白崎彩子 "LETTER FROM NEWYORK"

December 22, 2000 Last updated


好評をいただいているこのコラムも白崎彩子から第3弾が到着しました。 今回はNYでのスクールのお話が中心、これから留学を目指している若いミュージシャンや学生さんには大変参考となるでしょう。それからケニー・バロン先生について、ケニーのファンの私としては、大変興味深く読ませてまらいました。デジカメによる彩子撮影シリーズは次回から登場するかも知れません、乞うご期待です。 (10/3/2000)


白崎彩子 PROFILE  (Ayako Shirasaki) ピアニスト
 

東京都出身。都立芸術高校を経て東京芸術大学音楽学部ピアノ科卒業。5歳よりクラシックピアノを始める。小学5年の時、父の手ほどきでバayako2.jpgド・パウエルのソロコピーをきっかけにジャズピアノを始める。以後、中学3年まで、数々のジャズオーディションや、コンテストに入賞、優勝し、中学2年生で、ピアニストでは最年少の14歳で「NHKセッション」のラジオ番組に出演する。また、新宿「J」で、2年半レギュラー出演を果たす。
高校、大学ではクラシックピアノに専念、大学卒業後数年経ってジャズピアニストへの道を決心し、NARUを始め都内のジャズスポットで演奏を再開する。‘95年 「第一回ハイネケン・ジャズ・コンペティション」のピアノ部門で、第2位受賞。その時の審査員レイ・ブライアント氏に絶賛される。
‘97年 単身ニューヨークに渡り、ピアノ、作曲をブルース・バースに師事。「ブルーノート」「スモールズ」「ミュージシャンユニオン」などでセッションを重ねる。今までに出演した場所は「ユニバーシティー・オブ・ザ・ストリート」「コーネリア・ストリート・カフェ」「クレオパトラズ・ニードル」「コープランド」その他。‘99年 マンハッタン音楽院の大学院へ奨学生として入学。ピアノをケニー・バロン、インプロビゼーションをテッド・ローゼンタール、作曲をマイク・アベーニの各氏に師事。2001年5月卒業予定。「彩子は優れたテクニック、豊かな創造力、ジャズへの伝統の深い理解力に恵まれたピアニストである。」(ピアニスト・ケニー・バロン)。
(写真提供:井上晴一郎 2000年7月28日撮影)


”Groove”      彩子通信 Vol.6

(December 22, 2000 Up dated)

最近グルーヴ(Groove)について良く考える。テクニックがあってどんなテンポにもばっちりついていける人が良いグルーヴを持っているとは限らない。私が理解しているグルーヴの定義は「ステディーなテンポの中で、リズムが気持ちよく泳いでいる。」そんな状態だ。それは電車がある一定の速さで走っている時の感覚に似ていると思う。「ガタンゴトン、ガタンゴトン…」これは日本人専用の擬声語。でも、この「タ」と「ゴ」にアクセントを置いて連続して言うと、不思議とジャズっぽいビートに聞こえてくる。デューク・エリントンは沢山の電車を題材にした曲を書いた。「Take The A Train」はビリー・ストレイホーンと共に作った代表作。あの有名なイントロは昔の列車の汽笛の音を真似たもので「さあ、出発だ!」という感じがよくでていると思う。他にもエリントンは「Day Break Express」という超絶技巧の素晴らしい曲を書いた。汽笛の音や列車が少しずつ速度を増していく感じなど、本物の汽車が目の前を走って行くような錯覚を起こしてしまう。エリントン楽団の演奏も素晴らしいが、ジャンゴ・ラインハルト(g)の名演も聞き逃せない。

ジャズでは一般にピアノ、ベース、ドラムがリズムセクションを担当する機会が多いが、その中でもドラムはリズムを担当する楽器だけあって、どうしても、グルーヴに関して責任重大な役割を果たさなければいけないと思われがちである。しかし、ドラムとベースとピアノが一体になって、ひとつの波に乗っかれた時こそ、本当のグルーヴが生まれた時だと思う。一度、その起動に乗れたら恐いものなしで、ちょっとくらい冒険して遊んでみても、このグルーヴは簡単には崩れないだろう。とくに、歌手やホーンプレーヤーはこの上で気持ちよく演奏できること間違いなし。

