◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 ソファーに座った若い男は、傲慢な目つきでしなを作り媚を売る女たちを睥睨した。
 『ベルベット・ムーン』──銀座・六本木にもひけを取らないこの超高級クラブでも選りすぐりの美女たちは、貌も肢体も男を奮いつかせる蠱惑に満ちている。もちろん、一晩をともにすれば、磨きぬかれた白い柔肌が至福の時を与えてくれることは保証付きだった。
 しかし、どんな男も一目で蕩けそうな美女たちの微笑を目の前にしても、青年の鋭い双眸はなぜか険しさを増すばかりだった。
 にこやかに進み出た、中でも最も若く華やいだ美貌の女が、白いチャイナドレスの大きく割れたスリットからそそるような内腿まであらわにしていく。ねっとりしたまなざしが、青年を誘う。
 店の奥まった特別の個室。特別の客──そうでなければ、プライドもとびきり高い彼女たちが、こんなふうにあからさまに男の前で肉体を開くこともない。
 ぬらぬらと白く艶めいた肌。その奥処は、下着すらつけていない。深い間(あわい)まで男に見せつける。
 いきなり、テーブルの上のグラスが弾け飛んだ。
 ガシャン──A
 荒々しい音を立てて、オーク材を使った贅沢な壁にガラスの破片とアルコールが飛び散る。
「きゃ……!」
 女たちは、怯えきって体を竦ませた。
 その様子に一瞬、きれいな双眸に後悔を滲ませ、けれど青年は苛立ちを隠せない表情でドアの方を振り返った。
「もういいっ!連れて行け!」
 命じる声に、ドアの傍らで成りゆきを見守っていた長身の男が、ひっそりと微笑んだ。
「お気に召しませんでしたか?優華は、この店のナンバーワンのホステスですが……」
 チャイナドレスの女へと、やさしい、しかしどこか冷ややかな目を向ける。
 この男の瞳は熱をおびるということを知らないようだ。どんなときも……
 青年は不機嫌さをあらわにして男を睨んだ。
「連れて行け、と言ったんだ──」
 細く優美な首をうなずかせ、男は軽く手を振った。
 それを合図に、女たちが開いたドアから部屋を出て行く。誰も一様にホッとした表情だった。それでも、わずかに残念そうな視線が混じるのは、青年の地位と男らしい精悍な容姿のせいだ。
 それもドアの向こう側へ消え去ると、青年は疲れたようにソファーに身を沈めた。
「代わりの飲み物をお持ちしましょう」
 ドアの外へ指示しようとする男へ、
「いらない!」
 渇ききった声が叫んだ。
 ギラついた青年の眼が、男を凝視する。
 朱い唇が、薄っすらと笑みを浮かべた。
「どうやら、お慰めにはならなかったようですね。申し訳ありません。事務所へ、車をまわさせましょう」
 淡々とした声で囁き、長身が背中を向ける。
「宝──」
 そのしなやかな後ろ姿へと、青年は名前を呼んだ。
「こっちへ……来い──」
 押し殺した声に、苦い想いが混じる。
 振り返ったまなざしは、どこか意地の悪いものを煌かせた。
「お望みは、俺──ですか?」
 白皙の美貌が、艶然と笑った。
 青年が座るソファーの前へと、恐れ気のない歩調が進み出る。今夜のように珍しく荒れている彼の前に平然と歩み寄れる男は、《組》の中でも数少ない。しかもそれが虚勢ではなく、まったく余裕のある態度だけに、よけいにムカついた。
 男でも惚れ惚れするようなすばらしい体躯を持つ青年とも、そのスラリとした肢体は高さだけならさほど変わらない。
 堂々とした《男》の身体だった。
 なのに、内からかもすような妖しい艶がある。それが、同じ男の欲望まで惑わせる。愛しいのか憎いのか、それすらもわからなくなる。
 たとえようもない胸苦しさが、鋭い青年の視線をより険悪なのものにさせた。
「脱げよ──」
