1 朝、目が覚めると緑は見た事のない部屋にいた。起きあがろうとすると身体のあちこちが痛くて綺麗に整った顔が歪んだ。(ここはどこだ?) 昨日の事をよく思い出してみる。 昨日の夜はクラブへ行って適当に酒を飲んで騒いでいた。友達もたくさん来ていたのでかなりはめをはずした。 その後は知らない男とくだらない事でもめて喧嘩した。相手は途中から仲間がやってきて、不利になった緑は好き放題殴られて気を失ったのだ。 (じゃあここは病院か…?) 緑はあたりを見てみたが、部屋にはクローゼットやライト、大きな鏡があり違うようだ。そんな事を考えているとドアをノックする音が聞こえてきた。(誰だ!?) 緑はいつもの癖で身構えた。しかしドアの向こうから入ってきたのは優しい瞳をした若い男だった。 「あ、目、覚めてたんだ。一応見える傷は全部手当てしておいたけど、大丈夫?」 男はさわやかな笑顔で尋ねてきた。緑はなぜかその男に対してに安心感を覚えた。 (俺、安心してる…?) それは緑自身を驚かせた。 今まで誰に対してもそんな事思わなかった。どんなに優しくされても何かあるんじゃないか、見返りがあるはずだ、そんな事ばかり思っていた。しかし緑はこの初対面の男に安心したのだ。 「少し痛いけど大丈夫。あのさ、もしかしてここはあんたの部屋?昨日俺を助けてくれたの?」 「そう。昨日、仕事の帰りに君が倒れてるところを見つけたんだ。放っておくわけにいかなくて連れて帰ってきちゃったんだ。喧嘩でもしたのか?こんなに傷を作って」 その男はそっと緑の赤く腫れている頬に手を当てた。緑は驚いてビクッとしたが、構わずそのままにさせておいた。 「まぁ、そんなとこかな」 「喧嘩ねえ、若いな。今何歳?あ、っとその前に名前か。俺は明智鉄朗」 「明智さん…。俺は鷺宮緑、16歳」 「えっ―!!16!?ってことは高校生?」 鉄朗は驚いて目を見開いている。 緑は茶色の髪に大人びた雰囲気が漂っていて、年相応に見えないのだ。 「残念ながら高校には行ってない。働いてるんだ」 「そっか。あ、そうだ。朝ご飯作ったんだけど食う?」 「そういえば腹減ってるかも…」 「じゃあ、来いよ。今日は土曜で仕事も休みだから俺はゆっくり出来るけど、緑は?」 「休みじゃないけど、今日は夜からだから」 緑は少し困ったような顔になった。鉄朗はそこのとに気付いたが気付かない振りをし、緑が起きるのを手伝いながら一緒にテーブルに向かった。 リビングは綺麗に片付いていて、テーブルの上にはご飯に味噌汁、目玉焼きと納豆、サラダが乗っていた。いかにも純和風なメニューだったが、緑は嬉しかった。誰かに自分のために料理を作ってもらったのは何年ぶりだろうか。 「明智さんっていい人だよね。普通は放っておくもんじゃない?人が倒れていてもさ」 普段は仕事の時以外無口な緑が今日はよくしゃべる。それも安心できると感じた鉄朗の前だからだった。 「テツでいいよ。それに普通助けるぞ。だって傷だらけで倒れてたんだぜ?」 「そうかなあ…。ねえ、何歳?」 「24になったばかり」 緑は箸でつまんでいたご飯を落としそうになった。それは驚いたからに他ならない。 「さっきテツさ、俺の年齢聞いて驚いてただろ?テツだって年齢より若く見えるよ」 「よく言われる」 そう言ってクスッと笑った。 鉄朗は180に近い長身なのに優しそうな目、筋の通った綺麗な鼻、自然な茶色い髪は純日本人ではなく、イギリス系のクウォーターだからだ。そのためか昔から若く見られることが多かった。 緑は鉄郎の事についていろいろ尋ねた。例えば出身地や仕事の事、恋人はいるのかとか一人暮しはどうかとか。鉄朗はそんな緑に丁寧に自分の事を教えた。 