だが、実際の演奏でこの感覚に出会えるのは決して多くはない。初めてのベースプレーヤーやドラマーと演奏する時、私が始めに求めるのはそこ。テンポをキープする事も大事だが、その先がポイントで、ドラマーには拍と拍の間のリズムの浮遊感、柔軟さ、べーシストにはひとつの音から次の音にかけての空間が常に先へ動いているか、そこら辺に耳を集中させている。これがあるとないとでは音楽に「生」と「死」を決定づけてしまうほどの差がある。実際は理屈ではなく、素直に「この感覚、気持ちいい」と感じられるかどうかだ。これがテンポは正確なもののその間に生まれる「いいかげん具合、浮遊感」がないリズムセクションと演奏した場合は、「楽しい、気持ちいい」までににつながらないのだ。残念ながら、学校の生徒達の多くに対しては後者の感想を持ってしまう。

逆に、黒人のおじさんドラマー達と演奏すると、その「グルーブ感」を感じられるとがしばしばある。彼らは新しいものや譜読みに決して強いわけではないし、抜群のテクニックを持っているわけでもない。でも肝心なグルーブ・スイング感を持っているのだ。出している音が柔らかいし、歌っているのである。

ジャズがダンス音楽として栄えていたのは1940年代始めまでで、チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーが現れて新しい音楽を(ビ・バップ)始めるようになってからジャズは鑑賞音楽になり、その後様々なジャズが様々なミュージシャンによって生まれた。音楽に新しいものを取り入れるためには実験的なことを実際の場で試みないといけなかったり、テクニックを競ったりと、フィーリングやグルーブ一発だけでは通用しない時代になってしまったのは確かである。しかし、どんな内容のジャズであれ、着飾っているものを剥いだその根本には「グルーブ」が存在していて欲しい。

現代のジャズシーンでは、変拍子と呼ばれる5拍子、7拍子などを取り入れた演奏も珍しくなくなってきたり、3拍子、4拍子などの普通の拍子の中で「ポリ・リズム」と呼ばれる、割り切れないリズムを当てはめたり、特に若いミュージシャン達は、かなり複雑なことが出来るようになってきた。でも一体どれだけのミュージシャンが4分音符だけでスイングさせる事ができるであろうか?サッチモこと、ルイ・アームストロングは4分音符だけで見事にスイングすることができる数少ない、というか唯一の音楽家だと思う。私は日頃あまり4分音符でアドリブを弾く事は少ないが、これこそ本当の意味でのスイング感への挑戦だと思う。

テディー・ウィルソンに師事し、エリントン音楽の研究家でもあるピアニスト、ディック・キャッツ氏は私にこう話してくれた。「どんなに複雑な事を演奏する時でも、常に“In a Pocket” であるように」と。“In a Pocket” とは常にステディーな4分音符の感覚を体に持っている事、という意味だそう。それを感じていれば、多少リズムがよじれてもそのまま危険な方向に行かずにすみ、元に戻ってこられる。良い言葉だな、と思った。

ああ、これからも長い道のりは続く。でも今後演奏していく中で「グルーブ・スイング感」をなるべく沢山の機会に感じていくことが出来たら、と願っている。



"Thank's Giving             彩子通信 Vol.5.

(November 28, 2000 Up dated)

先週はアメリカのビッグホリデー、サンクスギビングデー(Thanksgiving day)だった。大昔、イギリスのピルグリム(Pilgrim)が始めての土地、アメリカにやってきて無事に1年暮らせた事への感謝、豊作への感謝をネイティブ・インディアンと共に祝った事が始まりで、以来毎年アメリカでは、クリスマスと同様、家族と過ごす貴重な国民の祝日としてとても大きなイベントとなっている。

ちょうど日本でいうお正月に似ている気がする。多くの人が家族や親戚と過ごすためいなかに帰省する。サンクスギビングのディナーといえば、ターキー(七面鳥)の丸焼きを肉汁で作ったグレイビーソースとクランベリーソースで頂く。サイドディッシュには野菜やサツマイモに似たヤム。デザートは何故かかぼちゃのパイが主流。2年前はコネチカットにある(NYから北へ車で2時間くらい)トムの妹さん夫婦の家に家族が集まってお祝いした。去年はトムと2人で築92年の新居にてお祝い。今年は?というと、実はトムはボストン近郊にある実家に帰りたがっていたが、クリスマスに長く滞在する事だし、NYでのんびりしようと私が説得し、しょうがなく私の意見を受け入れた。そんな矢先、ブロンクスに住む友達夫婦が自宅のディナーに招待してくれた。ラッキー!料理しなくてすんだ…トムが自家製のアップルパイを持参して伺った。