 傲慢な声音が命令した。
 己の優位を、あくまで誇示するような口調だった。
 秀麗なおもてが、ひそやかに笑った。
 ためらいもなく繊細な指先が動いて、端整な三つ揃いの上着を脱ぎ落とす。足元の深い絨緞に、ふわりと上質な絹地がたわんだ。促されることもなく、ベストを取り、上品なネクタイを引き抜き、シャツをすべり落とす。
 ベルトをはずすと微かな金属音が響いた。ズボンも靴も、靴下も下着も、迷いもなく脱ぎ捨てる。
 見事な裸身が、たちまち青年の目の前であらわになった。
 無駄な肉など欠片もない。これ見よがしの筋肉さえない、いかにも実践的な肉体だった。何か、美しい野生の肉食獣を思わせるところがある。
 その肢体が男の体の下でどれほど熱く蕩けるかを、青年はすでに味わい尽くしていた。
 それなのに、いつも触れるまでは指先が慄くような感覚に戸惑わされる。
 けっして、怖れているわけではなかった。最初から、青年は男より常に優位な立場にあった。「足を舐めろ──」といえば、跪いて爪先に口づけするほど、男は彼に従順を示してみせた。
 なぜ、その漆黒にじっと見つめられるとイラ立ちを感じてしまうのか、不思議だった。初めて会った十二のときから、男の底の見えない瞳は青年を不安にさせた。
 嫌なら遠ざけてしまえばいいのに、それがもう十年以上できない。初めて男と肉体の関係を持ったのは、十五のときだった。
 目をかけていた女にまだ子供だからと裏切られ荒れていた彼を見た、馬鹿にしたような目つきが気に食わなかった。後から思えば、ただの言いがかりだったのかもしれない。男の瞳は冷ややかなまま、なんの感情も映してはいなかった。常にそんな目をした男だった。
 けれどそのときは口惜しさや恥ずかしさがない交ぜになって、無抵抗な相手に当り散らした。「女の代わりをして慰めろ」と、無理難題を吹っかけた──つもりだった。
 ところが、男はあっさりと彼の命令に従った。腹いせに嬲るつもりが、案外弄ばれていたのはほんとうに子供だった彼の方かもしれない。
 家業のせいでいくぶんスレてはいても、根はまっすぐに育った少年だった。早熟な体で女を抱きはしても、さすがに男の抱き方までは知らなかった。彼を唇で昂ぶらせ、女の代わりのできる場所へと自ら導いたのは、八つ年上の凄まじい美貌を持った男だった。
 女よりもずっと強靭でしなやかな肉体は、その行為に馴れていた。組の仕事で、男と寝ることもあったらしい。青年はそれまで、自分の身近に仕えていた男がそういう仕事をしていることをまったく知らなかった。
 「汚らわしい──」と罵っても、男は表情ひとつ変えなかった。いや、少し笑っていたのかもしれない。けれど、傷ついたようには見えなかった。傷ついていたのは、青年の方だった。
 肌を合わせても、ぬくもりすら感じない。そんな関係を、もう十年も続けていた。
 女も何人も抱いてきたし、嫌いなわけではなかった。ただ、ふいに狂おしいほど欲しくなるのは、好きでもないこの男の体だった。
 まなざしだけで促すと、馴れきった仕種がソファーの足元へとうずくまる。
 十年の内に、男の地位も変わった。その美貌と体と怜悧な頭脳で、男は組織の中に揺るがぬ地位を築いていた。たとえ組長の後継ぎとはいえ、理不尽な要求にもう従う必要もない。
 けれども、いまだに関係だけは変わらない。
 青年には、男の気持ちはわからなかった。地位もある、男が支配する歓楽街から上がるシノギの金も十分に持っている。女房とはいわなくても、情人のひとりぐらいはいてもいいはずなのに、そんな噂も聞かない。商品の女の味見ぐらいはするだろうけど、仕事には情を挟まない男だ。心を通わせる相手など、必要とはしないんだろうか。
 白い指がファスナーを下ろすと、餓えている男の形が現れる。躊躇なく、朱唇がそれを呑み込んだ。
