講談社版「子規全集」月報

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0,資料の名前,資料を書いた人,,何にのっているか,,出版社,セイレキ,書籍か資料か,作家論か、作品論かなど,あとであいまいな記憶をたよりに出典を引けるようにキーワードを付けておくこと。
1,子規と愚庵,山口誓子,,子規全集月報9(1巻),,講談社,1975.12,資料,エピソード,愚庵、北海道、蝦夷旅行、涼しさやわれは禅師を夢にみん、策道、明治26年、はて知らずの記、江政敏、北海行脚、子規諸文、
2,子規の初学時代,清崎敏郎,(慶応大講師),子規全集月報9(1巻),,講談社,1975.12,資料,作家論,成長、明治24年、俳句に対して、ある自覚を持ってきた。、実景を写し出さんと企てたれども毫も成功せず(我が俳句)、鴬や山をいづれば誕生寺(安房小湊)、写実味、明治23年、七部集、三傑集、古典の影、
3,学生時代の父勝田主計と子規,勝田龍夫,(日本不動産銀行会長),子規全集月報9(1巻),,講談社,1975.12,資料,エピソード,秋山真之、藤野漸、ベースボール、手のひらを真っすぐに伸ばして球を挟む、一高時代、常盤舎、非常に健啖な男で、鍋焼饂飩を十杯食うとか十二杯食うとか(「ところてん」)、明治20年の夏休みに、父も子規も松山に帰省した。この時、子規は頻りに俳句の話をして、「代数の序次配合を十七文字に応用して、俳句は何句以上出来ぬ故に、暗合の場合が屡々ある」などといっていた。、大原其戎を紹介した、
4,「かけはしの記」ほか,川崎展宏,(明治大学助教授),子規全集月報9(1巻),,講談社,1975.12,資料,その他,かけはしの記、「俳句」と「野性の果物」と「落第」、奈良井の茶屋、茱萸、珊瑚実、明治24年、「苗代茱萸をくひしこと」(明治34年)、「親切な兎」(墨汁一滴)、安楽死、
5,見える人の孤独,松永伍一(詩人),,子規全集月報9(1巻),,講談社,1975.12,資料,作家論,読者の甘えに同調するところが微塵もない、病者の文学の嚆矢といえる子規の「仰臥漫録」、事実を書いている強さで人をうつ、写生、実相、絶筆、空虚な理想や空虚な幽玄、
6,切手になった子規,富安風生,,子規全集月報3(2巻),,講談社,1975.6,資料,エピソード,切手、横顔、明治23年暮の蕪村忌に大勢の撮影にもれて翌日居士単独のもの(「子規居士とうた」香取秀真)、
7,子規の甘え,平畑静搭,,子規全集月報3(2巻),,講談社,1975.6,資料,作家論,作る俳句が身辺の境地へと転換してきたのは、明治29年腰痛が始まり、その秋晩く、発熱激痛が襲って来てから、小夜時雨上野を虚子の来つつあらん、いくたびも雪の深さを尋ねけり、ごく特殊な状態にある主人公がでんと影に控えて構えている、予備知識、大挨拶、作者自身と周りの同行者の同一化形成これが俳句の挨拶の本義であって、境涯俳句というものは当然このことに根を張っている。、子規−波郷の系列、放哉−山頭火の系列をつぐ次の境涯者を待ち続けて久しいのが現在の俳句界の不安の真相ではないのか。
8,子規「写生」の二面,金子兜太,,子規全集月報3(2巻),,講談社,1975.6,資料,作家論,鶏頭の十四五本もありぬべし、虚子、空想的、写実、子規の「写生」には、見たものが世界になってゆくほどの(世界にしてしまうほどの)客観の視力が予定されていた、<武家の目>、有情の虚子、つまり子規は、鶏頭を見つめていて、その<存在>を凝視したのである、鶏頭はいつか、<存在者>・人間に見えてくる、そこの十四五本と無雑作においた、その無雑作ぶりと効果、日常実感をとらえることが写生となり、
9,子規の俳句,村山古郷,,子規全集月報3(2巻),,講談社,1975.6,資料,俳句論,いくたびも雪の深さを尋ねけり、明治29年、病中雪四句、軽く即興に詠みなす作者、
10,「柿くへば・・・・・・」の旅の宿,古賀蔵人,,子規全集月報3(2巻),,講談社,1975.6,資料,エピソード,明治28年、この小文の後ほどに触れる宿帳で、奈良の第一夜が十月二十四日、奈良角定にて 大仏の足もとに寝る夜寒かな、対山楼、東京下谷区上根岸町八十二番地士族無職業正岡常規二十八年、御所柿、
11,新発見の子規自筆俳句稿,和田茂樹,,子規全集月報3(2巻),,講談社,1975.6,資料,俳句論,寒山落木別巻、明治28年「病余漫吟」、明治29年明治30年俳句稿、春夏秋冬の冬の部、発見
12,葵の句の短冊,水原秋桜子,,子規全集月報22(3巻),,講談社,1977.11,資料,エピソード,葵の句、秋桜子、鈴鹿野風呂、稲毛はま、看護婦、来年や葵咲いても逢はれまじ、馬酔木発行所、神田ビル、宮本璋、宮本仲、
13,痰一斗,吉増剛造,,子規全集月報22(3巻),,講談社,1977.11,資料,俳句論,痰一斗、伊藤静雄「倦んだ病人」押しころしたひとり笑い。次に咳き、卒業論文「子規の俳論」、外界との通路である窓がみごとにあけはなたれている。その小天地に墨汁一滴の一滴一滴がしたたっていく、
14,根岸の家,真下真砂子(虚子長女),,子規全集月報22(3巻),,講談社,1977.11,資料,エピソード,根岸の家、子規庵、虚子、真下真砂子、独特の臭い、富士見町から歩く、鴬横町、[律]ちょっと男みたいな方でした、竹の子かな虞美人草のつぼみかな、