ご主人は黒人ドラマー、ジーン・ガードナー。奥さんの祥子さんはNYにある日本の雑誌社でライターをやっている。私がNYに住み始めた頃からの知り合いで、ジーンとはたまに仕事もしている。今年65歳になったジーン、ここ一年はいろいろな病気にかかって大変だったが、今は回復してとにかく元気で明るい人。常にハイな状態でこちらとしては息を抜く暇がないほど。奥さんの祥子さんは明るくて笑顔を絶やさず、いつも夫に尽くしている日本人妻の鏡のような人。うちとは反対かも…その日は祥子さんの仕事仲間3人、私たち、ピアニストのやすこさん、シンガーのジム・マロイの計9人が集まった。料理はすべてジーンのお手製だそうで、基本のターキー以外はソウルフード系(黒人の郷土料理)のサイドディッシュだった。茹でたコーン、カラドグリーン(高菜を肉のだしで煮付けたもの)、キャベツの煮物、ベークトハム、エビの入ったポテトサラダ。どれも結構高カロリーだったが残さず頂いた。ソウルフードはどれも油をたっぷり使っていて、当の黒人の中でさえも「あれはカロリーが高いから食べないようにしている」という人がいるくらい。

日本ではターキーを食べる習慣があまりないせいか、私はターキーをおいしいと思った事はない。チキンの倍以上の大きさでチキンほどジューシーでない。トムにとってスパイスで味付けされたジーン特製のターキーはおふくろの味とは違っていたらしく、ママ特製のターキーを恋しがっていた。トムの実家ではクリスマスもターキーを焼くのだが、余ったターキーがスープになったり炒めものに入ったりと七変化してしばらくの間ディナーに登場する。私にとってはそれが味気なくて、ごはんにきんぴらゴボウとか“ごはんですよ”とか何かビシッとした味付けが恋しくなったのを覚えている。今年はお気に入りのものを持参して行こうかな?

ジーン家の話に戻そう。食事の後は当然の事ながら、ジャムセッション。リビングルームにドラムセットが備え付けてありエレピもある。そして様々なパーカッション。ピアニストが2人、トムがギター、シンガーのジムは歌とパーカッション、ジーンはドラム。他の人たちはパーカッション。祥子さんはひたすらビデオ係り。べーシストがいなかったがピアノとギターでなんとか補う。やすこさんがピアノを弾いている時は私はコンガ担当。といっても足引っ張っていただけだけど。スタンダードや沢山のボサノバ、サンバのリズムが飛び交って部屋の中は南国のムード。外は零下3度になるほど寒かったが、部屋の中は強力に効いた暖房と皆の熱気でガンガンに燃え上がった夜だった。帰り際に、トムはジーンが着なくなった皮のトレンチコートをお土産に頂いて家路についた。ジーン、祥子さん、楽しい夜をありがとう。

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(Left)Tom & Ayako at Gene's JP           (Right) Gene@Congas



“Harlem”             彩子通信 Vol.4

自宅から数ブロック北へ行くとハーレムの目抜き通り、125丁目に出る。いつも人でごった返していて、フライドチキンの匂いが漂ってくる。ハーレムと一言でいってもヒスパニック系が住むイーストハーレムは危険とよく耳にするし、特にジャズの店があるわけではないので私は行かない。西はアムステルダムアベニュー(10番街)からレノックスアベニュー(6番街)辺りまでが観光客が歩いても大丈夫で、さまざまな店が並んでいるブラックハーレムの中心街。見渡す限りアフロアメリカンでひしめいていて、その中に髪結いのアフリカンの女性が店の前や信号で、自分の名刺を持って客引きをしている。グロッサリーストア(日本でいうコンビニか)の前では、昼間からおじさん達がたむろしていて、なんということもなくおしゃべりしたり、行き交う人を眺めたりしている。一方、若者連中は大きなラジカセ片手に、通りの真ん中でヒップホップの練習。それぞれが、他に邪魔されることなく、かつ、邪魔することなく好き勝手やってる。