今まで他人には興味を持たないようにしていた。興味を持てば離れられなくなる。緑はもう二度と『離れる』という経験はしたくなかった。しかし鉄郎の事は一目見たときから興味を持って、もうそれを自分では止められなかった。 「緑は?一人で暮らしてるのか?」 尋ねられて緑はどうしようか迷ったが、言う事にした。 「俺ずっと親がいなくて一人なんだ」 「親は病気とかで?」 「違う。母親に捨てられたんだ。親父は顔も知らない」 全く表情も変えずに平然と何でもないように言ってのけたが、これは強がりだった。 「ごめん。悪いこと聞いた」 頭を下げて謝ってくる鉄朗を見て緑はさらに複雑な気持ちになった。こんな素直に謝られてはもっと鉄朗に興味を持ってしまう。 「気にしないで。俺別にそのことについて何とも思ってないから。ところでさ、ちょっとお願いがあるんだけど」 緑の顔は変わらなかったが、これ以上立ち入った事を初対面の自分が聞いてもいいものかどうか迷ったので、聞かない事にし、お願いが何か聞いた。 「あのね、あそこにパソコンあるでしょ?少しでいいからやってみたいんだけど、いいかな」 「興味ある?」 「ある。前からずっとやってみたいと思ってたんだ」 にっこり笑った顔にはまだ少年らしさが残っていた。鉄朗は少年らしさを垣間見せた緑に安心した。 「じゃあ、ご飯食べ終わったら教えてあげるよ」 「ありがとう」 緑が嬉しそうにしているので、きっと早くやりたいだろうと二人は急いで朝食を済ませた。 鉄朗は丁寧にパソコンを教えた。 緑はやった事がないようで一から教えなければならなかったがだったが、楽しそうにパソコンをやっているのを見ていると鉄朗も嬉しくなった。 (頭のいい子だな) 隣で熱心にパソコンに向かっている緑を見て鉄朗はそう思った。 教えた事はすぐに理解し出来るようになるし、だんだん教えなくても自分で判断してやっていくようにまでなった。緑はパソコンに触った事はないと言っていた。初めてでそこまで出来るのはよほど頭がいいのだろう。 「やっぱりおもしろいね、パソコン」 緑はすっかりパソコンにはまってしまい、今日初めて鉄朗に会ったということをすっかり忘れて寛いでいる。 (綺麗な顔したやつだなあ…) 隣で頬づえを付いて緑を見ていた鉄朗はふとそう思った。と同時に慌てた。 (俺、何考えてんだ。男に綺麗だなんて!) 思い出して一人赤面していると、緑が不思議そうに見ているのに気付いた。 「どうしたの?顔が赤いよ」 「な、何でもないよ。大丈夫」 まさか綺麗だと思っていたなどと言えるわけないので、笑って誤魔化しておいた。 確かに緑は綺麗な顔をしていた。小さい顔には色素の薄い瞳、綺麗に筋の通った鼻、薄くて赤い唇がバランスよく並んでいる。身長もそこそこあり、決して女には見えないが整いすぎている顔は女はもちろん男でも見惚れてしまう。 緑はこの顔を活かして金を稼いでいた。 『ホスト』 これが緑の職業だった。 当然年齢を偽っているのだが、客は女だけじゃなく男もいるという店だった。相手とは当然寝る事もある付き合いだ。それだけではなく、最近は客の一人から紹介され、麻薬のバイヤーのような事もしていた。 これはなかなかの収入源になっていた。道にたむろっている女の子達に緑が声をかけると、一発で引っ掛かってくる。しかしすべて生活のためだし、何よりどんな危ない事をしても自分には悲しむ人間なんていない、この思いが緑を危険な仕事に駆り立てていた。 「あのさ、テツ。また…、ここに来てもいいかなあ…」 緑は躊躇いがちに聞いてみた。本当は怖かった。もし断られたら傷つく自分を知っている。 しかし緑の心配をよそに鉄朗は笑顔で 「いいよ。いつでも来たいと思ったときに来てくれて。