自然との触れ合い、森林浴、頂上へ登り着いた時の達成感が好きで、ときどき山歩きをします。

山歩き

 坂戸山(634m):JR上越線六日町駅から徒歩20分で登山口に在る鳥坂神社に着く。急登ではあるものの良く整備されている登山道の薬師尾根コースを歩き1時間10分で坂戸城の本丸の在る坂戸山山頂に着く。坂戸城は、新潟県南魚沼市に存在した大規模な山城で、山頂に本丸、麓に平時の住居跡の遺構が見られ、魚野川を挟んで、三国街道を見下ろす交通上の要地に位置する。上田長尾氏ゆかりの城として知られており、長尾政景や上杉景勝の居城として名高い。上杉謙信の姉・仙桃院の嫁ぎ先でもある。また上杉景勝が会津へ移され替わって堀氏が越後に入ると、堀直寄が坂戸城主を務めたことで知られる。山上尾根の要所には大規模な堀切があり、「本丸」東方斜面には石垣が遺存する。山頂から南西に延びる尾根付近には「西の丸」跡があり、「西の丸」から尾根先端、寺ヶ鼻の「出丸」跡までの間に100基以上の畝状竪堀が築かれている。(2019年6月2日)
 角埋山(576m):JR久大本線「豊後森」駅からタクシーに乗り15 分で三の丸駐車場に着き下車、そこから徒歩15分で角牟礼城の搦手門跡、大手門跡、二ノ丸跡を経て山頂に在る本丸跡に着く。角牟礼城は、1585年(天正14年)から1586年(天正15年)に起きた、島津氏と大友氏の豊薩戦争の際に落城しなかった要害堅固の城として知られています。天然の要害と呼ぶに相応しく、三方を切り立った険しい岩壁で囲まれています。1593年(文禄2年)に大友義統に替わって毛利高政が入封した際に城を大幅に改修しました。現在残されている遺構は、この時代のものと思われます。江戸時代に来島康親が伊予より入封し森藩が立藩されましたが、来島氏は1万4千石の小大名で城を持つことは許されなかったため山麓に久島陣屋を築き、角牟礼城は廃城とされました。現在、城址には高さ約7m、長さ約100mに及ぶ穴太積みの石垣が残っています。また久島陣屋跡は三島公園として整備されています。(2019年5月17日)
 旭山(785m):長野新幹線長野駅から徒歩60分で中腹に在る旭山観音堂を経て旭山登山口(標高600m)に着く。そこから徒歩30分で旭山々頂(標高785m)に着く。旭山城は「第二次川中島の戦い」の舞台となった城です。旭山は、長野市街地西側の長野県庁裏にそびえる三角形をした山です。旭山の東側には裾花川が流れて断崖となり、南側は犀川が自然の堀となっており、まさに要害堅固の立地です。旭山全体が城域で、山頂に本城、中腹に大黒城、尾根の突端には小柴見城がありました。善光寺の堂主・栗田氏を味方に引き入れた武田信玄が、長尾景虎(上杉謙信)の川中島進撃を牽制するために築いたとされています。対陣は数ヶ月に及び、膠着状態に陥った結果、今川義元の仲介で和議が成立しました。このときの和議の条件のひとつに城の破却が盛り込まれたことからも、上杉勢が手を焼いた要害だったことが考えられ、1557年(弘治3年)には景虎が城を再建しています。現在城址には石積みなどの遺構が確認できます。(2018年9月23日)
 八溝山(1022m):JR水郡線常陸大子駅から「蛇穴行き」バスに45分乗り終点で下車し、八溝林道入口から険しい山道を2時間登り八溝山の八合目にある日輪寺(坂東33観音霊場の21番札所)に着く。本殿でお参りをした後、用意した般若心経の写経を提出し納経帳に御朱印を戴く。その後、更に30分登り茨城・福島・栃木の三県に跨る八溝山(標高1022メートル)の頂上にある八溝嶺神社に着き、記念写真を撮る。頂上からは太平洋を眺めることが出来ます。公共交通機関(電車とバス)を利用した坂東33観音霊場札所巡りを11月3日に鎌倉の杉本寺(1番札所)から始め、遂に最難関とされる日輪寺に来ることができた。寺伝では、役行者が開き、大同二年(807年)に弘法大師が十一面観音を刻んで霊場とし、その後慈覚大師の来山で天台宗に改めたのだとか。室町時代には大いに栄えたが、その後の火災や明治時代の廃仏毀釈運動により、今は小さなお寺になってしまったという。12月末までに最後の館山の那古寺(33番札所)を詣でて坂東33観音札所巡りの結願とする予定。(2016年12月5日)