15,いくつかの好ましい句,吉野弘,,子規全集月報22(3巻),,講談社,1977.11,資料,俳句論,見ればただ水の色なる小鮎かな、美服して牡丹に媚びる心あり、椅子を置くや薔薇に膝の触ふるる処、うっとりと人見る奈良の鹿の子哉、菜の花やはつとあかるき町はつれ、我声の風になりけり茸狩、
16,子規居士と一葉女史と,池上不二子,,子規全集月報22(3巻),,講談社,1977.11,資料,その他,一葉、たけくらべ、明治29年文芸倶楽部、松蘿玉液5月4日、
17,日本新聞社の位置,編集部,,子規全集月報22(3巻),,講談社,1977.11,資料,その他,日本新聞社の位置、神田区雉子町32番地、団団社の社屋、青ペンキ塗りの明治の初めにできたという木造の洋館、31番地は宮本仲宅、淡路町2丁目から佐柄木町21番地、雉子町30番地を靖国通りが貫通、淡路町交差点よりやや九段寄り、宮本家は小川町1丁目、
18,子規の硯,加藤楸邨,,子規全集月報8(4巻),,講談社,1975.11,資料,エピソード,硯、墨汁のかわく芭蕉の巻葉かな、明治35年、
19,子規の季題観,谷沢永一(関西大学教授),,子規全集月報8(4巻),,講談社,1975.11,資料,作家論,俳諧連句の制作過程における季題の恐るべき文学的機能に開眼しえなかった、天野雨山「草苑」の「季題私考」、中村幸彦「景樹と子規」(昭和47年9月関西大学国文学47号)、子規のめがね、非子規派の発言と批判を虚心に聴き取ること、
20,端座直言,高橋新吉,,子規全集月報8(4巻),,講談社,1975.11,資料,作家論,春の海鯛も金毘羅参り哉、仏教、碧巌集、釈清潭「狐禅狸詩」、摩訶止観、愚庵、明治25年11月、臨済禅、
21,散文的な詩と詩的な散文,ジャニーン・バイチマン(上智大学講師),,子規全集月報8(4巻),,講談社,1975.11,資料,その他,小説は明治文学の主流であった、碧梧桐への手紙の中で「僕は明治時代に俳諧の最期を見んという説を持せり」「しかれどもそは理論家としていふべきのことなり技芸家(詩歌歌人をも含む)として左様の考えはすこしも無之方却てよろしきなり」(明治25年3月10日付)、人間写生、病中雪、散文の言葉づかい、四つがまとまって心境小説の一章のようなものを形成しているようにおもう、相反することを同時に感受させ表現させる能力、
22,文淵堂主人のことなど,佐藤白亭,,子規全集月報8(4巻),,講談社,1975.11,資料,エピソード,仰臥漫録、10月23日「夕刻大阪の文淵堂主人来る 手土産奈良漬一桶」
23,子規雑記,高浜年尾,,子規全集月報13(5巻),,講談社,1976.5,資料,エピソード,竹の子かな虞美人草のつぼみかな、虚子、鼠骨、
24,月並その他,田村隆一,,子規全集月報13(5巻),,講談社,1976.5,資料,俳句論,金子兜太、月並というところに俳句の面白さがある、「俳句」昭和50年6月「ものと即興と言葉」、物、子規によって客観化された「死」という物をぼくはぼくなりに、
25,子規と叟柳,永野孫柳,,子規全集月報13(5巻),,講談社,1976.5,資料,短歌論,生誕の地、藤原新町(現新玉町1丁目8番地9番地)、明治元年中の川(湊町4丁目)に転居、くれなひの梅散るなへに故郷につくしつみにし春し思ほゆ、野間叟柳、
26,籾山書店と俳書堂の周辺,木下子龍,,子規全集月報13(5巻),,講談社,1976.5,資料,俳句論,籾山書店、俳書堂、ホトギスから籾山書店へ、
27,海外における子規研究,ジャニーン・バイチマン,,子規全集月報13(5巻),,講談社,1976.5,資料,その他,英語圏の子規研究、昭和8年「The Bamboo Broom」Halold Henderson、「An introduction to haiku -An Anthology of poems and poets from Basho to Shiki」Halold Henderson、「Haiku」(S.24)「History of Haiku」(S.38)R.H.Blyth、「Peonies Kana-Haiku by the Upasaka Shiki」(S.47)、「日本の文学」15巻Donald Keene、「Masaoka Shiki and Tanka Reform」(S.46)Robert H.Brower
28,竹の里人手づくねの像,柴生田稔,,子規全集月報4(7巻),,講談社,1975.7,資料,エピソード,竹の里人手づくねの像、明治34年4月10日書簡、香取秀治郎(秀真)宛の日付、事実はもっと後ではなかったか、
29,「升さん」断片,生方たつゑ,,子規全集月報4(7巻),,講談社,1975.7,資料,エピソード,碧梧桐、
30,涙な添へそ,塚本邦雄,,子規全集月報4(7巻),,講談社,1975.7,資料,作家論,芭蕉雑談年齢、
31,伊藤左千夫との出あい,山本英吉,,子規全集月報4(7巻),,講談社,1975.7,資料,エピソード,伊藤左千夫との出会い、明治33年1月2日、鴎外による年譜では3日、馬酔木2号には2日、岡麓の談話(岐阜の「鵜川」)で2日、「非新自讃歌論」明治31年、萱廼舎楽人
32,藤の花によせて,安西均,,子規全集月報4(7巻),,講談社,1975.7,資料,短歌論,東武野田線藤の牛島、三好達治「牛島古藤歌」、後に子規の藤
33,感情,保田與重郎,,子規全集月報14(8巻),,講談社,1976.7,資料,作家論,封建の教養、近代的後進国の民族主義的傾向、子規を文芸批評として語るやうなことも、今に於て愚者のわざと思ふ、英雄である、岡倉天心、伊藤佐千夫、