まあ、昼は当然仕事でいないけど」 と言って、近くにあったメモ用紙に自分の自宅と携帯の電話番号を書きこみ、緑に渡した。 「ありがとう。俺の番号も渡したほうがいいのかな?」 「そのほうが助かる」 鉄朗も緑から番号を受け取った。 「この番号ならいつでも連絡つく筈だから」 「そうか」 些細なやり取りのあと、二人はまたパソコンに向かった。 すっかりパソコンにはまってしまった緑は、時間が経つのも忘れてやっていた。だからもうすぐ仕事の時間だというのに気付いていない。 あたりはもう薄暗くなっていた。 「うわ、やばっ!もう帰らなきゃ」 ふっと時計を見た緑は慌てた。仕事は六時からなのに今はもう五時をまわっている。 「そういえば仕事があるって…」 「そう、これからね」 何となく仕事の事を鉄朗には言いたくなかった。 「じゃあ、駅まで送っていこうか。道わからないだろう?」 「うーん…。憶えてない…」 緑は昨日酔っ払っていたのでどこをどう歩いてここに来たのか、記憶がないのだ。 「昨日は一人で来たのにな」 クスッと笑って緑を見た鉄朗はうっすらと頬を染めて照れている顔を見た。白い肌なので余計目立ち、何とも色っぽい様子だった。 (ほんとに綺麗だ) 思わず見惚れてしまった。 (だめだ…。今日の俺はどこかおかしい) 一人思い悩んだ顔をして首を振っている鉄朗はなんだか滑稽だった。その様子に緑はおかしくて、肩を震わせて笑っていた。 「どうして笑ってるんだ?」 鉄朗には何がおかしいのか、見当もつかず不思議でたまらないのだ。 「だって…、なんか一人芝居してるから…」 緑はついに声を張り上げて笑い始めた。目に涙も溜まっている。 こんなふうに大声で笑うのはとても久ぶりだった。仕事上、愛想笑いは毎日いやというほどやっているが、本当はそれさえも億劫でいやだった。 「もう笑うなよ。俺が恥ずかしくなってくるから」 鉄朗はもうすでに照れていて、鼻の頭をポリポリ掻いている。 「ごめん…」 そう言いながらも顔が笑っている緑の腕を掴んで家を出た。 鉄朗のマンションから駅は、歩いて5分とかからないところにあった。緑はこんな近いのにわざわざ送ってくれた鉄朗に感謝した。 「じゃあ、また」 「ああ。気が向いたらいつでも来いよ」 「ありがとう」 切符を買ってから、鉄朗に助けてくれたお礼をまだ言ってなかった事を思い出し、慌ててお礼を言った。 「ばいばい」 緑は軽く手を振ったあと、ホームに向かった。 部屋に戻った鉄朗は少し寂しさを感じた。 いつもと違う休日を過ごしたからだというのはもちろんあるが、緑と過ごした時間が久々に楽しいと思える時間だったからだ。 忙しく、単調な毎日の中で緑のような人間と出会ったことが、鉄朗はなんだか新鮮で嬉しかった。 (また来てくれるかな) そう期待してしまうほど、自分で思っているよりも緑の魅力にはまっていた。 一方緑は鉄朗よりも寂しさを感じていた。 寂しさを感じないように、ずっと無理をしてきた。寂しいと思っても傍にいてくれる人間はいなかったので、自分の寂しさに気付かない振りをしてきた。 でも今日、気付いてしまった。 ずっと自分が人の温もりを求めている事に、寂しいと思っている自分に。 電車に揺られながら、今までの生活が変わってしまうかもしれないという不安を感じていた。 仕事に向かう間もそのことばかり考えていたので、今の自分の顔の状態をすっかり忘れていた。 「緑、どうしたんだ!その顔は」 緑の一応仕事場である『club Trip』に着いたとたん、怒りの声が降った。 「え?顔?」 「そうだ!傷だらけじゃないか!」 「ああ、そうだった…」 緑は自分の顔を触ってみた。