 臥牛山(687m):JR高山本線高山駅から三の丸水堀を経て徒歩25分で二の丸公園に着き、徒歩15分で標高687mの臥牛山頂に着く。高山城は、飛騨の守護代である多賀山出雲守徳言によって臥牛山に文安年間(1444年~1449年)に築城され、永正年間(1504年~1521年)には高山外記が在城していた。天正13年に金森長近は、秀吉の命を受けて飛騨へ侵攻し、翌年飛騨一国を賜り天正16年から築城を始め、慶長5年までの13年で本丸、二の丸が完成し、以後金森可重によって更に3年で三の丸が築かれた。高山城は、信長の安土城構築直後に築かれ大きな影響を受けている。軍事的機能を最優先させた城ではなく、御殿風の古い城郭形式を持ち、外観二層、内部三階の構造を持つ天守を備えているのが特徴で、秀吉の大阪城築城以前における城郭史上初期に位置付けられている。本丸屋形には台所、風呂、大広間、茶室などが、南の大手方面には南の出丸、北の搦手方面には、東北曲輪、中段屋形が配置され、遺構として曲輪、堀、石垣、土塁などが残る。鐘楼門が雲龍寺に移築されている。(2016年6月6日)
 岩櫃山(803m):JR吾妻線「郷原」駅から徒歩30分で登城口に着き、本丸まで徒歩15分。岩櫃城は岩櫃山の北東に伸びる標高594mの尾根に築かれ、南は吾妻川へ下る急斜面、北は岩山で天然の要害となっている。西から本丸・二ノ丸・中城などが続き、北東に天狗丸がある。鎌倉時代初期に吾妻太郎助亮により築城された。その後、斎藤氏の支配する所となり、永禄6年(1563年)武田信玄は上州侵略のため、重臣真田幸隆に岩櫃城攻略を命じた。ときの城主斎藤基国は堅城を利して奮戦したが落城し、信玄は幸隆に吾妻郡の守護を命じた。天正2年(1574年)に幸隆が世を去り、岩櫃城主には長子の信網が収まったが、翌年、長篠の戦で信綱、昌輝兄弟が戦死したため、真田家は幸隆の三男、昌幸が相続した。その後、昌幸の長男信幸が支配し、信幸の弟幸村も少年時代をこの城で過ごした。天正18年(1590年)北条氏の滅亡により、信幸は初代沼田城主となり、岩櫃城は沼田城の支城として、重臣出浦対馬守を城代とした。徳川家康が発した一国一城令により四百余年の長い歴史を残し姿を消した。(2016年3月13日)
 岩殿山(634m):JR東日本中央本線大月駅から徒歩30分で中腹の「岩殿山ふれあいの館」に着く。さらに揚城戸、番所、物見台、馬場、倉屋敷、兵舎などの跡、空濠、井水、帯郭を経て徒歩30分で本丸跡、烽火台跡がある岩殿山山頂に着く。岩殿城は、武田信虎の時代の天文元年(1532年)に、甲斐の有力国人で武田氏に重臣として任えた小山田信有により築かれ屈指の堅固さで知られていた。小山田氏は甲斐守護の武田氏に敵対していたが、永正6年(1509年)に郡内を領有する半独立の領主の地位を保ったまま武田氏の傘下に入り重用され武田二十四将の一員となる。天正10年(1582年)に織田信長が甲斐に侵攻したとき小山田信茂は織田方へ寝返り、新府城から岩殿山城へ落ち延びようとした武田勝頼の郡内入りを阻止した。進退に窮した勝頼は天目山に追い詰められて自害した。小山田信茂は織田信長に帰参を求めたが不忠者として処刑され、17世紀初めに廃城となったそうです。(2015年9月20日)
 要害山(770m):JR中央本線甲府駅から要害山登山口までタクシーで15分。登山口から山頂まで徒歩40分。標高770メートルの要害山に築かれた要害山城は、武田信虎時代の永正17年(1520年)に武田氏館(躑躅ヶ崎館)の詰城として砦や狼煙台が築かれた。同年には駿河の今川氏勢の武将福島正成が駿州往還を甲斐へ侵攻し甲府へ迫っており、信虎は正室の大井夫人を避難させ福島勢を駆逐しているが、夫人はその最中に城中で武田晴信(後の武田信玄)を出産した。本丸に至る通路や枡形、曲輪、堀切、見張台、信玄の産湯と伝わる井戸等の遺構のほか、要所を固める石垣、「武田信玄公誕生之地」の石碑も遺存されている。天正4年(1576年)に武田勝頼は帯那郷の村役人に人夫督促状(朱印状)を発給し要害山城の修築を命じた。武田氏滅亡後、徳川氏の支配期を経て豊臣系大名が入城し、加藤光泰により修築が行われた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、廃城となったそうです。(2015年6月1日)