 コトの前からこれほど興奮してしまうのも、この男が相手のときだけだった。それも口惜しい。手っ取り早く欲望を処理するだけのために、今夜のように女を調達させることもあるから。ひょっとしたら、男はあてがった女たちの口からそのことを知っているかもしれない。
 悔し紛れに、昂ぶった形を細い喉の奥まで突き立てた。
 低く苦しげに喉が鳴る。けれど、男は絶対に歯を立てるような粗相はしない。丁寧に舌を絡めて、薄い唇で扱く。
 商売女よりずっと巧みに、快感を導き出す。数え切れないほど肌を合わせているから、どこがいいかも知り尽くされいる。
「っ……宝──っ」
 男の口腔の中で、長く持たせるのは無理だった。
 どんなに意地を張ってみせても、けっきょくはいいように追いつめられてしまう。意地を張る替わりに……寸前に、腰を引いた。
 勢いよく飛び散った白濁が、極上の美貌を胸元まで汚す。
 その屈辱的な行為に、漆黒の瞳はどこかうっとりと微笑んだ。
 欲情に潤んだ瞳に、宝の表情が一変する。一種凄絶なほどの艶をおびていく。
 おそらく他の誰にも見せたことのない、この男の裏の顔だ。
 仕事で寝る相手には、絶対にこんな顔は見せないことを、青年は実際に検分したことがあった。学校を出て、組の仕事に関わるようになって間もなく、マジックミラー越しに宝の仕事の現場に立ち会ったのだ。
 どんなに甘い声で喘いで、しどけなく身をくねらせてみても、その漆黒の瞳はなんの感情も映さない。
 金バッジを与えられたいまは、自ら体を汚すような仕事をすることもない。もっとも、いまでも宝の体の味を忘れられない政治家や企業家の何人かは、しつこく言い寄ってきているらしいが。この男が応じることは、二度とないだろう。
 いまは、宝は彼だけのものだった。少なくとも、その体と忠誠は。
 だが心は、誰の上にもない。『正竜会』の構成員たちの大多数がそうであるように、彼の父である組長、正木竜造に心酔しているわけでもないらしい。
 氷のような男だ。
 指先で臈たけた肌の上に、自分の吐き出した精をなすりつけてやった。指についた雫を、朱い唇に擦ると、薄く開いて指を咥えてみせる。滴る雫を恍惚と飲み下す。
「まるで淫売だな……おまえが男相手にこんなマネをしていると、組の若い連中が知ったら、驚くだろうな」
 冷淡に貶めるための言葉を吐いた。
 濡れた唇に、楽しそうな笑みが浮かぶ。
「お望みなら、外の連中を見物に呼びましょうか?」
 平然とした提案に、思わず鼻白んだ。
 組の看板を背負っている幹部に、まるで娼夫のような奉仕を強制していると、知られてマズいのはむしろ彼の方だった。
「恥知らずめ──」
 内心の動揺を隠して罵る彼を、慈しむようなまなざしが見上げた。
「恥ずかしいこととは、思いませんよ──《愛した人》に、体を開くなら……」
 まだ力を失っていない楔へと、囁いた唇が淫らな音を立てて小さなキスを繰り返す。
 それだけで、内から燠火が燃え上がる。
「心にもないことを、口にするなっ!」
 憤った声音に、宝はクスクス忍び笑った。
「これほど尽くしても、信じてもらえないんですか?」
 まるっきり信用ならない口調が、わざと恨めしそうに訊ねる。
 彼は気性の強そうな眉根を寄せた。
「俺を嬲るのは、楽しいか?宝──」
「おかしなことを、おっしゃいますね。俺の体を嬲っているのは、竜馬さんでしょう?」
 耳障りな笑い声を立てる喉を、ふいに大きな掌が絞めつけた。
 声が途切れる。息を止めたままで、漆黒は意地の悪い煌きをたたえて竜馬を見上げた。
「来いよ。思い知らせてやる──」
 華奢な喉首をつかみ、強靭な腕がソファーの上へと白い肢体を引きずり上げた。

       ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 竜馬が宝にいつも後背位から挑むのは、相手の屈辱を煽るためもあったが、もうひとつ別の楽しみのためだった。
 それに、宝が獣のように組み敷かれ男に犯されることに、いったいどれだけの屈辱を感じているかはわかったものじゃない。案外、背後から強引に揺さぶってくる八つ年下の男の激情を、楽しんでいるだけかもしれなかった。
 長身の男二人が体を繋げるにはさすがに少し狭いソファーの上で、雪のように白い背中がなやましく撓る。
 女の肌よりずっと硬質に見えて、手触りはなめらかでしっとりと掌に吸いついてくる。その感触は、極上のベルベットを思わせる。
 そして雪よりも冷たく見える肌の下には、思いがけない熱い血が流れている。まるで紅蓮の炎が内側から男の肌を炙っているように、触れるたび相手の身も焦がす。
 ほとんど馴らしもしない強引な挿入は、最初は狭い花芯に、そして竜馬自身にも苦痛をもたらす。それでも相手に痛みと屈辱を与えたくて、竜馬は無理矢理に最奥まで体を進めた。
 どれほど残酷に貫いても、男は呻き声ひとつ上げたことがない。
 せめて泣いた顔でも見せれば、可愛げもあるのに──
 ふっと、先日実家で見た儚げな麗人のおもてを思い出した。
 宝とはまったくタイプの違う美貌だった。けれど、男を誘うような異様な蠱惑に満ちているところは、どこか似ているのかもしれない。
 違うのは瞳の色だった。あの深い闇のような色は、絶望の中でただひとつの愛だけを求めていた。わが身を灼き尽くすほどの激しい恋情が、闇色の底に焔を映し出す。
 あの目は、愛し愛されて、運命のように結ばれた少年だけをひたすら見つめ続けていた。
 愛されるものだけが持つ驕慢さで凄まじい色香を纏いつけたあの白い肢体を、めちゃめちゃに引き裂いて踏みにじってやりたい──
 抑えきれない憎悪は、あれから胸の中で日毎に膨らんでいく。
 それが、暗い衝動へと彼を駆り立てる。
 憎しみをぶつけるように、竜馬は小さな双丘を穿ち続けた。
 激痛を堪える細い吐息が、やがて掠れた音色に変わり始める。いつの間にか、痛みが快楽にすり替わる。頑なな蕾が、やわらかに綻ぶ。
 クチャリ──
 濡れた音を立てる場所を、竜馬は包み込むようにやさしく指で煽った。
「ぁ……っ──ン」
 甘やかな喘ぎが、朱唇をこぼれる。
 ソファーに押しつけた薄い肩がわななく。
 蕩けた花芯は、楔の律動を助けるように繊細な動きを繰り返す。熱く絡みついて、快楽を紡ぎ出す。
 身悶えてくねる男の痴態は、竜馬をようやく安心させた。
「いい…か──?」
 深々と貫いて訊ねると、大きく撓んだ背中越しに欲情に潤んだ瞳が振り返る。漆黒は、淡く微笑みを返した。
 愛情など介在しない。ときには憎しみすら感じてしまう男に、このときだけ幻惑される。並外れて矜持の高いこの男が、こんなふうに微笑みかけるのは自分にだけだと知ってしまったときから。ずっと迷い続けている。
 《愛している》と、平然と嘘をつくその唇が、愛しくて憎い──
 熱を孕んだ肌へと、唇を押しあてた。淫らに身の内を灼く炎が、肌を透かしてゆるやかに浮かび上がってくる。
 真紅の炎の翼が、純白の背中を鮮やかに染め上げていく。それが現れる瞬間の見事さは、いつも竜馬の心を奪った。
 宝の背中に描き出されたのは、火焔に抱かれた炎の鳥だった。朱一色で描かれるその姿は、どこか鳳凰にも似ている。《朱雀》──玄武・青龍・白虎とともに伝説の四神のひとつだった。
 宝の《朱雀》は《化粧彫り》で彫られているため、普段はその白すぎるほどの肌の下に隠されている。酒を飲んだり、風呂に入ったり、そしてセックスの快楽に肌を染める一時だけ、そのあでやかな麗姿を現わす。
