参観灯台巡り

参観灯台は、その内部が常時一般公開されている灯台のことで、主に社団法人燈光会が海上保安庁から委託を受け、有料で参観事業を行っています。これらの灯台は、上部へ登って眺望を楽しむことができるほか、資料館や展示室を併設するものもあります。現在、全国16の灯台が参観灯台となっており、参観料金は一律300円です。
 残波岬灯台(高さ31m):那覇空港から26番系統宜野湾営業所行きバスに10分乗り県庁北口で下車し、県庁北口から29番系統読谷バスターミナル行きバスに1時間乗り終点の読谷バスターミナルで下車し、徒歩37分。群閃白光で、毎10秒に2閃光。沖縄本島のほぼ中央、東シナ海に大きく突き出した岬が残波岬で、高さ30mから40mにも及ぶ隆起サンゴ礁の絶壁が2kmに渡って続く景勝地となっています。残波岬は東シナ海に大きく突き出した岬で、高さ30m余りの隆起サンゴ礁の絶壁が2kmに渡り続く、風光明媚な景勝地。古来からこの海域は航海の難所であった。コンクリート造りの灯台が昭和49年3月30日に初点灯された。南西諸島随一の高さ31mを誇る。残波岬には、以前中国に照準を合わせたミサイル「メースB」の発射基地があり、灯台建設時は当地は米軍の実弾演習場として使用されていたため、工事には苦労があった。見学後、徒歩15分で沖縄残波岬ロイヤルホテルに着く。(2018年2月24日)
 平安名埼灯台(高さ25m):那覇空港から飛行機に乗り45分で宮古空港に着き、レンタカーに乗り40分で東平安名岬公園の駐車場に着き、そこから徒歩5分で平安名埼灯台に着く。単閃白赤互光で、毎20秒に白1閃光赤1閃光。平安名埼灯台は、沖縄県宮古島市の宮古島の東平安名岬の突端に建つコンクリート造りの大型灯台で、昭和42年3月、当時の琉球政府によって設置され初点灯された。昭和47年(1972年)5月15日に、沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権がアメリカ合衆国から日本国に返還されました。灯室部分までの97段の螺旋階段を登り、踊り場に出て東平安名岬や東シナ海、太平洋を見渡すことができます。宮古島といえば、「全日本トライアスロン宮古島大会」の舞台で、開催時期の3~4月は、東平安名崎一帯に「テッポウユリ」が咲き誇る。また、同島の北部の池間島沖には、年1回、海上に出現する幻の大陸「八瀬千瀬」があり、観光スポットとして脚光を浴びている。(2018年2月25日)
 初島灯台(高さ16m):JR東海道本線熱海駅から伊豆東海バスで15分、熱海港で下車し、熱海港から高速船で25分、初島港で下船し徒歩15分。単閃赤緑互光で、毎20秒に赤1閃光緑1閃光。相模灘に浮かぶ初島の南東の丘陵に建つコンクリート造りの白色の小型灯台で、昭和34年(1959年)3月に設置され、初点灯。昭和42年(1967年)12月の海底電線敷設に伴い、2基の自家発電装置の使用から東京電力の利用に変更された。昭和60年(1985年)1月に有線監視装置が設置され、平成19年(2007年)3月に参観灯台として一般公開を開始。参観灯台とするにあたってリニューアルがなされ、実効光度が赤光4万8千カンデラ、緑光4万3千カンデラ、光達距離が17.5海里(約32km)となり低下した。また参観者への配慮もあって灯台本体の外側に螺旋階段が付けられ展望台としての面が強くなった。平成18年(2006年)に灯台資料展示館が開設され、初島の歴史や灯台の仕組み・航路標識の歴史などの展示がある。(2017年1月28日)
 都井岬灯台(高さ15m):羽田空港から日航機に1時間40分乗り宮崎空港に着き、宮崎空港からJR日南線ワンマン電車に2時間半乗り串間駅に着き、串間駅前からマイクロバスに40分乗り都井岬で下車し、都井岬ビジターセンターに寄ってから徒歩30分で都井岬灯台に着く。単閃白光で、毎15秒に1閃光。宮崎県串間市に属する都井岬の標高240mの断崖上に立つコンクリート造りの白色の大型灯台で、昭和4年(1929年)5月に起工し同年12月に完成して初点灯された。一般公開されている参観灯台で、上まで登ることができるが、灯台上からは太平洋が一望でき、北には日南海岸のすばらしい景観を望むことが出来ました。付近は高鍋藩の頃から藩営牧場として軍馬・農耕馬が生産され、その名残が現在の御崎馬「都井の野生馬」として昭和28年に国の天然記念物に指定されています。灯台の南側海岸にはソテツ自生地があり、こちらも大正28年に国の特別天然記念物に指定されています。(2017年9月10日)