 高取山(583m):近鉄電車吉野線壺阪山駅で下車し奈良交通バスで10分「壺阪寺口」で降り、徒歩90分。上り坂の車道を歩き五百羅漢に着く。そこから高取城跡までつづら折りの車道を登り続ける。本丸跡に近づくにつれ地表には昨日降った雪が積もっている。さらに急坂があったり高い段差の箇所があったりして本丸跡に辿り着く。遂に三大山城(岩村城、高取城、備中松山城)をすべて踏破した。高取城は、南北朝時代の元弘2年(正慶元年、1332年)に南朝方であった越智邦澄が築城したのが始まりと伝えられています。当初は越智氏の本城である貝吹山城の支城として機能していました。越智氏の支配が長く続き戦国時代には高取城が越智氏の本城となっていました。山城の中では敷地面積が最も広く、往時は白漆喰塗りの天守や櫓が29棟も建て並べられていたそうです。(2014年12月15日)
 蓼科山(2530m):自家用車で中央道諏訪南ICから国道152号を経由して1時間で蓼科牧場の駐車場に着く。登山靴に履き替えて山歩き開始。蓼科牧場のゴンドラリフトを利用して御泉水自然園に降り立ち、登山道を1時間30分ほど歩くと蓼科山荘の前に出る。岩がゴロゴロと積み重なった急斜面を注意しながら小刻みに登っていく。40分ほどで山頂に着き、八ヶ岳や日本アルプスを眺望する360度の大パノラマを満喫する。山頂部は荒々しい火口跡ながら、溶岩の隙間で高山植物が花を咲かせ蓼科山の夏を彩っている。休憩した後、蓼科山荘までの急斜面を慎重に下降し、蓼科牧場の駐車場に戻った。(2014年8月31日)
 富士山(3776m):バスで河口湖五合目に到着。溶岩砂礫や岩尾根の登山道を5時間ジグザグに登った。八合目にある山小屋「太子館」で夕食を摂り仮眠を5時間取った。深夜23時から吉田口登山道を光り輝く満月「スーパームーン」を目にしながら再び5時間登った。吉田口頂上に近づくにつれ東の空がオレンジ色に染まってきた。山頂に着き記念写真を撮った。火口を巡る「お鉢巡り」は強風のため中止し覗き込むだけした。下山は吉田口頂上から溶岩砂礫にジグザグに切られた下山専用道に入り5時間歩いて五合目に戻った。最後に「ふじやま温泉」で入浴し疲れを癒した。スポーツジム企画の登山ガイド付き富士山登山に参加し43年振りに富士山に登った。(2014年7月12日、13日)
会社に入ってから、同じ部の人たちと日本一の山「富士山」に登った。草木が少なく、小石や砂の道路が非常に多かった。しかし、さすがは富士山、頂上に立ったときの眺めは素晴らしかった(1971年)、という記憶がある。
 男体山(2486m):東武日光駅から二荒山神社に行き今回の山歩きの安全を願ってお参りした後、東武日光駅に戻り「湯元温泉行き」バスに50分乗車しバス停「二荒山神社前」で下車。二荒山神社中宮祠の社務所で記帳のうえ入山料を納めて、いよいよ山歩き開始。山頂までの険しい登拝路を3時間、登り続ける。登拝路の途中で時々休憩し、眼下に見える中禅寺湖の眺めで癒され元気を貰う。登拝路にまだ雪が残っている箇所が二か所あった。登拝路を登りきって男体山の頂上(2486m)に着き、二荒山神社奥宮の高みに雄々しく立つ二荒山大神の御神像の脇で記念写真を撮る。日光連山の眺望を30分楽しんだ後、往路と同じルートを戻る。急下降の岩場が多く適度に休憩を採りながら2時間半で二荒山神社中宮祠に戻った。6時間の険しい登拝路の山歩きで非常に疲れたが無事下山でき二荒山神社中宮祠でお礼参りをした。(2014年6月1日)
 赤城山(1828m):自家用車で関越自動車道「前橋IC」から50分で標高428mにある赤城山ビジターセンターに到着。赤城山は黒檜山や駒ケ岳の総称です。登山靴に履き替えて黒檜山登山口に向かう。途中にある大沼畔の赤城神社で安全祈願をしてから黒檜山登山口に着く。登山道に入り樹林の中を1時間、登るとやがてはっきりした尾根道となり、眼下に大沼の青い水面がきらめく。尾根道を登りきって黒檜山の頂上(1828m)に着き、記念写真を撮る。谷川岳や武尊山や皇海山の眺望を楽しんだ後、稜線を南下してから緩やかに登り返して1時間、駒ケ岳の頂上に出る。駒ケ岳から黒檜山を望んだ後、緩やかに下ってから山腹から急下降して更に1時間で駒ケ岳登山口に着いた。赤城山ビジターセンターへと戻る前に、ミニ尾瀬と呼ばれる高原湿原の覚満淵の遊歩道を一周した。(2014年5月18日)