125丁目にどんな店があるかというと、洋品店(これは日本人の趣味とはほど遠いし、サイズも合わないと思う)、ファーストフードの店、ドラッグストアなど。5番街から東はだんだんさびれていくのだが、道端では、誰も買う気にならないような拾ってきた靴や服が売られてたりする。そんな中、2年くらい前ハーレムには初の「スターバックス」と「ボディーショップ」ができた。これはとても画期的なことだったと思う。そして、さらに今8番街に、マジック・ジョンソンがオーナーの一人として出資している「ハーレムUSA」という大きなビルがほぼ完成間近で、そのうち「ディズニーショップ」「HMV」「Old Navy」(若者向け衣料)そして9つの映画館はすでにオープンしている。これは烏山に(超マイナー、私の実家です)タワーレコードやGapができるのと同じような感覚である。この大掛かりな計画が、今までくすぶっていたハーレムをどこまで復活させられるであろうか?

125丁目にはかの有名なアポロシアターも健在である。残念ながら、現在はぱっとしたショーはなく、毎週水曜日に行われる「アマチュアナイト」(いわゆるのど自慢大会)が唯一の売り物。え?それじゃハーレムにはジャズクラブはないの?とお思いでしょうが、私の知っている範囲で5、6件はある。125丁目とレノックスアベニューの角に「Lenox Lounge」、149丁目とセント・ニコラスアベニューの角には「St.Nicks Bar」があり、両方とも毎週月曜日の夜はジャムセッションがある。後者は日本人が経営しているハーレム・バスツアーで、食事後訪れるジャズバーとして、多くの観光客が来る。一度、そこでギグがあった時、店の前半分を観光客の日本人が占領していて面食らったことがある。あちら側としては、ハーレムの奥地まで来て、かわいい日本人の女の子が(これはでっち上げです)こわもての黒人のミュージシャン達と演奏している姿を見てびっくりしただろう。その他にジャズとソウルフードを提供するレストランとしては145丁目とブロードウェイにある老舗「Copeland‘s」や139丁目とフレデリック・ダグラス(8番街)にある比較的新しくておしゃれな「Londel‘s」その向かいにある「Sugar Shack」など。「Sugar Shack」では毎晩いろんなイベントがあり毎週金曜日はジャズの日。私はそこでサックスのおじさんとたまに演奏する。店内はまるでダウンタウン、Sohoのおしゃれなバーに来たかのようなしゃれたインテリア、客層も90%がブラックだが、どことなく品がある。「Copeland’s」ではダイナ・ワシントンを思わせるような、パンチがありキュートなハイボイスを持った歌手、リル・フィリップスが定期的に出演している。彼女は私のお気に入りの歌手で一緒に演奏していてすごく楽しい。10月28日、そこで共演します、皆さん来てください!なんちゃって、ちょっと遠すぎるか。

私は黒人ミュージシャンとの仕事が多いので、ほとんどの店で演奏済みだが、音響システムやピアノ(中にはエレピ)についてはかなり厳しいものがある。せっかく音楽とおいしいものを売りにしているのなら、もう少しミュージシャンの立場になって考えてほしい、と声を大にして言いたい!がなかな言えない…どの店でもお客さんとミュージシャンの間に垣根なし。これはジャズがひとつの娯楽として黒人社会に溶け込んでいるためであって、ジャズはお客さんの食欲やを促したり、ハッピーにさせる手段にすぎないのだ。要するに音楽だけが浮いていないのである。ダウンタウンとは違った世界が垣間見れて興味深い。今後ニューヨークへの旅行を計画中の皆さん、お店の中は安全ですが、そこまでの道のりは決して安全と保証されたものではありませんので、くれぐれも夜のハーレムを徘徊などしませんように。今後は、ゴスペルが聞ける教会などレポートできるようにリサーチしたいと思ってます。

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 Apollo Theater (left) and One day gig in Harlem (right) Wink, Ayako, Patcy, Gene.
 (Photos by A. Shirasaki)


"Manhattan School of Music" 彩子通信 Vol.3.