 大王埼灯台(高さ23m):近鉄志摩線鵜方駅から三重交通バス「御座港行き」に乗り30分、大王崎灯台で下車し徒歩7分。単閃白赤互光で、毎30秒に白1閃光赤1閃光。大王埼灯台は、志摩半島の南東端に位置し、海食台地の断崖上に立っている。波切の地名は、遠州灘と熊野灘の荒波を切り分けるように突き出していることに由来し、大王埼付近の海域は険礁、暗岩が多く昔から海の難所である。白亜の灯台の立つ一角は城山といい、戦国時代には現在の灯台一帯に波切城が築かれ、海上に雄飛した九鬼水軍の城塞があった所である。大正2年にはサンマ漁船の海難で51名が死亡、大正6年には3千トンの巡洋艦「音羽」が大王岩に衝突して沈没するなどの事故が契機となり、大正15年に灯台の建設に着工し、昭和2年に完成して「魔の海」に光が灯った。灯台は戦時下、米軍艦載機の機銃掃射を受け、灯籠、レンズ、灯器に甚大な被害を被ったが、灯塔は破壊を免れた。(2016年11月20日)
 出雲日御碕灯台(高さ44m):JR山陰本線出雲市駅からバスで55分、「日御碕灯台」バス停で下車し徒歩2分。複合群閃白赤互光で、毎20秒に白2閃光赤1閃光。出雲日御碕灯台は、壮大な建築美を誇る出雲大社の北西、島根半島の西端、日本海の荒波の打ち寄せる断崖に立っている。明治36年に点灯した石造で、日本一の高さの灯台である。設計は石橋綾彦工学博士、工事は日本人のみによって進められたが、明治初期に外国から導入された石造灯台構築技術と、我が国古来の築城および石工技術が集大成された傑作として高い評価を受けている。163段の螺旋階段を登り終えると、灯台の展望踊場からは眼前に日本海が広がり、数千羽のウミネコが乱舞する経島や、リアス式の美しい海岸が一望できる。この灯台は、出雲大社とともに出雲路の見過ごすことのできない観光ポイントとなっている。(2017年8月6日)
 塩屋埼灯台(高さ27m):JR上野駅から特急ひたち号に乗って2時間半でJR常磐線いわき駅に着き、いわき駅前から新常磐交通バス「江名経由泉駅前行き」で30分、灯台入口で下車し徒歩15分。単閃白光で、毎15秒に1閃光。白砂青松の美しい海浜が連なる「いわき七浜」の海岸線の真ん中に突き出た岬角上に美しい白亜の雄姿が映えている。明治32年に初点灯し、昭和13年の福島県北方沖地震(M7.7)でレンガ石造の灯台は大破、昭和15年に現在の鉄筋コンクリート造に建て替えられた。103段の螺旋階段を登り最上部の踊り場に出ると、そこから海岸線に沿って新たに築かれた防潮堤がはっきりと見える。昭和32年に映画「喜びも悲しみも幾歳月」(木下惠介監督)が公開され主題歌共々日本国内でヒット。灯台職員とその家族が日本全国の辺地の灯台勤務で積み重ねる、長い人生の哀歓を描いた映画作品である。本作は当時の塩屋埼灯台長夫人・田中きよの手記「海を守る夫とともに20年」(婦人倶楽部1956年8月号に掲載)から原案を得た内容で、映画には塩屋埼灯台もロケーションで登場した。(2017年2月19日)
 入道埼灯台(高さ28m):JR男鹿線羽立駅から秋田中央交通バス「男鹿北線入道崎行き」に乗り60分、終点で下車し徒歩3分。単閃白光で、毎15秒に1閃光。日本海に突き出した男鹿半島は「なまはげ」の奇習で知られており、半島の北西端に位置し、 なだらかな起伏を持った草原の台地で、芝草に覆われた緑のスロープの中心に入道埼灯台があります。入道埼灯台は、明治31年11月8日に初点灯、当時、山形、秋田、青森県の日本海沿岸には、 酒田灯台と船川灯台の木造灯台2基があるだけでした。白色塗の六角形鉄造りで22,000燭光の光を放つこの灯台は、世人の目を驚かせるに十分でした。昭和26年6月に改築して現在の灯塔が二代目で白黒しま模様になり、平成10年11月8日に100周年を迎えました。この灯台は、能代港、戸賀湾および秋田船川湾周辺を航行する船舶をはじめ男鹿半島沖合の日本海を航行する船舶の重要な指標として、その安全を守り続けています。(2017年6月26日)