 岩村城山(717m):中央自動車道「恵那IC」から自家用車で25分して岩村歴史資料館に着いた。登山靴に履き替え、復元された表御門・平重門・太鼓櫓、藩主邸の一部などを麓で見学した後、坂道や階段を登って岩村城の大手門を経て三の丸、二の丸、東曲輪を守る六段壁、本丸埋門、本丸まで25分歩いた。岩村城山山頂の本丸跡(717m)で記念写真を撮り、持参した「おにぎり」を食べて休憩した。その後、出丸、出丸にある氷餅蔵、霧ヶ井を見学してから下山し岩村歴史資料館の駐車場に戻った。岩村城は、本丸が諸藩の居城中最も高い海抜717mに位置しており、1185年源頼朝の重臣・加藤景廉がこの地の地頭に補せられ、その子・遠山景朝により1221年以降に創築されてから、鎌倉・室町、戦国、江戸期を経て明治に至り1871年に廃城されるまでの650年間に亙り城と城主が連綿と続いたそうです。(2014年3月21日)
 那須岳(1917m):JR東北本線の黒磯駅からバスで那須ロープウエイ駅まで行き下車し那須ロープウエイに山麓駅から山頂駅まで乗った。久しぶりの快晴のためバスは交通渋滞で大幅に遅延し登山者も多かった。降りた山頂駅付近では風が強く吹いていたが、砂礫の斜面を登って茶臼岳(1915m)の頂上に立った。頂上には那須岳神社の祠があり安全祈願をしました。頂上からの展望を満喫した後、火口縁をバランスを崩さないように注意しながら少し下って峰ノ茶屋避難小屋に着き持参した「おにぎり」を食べて休憩した。次に岩の斜面を登りアルペン的な朝日岳(1896m)の頂上に着いた。ここから茶臼岳や三本槍岳(1917m)を展望した後、少し下って峰ノ茶屋避難小屋に戻り茶臼岳の西中腹を水平に横切って行った。活発に噴煙を上げる噴気孔の近くを通って鞍部の牛ノ首に出てから更に下って那須ロープウエイの山頂駅に戻った。(2013年10月14日)。
 八幡平(1613m):JR東北新幹線盛岡駅でバスに乗り八幡平アスピーテラインを通って見返峠で下車した。見返峠から三角錐を誇示している畚岳(1578m)や奥の岩手山(2038m)を眺めた。見返峠から30分歩いて八幡平頂上(1613m)に着き記念写真を撮ったが、途中にはガマ沼や鏡沼があり周辺の所々で紅葉が見られた。八幡平頂上で持参した「おにぎり」を食べてから、往路とは別のルートを30分歩いて見返峠に戻った。その後、バスで日本で最も深い田沢湖(最大深度423m)に移動した。田沢湖は、瑠璃色の湖面とたつこ姫伝説に彩られ周囲約20キロメートルのほぼ円形の湖で、飲水思源像のある場所から、たつこ姫の像のある場所までの10キロメートルを遊歩道に沿って散策した。(2013年9月26日)。
 谷川岳(1977m):アルペン的な景観を見せて聳え立つ上越国境の双耳峰の谷川岳に登った。天神平から谷川岳山頂に登り天神平に戻るまで約4時間半歩いた。(2013年7月31日)。
コース概略:JR東京駅発(6:08)→とき301号→JR高崎駅(6:58着、7:10発)→JR上越線→JR水上駅(8:13)→谷川岳ロープウェイ行バス発(8:25)→ロープウェイ谷川土合口駅着(8:45)→ロープウェイ乗車(8:50)→天神平(9:00)→天神峠(9:15)→熊穴沢避難小屋(9:50)→天狗の溜り場(10:25)→肩ノ小屋(11:05)→トマの耳(11:15)→谷川岳山頂・オキの耳(11:30)→下山開始→トマの耳(11:45)→肩ノ小屋(11:55)→昼食おにぎり(11:55-12:05)→天狗の溜り場(12:20)→熊穴沢避難小屋(12:45)→天神平(13:40)→昼食カレー(13:40-14:00)→ロープウェイ谷川土合口駅(14:10)→水上行バス発(14:13)→JR水上駅(14:33着、14:56発)→JR上越線→JR高崎駅(15:59着、16:21発)→あさま534号→JR東京駅着(17:12)
 西穂高岳(2909m):新宿から新穂高温泉まで夜行の専用登山バスに乗り、その後ロープウェイに乗り標高2150mの西穂高口駅に着いた。展望台で朝食を摂り、これから登る西穂高岳や西穂独標を見ました。西穂高口から樹林帯の中を1時間30分ほど登り西穂山荘に到着しました。さらに西穂山荘の脇から西穂高岳を目指してハイマツの間を登り、標高2452mの丸山を経て標高2701mの西穂独標に辿り着いた。西穂独標には鎖が設置され傾斜が45度ほどあります。あいにく西穂独標の山頂付近はガスが一杯で周りの景色は見えず風速10mほどに風が吹いていました。ここで記念写真を撮り西穂高岳への登頂を切り上げて西穂山荘まで戻り昼食を摂りました。西穂山荘からは上高地を目指して樹林帯の中を3時間ほど歩きました。途中、集中豪雨に遭い「ずぶ濡れ」になってしまいました。何とか上高地から新宿までの専用登山バスの発車時刻の16:00に間に合い帰路に着きました。(2013年7月22日)。
