ぶりの大雪になる予定で(約1メートルの降雪量)どのチャンネルのニュースでもほとんど5分おきくらいに天気予報や生中継などが流れていました。実際のところは?予定の日にはたいして降りませんでした。今本格的なのが降ってますが、ニュースであれほど大騒ぎする必要のものではなかったと思います。アメリカも案外過剰反応する国だったんですね。去年の暮れからずっと雨と雪に絶えられるブーツを探していて、昨日やっと手頃なのを見つけました。これで残りの雪対策は万全です。こんな感じで、NYでは全く春の兆しすらなくて単調な毎日です。

マンハッタン音楽院での学生生活も残すところあと2ヶ月弱となりました。1年目は学校や学生の雰囲気になじめず毎日不満だらけでした。2年目に入る前に学校を続けるか辞めるか非常に悩みましたが、せっかくだからディグリーを取ったら?という両親の一声で続ける事にしました。2年目は、以前にも書いたように、良いクラス、良い仲間達に恵まれ、充実した日々だったとお思います。ピアニストのGary Dialの教えるインプロビゼーションのクラスではほぼ毎週、生徒達のオリジナルを発表しあいます。 お互いの作品を誉めあったり意見を交わしたりと、私にとってとても刺激的で良いクラスでした。このクラスが始まって以来クラス内と外とで作ったオリジナルは15曲以上にも及びます。他にもマイルスとも共演したサックスのDave Liebmanの教えるコンボ(アンサンブル)のクラスでは、モダンなジャズへのアプローチを教わりました。あらゆる種類のブルース(R&B的なシンプルなものからモード、あるいはフリージャズスタイルまで)を演奏して、日頃ビ・バップからハードバップ辺りを弾いていれば本領が発揮できる私もいろいろなスタイルを余儀なくさせられ、冒険してみるのも案外楽しいものだと思いました。あるフリージャズの曲(テンポもコードチェンジもフリーなもの)でソロを取った私にLiebman氏は「君の今までのソロの中で一番良かったよ。いつもは自分の出来る事、知っている事を演奏しているけれど、今日は君の知らない事を演奏した、それが良かったよ。」ですって。常に新しい
音を求めている芸術家の彼にとってこれくらいのものを弾かないと全然太刀打ちできないんだなとこの日思いました。

先週、卒業コンサートを開きました。これは卒業するための必修科目でどんな形式でもいいから1時間半くらいのプログラムで演奏会をするというものです。ジャズ科の人にとったら気楽なもので、ライブ感覚でやっちゃえばいいのです。生徒によってはその日メンバーを集めてセッション感覚で「All The Things You Are」をなんの仕掛けも無しに始めてしまう人もいましたが、それでは余りにもお粗末なので、私はそれなりにスタンダードをアレンジしたり、オリジナル曲を取り入れたり工夫しました。基本的にはピアノトリオで演奏して、曲によっては去年入ってきた期待のホープ、ヴァイブラフォン、パーカッション奏者のTim Collinsに加わってもらいました。なかなか楽しいコンサートになりまた。バンドリーダーとして引っ張っていくのが苦手の私もこの日ばかりはやらないわけにもいかなくて、このお陰で「ピアノを弾く事」以外にもリーダーシップを取るためのよい経験になりました。この日の演奏をCDに収めました。ご希望の方はメール下さい。送料とコピーのCD代のみでお送りします。

という事で、学校の方もほとんど終わりに近づいて、今後はずっと敬遠していたジャムセッション(NYに来た当初はよく通っていましたが)へ顔を出したり、バンドリーダーとしての準備をしたり、ネットワークを広げたりと、外に目を向けていく時期です。NYではメジャーなミュージシャンとも垣根や隔たりがなく、チャンスと実力さえあれば(時にはそれらがなくても無理矢理近づくという手段で)友達になったり演奏するチャンスがあったり、が起こりうる街なんです。チャンスといえば先日アルトサックスのKenny Garrettからいきなり連絡があり、私の師匠のケニーバロンから連絡先を教えてもらったとかで「君の演奏が聴きたい」といわれ、彼のアパートで一緒に演奏する機会がありました。彼の音楽はコルトレーンの影響を多く受けていて、モダンな感じで、実際私は彼の音楽をほとんど聴いた事がありませんでした。セッションではチェロキーを全調でやったり、彼のオリジナルを演奏したり楽しかったです。とにかく彼はハーモニーに関してとても興味を示していて、ああ、この研ぎ澄まされた耳を持っている事が、大型ミュージシャンとそこまでに至らないミュージシャンとの差かな?と思ってしまいました。彼はとても忙しいミュージシャンで世界中を駆け回っていますが、近いうちに2回目のセッションができる事を楽しみにしています。

なんか久々のメールなので長くなってしまいました。皆さんも健康で充実した日々をお過ごし下さい。では次回までお元気で!

白崎彩子


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