涼次が言っていた通り、翌日から連絡は途絶えてしまった。 俺の制服のパンツに入っている携帯。ここ暫らく、音がなる事はない。ナンバーを知っているのは、俺の友達数人と涼次だけ。 でも友達とは毎日会っているので、これと言って用がない限り鳴る事はない。 俺から涼次に連絡した事もない。涼次も携帯を持っているけど、俺はナンバーを知らない。 俺はいつも通りの生活を送っていた。飯食って学校行って授業受けて、そしてまた飯食って帰って家族と夜を過ごす。 物足りないものはあった。しかし俺からはどうすることも出来ない。 だから変わらない日常を過ごす。 「渉、今日暇?」 昼休み、弁当を食ってたとき、一哉がそう訊いてきた。 「暇だけど?」 「ちょっと付き合って欲しい所があるんだけど、いい?」 「別にいいよ。俺も暇だったからちょうどいい」 一哉は俺の親友で、何だって話す仲だ。お互い隠し事なんてしない。唯一涼次のことを知っている奴だ。 もちろん最初は反対された。不毛だって言われた。パトロンを付けるなら、せめて女にしろとも言われた。だけど一度涼次にあって、考えが変わったようだった。 そりゃあの綺麗な顔を見たら、誰だっていいじゃないかって思うだろう。 「お前最近、涼次さんと会ってないのか?」 弁当を食い終わってから、声を潜めて尋ねてきた。 「どうして?」 「外にNSXが停まってないからさ」 「忙しいらしいよ」 素っ気無く俺が答えると、もうそれ以上は何も言わなかった。 鐘が鳴り、またつまらない授業が始まった。 教壇の上には禿げた先生が、誰も聞いていないのに一人で演説している。皆が寝ている中、俺は一人、外を眺めていた。視線は知らない間に、いつも涼次が愛車を停めている場所に向かう。当然そこには何もなく、すっかり散ってしまった桜の木が静かに揺れていた。 そんな状態で一日を終え、放課後、一哉と街へ繰り出した。 「どこ行くんだ?」 「俺今度の日曜さ、女の子を紹介してもらうんだよ。だから着ていく服が欲しくてさ」 「そう」 これが普通の高校生なんだ。 彼女が欲しくて、かわいい女の子を探して、付き合う。 俺がちょっと変わってるだけ。 「で、どこ行くんだ?」 「うーん。とりあえず渋谷だろ」 「了解」 俺達は電車に乗り、渋谷に向かった。 駅の改札口を抜けて、PARCOに行った。平日だけどけっこう込んでいて、同じように制服を着た奴らが、同じように服を見ている。 「とりあえずCLUTCHに行こうぜ」 一哉は大のお洒落好きで、バイト代のほとんどを服に告ぎ込んでいる。 「いいよ」 俺は今日は買い物をする予定はなかったので、一哉に付いて回った。 あちこち回り、一哉は気に入った服を手に入れて満足そうだ。もう買い物を始めて一時間以上たつ。いい加減、腹が減ってきた俺達は、近くのマックに入った。 「ありがとな。付き合ってくれて」 「いいよ、そんな事」 相変わらず渋谷の街には、沢山の人達が溢れている。恋人と楽しそうに歩いている奴らや、スーツを着たサラリーマン、仕事帰りのOLやチラシを配っている男たち。 忙しそうにしている人間を見ると、俺はひどく孤独感に襲われる。この世にたった一人、取り残されたように感じる。 以前、涼次と寝た後、俺は同じような事を涼次に言った事がある。涼次は俺のそんなふざけた戯言を静かに訊いてくれて、一言だけ俺に告げた。 『誰だってそうなんだよ。それを紛らわしたくて、一緒にいる奴を見つけるんだ』 俺は何も考えずにその言葉を訊いていたけど、今だったら何となくわかる。 どうして涼次はそんな事を言ったんだろうか。 涼次も孤独を感じるんだろうか。 俺はオレンジジュースを飲みながら、ぼんやりそんな事を考えていた。隣では一哉がハンバーガーを頬張っている。 「お前そんなに食って、晩飯食えるのか?」 「あのな、今俺は成長真っ只中の、健康な男なんだぞ。これくらい食ったぐらいでは、平気なんだよ。お前が食わなさ過ぎるんだよ」 「俺は普通だよ」 「普通じゃねえよ。だからそんなに細いんだよ」 「悪かったな、細くて」 「でもお前ががっちりしてても、ヤだけどな」 一哉はそう言うとまた、ハンバーガーを食い始めた。 辺りはすっかり暗くなり、店のショーウィンドウには灯りが燈る。いつもこのくらいの時間は、涼次とホテルで飯を食っていた。最近は専ら家で食っている。 (さっきから涼次のことばかり考えてるな…。何やってんだ、俺) 俺は大きな溜息を一つ吐くと、視線をまた一哉に向けた。 「食い終わった?」 「おう」 「じゃあ帰ろうぜ」 立ちあがって、ゴミを捨て、店を出た。 俺達は人込みの中、駅に向かった。駅にはまたも人が溢れ返っている。 