October 3, 2000 Up Dated

再び学校が始まってから1ヶ月が過ぎた。私はマンハッタン音楽院のジャズ科、マスターコース(大学院)に属しており、現在2年生である。問題無く進めば来年の春にはめでたく卒業して、マスターディグリーを取得できる予定だ。私にとって1年目は苦痛だった。おおざっぱに言うと、英語でのコミュニケーション。特に授業でプレゼンテーションをしなくてはいけない時とか、必要以上にプレッシャーが押し寄せてきて毎回冷や汗ものだった。それと、生徒のほとんどは白人の若い男の子達で、彼らの雰囲気や話題に入っていくことが難しかった。ほとんどの生徒が20歳前後とか、20代前半で、私のように大学卒業して中途半端に年月経って来る人が意外に少ないのにびっくりした。管楽器で数人40過ぎた生徒がいるが、私としてはまだ20代の生徒達に紛れ込んでいた〜いのである。

前置きが長くなったが、マンハッタン音楽院はクラッシックの学校としては結構有名で歴史も長く由緒正しい学校である。ジャズ科ができたのは詳しくはわからないがここ20年くらいのことで、現在の生徒数は100人以下だと思う。クラッシック科のパワーに押されてジャズ科はわりと肩身の狭い思いをしているというか、目立たないというか、ぱっとしない。マンハッタンにあるジャズ科を持つ大学、ニュースクールやシティカレッジの生徒達はもっとジャズメンらしく(良い意味に付け悪い意味に付け)のびのびやっているようである。でも、マンハッタン音楽院ジャズ科の生徒の質はわりと高く、今年は、全米でトップクラスのビッグバンドを持つハイスクールから抜擢されてやってきたホーン奏者や、ベースでは、ラテン系の John Benitez 、エルヴィンジョーンズ(ds)バンドでレギュラーべーシストを務める Steve Kirby 等がわんさと入ってきた。

学校では、ジャズの歴史、作曲・編曲、インプロビゼーション、アンサンブル、レッスンが必修科目でその他に興味のあるコースをクラッシック・ジャズを問わず選択できる。去年は、ジャズアンサンブル・ビッグバンドの指揮法、ビッグバンドの歴史・作曲分析などのクラスを取った。今年はゲイリー・ダイアル(p)のインプロクラス、セシル・ブリッジウォーター(tp)のアンサンブルクラスという必修科目に加えて、どうやったら体をリラックスさせ且つ能率的に使って演奏できるか体のしくみを学ぶクラス、現代クラッシックの作曲法、チックコリアの作品研究・演奏、のクラスを取っている。今のところどのクラスも楽しい。せっかく時間とお金費やして学ぶんだから、充実感がないと。

そして忘れてはならないのはプライベートレッスン。長い間教鞭を執っていた「ラトガーズ大学」を退職したケニーバロン氏が、急きょ去年からマンハッタン音楽院で教えることになり、運の良い私は毎週1時間楽しいひとときを送らせて頂いている。レッスンといっても堅苦しいものではなく、2台のピアノで1時間ほとんど弾きっぱなし。質問があればやさしく答えてくれるけど、言葉や頭で何か教えるタイプではな
く、彼は感覚と耳で演奏するタイプなので、私もレッスンの時は細かい事は忘れて、師匠の胸に体当たりさせてもらっている(ほとんど大相撲の世界)。いくら生徒とのレッスンといえども、彼の演奏に手抜きはない。いつも真剣に、すばらしい音でスイングする演奏をしてくれる。どう頑張っても張り合えないほど上手なのは左手のベースライン。無駄がなく、必要な音を選択してオクターブ以内で淡々と弾いていく。もう無意識で弾けるほど身についているようである。それもそのはず、ケニーはピアノを始める前はべーシストだったそうだ。