 尻屋埼灯台(高さ33m):八戸駅から野辺地駅まで青い森鉄道に乗り、野辺地からむつバスターミナルまで下北交通バスに1時間30分乗り、尻屋埼行きバスに乗換え55分乗り終点で下車。尻屋埼灯台は、青森県下北半島最北東端に突出した尻屋崎の突端に立つ白亜の灯台で、明治9年に初点灯された。「日本の灯台の父」と称されるイギリス人R.H.ブラントンによって設計された、二重のレンガ壁による複層構造の灯台となっており、レンガ造りの灯台としては日本一の高さを誇る。周辺には寒立馬と呼ばれる馬が放牧されており、一帯は景勝地となっている。この灯台では、先の大戦時、空襲により職員一名が殉職し、灯台も大きく破壊されました。この翌年、「破壊された灯台が点滅する」と云う目撃が相次ぎ、村人の間では「殉職職員の霊が灯台を灯している」と信じられた「まぼろしの灯台」の話は、今も語り継がれている。1945年に破壊されたが、1951年に復旧された。海上保安庁の灯台150周年を記念して2018年6月に尻屋埼灯台が、見学できる期間が限られてはいるが一般公開され、全国の参観灯台の数は16となりました。(2020年7月11日)
 角島灯台(高さ30m):JR山陰本線特牛駅からバスで33分、バス停「灯台公園前」で下車し徒歩3分。角島は山口県の北西の日本海に浮かぶ島で、角島大橋が平成12年(2000年)11月に開通し陸続きで行ける様になりました。単閃白光で、毎5秒に1閃光。角島灯台は、イギリス人R.H.ブラントンが帰国直前の明治9年3月に初点灯した総御影石造りの洋式灯台です。日本海側初の洋式灯台で、130年以上経った現在でも、現役で毎日点灯しています。その高さは30mで、らせん階段で踊り場まで昇れます。角島灯台に隣接された灯台記念館は、職員の宿舎だった退息所を利用した施設で、角島の歴史や日本各地にある灯台が紹介されています。灯台長の部屋なども復元されています。二代目灯台長のジョセフ・ディックは島民と親しみ風邪を引いた人に薬を与えたり、また人材の育成にも力を注ぎ、技術を伝授させた島の少年の一人は後年、角島灯台長となっています。(2017年4月16日)
 犬吠埼灯台(高さ31m):JR横須賀線戸塚駅から横須賀線/総武本線の電車に3時間20分乗って総武本線銚子駅に着き、銚子駅から銚子電鉄の電車に15分乗って犬吠駅に着き、徒歩10分。単閃白光で、毎15秒に1閃光。江戸時代から漁業や物資の集積場として、また交通の要衝として繁栄、現在は漁業と観光の町として発展している銚子の半島突端にそそり立つ。文明開化、富国強兵の国策のもと、北米航路の重要な灯台として英国人技師R.H.ブラントンの設計、施工監督のもとに明治5年に着工し、明治7年に完成、点灯した。レンガ造りの建築物としては日本一の高塔で、第一等4面レンズを通じて110万カンデラの光を発しており、名実ともに日本一の灯台です。犬吠埼沖の海上は、海流、地形の影響により海霧の発生が多く、明治43年に霧信号所が併設され、日本で唯一のエアーサイレン方式で霧笛の音色に特徴があったが、平成20年(2008年)に閉鎖された。(2016年8月6日)
 御前埼灯台(高さ22m):JR東海道本線菊川駅からバス「浜岡営業所行き」に乗り45分、終点で自主運行バス「御前崎海洋センター行き」に乗り35分、終点で下車し徒歩5分。単閃白光で、毎10秒に1閃光。御前埼灯台は煉瓦積み構造で、不燃性建材としての煉瓦は工場での大量生産が可能であり、当時の土木建築業界に大きな革新をもたらしました。この灯台は、イギリス人R.H.ブラントンの設計により明治5年5月に工を起し、2カ年の歳月と巨額な費用を投じて完成しました。回転式の第1等レンズを使用した物としては、我が国最初の灯台ですが、太平洋戦争の戦災でレンズは破損し現在は第3等レンズとなっています。年間10万人程度の人が訪れており、灯台の上からの景観と強風を体感し、御前埼町の観光スポットとして貢献しています。木下惠介監督、佐田啓二・高峰秀子主演の映画「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年松竹作品)の舞台となり、ロケが行われたことでも知られている。(2016年9月3日)