 ピッツネイル山(3057m):サンモリッツで教会や美術館などの建物を眺めた後、ケーブルカーとロープウェイを利用して標高3057mのピッツネイル山の山頂にあるピッツネイル展望台に着いた。ロープウェイの中からはリス科のアルプスマーモットが巣穴から出て飛び跳ねているのを何度も見ることができた。山頂からはサンモリッツ湖やシルバプラウナ湖と3000mクラスの山々が綺麗に眺められた。サンモリッツのピッツネイル展望台で昼食を食べた後、山頂にあるウシ科のアイベックスの像と一緒に記念写真を撮った。(2013年6月26日午後)。
 ピッツベルニナ山(4049m):氷河特急に乗車してパノラマ車両からのライン渓谷や世界遺産のランドバッサー橋などの絶景や車内食を楽しみながら前日にサンモリッツに移動した。サンモリッツからベルニナ鉄道に乗車しベルニナ・ディアボレッツァ駅で下車し、ベルニナアルプス観光ロープウェイを利用し標高2978mのディアボレッツァ展望台へ着いた。ロープウェイの中からは、中腹にある大きなラゴビアンコ湖が見渡せた。ディアボレッツァ展望台からは、主峰ピッツベルニナ山(4049m)やピッツパルエ山(3900m)などの名峰群や大迫力の氷河などの息を呑むほどの絶景が眼前に広がりました。絶景を楽しみ記念写真を撮ってから、往路と同じロープウェイとベルニナ鉄道を利用して下山し、サンモリッツに戻りました。(2013年6月26日午前)。
 モンテローザ山(4634m):標高1620mの麓町ツェルマットでゴルナーグラート鉄道の登山電車に約50分乗り、終点のゴルナーグラート駅に到着したら、駅前の広場には4000m級のスイスアルプスと氷河が眼前に広がっていました。駅前広場の上の展望台や展望スペースまで歩き、その先の岩場でスイスの最高峰モンテローザ山を背景に記念写真を撮りました。展望台からは標高4634mのモンテローザ山、標高4527mのリスカム山、標高4164mのブライトホルン山、ゴルナー氷河、グレンツ氷河をはっきりと見ることができました。(2013年6月23日)。
 マッターホルン山(4478m):マッターホルン山の麓町ツェルマットはガソリン自動車の乗り入れが禁止された山岳リゾートで、のどかな雰囲気と新鮮な空気を思う存分満喫できます。この標高1620mのツェルマットから、朝焼けに染まるマッターホルンが見れました。ツェルマットでゴルナーグラート鉄道の登山電車に乗り三つ目の駅リッフェルブルグで降りてハイキングを行い、マッターホルンを始め美しいアルプスの山並みを楽しみました。ツェルマットに下山し駅前通りで、運よく夕方4時半頃、ヤギの行進が見られました。また夕日に染まるマッターホルンも見れました。時間帯により豊かに表情を変えるマッターホルンの眺めを堪能できました。(2013年6月23日)。
 モンブラン山(4807m):ヨーロッパアルプス最高峰のモンブラン山を目指して、専用バスに乗って、チューリッヒからベルン、モントルー、マルティニーを経て、スイスとフランスの国境を越え標高1030mのシャモニーへ、約5時間を掛けて向かいました。シャモニーでロープウェイに二度、約20分乗り、標高2525mのブレバン展望台に着きました。ブレバン展望台では、結婚式を挙げるカップルに出くわしました。上空の天候は良くありませんでしたが、雲の隙間から辛うじて「白い山」を意味するモンブラン山を、大きな氷河の奥の方に眺めることが出来ました。(2013年6月22日)。
 吾妻山(2035m):JR山形新幹線米沢駅からのバスを終点の白布湯本で降りロープウェイとリフトで標高1820mの北望台まで上がった。気温は米沢では23度だったが北望台では16度で肌寒かったが高山植物が色々咲いていた。樹林帯の一部は積雪1mの硬い残雪があり登山道が解り難く何度もコースを間違えて戻ったりした。人形石、梵天岩や天狗岩を経て150分程歩いて漸く山頂に辿り着いた。山頂は山名と標高を記した標識が有るだけで展望など見るべきものは無い。帰路は西吾妻小屋、吾妻神社、天狗岩、かもしか展望台を経て120分程歩いて北望台に戻った。樹林帯では赤いリボンを目印に残雪の中を道を間違えないように注意して下山した。(2013年6月10日)。