「お前さっきから哀しそうな顔してんな」 「俺!?」 「溜息なんかついてさ。寂しいんじゃないのか?涼次さんと会えなくて」 「馬鹿言ってんじゃねえよ。寂しいわけないだろ」 「そうかなあ」 「そうだよ」 俺は尚も言い募ろうとした一哉の腕を引っ張り、電車に乗り込んだ。また電車を乗り換えて、俺は一哉と別れた。 満員電車に揺られながら、俺は息苦しさを感じ、気分が悪くなった。満員電車に乗るといつもこうだ。最近は涼次の車で移動する事が多かったから、こんな感じは久ぶりだった。駅まで何とか我慢し、改札を潜った。 「ただいま」 「お帰り。もうすぐ夕飯だから、着替えてらっしゃい」 母親がキッチンから顔を覗かせ、俺に晩飯を伝える。しかし俺は腹が減っていなかった。 「俺、今日はいいよ。さっきマックにも行ったから」 「そうなの?じゃあ早めにお風呂に入ってね」 俺の母親は、何事もあまり干渉してこない。それは俺にとって都合がよかった。 涼次との事はもちろん秘密で、バイトしてるって言ってある。今のところ上手く騙されている。 (今日は疲れたな…) 自分の部屋のベッドに寝転び、目を閉じた。 今日した事といえば、学校行って買い物に行っただけだ。だけど何故か疲れた。 『寂しいんじゃないのか?涼次さんと会えなくて』 渋谷で一哉に言われた一言が、頭に浮かんだ。 「寂しいか…。そんなわけないじゃん」 ここにいない一哉の向かって、俺は一人呟いた。 涼次に会えない日が、もう半月は続いていた。一向に音沙汰はなく、今何をやっているのかさえ知らない。 俺は次第に身体が疼いてきた。そりゃそうだ。今まで週に少なくても二回は会って、涼次に抱かれていた。 男に抱かれて快感を得る事が出来る今、自分でやっても物足りない。 俺だって健全な十六の男だ。 欲求不満は募っていく。 (違う男と寝てみようかな) そう思ったのは、涼次と会えなくなって十八日目の事だった。 俺は放課後、新宿二丁目に行き、ぶらぶらと歩いていた。歩き始めて十分後、一人の男が声をかけてきた。その男はまだ二十台前半ぐらいの若い男で、綺麗な顔をしていた。 もっとも涼次よりはかなり劣っていた。 「三万でどう?」 肩に手を乗せて、馴れ馴れしくしてくる。しかし俺は誰でも良かったので、その男の誘いに乗った。 「ホテル、行こうか?」 「そっち持ち?」 「いいよ」 俺はその男と一緒に、ホテルに向かった。 入ったのはそのテのラブホテル。派手な素材で部屋が飾ってあり、俺は少し嫌悪した。いつもとは全く違う、ホテル。当然上品さは無く、セックスするための場所だっていう事を、まざまざと思い知らされた。 「先にシャワー浴びる?」 「そうする」 ベッドに座っていた俺は、立ちあがって男の横を通り抜けた。 何時になく緊張していた。 初めて涼次以外の男と寝る事になって、少しばかり抵抗感があった。 涼次と初めてホテルに行ったとき、どんな感じだっただろうか。緊張はしていたけど、嫌悪感なんて無かった。きっと涼次だったからだ。 心の篭っていない身体だけの関係。 ずっとそう思っていた。 俺は心が伴っていないって。 熱いシャワーの湯を頭からかぶりながら、この半年の事を思い出した。 一緒に食いに行ったり、俺のくだらない話に付き合ってくれたり、ベッドで抱き合ったり。いつも文句を言わなかった。学校の外で一時間近く待ってくれていた時もあった。笑った顔はあまり見た事無かったけど、数少ない笑顔は今まで見たどんな顔より綺麗で、本当に俺を見惚れさせた。 涼次の声、指先、心地好い掌、唇、琥珀色の瞳、そして熱い性器…。 俺には冷たいけど、たまに見せてくれる優しさがずっと心に引っ掛かっていた。でも好きなのかどうか、そう問われるとよくわからない。 俺の傷ついた心はまだ癒えていない。 だから好きだって事はない。 「これ以上ここにいたら、のぼせる…」 俺はシャワーを止めて、浴室を出た。当然バスローブ一枚で、ベッドまで戻った。 「長かったね」 よほどイライラしていたのか、灰皿の上には煙草の吸殻が何本もねじ消してあった。俺はなぜか愛煙家と縁があるらしい。 「そっちも浴びてくれば?」 体がだるくて、俺はベッドに転がった。涼次と行くホテルのベッドより寝心地が悪い。 「ちょっと…!!」 連れの男は、いきなり俺に覆い被さってきた。 「待って…!!シャワー浴びてきてよ!」 別に潔癖症じゃないけど、見ず知らずの男と寝るんだったら、やっぱりシャワーぐらい浴びて欲しい。 「ちょ…!!いやっ…」 男が首筋に唇を寄せて来たとき、背中にゾクッと冷たいものが走った。 嫌悪感だ。 心よりも身体が拒否反応を起こした。 