 安乗埼灯台(高さ13m):近鉄志摩線鵜方駅から三重交通バス「安乗行き」に乗り25分、「安乗口」バス停で下車し徒歩25分。単閃白光で、毎15秒に1閃光。安乗埼灯台は、志摩半島の中央部に東から深く切れ込んだ良港である的矢湾の入口にある岬で、周囲には暗礁が多く、古くから海の難所として知られていた。この灯台は、イギリス人R.H.ブラントンの指導により明治6年、全国で20数番目に完成された歴史ある灯台である。灯台は八角形木造で、明かりは石油ランプを使用し職員は3名でした。後に海食により地盤が崩れてきたため、岬の先端から後退させたが、さらに地盤が崩れ出したので、昭和24年に再度後退させた。その際、現在の四角形鉄筋コンクリート造に新替えされた。この灯台は風光明媚な地にあることから、灯台の周囲は公園として整備され、また近くには阿児町立の灯台資料館があり、この灯台に関する資料などが解り易く展示されている。(2016年11月20日)
 潮岬灯台(高さ23m):JR紀勢本線串本駅から串本町コミュニティーバス「潮岬観光タワー行き」に乗り15分、「潮岬灯台前」バス停で下車し徒歩3分。単閃白光で、毎15秒に1閃光。潮岬灯台は、黒潮洗う海抜30mの断崖上にあり、本州最南端の灯台として知られ、阪神~京浜間など本州南岸航路の要衝にある。この灯台は、江戸幕府が英、仏、蘭、米の四か国と慶応2年(1866年)に締結した江戸条約で建設が決められた8灯台のうちの一つで、英国人R.H.ブラントンが設計・指導して明治2年に着工し翌年に完成。当初の灯台は、八角形の木造で我が国最初の洋式木造灯台でした。現在の石造りの灯塔は二代目で、隣町の古座町の砂岩を使用し、明治10年から翌年にかけて改築されたもので、明治期の貴重な灯台として平成7年度には耐震補強に合わせた保存整備が実施されている。潮岬から東側の熊野灘に面した地域は、吉野熊野国立公園に指定されており、瀞峡などの渓谷美や高さ日本一の那智の滝、奇岩で有名な橋抗岩などの海岸美を誇り、また、勝浦・湯川など湯量豊富な温泉が各所にある。(2016年10月3日)
 野島埼灯台(高さ29m):京急横浜駅から30分で京急羽田空港国内線ターミナル駅に着き、「羽田空港第1ターミナル」から高速連絡バス「君津製鉄所行き」に30分乗り「木更津羽鳥野BS」で「白浜野島崎行き」に乗換え90分、終点で下車し徒歩5分。羽田空港から野島崎までの高速連絡バス料金は2500円。単閃白光で、毎15秒に1閃光。野島埼灯台は、明治の初め西洋式灯台の建設にあたり観音埼灯台と並んで最初に外洋から東京湾に出入りする船舶にとって大切なポイントとして選ばれ、1869年(明治2年)にフランス人F.L,ヴェルニーの設計によりレンガを使った異国情緒の漂う白亜の灯台が白浜のシンボルとして建てられた。当時は満潮になると島になってしまう低い台地にあったが、大正12年の関東大震災で大隆起し現在のような陸続きになり、この時に優雅な灯台は粉々に崩壊してしまった。現在の灯台は、大正14年に鉄筋コンクリート造りの八角形に再建されたものである。(2016年7月25日)
 観音埼灯台(高さ19m):京急浦賀駅からバス「観音崎行」で15分、終点で下車し徒歩10分。群閃白光で、毎15秒に2閃光。我が国最初の西洋式灯台で、フランス人F.L,ヴェルニーの設計により明治2年に完成しました。旧来の篝火や燈明台とは比較にならない大きな光力と光達距離を有するもので、当時の人々は、開国によって我が国に導入された西洋文明の最初の輝きに驚いたものと思われる。大正11年の地震により初代の煉瓦造りの四角形の灯台(高さ12m)は壊れ、すぐ再建された二代目も翌年の関東大震災で再度壊れ、大正14年に造り直された三代目の灯台が現在のものとなっている。海上交通の大動脈といわれる浦賀水道を航行する船舶を見守り続けて130年、今ではタンカーなどの巨大船の安全航行に役立っている。(2013年9月8日、2017年1月2日)


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