以前「Minority」という曲を2人で演奏したら、2人ともやけに盛り上がって、4バース、8バースのトレードのところでお互いの技の競い合いみたいになって結局30分近くも演奏したことがあった。あれは楽しかった。演奏が終わって彼が一言「Are you crazy?」といった事がある。一瞬意味がわからなかったが、今では貴重なほめ言葉として大事に心の中にしまっている。今最も忙しいピアニストとして全国を飛び回っている彼だが、ニューヨークで1週間自己のバンドでギグがある週も、レッスンの日はツカレターとか、ネムイーとか(彼は片言の日本語をたまにしゃべる)言いながらも朝9時にちゃんとやってくる。結局ミュージシャンはそれくらいタフでないと務まらないなー、と自分の体力の無さを反省したり。とにかくミュージシャンは日雇い労働者、体力が勝負なので、しっかり基礎体力をつけないと、と思っている。
ところで10月の末から2週間、ケニーが富士通コンコード・ジャズフェステイバルで、日本全国をまわります。今回のメンバーはマイケル・ブレッカー(ts)、レイ・ドラモンド(b)、ベン・ライリー(ds)、その他ヘレン・メリルグループなど。彼の生の音色を聞くチャンスです。是非コンサートにお出かけ下さい。



“Morning Side Heights & Jazz Mobile” 彩子通信 Vol.2.

September 18, 2000 Up dated

マンハッタンは横4km縦24kmの縦長の島で、ちょうど世田谷区くらいの大きさとも山の手線の内側くらいともいわれている。ちょっと比べるのも難しいと思うが建物がところ狭しと建っていて高いビルが多いのでとても密度が濃い。その狭い中にさまざまな人種が住んでいるわけだが、地域によってその地区独特の雰囲気があり、違う場所に行くたびに新鮮な思いをさせてくれろ。私の住んでいる地区は「モーニング・サイドハイツ」といって、ちょうどハーレムとアッパー・ウエストサイドに挟まれわりと人口密度の少ない緑の多い地域である。はっきり言ってニューヨーカーでも知らないくらいマイナーな名前の地区。地図で見ると、セントラルパークの最北端のさらに北西の辺りを指す。

歴史的建物、観光名所としては、100年前から作り始めていまだ建設中でスケールの大きいセント・ジョン大聖堂、ハドソン川に程近いリバーサイド教会、その向かいには歴代大統領のグラント将軍の墓、私の通うマンハッタン音楽院、そしてヒッキーが通っているらしいコロンビア大学などが、徒歩10分圏内にある。数ブロック行ったハーレムとは雰囲気が全然違い(ハーレムについてはまたあらためて書きます)静かで、落ち着いていて、学生が多いといった印象。マンハッタンに住んでると聞いただけで、ある友人が「ええ?それじゃあ窓からはきれいな夜景とかエンパイヤーとかが見えちゃったりするの?」と興奮気味に聞いてきたが、残念ながら窓からはアムステルダム街を走ってる車と、高層団地くらいしか見えないのである。

ところでこのグラント将軍の墓(墓といっても立派な白い建物で、その入り口までは緑に包まれた広場が続いている)では毎夏、「ジャズ・モービル(Jazz Mobile)」という音楽団体が主催するコンサートが毎週行われる。名前の通り大きなトラックがマンハッタンの数カ所を回って、ミュージシャンはそのトラックの上をステージにして演奏してしまうのである。ドナルド・ハリソン(as)カルテット、ジョン・ファディス(tp)グループ、ケニー・バロン(p)ブラジリアンバンド等が出演したそうだが(私はあいにく日本にいたので行けなかった)、私は8月最後のコンサート、ジミー・ヒース(ts)バンドを聞きに行った。ジミー・ヒースはヒースブラザーズの一人で今年74歳になる。しかし、見た目もずっと若く見えるし、その上彼の音は若手ミュージシャンといっても間違えてしまうくらい張りがあって、大きくて、美しかった。マイルスの自叙伝にジミー・ヒースが麻薬中毒者だった事が記されてあるが、そんな人がこの年にして元気にばりばり吹いてるのを見て、感慨深いものがあった。

もうひとつ、ジャズモービルはハーレムの小学校を借りて、秋から春にかけてジャズ学校も開催する。スポンサーの集まり次第で経営状態が変わってくるので、年によっては思ったより早めに学校が閉鎖されてしまう。大体、5ヶ月くらい続いて費用は75ドルのみ。なぜこんなに安いかというと、対象のほとんどが低所得の黒人達だからである。私はニューヨークに来た最初の年に事情も何も知らずに興味本位で入学した。ピアノクラスは初心者向けと中、上級者向けの2つ。10数人が1クラスに集まって教わるわけだが、内容は非常に初歩的なものであった。正直言ってがっかりした。でも、毎年この学校を楽しみにしてる黒人のおじちゃんおばちゃん方の一生懸命、生き生きと授業を受けている姿は素敵だった。結局私は途中からずる休みするようになり、たまに行った日は先生のアシスタントとして生徒に教えたりした。その次の年はコンガを買ってパーカッションのクラスを取った。基本中の基本は抑えたが、その先全然発展せず、今では部屋の立派な置物に。今年はボーカルの教室に通っちゃおうかな?と企んでいる。それって無謀かしら?