いたるところに鉄朗が貼ってくれたカットバンやガーゼが付いている。 「そうだったじゃない!どうしたんだと聞いてるんだ!」 「喧嘩したんだよ」 「またか…」 怒っていた男は緑に言葉を聞いて呆れ顔になった。 緑の仕事は商売道具といっても過言ではないくらい、顔が大切だった。しかし緑は喧嘩して、このように顔に傷を作ることが多かった。この顔では客を相手にするわけにはいかない。 「今日はもう帰るよ」 「おい!今日は土曜なんだぞ!わかってるのか?」 「しょうがないだろ」 この業界、土曜の客の量はすごいものがある。緑はやはり人気が高く指名がたくさん来る。 「じゃあ」 緑はそう言って踵を返した。もともと今日は店に出て、騒ぎたてる女や下心を丸出しで近づいてくる客を相手にする気分ではなかった。 無表情のまま店を後にした緑は家路を急いだ。 自分のアパートに着き、部屋のあかりを灯す。殺風景といえる見なれた光景が目の前に現れ、緑は無性に寂しくなった。 数時間前まで鉄朗のマンションにいて、楽しくて時間を忘れるほどだった。たった一日一人の人間によって今まで保ってきた、一歩間違えば危うく切れてしまいそうな繊細な神経が揺さぶられ始めた。 それが何だか怖くなった緑は今まで忘れていた傷が急に痛み出したからと自分に言い訳を作って早めにベッドにもぐった。 2 その次の日から緑の精神状態は不安定だった。 傷が治っていないので朝から一人で家にいた緑は余計に孤独を感じてしまう。意味もなく広い部屋は緑が体一つで手に入れたものだ。 15歳で施設を飛び出してから1年足らず、犯罪紛いの事にも手を出した。やっと最近人間らしい生活を手に入れた。今までは帰るところがなくて仕事で使ったホテルや客に家に転がり込んだりしていた。 「なに落ち込んでんだ、俺…」 ベッドに寝転んで煙草を吸いながら、寂しいと感じている自分に苦笑する。 「一人なんて慣れたはずだろ?」 緑の寂しい問いかけは誰にも聞かれないまま消えていった。 仕事を休んでいる間、緑は部屋から一歩も外には出なかった。億劫だったし、何よりかつてないほど無気力感に襲われた。 何度も鳴っていた仕事用の携帯も、うるさくなって電源を切ってしまった。 そうして生活していた四日目、もう一つの携帯のベルか鳴った。 誰からだ、と思ってディスプレイを覗くと、つい先日教えてもらったばかりの真新しい番号が通知されていた。 「もしもし!テツ?」 『そう。久ぶりって言うのかな?』 電話のむこうから低めの声が耳に届く。 「うん。どうしたの?電話くれるなんて」 『いや、怪我はもう治ったかなと思って』 「もう大丈夫だよ。痛くもないし。テツのおかげだよ」 鉄朗の声を聞いたら、今までの無気力感が嘘のようにエネルギーが沸いてきた。 『今日仕事は?』 「えっ!?仕事は…今日はもう終わったんだ」 怪我のせいで休んでいるとは言えなかった。もし言ってしまえばどういう仕事をしているかバレてしまいそうで怖かった。 『そうか。じゃあ今日は時間あるのか?』 「あるけど…?」 『もしよかったらこれからこっちに来ないか?』 緑はドキッとした。 電話がかかってきたときから、「これから行ってもいい?」と聞こうと思っていたのだ。しかしこんな平日に急にそんな事言われたら迷惑かもしれないと思うと、なかなか言い出せなかった。 「えっ、いいの?」 『もちろん。いやだったら誘わないよ』 鉄朗の言葉はいつも緑には優しく感じた。 「行きたい!」 嬉しくて思わず大声を張り上げて答えてきた緑がおかしくて、電話の向こうの鉄朗は一人で微笑んでいた。 『もう晩御飯は食べた?』 「まだだけど?」 緑は食にあまり興味がなく、平気で一食や二食抜いてしまう。 