34,子規と藤村,和田芳恵,,子規全集月報14(8巻),,講談社,1976.7,資料,エピソード,岩波書店版「座談会・明治文学史」、正岡子規に島崎藤村の人物考査をさせた、柴田泰助、柴田宵曲、人生の従軍記者、
35,「イヨが来るぞ」,清水房雄,,子規全集月報14(8巻),,講談社,1976.7,資料,エピソード,漢詩、「イヨが来るぞ」、山口県の田舎の人、長州征伐、「十年前の夏」31年8月、題西郷隆盛投海図(明治16年)、谷少将熊本篭城図、
36,子規の俳句と漢詩趣味,和田利男,群馬大学,子規全集月報14(8巻),,講談社,1976.7,資料,俳句論,蕪村、漢文学、「俳句と漢詩」、王維、漢詩の詩句を前書きにおいた作が少なくない、大江千里、
37,子規の病気と天岸家三題,天岸太郎,,子規全集月報14(8巻),,講談社,1976.7,資料,エピソード,医師、明治22年7月7日、松山に帰省した子規、喀血のほうも三度目、天岸維翰、天岸一順の父、藩医、明治21年夏、横須賀・鎌倉に遊んだ時の喀血から主治医となった明星医師、子規の東京での主治医は、神田雉子町の日本新聞社隣りに開業する宮本仲博士、明治28年、神戸病院に収容され、同病院の江馬賤男院長と、村井・泉両医員の治療を受けた、「ホトトギス」第3巻第4号「消息」、迷信的療法を一切用いなかった、静里
38,明らかにされた子規作詞の中学唱歌「富士山」,柳生四郎,,子規全集月報14(8巻),,講談社,1976.7,資料,エピソード,「外山正一日記」、明治32年1月15日、富士山、渡辺龍聖、太平洋、割り当てどおりとすれば、これも子規の作でなければならないが、無署名のため決め手がない、
39,少年の回覧雑誌,田辺聖子,,子規全集月報21(9巻),,講談社,1977.9,資料,エピソード,回覧雑誌、「桜亭雑誌」「弁論雑誌」「戯多々々珍誌」「五友雑誌」、模倣
40,中学時代の子規の成績,水木直箭,,子規全集月報21(9巻),,講談社,1977.9,資料,エピソード,子規の成績、予科を経て初等科八級に始まり、1年間に2級ずつあがって、
41,小さな記録,真下五一,,子規全集月報21(9巻),,講談社,1977.9,資料,エピソード,小説の根底、子規から生れ出た日本リアリズム、意志力極限の人、虚子「化け物屋敷」、明治25年11月、柊屋、子規は俵屋と誤記、たばこ、
42,子規と透谷,相馬庸郎,,子規全集月報21(9巻),,講談社,1977.9,資料,その他,透谷、蝶、花せゝり、黄まんだら、日蔭蝶、女王、スペンサー、「眠れる蝶」、馬糞に息つく秋の胡蝶哉(明治28)、政治と文学、民衆と知識人、ナショナリズムとインタナショナリズム、伝統と近代、文学の自立性と自我内面の問題、対象的
43,猛烈な人,竹西寛子,,子規全集月報21(9巻),,講談社,1977.9,資料,その他,食欲、
44,野田九浦の描いた子規像,編集部,,子規全集月報21(9巻),,講談社,1977.9,資料,エピソード,野田九郎、子規肖像画「獺祭書屋」(昭和26)、
45,ぼくにとって特別な存在,野坂昭如,,子規全集月報2(10巻),,講談社,1975.5,資料,その他,蜀山人、京鹿子、岩波版国語教科書二の巻、ホトトギス、寒川光太郎、子規庵、
46,子規とベースボール,君島一郎,,子規全集月報2(10巻),,講談社,1977.9,資料,エピソード,ベースボール、明治19、大学予備門寄宿舎報「赤組は正岡常規氏と−」、明治22.5.17インブリー事件、「啼血始末」、野球、
47,教科書にあらわれた子規,香川進,,子規全集月報2(10巻),,講談社,1977.9,資料,その他,
48,常盤会寄宿舎創立の事情,服部嘉香,,子規全集月報2(10巻),,講談社,1977.9,資料,エピソード,常盤会寄宿舎、服部嘉陳、明治22、内藤鳴雪、本郷真砂町18番地、坪内逍遥、常盤会生徒寄宿舎、勝田主計(しょうだかずえ)、左手で
49,子規と南方熊楠,編集部,,子規全集月報2(10巻),,講談社,1977.9,資料,エピソード,南方熊楠、清水則遠、葬儀、秋山真之、
50,漱石という号と子規の号,編集部,,子規全集月報2(10巻),,講談社,1977.9,資料,エピソード,子規の号、子規子、正岡子規子、螺子、獺祭書屋主人、不如帰斎主人、古句解子、馬鹿山人、地風升、水晶花児、
51,子規のモンタージュ論,五木寛之,,子規全集月報1(11巻),,講談社,1975.4,資料,俳句論,甘酒屋打出の浜に卸しけり、ソヴェート研究会、プドフキン、エイゼンシュタイン、戦艦ポチョムキン、ブレヒト、ドキュメンタリズム、ハードボイルド、
52,写生のモデルになって,最上巴[陸羯南四女],,子規全集月報1(11巻),,講談社,1975.4,資料,エピソード,寝たままでも庭の鶏頭や鳥篭が眺められるように、仰臥漫録、朝鮮服、写生、子規さんの泣き叫ぶ声は大きくて、
53,子規全集刊行に際して,"正岡忠三郎,司馬遼太郎,大岡昇平,ぬやまひろし",,子規全集月報1(11巻),,講談社,1975.4,資料,その他,子規全集、子規庵事件、虚子、香取秀真、高浜年尾、深川正一郎、池田一、氷解けて水の流るる音すなり、
54,編纂を担当して,"和田茂樹,蒲田池文雄,久保田正文",,子規全集月報1(11巻),,講談社,1975.4,資料,その他,子規全集、編纂、グループ活動、俳句、芭蕉