 陣馬山(857m):JR中央本線藤野駅から30分歩くと陣馬山登山口の標識があった。ここからジグザグの登りと平坦な道の繰り返しの林道や丸太の階段の一ノ尾根を5km、100分間登って陣馬山の山頂に着いた。山頂は広く一段高い所に山名に因んだ白馬像があり、360度の大展望が開けており関東平野から奥多摩、丹沢、中央本線沿線の山々が見渡せ、特に富士山が綺麗でした。茶屋で陣馬ソバを食して休憩してから下山しました。帰りは奈良子峠、明王峠、与瀬神社を経てJR中央本線相模湖駅まで145分歩いた。藤野駅から午前8時に歩き出し陣馬山山頂に午前11時に着き相模湖駅に午後2時に着きました。万歩計を見たら約3万歩を示していました。(2013年6月1日)。
 金時山(1213m):芦ノ湖を取り巻く箱根外輪山の最高峰が標高1213mの金時山です。JR東海道線の小田原の駅前から箱根登山バスの桃源台行に乗り仙石バス停で下車。金時登山口から登山を開始し樹林帯の斜面を登り矢倉沢峠へ。芦ノ湖や仙石原の景色を眺めたりしながら尾根を歩きガレ場を慎重に進んで富士山が美しく映える山頂に到着。山頂では持参したオニギリを美味しく食べました。登ってきたのと反対側に下山し乙女峠を経て山道を下り乙女口バス停に到着。途中で坂田公時(幼名は金太郎)が祭られている金時神社に立ち寄ってから帰路につきました。(2013年3月6日)。
 木曽駒ヶ岳(2956m):自家用車で中央道駒ヶ根ICから県道75号で駒ヶ根高原の有料駐車場に行き下車、路線バスに乗り換え「しらび平」まで乗車。ロープウェイを利用して「千畳敷」に降り立った。千畳敷カールには残雪があったが高山植物が咲き競っていた。前方には中岳や宝剣岳がそびえ立っている。八丁坂の急坂を登り切って中岳に登り次に木曽駒ヶ岳を目指した。頂上山荘のある鞍部に下ってハイマツの斜面を登り返して木曽駒ヶ岳の頂上に立った。雄大な展望が開け、木曽駒ヶ岳から頂上山荘や中岳や宝剣岳の写真も撮った。コマウスユキソウを初めとして各種の高山植物が綺麗だった。(2012年8月12日)。
 ベイカー山(3172m):レンタカーを借りてバンフからレイク・ルイーズとジャスパーを結ぶアイスフィールド・パークウエイを走行。ハイウエイの途中には数か所、動物が横断するための専用通路が設けられ保護が図られています。バンフから105kmの駐車場に車を停め下車して、ボウ峠(2070m)を目指して10分ほど坂道を歩きました。この道沿いには小動物や高山植物が見られました。ボウ峠の展望台からペイトー湖を見下ろし、残雪の残ったベイカー山やパターソン山とエメラルド色のペイトー湖の雄大で綺麗な眺望を楽しみました。バンフからジャスパーへの全長300kmのカナディアンロッキー縦断ドライブを友人と行い、周囲の雄大な山々の風景を眺め、途中途中で下車し湖や滝や渓谷の美しさを堪能しました。(2012年6月12日~15日)。
 大山(1252m):小田急の伊勢原駅に着き10時頃に路線バスに大山ケーブル前まで乗車。ケーブルで中腹にある阿夫利神社まで行き、そこから丹沢山系の一つである大山の山頂を目指して90分歩いた。冬のため痩せた二匹の日本鹿に途中で出会った。山頂には12時45分頃着いた。山頂付近は雪一色で滑りやすかったが、持参した「おにぎり」を食べて記念撮影をした後、アイゼンを用意しなかったので滑らないように一歩一歩確かめながら中腹の阿夫利神社まで60分掛けて下山した。14時頃に阿夫利神社に着き、ケーブルと路線バスで伊勢原駅に戻った。下界では梅が咲いており春が近づいていた。(2012年3月11日)。
 昇仙峡・弥三郎岳(1058m):特急あずさ号で中央線甲府駅に着き路線バスで天神橋へ到着。長瀞橋を起点としてモミジや銀杏の紅葉を眺めながら奇岩や覚円峰や仙蛾滝などの昇仙峡散策を楽しんだ。仙蛾滝駅からパノラマ台までロープウェイに乗り、さらにパノラマ台から弥三郎岳へウォーキングをし、鎖を伝って登っていくと大きな丸い岩が乗っかった弥三郎岳の山頂に出た。山頂からは富士山や甲武信岳などの360度の大パノラマが眺められた。山頂の周りは絶壁で恐る恐る記念撮影した後、往路と同じ場所を復路として帰途に着いた。秋の紅葉と自然の景観を満喫できた。(2011年11月13日)。