 《化粧彫り》は墨を一切使わず、水だけで彫るために《水彫り》とも呼ばれ、彫るときには激痛を伴うが、体質によってはすぐに消えてしまうこともある。《朱雀》は、間違いなくその《化粧彫り》の現存する最高傑作だった。
 この男の肌だけが、それを可能にした。
 『関東・正竜会』組長、正木竜造が愛で、その唯一の後継者に与えた《朱雀》──組の幹部たちさえ、実際にそれを目にした者はいない。宝は仕事で抱かれてきた男たちにも、けっしてそれを見せなかった。
 ただひとり、いまは竜馬のためだけに、《朱雀》はこの男の肌を華麗に彩っていく。
 唇を這わされて、やわらかに肌がわななく。
 ひと時だけの、幻の恋人を掻き抱くように、竜馬は真紅に染まった肌を丁寧に慈しんだ。
「はぁ……ぁ──っ」
 切なげに細い喉が鳴る。
 快楽の極みを目指して、素直に昇りつめていく。
 苦痛には、あれほど強情を張るクセに。呻き声ひとつ上げることさえ拒むクセに。この男は竜馬の手が与える快楽には、脆いほどたやすく堕ちてみせる。男に抱かれて高く喘ぐ淫らな姿を、惜しげもなく見せつける。
「竜馬…さん──」
 ベッド以外ではけっして聞けない甘い声が、ねだるように呼ぶ。
 たまらずに、深みまで激しく貫いた。
「っ……ぅ──!」
 炎の鳥が翼を翻して舞う。こぼれ落ちる火の粉が竜馬の肌を焦がした。
 もう何年も、この火の鳥に焦がれて焦がれて焦がれ抜いて。けれどけっして、幻の鳥は竜馬の手にとらえられることはない。
 炎は竜馬の身だけを焼いて、やがて雪のように冷たい白い肌の中に消え入ってしまう。
 どんなに強く抱きしめても。どれほど深く愛しても。
「『おまえは、幻だ──』」
 上気した肌に、頬を寄せて囁いた。
 火焔を映した漆黒が、傲慢な支配者を仰ぎ見る。
「幻でも……人を恋することは、あるかもしれませんよ……」
 どこか怨じるように、やさしい声音が答えた。
 一瞬、泣き出しそうな眼が宝を見つめ、次の瞬間、たおやかな腰を荒々しく掻き寄せた。結合が深まる。硬い楔が、繊細な花を残酷に蹂躙する。
「ぁ……っ、ぅ──はぁ……」
 そんな余裕のない仕打ちにさえも、馴れた体は迷いもなく快楽を育んだ。
 ひときわ華やかな炎が燃え立つ。
 極みへと紅潮する肌から、竜馬はふいに熱を奪った。
「ぁ、っ……ふぅ……」
 出口をなくした焔が、白い肢体を内から灼く。しどけない姿が身悶え、細い指がソファーのレザーに苦し紛れに爪を立てる。
 竜馬は乱暴に肩をつかんで、その体を蒼いレザーの上に仰向かせた。
 力づくで、薄い頤を差し上げる。潤んだ瞳の中を、無遠慮な視線が探った。
「イきたいか?──宝」
 掠れた囁きに、漆黒は儚く揺らいだ。
 うなずく瞳に、たとえようもない甘美な艶が湧く。それが男を誘う巧みな手管か、はからずも洩れた本心なのか決めかねたまま、男の腕は本能に従って撓めた膝を引きつけた。
 密着した下腹で欲情が重なり合う。より相手に焦がれているのは果たしてどちらか、判然としないほど高い熱がひとつに凝る。
「はぁ、ぁ──っ……」
 どちらからともなく湿った吐息を解き、渇いた唇を寄せ合った。差し出された桜色の器官が、呼吸さえ触れる前に互いを絡め取っていた。
 貪るたび妖しく濡れた響きが、深く合わさった口腔の奥から洩れる。その音色にもそそられて、さらに貪婪に交わった。
 焦れたように、宝の細く締まった腰が浮く。恥じらいもなく長い素足を絡めて、男をせがむ。
 その誘惑は、まだ年若い青年を惑わすのに十分以上の効果を上げた。
 竜馬の逞しい腕が、理性を失う勢いで白く揺らめく下肢を抱え上げる。男の肉は、呼吸もおかずに熟みきった花弁を大きく抉った。
「ぁ……竜馬……っ──」