55,子規の母と妹,服部嘉香,,子規全集月報1(11巻),,講談社,1975.4,資料,エピソード,母、妹、八重、律、「親族」、律=りーさん、仰臥漫録9/21離婚も子規の看病のため、コットリさん、一日おきに看病のため帰してもらう、恒吉忠道(陸軍将校)=いとこ、中堀貞五郎、
56,子規と被差別部落,土方鉄,,子規全集月報1(11巻),,講談社,1975.4,資料,その他,差別、曼殊沙華、加藤恒忠、融和的、融和的善意を越えて、水平社、
57,子規と虚子,富士正晴,,子規全集月報7(12巻),,講談社,1975.10,資料,エピソード,虚子、大悪人虚子、貢物、子規、若い仕事とはこういうものだ、
58,子規と鴎外との出会い,宮地伸一,,子規全集月報7(12巻),,講談社,1975.10,資料,エピソード,虚子「俳句の五十年」戦地で知合になったとは信じられません、柳田国男対談集、「病床日誌」6/5、鴎外「徂征日記」5/4-、子規庵の句会に鴎外もいくどかは臨んでいる
59,子規の従軍関係新資料と私,海老原,,子規全集月報7(12巻),,講談社,1975.10,資料,エピソード,防衛庁防衛研修所戦史室、海軍機関学校教官芥川龍之介、海軍軍令部書記長谷川辰之助(二葉亭四迷)、海軍機関学校教官内田百けん、豊島與志雄、子規履歴書と作文、
60,運命の船「佐渡国丸」について,子規全集編集部,,子規全集月報7(12巻),,講談社,1975.10,資料,その他,佐渡国丸で喀血、「陣中日記」「従軍紀事」「病」、
61,神戸病院から須磨へ,古賀蔵人,,子規全集月報7(12巻),,講談社,1975.10,資料,その他,神戸病院、「病床日誌」、須磨保養院7/23-8/20二の谷と三の谷の間の松林の中にあり、、背後の山地に須磨浦療病院=サナトリウムの草分け、虚子は二晩泊まって、明けの朝東京に帰った。夕食の席で、子規が虚子に文学上の後事を語ったことは、よく知られている。その心に残る一夜は、夜半にかけて激しい風雨となり、
62,無念三句,若杉慧,,子規全集月報15(13巻),,講談社,1976.9,資料,作家論,風流仏、露伴、なむあみだ仏つくりがつくりたる仏見あげて驚くところ、絶筆三句両脇菩薩、
63,正岡子規と夏目漱石の旅,荒正人,,子規全集月報15(13巻),,講談社,1976.9,資料,作家論,漱石、明治25年6月27日、「雅会」、柊屋、京都市、夏の夜の月圓に乗じて、
64,「はて知らずの記」ノート,金沢規雄,,子規全集月報15(13巻),,講談社,1976.9,資料,その他,はて知らずの記、
65,散策集のことなど,石塚友二,,子規全集月報15(13巻),,講談社,1976.9,資料,その他,明治28年、散策集
66,「俳聖見染塚」始末,越智二良,,子規全集月報15(13巻),,講談社,1976.9,資料,その他,「旅」、明治32年7月、木曽川の停車場、丸顔に眼凉しく色黒き女、明治24年、「かけはしの記」、
67,「水戸吟行」に見る子規と其戎の関係,蒲池文雄,,子規全集月報15(13巻),,講談社,1976.9,資料,その他,「水戸紀行」抹消句、三日路を飛んで帰るや火の車、残らめや花は散るとも香ばかりは、昨日見た花は夢かや夜の風、明治22年、「筆まかせ」大原其戎先生の手書写し「余が俳諧の師は実に先生をもってはじめとす・・」、丈鬼、
68,律という女,山田風太郎,,子規全集月報10(14巻),,講談社,1976.1,資料,エピソード,律 女 昭和19 警戒管制 仰臥漫録 漱石 献身 服部嘉香 
69,秋山真之大尉の子規庵訪問,島田謹二,,子規全集月報10(14巻),,講談社,1976.1,資料,エピソード,1900 秋山真之 見聞談 テムズ河 留学 赤紙 菅笠 ギボン 
70,子規の絵心と写生と,秦恒平,,子規全集月報10(14巻),,講談社,1976.1,資料,エピソード,絵 京都南禅寺 浅井忠 黙語記 陸羯南 中村不折 フォンタネージ 「草花帖」「果物帖」「玩具帖」 浅井の写生観が、正岡子規の俳句や短歌を律した 「糸瓜と木魚」「子規居士弄丹青図」
71,子規の病床の栄養,下田吉人,,子規全集月報10(14巻),,講談社,1976.1,資料,エピソード,栄養 病 鼠骨 子規小伝 仰臥漫録 栄養価 天才は横暴 犠牲になった二人の女性の面影
72,上根岸明治のころ,荻原井泉水,,子規全集月報20(15巻),,講談社,1977.7,資料,俳句論,お行の松、笹の雪、鴬春亭、岡野の汁粉、写生、三河島、
73,夕顔に夕風そよぐ,長谷川泉,,子規全集月報20(15巻),,講談社,1976.9,資料,その他,仰臥漫録、遺書、鴎外、
74,子規と河北,森直太郎,,子規全集月報20(15巻),,講談社,1976.9,資料,エピソード,森壮之助、村上霽月、森円月、「散策集」、鳩麦や昔通ひし叔父が家、余土村、佐伯氏が疎開していた向いが、蛙友会、愛媛県下に建てられた子規句碑の最初、行く秋や手をひきあひし松二本、三島神社境内、若鮎の二手になりて上りけり、
75,子規を訪ねた青々,藤田福夫,,子規全集月報20(15巻),,講談社,1976.9,資料,俳句論,松瀬青々、明治31年の俳句界、「ふた葉」大阪金尾文淵堂、1巻5-6号の青々の「東行俳録」、32年、虚子君に従うて根岸庵を敲く、先生に見ゆるのも初めてなり、俳句分類、高さ一間に余る、ホトトギスの編集員として上京、
