Nostalgia of BCL
Nostalgia of BCL

Chapter 1

= 1 =

もうずいぶん昔のことだ。少年たちはやっと自分の部屋を手に入れた。 しかし、その部屋に置くことが許されるメディアと言えば「ラジオ」だった。テレビなどもってのほかだ。 「FM」「中波」そして「短波」というモードがあった。 この「短波」モードでダイヤルを回すと、世界中のいろいろな放送局からの電波をつかまえることができた。 英語、中国語、日本語。わけのわからない政治的な話や宗教の話。そして言語を超えた楽しい音楽。 「そんな放送を聞きながら、少年たちは夜な夜な遠い国を旅し続けた。

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彼らのこういった趣味はBCLと呼ばれた。Broad Casting Listener…放送を聞く人…そのまんまだね。 さらにこのBCLは、ただ「ラジオを聞く」ということだけでは終わらない、少年たちにとって代えがたい魅力があった。 それは「ベリカード」を手に入れることだ。受信した放送の内容、受信状況を報告書としてその放送局に送ると、 絵葉書のようなカードがもらえたのだ。放送局や報告時期によっては、ペナントやカレンダーなど特別なアイテムをも 手に入れることができた。切手や王冠を集めていた彼らの仲間に対して、これがどれほどの優位性を持っていたか。 言葉にするまでもないだろう。

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まなずもそんな少年の一人だった。ただし、彼のラジオには短波と言うモードがなかった。 仲間たちは海外の放送局から次々にベリカードを手に入れていた。まなずはすでにこの段階である種の敗北感を感じていた。 ある日まなずは本屋で一冊の本を手に入れた。タイトルにはもちろん「BCL」の文字があった。 ここには彼らが必要とするすべての情報があった。各放送局のタイムテーブル、周波数、そしてラジオやアンテナについて。 まなずは一気に読んだ。教科書でもここまで読んだことはないのに。そしてまなずはあることに気づいた。 一部の放送局の周波数は彼が持つラジオの「中波」モードで聞けるのだ。このときの彼の行動は速かった。 本を手に入れた4時間後にはもう世界を旅し始めていたのだ。4時間後なんて遅すぎる? 夕飯を食べなけりゃ母親に叱られて、ラジオどころじゃなくなるからね。

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北京放送、ラジオ韓国、モスクワ放送(現ロシアの声)、HLDA(現HLAZキリスト教放送局)、朝鮮中央放送局。 まなずのラジオで聞けるのはほとんどが近隣諸国の放送局だった。 人気のラジオオーストラリアを聞くにはやはり「短波」が必要だった。それでもまなずは毎日ラジオを聞いていた。 まなずはラジオ韓国が大好きだった。 これは日本と同じ民主主義国家の放送局であると言う以前に、聞ける時間帯が限られていたからだ。 他の局は夕方から深夜までほとんどずっと日本語放送をしていた。 一日限定何百杯と言うラーメンにありがたみを感じるのと同じである。 そして彼は彼の父親の車のラジオまで、これらの放送局をプリセットしてしまった。父親にとっては迷惑な話だ。

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ところがまなずは放送を聞くばかりで、ちっとも受信レポートを送らない。当然ベリカードももらえない。 ここには誰も気づかない落とし穴があった。まなずも受信レポートの書き方は本を見て知っていた。 そしてそのとおりにまとめることができた。問題はそれから先である。海外の放送局であるから当然、国際郵便となる。 海外に手紙など出したことはないのだ。もちろん切手代だって高くつく。 放送局によっては返信用の切手を要求してくるところまである。これがまなずの第二の敗北感だ。 この時、常にBCL仲間のトップにいたのは建設会社の社長の息子だった。

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まなずは、またあの本を開いた。しかし、経済的難関は本を開いても解決しない。 今なら女房のへそくりを見つけられるかもしないけどね。もう一度本を読んだ。 そして、ベリカードを送ってくれるのはなにも海外の放送局に限らないことを知った。 つまり、日本国内の放送局からもベリカードを発行してもらえるのだ。 まず手始めに地元の放送局に対して受信レポートを送った。そしてベリカードを手に入れた。初めてのベリカードだ。 まなずは自分のラジオで聞ける日本語の放送を手当たり次第に聞いた。そして受信レポートを送った。 あっという間にまなずのベリカードコレクションができた。しかもこれは仲間の誰も持っていないものばかりだった。 まなずはこれを盲点を突いたうまい作戦だと自己満足していた。少年の自尊心なんてこの程度のものである。