 至仏山(2228m):鳩待峠で上越新幹線上毛高原駅からの関越交通バスを降り、10時30分頃におにぎり弁当を購入してから至仏山を目指して登山を開始した。鳩待峠は尾瀬が原への出発点として有名な場所である。途中12時頃にお腹がすいたので持参したおにぎりを一個食べた。中腹から燧ケ岳と左手下に尾瀬が原を眺めた。至仏山の頂上に到着したのは13時であった。下界は9月にも拘わらず32度と高温であったが、至仏山の頂上近くは涼しく気持ちが良かった。その先の山ノ鼻へは下山禁止となっているので至仏山の頂上から元のコースに戻って15時に鳩待峠に着いた。鳩待峠休憩所で岩魚の塩焼きをビールと共に味わった。美味で頭も尻尾もすべてまるごと食した。鳩待峠で再び関越交通バスに乗り上越新幹線上毛高原駅に戻り、帰途に着いた。(2011年9月19日)。
 霧が峰(1925m):車で中央道諏訪ICから国道152号、ビーナスライン経由で霧が峰ロイヤルイン前の駐車場に到着。ビーナスの丘でニッコウキスゲの集落地の周りを散策しました。その後、信州諏訪湖 塩嶺高原のコテージに一泊し、信州の高原の涼しさの中、蕎麦打ち名人が作った美味しい蕎麦を戴き、カラオケを楽しみました。(2011年7月18日~19日)。
 天城山(1406m):家で焼き卵とおにぎりを作ってから自家用車で湘南バイパスを経由して天城高原ゴルフ場前の駐車場に到着。熱海峠では霞が立ち込めていたが天城高原では快晴だった。登山靴に履き替えて万二郎岳を目指して出発。セミの鳴き声が激しい中、万二郎岳に到着。綺麗なニワハンミョウを二度見かけた。10:30だが空腹感を覚えたので持参したおにぎりを1個だけ食べてから万三郎岳を目指して出発。途中の岩場から富士山を見晴らすことが出来た。1時間半後に万三郎岳の頂上に着き持参した昼食をおいしく食べた。涸沢分岐点を経由して天城高原ゴルフ場に戻った。久し振りの登山で4時間掛けて2万歩も歩いて大変疲れた。共同浴場で汗を流してから帰った。(2011年7月10日)。
 浅間山(2568m):標高1973mにある浅間山ビジターセンターに自家用車で上越自動車道を経由して到着。途中の麓の木々の葉は黄色や赤色に染まり綺麗であった。車坂峠周辺の駐車場を利用し登山靴に履き替えて黒斑山(2404m)を目指して登山を開始した。中腹からは水ノ塔山(2202m)やアサマスキー場や南アルプスが一望できた。中腹で持参した「おにぎり」を食べた。浅間山の外輪山である黒斑山の岩峰から雄大な浅間山を眺め記念写真を撮影した。この後、黒斑山から下山し車坂峠に戻ったが、今回は天候に恵まれた。(2010年11月6日)。
 立山(3015m):扇沢で長野新幹線上田駅からのバスを降りトロリーバスに乗り換え黒部ダムで降りケーブルカーに乗り黒部平で降りた。次にロープウェイに乗り大観峰で降りたが、ここから立山(3015m)までは天候に恵まれず霞が立ち込めていた。次にトンネルバスに乗り室堂で降りミクリガ池や地獄谷まで散策した。バスで美女平に出てケーブルカーに乗り立山駅で降りた。更にバスに乗り富山駅で降りた。念願の立山黒部アルペンルートに行ったが大観峰、立山、室堂では残念ながら天候に恵まれず自然の景色を堪能できなかった。(2010年8月16日)。
 蔵王山(1841m):蔵王山は熊野岳(1841m)を主峰として地蔵岳、刈田岳などの峰を総称したものです。蔵王温泉で山形新幹線山形駅からのバスを降り地蔵岳、熊野岳、刈田岳と縦走した。天候に恵まれず強風で霞が立ち込め20m先は見えない状態でした。御釜では強風で時折、霞が消えるタイミングを見つけて写真を撮りました。刈田岳山頂バス停に午後2時頃着き山交バスを捜したが午後1時発の1日1便しか無い事が判明、止む終えず縦走路を逆に戻り地蔵岳から下山し蔵王温泉で足湯に浸かってから帰宅した。縦走路を往復し通常の2倍歩くことになってしまった。(2010年7月20日)。