76,「漱石山脈」と「子規山脈」,西浦英之,,子規全集月報20(15巻),,講談社,1976.9,資料,エピソード,本田顕彰氏により名付けられた「漱石山脈」、第1グループ俳人、第2グループ歌人、加えて陸羯南、
77,しきせんせい,佐藤愛子,,子規全集月報5(16巻),,講談社,1975.8,資料,エピソード,しきせんせい、父が「先生」をつけるのは「しきせんせい」と「くがせんせい」の二人だけである、滑稽句、
78,奇才の遊蕩児・新海非風,越智二良,,子規全集月報5(16巻),,講談社,1975.8,資料,その他,明治21年、「七草集」、筆まかせ・悟り、藤野古白、明治24年駒込追分町、明治25年士官学校退学、虚子「俳諧師」の五十嵐十風と司、
79,辮髪の俳人蘇山人,中村忠行,,子規全集月報5(16巻),,講談社,1975.8,資料,その他,明治33年「万朝報」第百一回懸賞小説一等入選「破障子」清国蘇山人、明治32年2月24日子規庵句会に、ほとゝきす2巻6号、
80,三允と泥牛のこと,柳生四郎,,子規全集月報5(16巻),,講談社,1975.8,資料,その他,中野三允、暗合、埼玉県幸手町、近藤泥牛、「新派俳家句集」、脱落、非風、秋竹、瀾水、
81,父寒川鼠骨,寒川朝康,,子規全集月報5(16巻),,講談社,1975.8,資料,エピソード,鼠骨、本名陽光あきみつ、松山藩家老待遇寒川朝陽三男、明治33年舌禍事件、新囚人、「安価生活」の印税、自由主義社、アルス版子規全集の編集、改造社版編纂、不忍池東珍楼経営、寒川鼠骨集柴田宵曲編、五十年糸瓜守りて愚に徹す、亀有の見性寺、「玄旨不会」、禅、
82,明治を代表する人物,荒垣秀雄,,子規全集月報11(17巻),,講談社,1976.2,資料,作家論,山会、セザンヌ、月給40円、虚子から50円、秋山真之、野心、
83,子規写生論,村野四郎,,子規全集月報11(17巻),,講談社,1976.2,資料,その他,明治30年1月、柳原極道ほとぎす刊行6銭5厘、31年ホトトギス9銭、写生論、
84,蕪村句集輪講,木村毅,,子規全集月報11(17巻),,講談社,1976.2,資料,俳句論,蕪村、観賞の仕方、島田青峰、
85,即興詩の境,春日井建,,子規全集月報11(17巻),,講談社,1976.2,資料,俳句,奥島欣人、鶏頭の十四五本もありぬべし、は鶏頭の句の真価を最初に発見したのは長塚節、
86,叔父秋山真之と子規のご家族,土居健子,,子規全集月報11(17巻),,講談社,1976.2,資料,エピソード,秋山真之、淳五郎真之、淳さま、信三郎好古、信さま、正岡さまのところの升さま、律さんが子規庵ではじめられたつまみ細工の研究会、日露戦争で未亡人となった人のために作られた共立女子職業学校で和裁の先生を、お母さまは、それはもう、お優しい方、焼け落ちるさまを泰然と、それは当時の士族の娘であれば当然のことであったと、お律さんのほうが、そのお顔つきからして、きついでしたよ、盲腸炎で死んだ、
87,"差別用語,子規全集事件",松井勲,,子規全集月報11(17巻),,講談社,1976.2,資料,その他,差別用語、子規全集事件、汐文社「差別用語」50年11月、
88,仰臥漫録,庄野潤三,,子規全集月報17(18巻),,講談社,1977.2,資料,その他,仰臥漫録 妹 律 母 
89,子規と陸羯南,川村欽吾,,子規全集月報17(18巻),,講談社,1977.2,資料,その他,陸羯南 加藤恒忠 子規を世に出してくれた陸羯南の 出会い 日本近代文学体系角川松井明治18 子規言行録明治16 久松定こと 
90,子規と愚庵、湖村,中の菊夫,,子規全集月報17(18巻),,講談社,1977.2,資料,エピソード,天田愚庵 明治30 柿 つりがね 島木赤彦「歌道小見」違っている 持参したのは桂湖村 
91,二つの筆跡,田畑一作,,子規全集月報17(18巻),,講談社,1977.2,資料,エピソード,松井勲 鈴木ふさ子「白すみれ」 母八重からの書簡 仰臥漫録 大釜弥三郎 徳美松太郎
92,子規庵の正月−子規居士雑談 その一−,森銑三,,子規全集月報17(18巻),,講談社,1977.2,資料,短歌論,子規庵の正月 試筆帖 大晦日愚なり元日なほ愚なり 碧巌録 
93,子規が岡山で泊った高級旅館「自由舎」,編集部,,子規全集月報17(18巻),,講談社,1977.2,資料,エピソード, 岡山 自由舎 明治24
94,富士のよせ書に寄せて,新田次郎,,子規全集月報12(20巻),,講談社,1976.3,資料,短歌,富士のよせ書、五百木飄亭、
95,子規のあとを追いかけて,井上ひさし,,子規全集月報12(20巻),,講談社,1976.3,資料,俳句論,分類俳句全集アルス版全12巻、押韻、韻さぐり、
96,子規の戯曲観,秋庭太郎,,子規全集月報12(20巻),,講談社,1976.3,資料,その他,戯曲、藤野古白、逍遥、鳴雪「新古文林」明治39年10月号、演劇論、「人柱築島由来」、「戯曲類と四季」、季感描写、
97,花の香,野田宇太郎,,子規全集月報12(20巻),,講談社,1976.3,資料,短歌論,竹の里歌、明治21年の一夏を下宿、向島長命寺山本屋という桜餅屋、月香楼、三並良、藤野古白、松山同郷学生だけを容れてゐた常盤会宿舎、「七艸集」、お陸さん、学友太田正躬「子規の旧事」浮き名が立った、文通、
98,お陸余聞,編集部,,子規全集月報12(20巻),,講談社,1976.3,資料,エピソード,寒川鼠骨「子規と恋」(「文学」昭和29/4)、戯曲として放送された、鼠骨の憤慨、お陸さん、