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Library of Colombia Univercity (left) and Riverside Church (right)
Photo by A. Shirasaki


“ University of the Street”  彩子通信 Vol.1

September 2, 2000 Up dated

イーストヴィレッジの一角に知る人ぞ知るジャズプレーヤーの溜まり場になっている場所がある。名前は「ユニバーシテイー・オブ・ザ・ストリート」。ここは、ジャズクラブではない。50〜60畳位あるだだっ広い薄暗いスペースに椅子、グランドピアノ、ドラムセット等が置かれている。土曜の午後はバリーハリスのコーラスグループの練習、週末は夜の11時からジャムセッションが行われる。ここでハウスべーシストとして経験を積み、巣立っていった日本人に白鳥利卓や藤田こうへい等がいる。C・シャープ(通称だと思う)という名のパーカーばりのアルトサックスプレーヤーがいた一昔前は、いいミュージシャンも集まって連夜熱いセッションが繰り広げられていたようだが、今は、正直言って熱い!とは言い難い。でも、独特の雰囲気があって、非常に妖しいムードの中、比較的演奏歴の浅い人でもわりと気軽に入っていけるので、一度体験するのもいいと思う。

私はそこで、毎週木曜日「ボーカルワークショップ」なるものの伴奏ピアニストを務めて2年になる。基本的なシステムは、歌手が歌いたい譜面を持ってきて1曲につき5ドルを払ってプロのピアノトリオをバックに歌えるというもの。夜8時半から1時までの間なら予約もないので、来たい時間に来て歌っていく。歌手のほとんどはアマチュアかセミプロ。2年もやっていれば、皆が顔なじみで、その人の個性(歌も性格も)もわかってくるので、自然とやり易くなるが、始めは御姉様方の、曲の構成もキーもテンポの出し方もわかってないのに、それを人のせいにしてしまうという傍若無人な態度にどっと疲れを覚えてしまっていた。とにかく歌に関しては誰でも母国語で歌えて気軽にジャズに入っていけるので、逆に音楽的な知識を何も持たないままここまで来てしまった、という人がたくさんいる。その点、日本では譜面、テンポ出し、等とても明確で、余計な神経を使わなくていいので、楽だった、本当に…今では、皆、違う個性を持った良い人達、私も言わなければいけない事ははっきり言えるようになったし(ほとんど仕切ってます)、アマチュア相手といえども音楽は楽しくやりたい。そこで勉強になった事は、移調が容易くできるようになった事、スタンダードやブルース系の歌をたくさん知った事、そして、アメリカ人が人とどうコミュニケーション取るかという事を実際の場で知れた事。そしてもう一つ、そこでの楽しみは歌伴の前に数曲楽器だけでセッションする事。現在50、60歳代の現役地元ミュージシャンがよく出入りするので(ドラマーのフランク・ギャントやジミー・ラブレイスなど)一緒に演奏することもしばしば。普段は、私の大好きな、いいリズム持ってる黒人ドラマー「カリル・マディ」や、いつも何故かいるアルトプレーヤー「ジミー・バース」と一緒に超アップテンポとか弾きたい曲を演奏する。いつも、どこか曲の途中で変になってしまうが、このスリル感もジャズの醍醐味の一つ。なんかんや文句いいながらも、いい人たちに囲まれて貴重な経験をさせてもらっているの今後もしばらく続けていく事になりそう。私もいつかそこで、ボーカルデビューの日が来るかも…

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 (LEFT)3 Drummers Jimmy Lavelace、Frank Gant、Kalil Madi  (RIGHT) Wall inside of University of the street
  Photos by A. Shirasaki


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