今日も作るのも買いに行くのも面倒で、食べないで済まそうと思っていたのだ。 『じゃあ何か作っておくよ。何がいい?』 「……何でも」 『わかった。何か適当に作っておくから』 「ありがとう。1時間ほどで行けると思うから」 『待ってる。じゃあ後で』 「うん」 そこで電話は切れた。 緑はしばらくのあいだその切れた電話を眺めていた。 ピンポーン チャイムが鳴り終わるとすぐに鉄朗が玄関から出てきた。 「こんばんわ」 優しい笑顔で緑を迎え入れてくれた鉄朗はラフな格好をしていた。 「急に電話してごめんな。驚いただろ?」 「ちょっと…。でも嬉しかったよ。ちゃんと憶えててくれたんだなって」 鉄朗は緑のその言葉に苦笑する。 「もちろん憶えてるよ。忘れるわけないだろ?怪我してた人間を連れて家に帰ったことなんて初めてだったしな。傷…、まだ残ってるな」 そう言って手を伸ばし緑の白くて綺麗な顔に触れた。 緑は頬を触れられた瞬間、身体に熱い何かが走り抜けたのを感じた。触れられた頬が妙に熱くなってきて、戸惑ってしまう。 「平気…だよ。傷の一つや二つあっても…」 薄っすらと頬を赤く染めて鉄朗見上げる緑はとても色っぽかった。 (ヤバイ…かも…) 鉄朗は次第に怪しい気分になってきたので、慌てて緑から手を離し、晩御飯を作ったことを思い出し話題を変えた。 「腹減ってる?」 緑も鼓動が早い自分に戸惑っていたので話題が変わった事は助かったと思っていた。 「うん。少し」 笑顔を見せて答えてきた緑の頭をクシャッと撫でてから、鉄朗はリビングに足を向けた。 二人で食事を済ませた後、テレビを見ながらのんびりとしていたら、すでに終電が終わってしまい、緑は泊まっていく事になった。 着替えを鉄朗から借りて、風呂に入ってしまってから重大な事に気付いた。 鉄朗の部屋にはベッドが一つあるのみで他に布団がないのだ。今まで男の友達が来たときには雑魚寝したりして布団など使わなかったし、女のときはベッドで用事は済む。仕方がないので鉄朗はソファで寝ることにした。 「俺がソファで寝るよ」] 緑はそう言ったが、客をソファで寝かせるわけにいかないと鉄朗は頑なに断った。 「じゃあ、ベッドで一緒に寝ようよ」 変だと思われるかもしれないという不安があったが、広いベッドで一人で寝るのが緑はいやだった。 誰かと一緒に寝たいと思ったことも今までなかった。セックスもしないのに一緒に寝るのは他人に自分の領域へ入りこまれるようで嫌いだったのだ。 しかし鉄朗は別だった。このまま別々に寝るのはなんだかとても寂しいように感じた。 「一緒に?」 「ほら、ベッド広いしさ。男二人でも大丈夫かなって思ったんだけど。あは、でも変だよね。男同士で一緒に寝るなんて」 傷ついた心を押し殺して無理して笑ったが、失敗した。 「ほら、もう少し向こうに行かないと俺が寝れないだろ?」 緑が傷ついた顔をしたのを目ざとく気付いた鉄朗は、ベッドにもそもそと潜り込んだ。 「テツ…?」 予想外の鉄朗の行動に驚きながらも、緑はスペースを開けるために端のほうに移動した。 「春だと言ってもまだ寒いからさ。一緒に寝ると暖かいだろ?」 何でもないように言ってくれた鉄朗の優しさが嬉しかった。嬉しさのあまり涙が零れそうになった。 (俺いつからこんな弱い奴になったんだ?) ぐっと涙をこらえて布団に潜り、隣に感じる鉄朗の温もりを逃さないようそっと寄り添った。 「おやすみ、緑」 「おやすみ」 緑はなかなか寝つけなかった。なぜだか鼓動がうるさく、鉄朗の存在を意識してしまって目が冴えてしまうのだ。 ふっと隣の鉄朗を見た。すでに深い眠りの中にいるようで、緑がじっと見つめている事に気付いていない。 (好き…。テツ…) 自然に緑の心の中にこの言葉が沸いた。 (俺、好きなんだ。テツのこと…) 緑は自分の気持ちに気づくと何だか泣きたくなった。 人を愛した事がなかった緑が初めて愛したのは出会ってまだ一週間と経っていない、初対面に近い男だった。しかし恋愛に時間も理屈も関係ない。 緑は一つ決心した事があった。(もう、今の仕事はやめよう) 3 『club Trip』は一見普通のクラブと何ら変わりはない。しかし裏では犯罪まがいの事に幅広く手を広げていた。 それは売春の斡旋であったり、薬の売買であったりと警察にも目をつけられている店だ。 緑はここにスカウトという形で働き出した。行く当てもなく街をさ迷っているところにオーナーである城山が声をかけた。そのときの緑はまだ15歳だったが、すでに大人びた風情があり20だと言っても城山は信じた。 こんな生活をして一年、本当は見ず知らずの女を抱いたり、男である自分が男に抱かれるのも嫌だった。しかし身元保証人も家もない緑に他に出来る仕事はなかった。 「オーナー。今日限りで店、辞めさせてください」 鉄朗のマンションに泊まった日から一ヶ月経ち、これからどうするべきか考えた緑はやはり店を辞めることにした。それは誰のためでもない、自分のためだった。 しかし契約があるのですぐに辞められるわけではない。そして契約が切れるのが今日だった。 「無理だな」 城山は辞めさせないときつい口調で言った。 「どうしてですか?」 緑も負けずに無表情できつい口調だ。 今まではこれが普通だった。セックスをしている時でさえ、口調は冷たい。 鉄朗の前だけだった。あんな風に少年らしい話し方をするのは。 「お前が今までどれほど客をとったか解ってるのか?今お前に辞めてもらうわけにはいかない」 「じゃあいいです。明日から店に来ないだけですから」 「お前、ふざけたこと言ってんじゃねーよ!」 頑なに辞めると言い張る緑に城山は次第に声を荒げた。 「ふざけてませんよ。本気で言ってるんです」 「どうして急にそんな事言い出すんだ?今までは何でも構わずにやってただろう」 すでに二人は喧嘩腰である。 「もうそういう事をしたくないんです」 緑の綺麗な瞳が決意の強さを表していた。 城山はその瞳に圧倒された。 綺麗な顔の下に隠された強さは今まで一人で生きてきて身につけたものだ。 「よし、わかった。ただし一つ条件がある」 城山がまともな条件を出してくるとは思えなかったが、緑は仕方なくその条件を飲むことにした。 「条件ってなんですか?」 「なに、簡単な事だ。今日の夜六時にSホテルのスウィートルームに行ってくれ。そこにある人が来るはずだ。お前はその人の話相手になってやれ」 あまりに簡単な条件に緑は違和感を覚えた。 (本当にそれだけなのか…?) 疑ってみたが、行ってみなければ何も解らない。 「わかった。その仕事が終わったら本当に辞めさせてくれるんですね?」 「ああ」 緑はそれ以上何も言わずその場を立ち去った。 夜六時、緑は約束通り指定されたSホテルに向かった。 フロントで名前を確認すると、予約した人間の名前は『中谷繁利』となっていた。 (中谷繁利…?) どこかで聞いたことのある名前だと思ったが思い出せない。 緑はエレベーターに乗り、最上階のボタンを押した。 ブザーを鳴らし、中から出てきたのは、高そうなダブルスーツを着たいかにも金持ちそうな男だった。 「待ってたよ」 中谷はそう言って緑の背中に腕を回して部屋に入れた。 (触るなよ!) 心で言っても実際言葉にして、今相手の機嫌を損ねるわけにはいかない。緑は何も言わず、そのままにさせておいた。 部屋にはたくさんのソファや椅子があるが、中谷は緑の隣に座り話しかけた。 「君は鷺宮緑君だろ?」 