99,加藤拓川とその家族,服部嘉香,,子規全集月報12(20巻),,講談社,1976.3,資料,人,大原観山、長男早世、次男恒徳大原家を、三男恒忠(拓川)加藤家を、原敬、
100,子規の相,五味康祐,,子規全集月報16(21巻),,講談社,1976.11,資料,エピソード,子規の相、
101,会津八一の子規体験,宮川寅雄,,子規全集月報16(21巻),,講談社,1976.11,資料,短歌論,会津八一、新潟から上京、俳句を捨て、ノート
102,子規の書,小池邦夫,,子規全集月報16(21巻),,講談社,1976.11,資料,書,毛筆、手習い、日常に筆を使、佐伯半弥、山内伝蔵の習字専門塾、武智五友、大原観山、
103,写生と生きかたと美感,桶谷秀昭,,子規全集月報16(21巻),,講談社,1976.11,資料,随筆,仰臥漫録、写生、虚叙、「叙事文」の中で実叙の強調、
104,白砂青松、白球青空,真鍋博,,子規全集月報16(21巻),,講談社,1976.11,資料,エピソード,県民性
105,鶏頭の句会稿,山本健吉,,子規全集月報25(22巻),,講談社,1978.10,資料,俳句論,鶏頭の句会稿、新暦重陽の日、会者19名、運座は2回、このときとらなかったことが、虚子をしてこの句を一生拒みつづけさせた、
106,年譜、伝記、評伝,久保田正文,,子規全集月報25(22巻),,講談社,1978.10,資料,その他,年譜、伝記、評伝の違いはどこにあるのか
107,子規と南山閣,扇畑忠雄,,子規全集月報25(22巻),,講談社,1978.10,資料,紀行短歌,はてしらずの記、槐園(落合直文実弟)、與謝野鉄幹、松風島月、子規は鉄幹の出たあと南山閣を訪ねた、
108,子規の生活,清水基吉,,子規全集月報25(22巻),,講談社,1978.10,資料,その他,「明治三十三年十月十五日記事」、
109,1992年01月31日「子規の硯」その後,塩尻青笳,,子規全集月報25(22巻),,講談社,1978.10,資料,その他,懺悔録、子規の硯、硯は、今も私のもとにある、塩尻青笳
110,子規の片影,渋沢秀雄,,子規全集月報18(別1),,講談社,1977.3,資料,エピソード,漱石、吾輩ハ猫デアル、子規の手紙、「子規画日記」昭和24年11月、蘇山人、「果物帖」、明治35年7月11日、
111,無神論者のパンセ,岡井隆,,子規全集月報18(別1),,講談社,1977.3,資料,随筆,松蘿玉液、仰臥漫録、墨汁一滴、病床六尺、
112,鉄幹と子規,新間進一,,子規全集月報18(別1),,講談社,1977.3,資料,短歌,明治26年あさ香社運動、明治27「亡国の音」、明治31「歌よみに与ふる書」、明治34/1/25墨汁一滴「鉄幹子規不可並称説」、
113,正岡家と佐伯家のこと,佐伯徹也,,子規全集月報18(別1),,講談社,1977.3,資料,その他,出淵町(いでぶちちょう)佐伯家、よひよひの鼓の音や松の内、佐伯政房(半弥)、郷居ごうきょ、律おばさんは東京弁でテキパキとものを言うしっかりした人であった、丹毒が原因で急死、
114,子規と不折,森銑三,,子規全集月報18(別1),,講談社,1977.3,資料,その他,中村不折、明治34年6月29日渡欧、墨汁一滴、末永鉄巌、雑誌「趣味」明治40年4月号中村不折「子規断片」、
115,「布引の滝」を七夕に訪れたのは、七月七日ではなくて八月二十八日である,荒正人,,子規全集月報18(別1),,講談社,1977.3,資料,紀行,正岡子規と夏目漱石の旅、子規全集月報15(13巻)の訂正、「布引の滝」を七夕に訪れたのは、七月七日ではなくて八月二十八日である
116,「月の都」出版に尽力した露伴,編集部,,子規全集月報18(別1),,講談社,1977.3,資料,小説,月の都、幸田露伴が根岸派の文人、幸堂得知(鈴木利平)に「月の都」出版の斡旋を依頼していたことが知られる、春陽堂とは別の、友情
117,正岡子規の「病床六尺」,森茉莉,,子規全集月報6(別2),,講談社,1975.9,資料,その他,「病床六尺」を讀んでゐると浮んでくる一つの日本家屋は實に親しみが感ぜられる、いい文章、
118,子規・漱石と米山保三郎,大久保純一郎,,子規全集月報6(別2),,講談社,1975.3,資料,エピソード,交遊関係、菊池謙二郎「予備門時代の子規」、筆まかせ「交際」、高友米山保三郎、悟り、千駄木養源寺、坊っちゃんの菩提寺、「漱石とその思想」大久保純一郎(荒竹出版)
119,正岡子規と古島一雄,新名丈夫,,子規全集月報6(別2),,講談社,1975.3,資料,エピソード,古島一雄、新聞日本編集長格、かけはしの記、獺祭書屋俳話、従軍、
120,叔父抱琴のこと,原奎一郎,,子規全集月報6(別2),,講談社,1975.3,資料,その他,原敬の甥、抱琴、野村胡堂、
121,「南岳草花画巻」のその後 ,池上浩山人,,子規全集月報6(別2),,講談社,1975.3,資料,その他,渡辺のお嬢サン、「南岳草花画巻」、
122,子規最後の写真,古賀蔵人,,子規全集月報6(別2),,講談社,1975.3,資料,その他,撮影日12月24日が正しい、春光堂、
123,夏目漱石の珍談,服部嘉香,,子規全集月報6(別2),,講談社,1975.3,資料,その他,おはぎ、受取証、