「いや…だっ…。俺…帰る…」 「馬鹿なこと言うじゃねえよ。これからって時に」 「じゃあ、せめてシャワーぐらい浴びてよ」 俺は男の肩に手をおいて、気付かれない程度に押し返した。顔はもちろん微笑んでいる。 「わかったよ」 男は諦めてくれて、素直にバスルームに歩いて行った。男がバスルームに入ったのを確かめると、俺は急いで服を着、そっと部屋を抜け出した。後は全力疾走。出来るだけ遠くまで逃げ出した。 二十分ぐらい走ったところで、俺は止まった。息は乱れて、格好も急いでいたのでグチャグチャだ。 「馬鹿みたい…」 本当に何やってんだろう。 知らない男とセックスしようと思った。でも身体がいう事利かなくて、気持ち悪くなった。今まで散々涼次とやってた事なのに、どうしてだろう。 「涼次の馬鹿野郎…」 ただの八つ当たりだってわかってたけど、涼次を詰る言葉が出てきた。 近くにあったベンチに座って、夜空を見上げた。こんな都会では星が見えない。 一度だけ、涼次が星が見える丘に連れて行ってくれた事があった。 「星、見たいな…」 なんだか情けなくなって、涙が零れてきそうになる。 「帰ろう…」 俺は駅に向かって歩いた。さっきの男に見つかるとヤバイから、どうしても急いでしまう。 (疲れた…) 家に着いたら、どっと疲れが身体中から溢れてきた。 最近、何をやっても疲れてしまう。涼次といる時は疲れなんて感じた事無かった。喋るというより、俺が一方的に話すだけだったけど、楽しかった。 次の日も、変わらず学校に行った。 「なあ、昨日お前どこかに行ってた?」 休み時間に肩を叩かれ、振り返ると一哉がいた。 「何で?」 「夜、お前に電話したんだよ。でも出なかったじゃん。だから出掛けてたのかと思ってさ」 「新宿に行ってた」 「一人で?」 「途中までね」 俺はどこまで一哉に話そうか迷った。 男とホテルに行ったとこまで? それとも嫌になって逃げ出した事まで話すべき? 一体どうしたらいいんだろう。 「お前まさか…」 「何?」 「ちょっと来いよ」 一哉はいきなり俺の腕を引っ張り、教室を出た。もうすぐ授業が始まるっていうのに、どこに行くつもりなんだろう。 そう思ったけど、俺は素直に従って、一哉に任せた。 「もう授業始まるぜ?」 「そんな事いいから」 「怒ってんの?」 返事は無い。きっと怒ってるんだろう。 でもどうして? 結局俺が連れていかれたのは、冷たい風が吹き荒ぶ屋上だった。春だけど風はとても冷たい。 「新宿で何しようとしたんだよ」 「何って、別に…」 「男と寝ようとしたのか?」 「え…」 一哉は鋭かった。いくら俺が誤魔化そうとしても、きっと騙されてはくれない。だから仕方なく、俺はすべて正直に話した。 「で、嫌で逃げて来たんだ」 「気持ち悪くなっちゃってさ。しょうがないじゃん」 「でも涼次さんだったら大丈夫なんだろ?」 「そうだけど…」 一哉は一体何を言いたいんだろう。俺にはわからなかった。 「好きなんだろ?涼次さんの事」 突然何を言いだすかと思ったら、まるで見当違いの事を言い出した。好きなわけない。俺の心はまだ癒されていないんだから。誰かを好きになるなんて事は有り得ない。 「好きじゃねえよ。嫌になったのは知らない奴だったからだよ。涼次のことが好きだから嫌になったわけじゃない」 「じゃあ、俺と寝てみる?俺だったら知らない奴じゃないし」 「こんな時に冗談言ってんじゃねえよ」 「冗談じゃない」 俯いていた俺は、一哉の真剣な声に驚いて、顔を上げた。一哉は腕を組んで、真剣な顔つきだ。 「冗談じゃない」 もう一度一哉はそう言うと、俺に近づき、唇を寄せて来た。 「一哉!やめろよ!」 やはり気持ち悪くなって、俺は必死に逃げた。しかし俺より力が強い一哉からは、なかなか逃げ出せなかった。 「いい加減にしろ!」 俺は精一杯両手を突っ張って、一哉を離した。 「わかっただろ?」 「何が!」 「俺でも気持ち悪くなったんだろ?」 「…!!」 一哉に言われて初めて気付いた。俺にとって一哉は、大切な友達だ。唯一何でも話せて、遠慮なんてしない奴だ。 でも一哉でも嫌悪感があった。 涼次には一度もそんな事感じた事無かったのに。一度だって拒んだことも、嫌になったことも無かった。 「お前好きなんだよ、涼次さんの事。また傷つくのが怖くて、ずっと自分の事が誤魔化してたんだろ?何年お前と付き合ってると思ってんだよ。もういい加減あの事は忘れろよ」 一哉の言葉が、俺の心に突き刺さった。 余りにも正しくて、俺の心を理解しすぎていて。 |
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