「どうして俺の名前を?」 「憶えてないのかい?前に一度君を買ったことがある」 「え…」 過去に自分と寝た相手を思い浮かべてみる。いろいろな顔が思い浮かぶ中、この中谷の顔も浮かんできた。 「あんた、二ヶ月前に俺を口説こうとした…」 「嬉しいよ。憶えていてくれたなんて」 中谷は二ヶ月前、『club Trip』で緑に一目惚れしたのだ。それから何度も店に通い緑を指名しようとしたが、なかなか会えず今日まで来た。焦れた中谷はオーナーに多額の金を渡して緑を買ったのだ。 「最初に言っておくが、俺はあんたとは寝ないよ」 「何を言っているんだい?そんな事許されるわけないだろう?」 言葉が終わるか終わらないかのうちに緑は中谷に床に押し倒された。 「何すんだ!やめろ!俺は寝ないと言っただろう!!」 叫んでいる緑の口を中谷は自分の唇で塞いで、乱暴に服を脱がし始めた。 「んんん…!!!やめ…んん!」 中谷は暴れる緑の腕を一つにまとめて押さえつけ、緑の身体を貪る。 「放せ!俺に触るな!ひっ…!!」 身体中に愛撫を受け感じていた緑のものは勃ち上がり始め、中谷はズボンと下着を脱がせると勃ち上がり始めたものを手で撫でたあと口に含んだ。 「やぁ…ああ…はぁ…っ」 男は直接的な刺激を受けるとどうしても抵抗が弱くなってしまう。緑は執拗に愛撫を繰り返す中谷を押し返せず、そんな自分が嫌で涙が浮かんできた。 「やめ…ろ…っ…ああ」 舌を絡め、舐め上げたり吸い上げたりして緑を追い詰める。 「イケばいいよ」 我慢している緑にそう言って、中谷はさらに舌を絡めて吸い上げた。 「あっ…っ…ああ!!」 我慢できず、口の中に放ってしまった。 「最高だね、今の緑の顔。そそられるよ」 ぐったりとしている緑を見下ろし、中谷も服を脱ぎ始めた。今だ!と思ってだるい身体に鞭打って逃げようとすると後ろから腰を抱きかかえられてしまった。 「放せ!俺はもう誰ともヤらない。もう身体を売るのはやめたんだ」 「今日はそうはいかないよ」 後ろから腰を抱えたまま中谷は持ってきた潤滑剤を指にとると、いきなり蕾の中に入れた。 「いっ…やぁ…」 ここ最近は誰にも抱かれていなかった。だから指一本でも苦痛があり、緑は痛みに顔をしかめ、仰け反った。 「好きなんだ、緑のことが」 「うっ…あああ…やっめ…」 綺麗な肌に口付けながら、指をで中を掻きまわす。 次第に指を増やしていくと、緑から喘ぐ声が洩れ始めた。さっき放ったばかりの緑のものも再び勃ち上がり、先端からは蜜が溢れ出していた。 「いいだろ?」 「……嫌…だ…。や…めろ…」 嫌がる素振りをしても感じてしまっていて、乱れる緑は堪らなく艶かしい。 もう中谷は限界だった。 熱く昂ぶっている自分のものを蕾に押し当て、一気に貫いた。 「いやっー…」 あとはもう揺さぶられて緑は何も考えられなくなった。 意識を失う寸前、緑の目の前には優しく微笑んだ鉄朗の顔があった。 目が覚めたとき、どれくらい時が経ったのか緑には解らなかった。 ただわかるのは後ろ側の痛みと腰の痛みだけ。 男に抱かれて、何度もイカされてしまった。悔しくても涙も出てこない。 隣に眠る男を冷めた瞳で一瞥し、散らばった服を拾い集めて気づかれないように着込んで部屋を出た。 外は肌寒く、緑は上着の内ポケットから煙草を取り出すと火をつけた。 緑は夜空に消えていく紫煙を眺めて、タクシーを拾った。 「お客さん、どこまで?」 タクシーの運転手は緑に尋ねた。 緑の口から自然と出た住所はいつも言い慣れたものではなく、鉄朗の住むマンションの住所だった。 |
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