124,話題句誕生の真実と謎,古賀蔵人,,子規会誌,,松山子規会,1986.1,資料,俳句論,君が代も二百十日は荒れにけり、古島一念、子規言行録、柿二つ、
125,子規と村上家の人々,森岡正雄,,子規会誌,,松山子規会,1986.1,資料,エピソード,村上見機(これちか)、「人間子規」松田秀太郎、三並良(はじめ)、近藤元晋(もとゆき)、三島大明神、村上格致、武知五友、
126,久保より江夫人(愚陀仏庵の孫娘),塩崎月穂,,子規会誌,,松山子規会,1991.10,資料,エピソード,久保より江夫人(愚陀仏庵の孫娘)、宮本正良の長女、「嫁ぬすみ」、「より江句文集」、
127,子規の漢詩と漱石との交友, 川武夫,,子規会誌,,松山子規会,1991.10,資料,その他,子規の漢詩と漱石との交友、房総
128,子規の連句,鈴木春山洞,,子規会誌,,松山子規会,1991.10,資料,その他,連句、獺祭書屋俳話増補、芭蕉雑談、大原其戎、
129,久松家と給費生子規,久松定武 和田茂樹,,子規博だより2−2,,松山市子規博友の会,1982.10.25,資料,エピソード,久松家と給費生子規、宝井其角、裏千家、宝生流、漱石、軍刀、
130,「俳諧史展」に寄せて,尾形,,子規博だより2−2,,松山市子規博友の会,1982.10.25,資料,俳句論,雑感、俳句分類、芭蕉雑談、俳人蕪村、
131,子規の神田の下宿,和田克司,,子規博だより2−2,,松山市子規博友の会,1982.10.25,資料,エピソード,神田の下宿、
132,子規とふるさとの植物,山本四郎,"(今治明徳短大教授),和田茂樹",子規博だより2−3,,松山市子規博友の会,19832.10.25,資料,エピソード,石鎚山、散策集、植物の季題65%、櫨(はぜ)、鳩麦=ジュズダマ 苡、ていれぎ、
133,松山市街全図,和田茂樹,,子規博だより2−3,,松山市子規博友の会,19832.10.25,資料,その他,地図、松山市街全図
134,俳句二十四體と神仙體,本井英,(慶応大講師),子規博だより2−3,,松山市子規博友の会,19832.10.25,資料,その他,俳句二十四體と神仙體、めさまし草、森鴎外、虚子と子規の距離の遠さ
135,「松風会」発祥の地,森元四郎,(松山南高校校長),子規博だより2−4,,松山市子規博友の会,1983.3.25,資料,その他,松風会、狸伴、明治27/3、
136,東京の子規3・子規上京後の学校,和田克司,,子規博だより2−4,,松山市子規博友の会,1983.3.25,資料,エピソード,上京後の学校、明治16/7赤坂区丹後町99須田学舎、明治16/10神田区中猿楽町19の叔父藤野漸宅より通学神田区淡路町2-3共立学校、進文学舎、
137,「月の都」をめぐる三書簡,宝来淑子,,子規博だより2−4,,松山市子規博友の会,1983.3.25,資料,その他,月の都、露伴、
138,「松風会の経歴」をめぐって,石原誠,,子規博だより2−4,,松山市子規博友の会,1983.3.25,資料,その他,「松風会の経歴」ほとゝきす8号
139,子規と信綱,佐々木幸綱,,子規博だより3−2,,松山市子規博友の会,1983.10.5,資料,エピソード,子規と信綱、心の花、百中十首、橘曙覧「志濃夫 舎歌集」、田安守武、天降言、新詩会、坂井辨(久良伎、徒然坊)、石 千亦、
140,1000号後の「ホトトギス」と松山,"高浜君子,稲畑汀子",,子規博だより3−2,,松山市子規博友の会,1983.10.5,資料,俳句論,ホトトギス、高浜虚子、高浜年尾、能、
141,東京の子規・子規と第一高等中学校,和田克司,,子規博だより3−2,,松山市子規博友の会,1983.10.5,資料,エピソード,第一高等中学校、東京大学予備門、19/4/29、
142,時のうつろい(上)−子規の時間論−,越智通敏,,子規博だより3−2,,松山市子規博友の会,1983.10.5,資料,エピソード,子規の時間論、せわしなや桔梗に来たり菊に去る、明治28、新体詩、病の窓、時とは今の今、而今の今、前後際断、行持の今、刻々の打座、只管打座、一遍の時間論、捨て聖、刻々往生、
143,子規の自筆稿本「竹の里歌」−新体詩に関する問題点−,石原誠,,子規博だより3−2,,松山市子規博友の会,1983.10.5,資料,短歌論,子規の自筆稿本「竹の里歌」−新体詩に関する問題点−、
144,長塚節の推敲稿を巡って(一)−病中雑詠−,宝来淑子,,子規博だより3−2,,松山市子規博友の会,1983.10.5,資料,短歌論,長塚節の推敲稿を巡って(一)−病中雑詠−
145,陸羯南の娘として(上),最上巴,,子規博だより3−3,,松山市子規博友の会,1984.1.7,資料,エピソード,陸羯南の娘として、朝鮮服、笹の雪の豆腐、
146,東京の子規ろ・根岸の子規庵,和田克司,,子規博だより3−3,,松山市子規博友の会,1984.1.7,資料,エピソード,東京の子規ろ・根岸の子規庵、
147,時のうつろい(下)−子規の時間論−,越智通敏,,子規博だより3−3,,松山市子規博友の会,1984.1.7,資料,エピソード,子規の時間論、
148,子規筆「歌人仲間の似顔絵」をめぐって,白田三雅,,子規博だより3−3,,松山市子規博友の会,1984.1.7,資料,エピソード,歌人仲間の似顔絵、
149,長塚節の推敲稿を巡って(二)−病中雑詠−,宝来淑子,,子規博だより3−3,,松山市子規博友の会,1984.1.7,資料,短歌論,長塚節の推敲稿を巡って(二)−鍼の如く−