 低く啜り上げた息が、まるで恋焦がれる相手のように彼の名を呼ぶ。
 消せない痛みを宿しながら、竜馬の目は情熱を孕んで、腕の中で撓る白い肢体を凝視した。
 繋がった楔は、うねるような律動を刻み続ける。絶え間なく与えられる快楽に震えて、なめらかな双丘が奔放に蠢いた。
「っ……ぅ、ぁ──」
 漆黒が蕩けるように潤んでいく。
 こうして抱くまで、竜馬はこの男に涙があることを常に忘れている。組の仕事に辣腕を振るうときには、冷酷なほど非情な男だった。人間らしい感情さえ、ときに忘れ去っているように見える。大胆で狡猾で、見た目ほど繊細な男ではないことも嫌というほど思い知っている。
 誰かのために泣くようなことがあるとも、まして男の腕に抱かれて涙を流す姿など、普段の宝からは想像もつかなかった。
 だから、腕の中にいる男のこういう表情を見るたびに、自分でもおかしいくらい動揺してしまう。この男との間には絶対あり得ないはずの、愛しさに惑乱される。
 男に抱かれ馴れた体だ。しかも、感度はとびきりいい。快感に溺れる体が生理的に流す涙だと、胸の内に何度言い聞かせてみても。実際、その痴態を目にしてしまうと、体の内に灯る火を打ち消せなくなる。
 白い肌を夢中で掻き抱いて、甘やかな花の熱をすべて奪い尽くさずにはいられなくなる。
「宝……」
 指先は不本意なほどの細やかさで、汗ばんでほつれる黒髪を梳き上げた。
 ふっと、切れ長な瞳の奥が笑う。
 からかわれているような気がして、思わず手を止めた。
 けれども、宝はさも幸福そうなため息を吐いて、やわらかに首を伸ばすと彼の指先に掠めるような口づけを加えた。
 微かな吐息の触れた指が、ちりちりと灼けた。痛みは、彼の胸の底まで落ちていく。
 衝動的に、薄い肩を抱きしめていた。
 腰を遣って、しなやかな肢体を夢中で追い上げる。荒れた呼吸が急速に切迫する。
「はぁ……あぁ──っ」
 ビクビクと細い爪先が震えた。
「竜馬……さ──もうっ……」
 苦しげな息の下から、濡れそぼった声が哀願する。
 そう命じたのは竜馬だった。「俺の腕の中で勝手にイくことは許さない。イかして欲しければ、泣いて哀願しろ──」と。横暴な彼のいい様を、宝は黙って甘受した。
 初めての頃よりもずっと逞しさを増した青年の背中に、少しも変わらず華奢な指ですがりついて、甘い声音で啼いて解放をねだる。
 その蠱惑的な仕種さえも、竜馬は自分が命じたがゆえの演技ではないかとときおり疑ってしまった。
 けれどもいまは、宝の本音などどうでも良かった。自分自身が、熱い肉に包まれて頂点を目指して逆巻くうねりを抱えている。身の内を炙る熟みきった炎を吐き出したくて、か細くわなないている腰を強引に抱え取る。
 限界まで貫いて、かなり一方的に手荒く揺すり上げた。
「はっ……ぁ、ぁ──ぁ……っ!!」
 涙に透ける漆黒の底を、深い喜悦がよぎる。崩落の瞬間のたまらなく魅惑的な色が竜馬をとらえ、あでやかに微笑んだ。
 その色に、一気に絶頂までさらわれる。
「宝──っ!」
 吼えるような声を上げ、汗ばんだ背を掌に抱き取った。堪えきれず、きつく収縮する花芯の奥処へと滾りたつ欲情を放つ。
 目も眩む快感に、背中を抱く指に力を込める。
 迸る熱気を浴び、激しく掻き寄せられて、艶やかな漆黒が陶酔に蕩けていく。ひときわ明るい炎の色を孕む。
 あまりにもなまめかしいおもてに見蕩れ、惹き寄せられるように、薄っすら開いた唇に口づけていた。か細い吐息を啜り、震える舌を絡め合う。高揚に張りつめたままの指先を、手繰り寄せて固く握りしめた。
 珍しいほど情熱的な竜馬の仕種に、わずかに驚いたように切れ長な眼が見開かれ、うっとりと長い睫に隠される。
