子規の本の書評


玉城 徹著 『子規 ー活動する精神ー』 (北溟社 2002.4)   

 批評とは対象を語る作業である。しかし、そこには明らかに語る主体というものがいて、それは対象に拮抗する重みを持った存在であったはずなのである。
 だが、いつの頃からか、自らの存在を透明にしてしまう語り手が増えだした。まるで科学論文を記述するように自らを消し去り、その消失点に対象を描き出していく。その文体は、対象の構造を精密に描き出し、明晰な論理を紡ぎだすのではあるが、一方で、どこか自己を隠蔽するやましさの気配を漂わせているのであった。かく言う私もそうした文体に頼ってきた一人である。
 そうした中で、未だ玉城徹は自らを語り続けている。そして読ませる。それは玉城氏が真に作家と呼ばれるべき存在であるからに違いない。例えば九章が「絶望に裏打ちされない情熱だとか、行動だとかいうものは、何だかとても浅薄で、物足らぬような心持ちがされる」と書き始められるとき、読者は子規の短歌や俳句という形式への絶望とともに、玉城徹の絶望を読み取るのである。こうした書き方が可能なのは、氏が、自らの認識の最も深いところから発して対象を読み解こうとしているからである。自己を語れば良いというものではない。語り得る深さを抱え込んでいることが重要なのである。
 氏は、子規に関する批評の端々にまで目を配った様子は見せない。重要なのは子規の言説と、今を生きる自身の問題意識である。「子規の真の姿」など、「誰にも判ろうはずがない」のであるから、自分の時代精神が切り取った子規を語ればよい、という姿勢である。
 確かに問題は情報の量ではない。多くの情報はものごとの多くの側面を浮かび上がらせる。しかし重要な側面というものは一つしかない。それを決めるのが批評家の仕事である。読むということの本質は、現在という状況の中で意味を持つあるひとつの視点を選び出すことである。それは、ある時代状況を生き抜いている批評精神の全身を賭けた選択である。
 そうした態度に危うさがないわけではない。例えば冒頭の章で、子規自身が「革新」という言葉を使わず「改良」と言ったことに対して「聡明と勇気」という言葉が与えられている。子規の仕事を「改良」という視点で見直すことは、本書全体を貫くテーマなのである。だが、「改良」は、明治十年代から大正期にかけての国策から生まれた当時の流行語なのであって、それを用いた子規に「勇気」という言葉を与えるのはやはりどうかと思う。けれど、玉城氏が言いたいことはそういうことではない。氏は「革新」というラベルを貼られた子規の仕事の中身を問うているのである。確かに子規の仕事は革新ではない。私も別の意味でそう思う。明治二十年前後の俳句人口の増加は、子規の考える平明な描写を求める精神を生み出しつつあった。持って回った月並俳句を巧く作れない人々が数多く出現したのである。子規は、その状況を総括し、価値づけし、方向付けた。それは確かに「改良」と呼ばれるべき作業であるに違いない。
 玉城氏の方法とは、従来当たり前のように使われてきた子規にまつわるタームの再検討を迫り、その相対化を図ることである。「革新」を初め、「文学」、「写生」など、手垢にまみれたさまざまの言葉のベールが剥がされていく。その根底には、子規の仕事を永続する「改良」ととらえる視点がある。
 なぜ玉城氏は「革新」と「改良」の違いにこだわるのであろうか。
 氏は、子規の「歌、発句は永久のものに非ズ」、「永久のものを求めなバ別に一体」という書簡の文言から、「別に一体」の可能性を考え続ける。「歌、発句」は過去に連なる文芸であり、それぞれがある美の有りようを持続させている。それをひっくり返すことはできない。ひっくり返したら「歌、発句」ではなくなってしまう。それが玉城氏と子規の共通の認識である。したがって、移ろいゆく日本語の未来に、それは存在しないかもしれないものなのである。だからこそ未来には「別に一体」がなければならない。つまり「歌、発句」自体は革新できるものでなく、改良していくしかないもの、いつまでも過去に連なっているべきものなのであり、そうやすやすと口語などにはなり得ない存在なのである。
 だが私には「歌、発句」が、過去からの持続と、過去との切断という両面によって支えられる様式であるように思える。玉城氏は、例えば藤野古白の「星消えて闇の底より霰かな」を「浅薄なこしらえもの」と読む。氏にとって古白は「前期ロマン派挫折の一例」なのである。しかし果たしてそれだけのことだったのだろうか。たしかに古白の句は、過去の発句が作り出してきた深さとは別のものを抱え込んでいる。だが、その過去との切断こそが「モダン」と呼ばれるものではなかったか。とすれば、発句が積み上げてきた美の構造を切断したところに現れた古白の句こそ、「別の一体」としての可能性を持ち、やがて大正期の「革新」的な自由律俳句に連なっていく精神ではなかったろうか。
 しかし、玉城氏の腰はすでに定まっている。氏はとうに「歌、発句」の過去に連なる箇所に自らを置くことを定めているのである。
 「誰も彼もが、納得させられたがる、これが今日の<腐敗>である」という玉城氏の言葉を信じ、私は玉城氏の説に簡単に同意することは控えたいと思う。だが、その明晰な視点の持ちようと、自分を包み隠さず対象を語る文体のすがすがしさは盗み取っておきたいと思う。本書は、批評の文体のあり方というものを深く考えさせてくれる。また子規の仕事を考え直そうとするとき、そのどこに焦点を当て、何を考え直していくべきであるのかを明確に示してくれる一冊である。

池内 央著 『子規・遼東半島の33日』 

                短歌新聞社 平成9年12月刊行

 明治27年、子規は日清戦争従軍記者として、清に渡る。そこで子規は、さまざまな人々と交流し、鴎外とも会う。
 しかし、ほんの十数年前まで、この時の子規の行動についてはほとんど解明されていなかった。子規が鴎外と会ったという記録が子規のでっちあげだと考えられていた時期さえあった。そこには「小説家」と「俳人」を差別する眼差しが確かに存在したのであろう。
 今では、鴎外の『徂征日記』が公開され、その中に子規との交流の記録もあって、だれもそんなことを疑う人はいない。だが、そこでの子規の生活を、具体的につまびらかにしようという人もいなかった。
 著者は、少青年時代を大連で暮らした人である。その若き日の記憶に、明治の資料を重ね合わせてこの書はできあがった。ゆえにだれもが書けるという書物ではない。
 現地をよく知る著者ゆえに、読者としては部分的な分かりにくさも感じ、また思いこみが強すぎるのではないかというところもあるが、読み進むうちに見えてくる新たな子規の世界は貴重である。