 大菩薩嶺(2057m):机竜之介を描いた小説「大菩薩峠」で有名になった大菩薩嶺に登るため自家用車で上日川峠まで行き駐車場で降り、上日川峠から福ちゃん荘を経由して大菩薩峠に登った。昼食を食べてから雷岩を経由して大菩薩嶺の頂上に立った。大菩薩峠から大菩薩嶺へ行く尾根では風が吹いて随分寒かった。大菩薩嶺から唐松尾根を経由して上日川峠に戻った。(2010年4月25日)。
 筑波山(877m):筑波山に登るため「つくば駅」から筑波山神社入口へバスで行き降りた。そこから男体山(871m)の頂上目指して歩いた。中腹からは前日降った雪に覆われていた。男体山の頂上からは御幸ケ原に下って女体山(877m)を目指した。山頂での展望を楽しんだ後、奇岩怪石の間をめぐる「白雲橋コース」、尾根沿いの「おたつ岩コース」をたどってつつじケ丘に出た。つつじケ丘からは「つくば駅」へバスで戻った。(2010年3月27日)。
 塔の岳(1491m):丹沢山塊の一つの塔の岳に登るため渋沢駅からバスで行き大倉で降りた。そこから塔の岳の頂上目指してひたすら歩いた。中腹からは残雪に覆われておりアイゼンを用意しなかったので滑らないように一歩一歩確かめながら登った。途中、山小屋で一服したが、その際、近くで野生の小鹿を見つけた。大倉から4時間半後を掛けてようやく登頂した。持参した「おにぎり」を食べてから下山を始めたが雪と傾斜が急のため思いのほか苦労し2時間半後に大倉に着いた。日の入り間際であった。(2010年2月7日)。
 高尾山(599m):近郊の高尾山に登った。途中、中腹にある薬王院に初詣。1号路:表参道コースを使って頂上に到着。頂上には多くの登山者が休憩・昼食を採っていた。持参した「おにぎり」を食べてから周りの眺望を楽しんだ。帰路は6号路:びわ滝コースを使って下山。途中、琵琶滝に寄って見学した。(2010年1月10日)。
 大雪山系黒岳(1984m):生まれて初めて北海道に旅行。大自然と動物の触れ合いを堪能した。石狩川の流れる層雲峡の麓からロープウェイを使って黒岳の5合目まで登った。5合目の散策コースをウォーキング中、エゾシマリスに数回出会った。エゾシマリスは笹の葉の間を飛び回ったり「どんぐり」を食べたりしていた。「生きた化石」などとも言われるウスバキチョウにも出会ったが、写真には撮れなかった。(2009年7月30日)。
 屋久島・白谷雲水峡(800m):妻と娘と3人でトレッキング。宮之浦の集落より車で約30分、標高700mから900m付近にかけて広がる屋久スギ原生林の自然休養林。(2003年9月18日~20日)。
9/18 砂浜を散歩しアカウミガメの産卵する場所をじかに見た。9/19、白谷雲水峡を家族三人でトレッキング。9/20は台風15号のため午前中の見学計画はすべて中止し、ホテルで朝食を摂ってチェックアウトし、飛行機はすべて欠航のため鹿児島行の高速艇トッピーに乗船、条件付き出港(出港して海の状況で種子島で停泊、鹿児島まで行かない可能性がある事を了承の上で乗船)で、波が非常に高く揺れが激しく1時間遅れで鹿児島に到着。鹿児島から東京の飛行機は予定時間どおり運行、無事羽田に到着。
 局ケ岳(1029m):とんがった局ケ岳に挑戦した。(1992年11月28日)
コース概略:桑名→(近鉄)→津新町→(車)→166号線→飯高町宮前→局ケ岳→飯高町宮前→(車)→津新町→(近鉄)→桑名
 奥香落渓・倶留尊山(1038m):1991年4月から三重県に3年単身赴任した。会社の人達と休日、山歩きした。ススキの綺麗な名所の山に登山でき、奈良県側の曽邇村と三重県側の美杉村を走破する事ができ、日頃の体力不足を補うのに大変有効な1日を過ごす事ができました。(1992年10月25日)
コース概略:桑名→(近鉄)→名張→(バス)→太良路橋→おかめ池→亀山峠→倶留尊山→曽邇高原→(バス)→名張→(近鉄)→桑名
 御嶽山(3063m):母と一緒に「六根清浄」を唱えながら根性杖をついて夜、歩いて信仰の山「御嶽山」に登った。頂上で雲海から登る「ご来光」(朝日)を見た時の感動は今も記憶にはっきり残っている。(1966年)
 槍ヶ岳(3180m)、双六岳:高校時代に姉および姉の友人達の登山に同行して、初めて本格的な山に登った。槍ケ岳の頂上は狭く急な傾斜で、クサリを辿りながら頂上に登った。(1964年7月20日~23日)


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