 熱をおびた唇は、それだけに止まらず、なめらかな頬にこめかみにうなじにまでいくつもキスを落とす。そして狭いソファーの上で白い肩を引き寄せ、埋み火のようにまだ焔の色を透かす背中を後ろ抱きに抱え込んだ。
 肩先を、小さなキスの音が啄んだ。
「宝……」
 熱に浮かされた囁きが、うなじをたどる。
「おまえは、俺のものだ。親父のものでも、組のものでもない。この体は、俺だけのものだ。誰にも、渡さない──」
 まるで切ない恋情を訴えるような声音が、紅蓮の色に繰り返し口づける。
「おまえは、絶対に、俺を裏切るな──」
 表情もたしかめず、薄い背中を抱きしめ狂おしく掻き口説く。
「俺を裏切れば、殺す──どこへ逃げようが、必ず見つけ出して。考えつく限りの一番残忍な方法で嬲り殺してやる。楽には死なせない……」
 尖った肩先に竜馬の立てた歯がギリギリと食い込む。淡い血の香りが、口腔に広がった。滲んだ血を、ぴちゃりと肉厚な舌が舐る。
 感じやすい肌が、微かに慄いた。燃え残った性感に追い討ちをかけるように、胸元をすべった指が熟した尖りを探りあてる。
「く、っ……ふ……」
 手酷く摘まれて、掠れた嬌声が洩れた。
 煽るように指先で揉んで刺激を加える。冷えかけていた肌が再び火照り始めると、背中の火焔も鮮やかな艶を取り戻す。
「おまえだけだ……俺には、おまえしか──」
 わななく声が、朱く染まった肌に溶けて消え入る。
 竜馬の腕は、痛いほど激しく宝を抱きしめた。
 誰にも、彼の孤独はわからない。
 前組長の娘である誇りだけを振りかざす驕慢な母親と、己の野心と打算だけでその女を妻にした横暴な父親。暖かな肉親のぬくもりなど、どこにもなかった。北川の家で他人に育てられた異母弟の方が、よほど愛情に恵まれていたかもしれない。
 父への畏怖と権力への渇望だけで、年若い彼にへつらう幹部たち。まだ幹部にすらなれない連中など、まともに言葉を交わすことさえない。もとより、母親譲りの矜持の高さを持つ彼が、そんな相手からの同情を求めるはずもなかった。
 この男だけだ。この冷めた瞳を持つ男だけが、媚びもせずへつらいもせずにありのままの彼を受け止めてくれた。ぬくもりよりも、もっと熱い抱擁を教えてくれた。
 紅蓮の色の飛鳥──
 金でもない。権力でも暴力でもない。何もこの男を繋ぎとめることはできない。絶対的な力を持つ彼の父からさえも、この男は常に自由を求めた。誰にも服従しない。
 どんなふうに抱かれようと、何を要求されようと。この男の体も精神も、どこまでもしなやかでそのくせ揺らぎない。
 だから、欲しいと思った。ひと目見たときから、その強さと美しさに惹かれていた。十二のときに、初めて正木の家に連れてこられた二十の宝に出会ったときから。
 ずっと、この男を自分のものにしたかった──
 この関係が、愛情なのか、征服欲なのか、それとも憎悪なのか、いまだによくわからない。ただひとつわかっているのは、この男が、父よりも彼の側にいるということだった。
 他の幹部たちは、何よりも父、正木竜造を最優先した。その言葉と一挙手一投足が彼らにとってすべてだった。まるで現世の神そのもののように、彼らは盲目的に竜造に心酔していた。それだけ、彼の父は人の心を強烈に惹きつけるものを持った男だった。
 竜馬を見るとき、誰もがその後ろに父親の影を見ていた。
 けれども宝は、まわりのすべてに対してそうであるように、竜造にも一歩引いたような冷ややかなところがあった。竜造は、宝のそういうところを面白がっていたようだが、『朱雀』の刺青以外には深い執着を示さなかった。その肌にさえ、飽きればあっさりと竜馬に与えた。
 十六歳の誕生日に「他には何もいらない。宝が欲しい──」と言ってのけた息子に、竜造は笑いながら首を縦に振った。それ以来、宝は彼のものだった。望めば、いつでもどんな形でも、その艶やかな裸身を惜しげもなく彼に差し出した。仕事以外でその身に触れられるのは、竜馬だけだった。竜造も、二度と宝の体に触れようとはしなかった。