Chapter 2

= 7 =

しかしまなずも、やはりラジオオーストラリアが聞きたかった、ロンドンBBCが聞きたかった。 親が短波放送を理解して新しいラジオを買ってくれるはずもなかった。 このころ彼は、学校の帰りに放送部の先輩の家へ立寄ることがちょくちょくあった。 たまり場というほど暗いものではないが、おたくな連中が集まるという点である意味暗く見えただろう。 が、本人たちは明るかった。話題はやはりBCLであった。先輩は数台のラジオと数枚のベリカードを見せてくれた。 まなずの想いはピークに達した。普通に話しているつもりでも熱くなってしまう。さすがの先輩もうんざりである。

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先輩がラジオを貸してくれた!まなずの名誉のために言っておくが、うんざりした先輩に追い帰されたわけではない。 まなずがお願いしてOKをもらったのだ。物の貸し借りをしないまなずにとって、「ラジオ貸してください」の一言さえ抵抗があった。 それを彼の熱い想いが後押しした。もう、まなずの目の前はバラ色である。一週間の約束で借りた。 曜日によって放送しない局があることを考えれば、これだけの期間が必要であった。 家に帰りつくと彼はさっそくラジオをつけた。電波は入ってきた。しかし、日本語は聞こえない。 17時から日本語放送をしている局なんてないのだ。

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まなずは例の本を開いて周波数とタイムテーブルを確認した。 いつも中波で聞いている近隣の放送局以外で、自分の行動スケジュールを決めていった。 たとえば、ラジオオーストラリアは日に2回1時間づつ放送している。 しかし、1回目は19時からでありちょうど夕食と重なってしまう。BBCとバチカンはどちらも20時からの放送で、 同時には聞けない。(放送時間については、はっきりと記憶しておりません。誤りがあればお詫びします。) 夕食後、まずバチカン放送を聞くことにした。しかし…

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本に示された周波数に合わせても日本語は聞こえない。どんなに慎重にダイヤルを回しても何も聞こえない。 時間はどんどん過ぎて行く。バチカンをあきらめBBCの周波数に合わせた。こちらは聞くことができた。 しかしもう日本語番組終了の時刻が迫っていた。そしてすぐに電波は途切れた。ここで落胆してはいられない。 すぐに次のスケジュールであるドイチェベレの放送が始るのだ。こちらは最初から聞くことができた。 もちろんこのあと確実にワライカワセミの声も聞いた。ワライカワセミとはオーストラリアにいる鳥である。 ラジオオーストラリアは、放送が始る数分前からワライカワセミの声とともに「こちらはラジオオーストラリア…」 とアナウンスすることで有名だったのだ。こうして、まなずのアクティブな夜間飛行は終わった。

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夜が明けた。枕元には先輩から借りたラジオが置かれている。いつもはなかなか目が覚めないまなずも、 この日はすぐに頭が冴え渡った。時刻は6:30。いつもならまだ寝ている。とりあえずタイムテーブルを確認し、 北京放送を聞いた。北京放送は中波でも聞くことができるが、朝の放送に中波の周波数はなかった。 そして、7:00前になった。BBCである。「今度こそは最初から」という想いがまなずを焦らせる。 ダイヤル式のラジオは確実に周波数を合わせることができない。 電波が受信されない限りダイヤルが合っているのかどうかわからないのだ。時間は刻々と迫ってくる。 ダイヤルをほんのちょっと回した瞬間、「ゴーン」という鐘の音が聞こえた。BBCだ! ラジオオーストラリアのワライカワセミ同様、BBCはビッグベンの鐘の音を流す。 テレビのニュースでさえまともに見たことがないのに、まなずはイギリスからのニュースを食い入るように聞いた。 そしてまなずは、遅刻しそうになった。

= 12 =

それから一週間、まなずはラジオを聞いた。自由中国の声(現、台北国際放送)も聞いた。 南米からの放送は結局聞くことができなかった。バチカン放送も結局逃したままだった。 まなずが学校で授業を受けている時間帯にしか放送しない、不届き(?)な局もあった。 そして、まなずは予定通り先輩にラジオを返した。とてもすばらしい一週間だった。 まなずは仲間に、聞けなかった放送局の話をした。が、仲間たちはそれらを聞いている。 その話の中でまなずは二つの大きな問題があることを知った。1つ目はアンテナの問題。 ラジオについたロッドアンテナでは不十分な場合もあるらしいのだ。2つ目は周波数や放送時間帯が変更されているケース。 まなずはこれらの問題への対策を考えた。そして、再び先輩のラジオを借りることになる。

…つづく…