 そして宝は、意外に思うほど献身的に竜馬に尽くした。細やかな身のまわりの世話から、学校に通学するときの護衛、ときには家庭教師の代わりまで勤め、夜はその体で欲望の処理を手伝った。
 何より意外だったのは、宝が竜造の言葉よりも竜馬の意志の方を優先したことだった。そして竜造は、自分に逆らった宝の竜馬への忠誠を容認した。
 この男は、竜馬だけのものだった。そしてすべてを正木竜造が支配する『正竜会』と正木家の中で、この男だけが唯一の竜馬のものだった。
 子供の頃から何もかも竜馬と同じでなければ気の済まなかった二つ年下の弟が、この怜悧な男に興味を示したとき、宝は手酷いやり方で弟の琢馬を拒んだ。父親の命令で竜馬と寝ていたのなら、兄でも弟でも同じはずだった。竜馬は、二度と宝に手出ししないように、実の弟に制裁を加えた。
 宝がなぜいま腕の中にいるのか、竜馬にはわからない。わからなくても、永遠に手離すつもりはなかった。
 レザーにすべる汗ばんだ細腰を、しっかりと抱え直す。その狭間へと、熱の去らない猛りを押しあてる。
「もっと……俺を欲しがれ。女みたいに啼いてみせろよ──」
 残酷な声で囁きながら、ゆっくりと腰を進める。自らの欲に濡れた花芯を、掻き乱すように動いた。
「は、っ……ぁ、ぁ──」
 甘やかな吐息が散る。
 緋色の炎が揺らぐ。その肌に自分の形だけを刻みつけたくて、竜馬は遮二無二たおやかな腰を穿ち続けた。
 熟んだ花襞はやわらかに男を受け止めて、身を捩るたびしっとりと吸いついてくる。きつく擦れ合う粘膜が、たまらない愉悦を生む。
 淫蕩な肢体を責めているのは自分のはずなのに、すぐにもさらわれそうな感触にギリッと奥歯を噛みしめた。衝動を堪えたまま、力任せに最奥を貫く。
「ひぃ、っ!……ぁ、ぁっ──」
 ビクンと、打ちつけた白いまろみが弾んで、しどけない悲鳴が迸る。
 蒼いレザーを鷲づかんだ竜馬の手を、繊細な指先が握りしめた。溺れてしがみつくようなその仕種に、熱を秘めたまなざしが揺らいだ。
「ぁ……ぁっ、ン……く……」
 スプリングを軋ませて大きく揺さぶれば、潤んだ快楽の音が啜り泣く。どんな女のねだり声より婀娜めいて、耳朶をくすぐる。
 愛しさと、それゆえの不安と憎悪とが、胸を引き裂いていく。どれほど深く交わっても手の届かない、この男の真実がもどかしくて。
 その肢体が紡ぎ出す快楽の炎に身を焦がしながら、心は冷たく凍えるばかりだ。
 陶磁のような指先の熱をたしかめようと、すがりつく手を掌に握りしめた。
 暖かさにホッとして、よけい切ない想いが増す。
 この瞬間になら、何か訊けそうな気がして──
「『……』──」
 言葉にする前に聞こえた微かな呟きに、息を凝らす。
「な、んだ──?」
 問い返す声は、まるで怯えているように掠れた。
「……あなたを、愛しています……」
 焔の翼を持つ鳥に、内側から身を灼き尽くされる──
 浅い目眩とともに、竜馬はため息を吐き出した。
 十五歳の春、初めて《朱雀》を抱いたときにその言葉が信じられたら、もっと別の生き方を選べたのかもしれない。たとえば、『東堂貴臣』を愛した異母弟のように……
 けれども、竜馬と宝は何ひとつたしかめ合えないまま、ただ互いの渇いた体を貪り合うしかない。
 それを、この紅蓮の炎と氷の美貌をもつ男が望み続ける限り──
「ああ、宝──」
 静かに応えた竜馬の腕が、真紅に染まった男の肌を固く掻き抱いた。



END.

 


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