150,正岡子規を語る,粟津則雄,,正岡子規を語る,,日本放送出版協会,,,,子規の場合は、世間と対立する自分を確認するのではなく、世間のあらゆる事象、あらゆる表現、あらゆるあり方、それに全身的に反応しながら言葉にして行くわけですから、当然、そこにある種のレトリックというものが中心的に立ち現れてくるのは、これまたやむを得ないことかもしれません。
151,正岡子規,坪内稔典,東京教育大学,シリーズ民間日本学者,,リブロポート,1991/8/30,書籍,俳句論,子規の生涯 一条の活路 写生−感受性の核 議論−自他を開く 形式−定型的発想 共同−小さな夢
152,海棠花 子規漢詩と漱石,飯田利行,駒沢大学,,,柏書房,1991/10/12,書籍,その他,漢詩 漱石
153,正岡子規,国崎望久太郎,,近代作家研究叢書130,,日本図書センター(創元社),1993/1/25(1956/4/10),書籍,エピソード,昭和31年(1956/4/10大阪創元社日本文学新書)子規の復興 子規の生涯 子規の文学 子規の歴史的位置について
154,正岡子規根岸短歌会の位相,小泉苳三,,近代作家研究叢書97,,日本図書センター(創元社),1990/3/25(1934/10/15),書籍,短歌論,根岸短歌会
155,子規から茂吉へ,子規記念博物館,,,,子規記念博物館,1992/10/22,資料,短歌論,第24回特別企画展 子規から茂吉へ 少年時代の茂吉 茂吉の子規論一覧表
156,拓川と羯南,子規記念博物館,,,,子規記念博物館,1987/10/27,書籍,その他,第16回特別企画展 拓川と羯南 新聞「日本」創刊号写真 
157,陸羯南の娘として(下),最上巴,,子規博だより3−4,,松山市子規博友の会,1984/3/25,資料,エピソード,陸羯南の娘として 佐藤紅緑 日本新聞社 仏英和 森鴎外 
158,城下町松山の成立と発展,森正経,子規博物館,子規博だより3−4,,松山市子規博友の会,1984/3/25,資料,その他,城下町松山の成立と発展 加藤嘉明 蒲生忠知 
159,子規のペンネーム,,子規博物館,子規博だより3−4,,松山市子規博友の会,1984/3/25,資料,その他,子規のペンネーム 常規凡夫 真棹家 獺祭書屋主人 丈鬼 嫦き 香雲山人 子規 冷笑居士 秋の幽霊 獺祭魚子 秋風落日舎主人 痴夢情史 無縁大士 野暮流 しょう尾道人 竹ノ里人 盗花 四国仙人 西子 沐猴冠者 披襟生 漱石 莞爾生 浮世夢之介 老桜 蕪翠 有耶無耶漫士 好吟童子 迂歌連達摩 情鬼凡夫 櫻亭仙人 馬骨生 野球 面読斎 色身情佛 都子規 螺子 虚無僧 花ぬす人 香雲
160,東京の子規7 根岸子規庵周辺,和田克司,大阪成蹊女子短大,子規博だより3−4,,松山市子規博友の会,1984/3/25,資料,その他,根岸子規庵周辺 上根岸八二番地 金杉村 音無川 笹の雪 写真屋春光堂 根岸の能舞台 碧梧桐
161,子規庵の日々、その後,寒川真佐子 進士トヨ子 寒川知佳子,,子規博だより13−4,,松山市子規博友の会,1994/3/25,資料,その他,子規庵 財団設立 寒川鼠骨 律の語った鼠骨 
162,子規居士と鼠骨氏,大嶋誠之介,鼠骨門人,子規博だより13−4,,松山市子規博友の会,1994/3/25,資料,その他,明治28年 鼠骨 子規との初対面 神戸病院 墨堤雑記 
163,子規の五百木飄亭あて書簡,和田茂樹,松山氏子規記念博物館館長,子規博だより13−4,,松山市子規博友の会,1994/3/25,資料,その他,五百木飄亭 書簡 雁かね 明治22年4月から明治28年10月
164,新聞記者寒川鼠骨,森正経,学芸員,子規博だより13−4,,松山市子規博友の会,1994/3/25,資料,その他,寒川鼠骨 新聞日本掲載記事 新囚人 田中正造 鉱毒事件 仰臥漫録明治34年10月10日 
165,月並研究,高浜虚子編,,,,実業之日本社,1917/11/20,書籍,俳句論,虚子 碧梧桐 鳴雪 迂かん 楽堂 零餘子 石鼎 青峯 左衛門 月舟 普羅 野鳥 温亭 柑子 三 
166,虚子自伝,高浜虚子,,,,朝日新聞社,1955/4/30,書籍,その他,P45無学 P115子規の最初の手紙
167,子規・虚子,大岡信,東京芸術大学,子規・虚子 1976/6/20,,花神社,1989/9/30,書籍,作家論,病床子規 子規文章讃 日本人の美と自然 鶏頭の十四五本も 神様が草花を染める時 子規と露伴の主都展望
168,俳句はかく解しかく味わう,高浜虚子,,,,新潮社,1918,書籍,その他,俳諧の歴史 家主の無残に伐りし柳かな 木々の芽や新宅の庭ととのはず 流れ得ざる水の淀みの椿かな たえず人憩う夏野の石一つ
169,子規と碧梧桐,栗田靖,東海学園女子短期大学,,,双文社,1979/7/20,書籍,作家論,子規における詩歌革新と俳人評 子規の新体詩 子規の短歌革新 子規と一茶 子規書簡と碧梧桐 子規門下の争点
170,子規と漱石と私,高浜虚子,,自叙伝全集高浜虚子(昭和23) 子規五十年忌雑記(昭和28),,永田書房,1983/7/25,書籍,,
171,船長の行方,林桂,桐生高等学校,,,書 麒麟,1988/2/25,書籍,作家論,
172,鶏頭論,林桂,桐生高等学校,船長の行方,,書 麒麟,1988/2/25,資料,俳句論,
173,間違いだらけの俳句観賞,清水杏芽,双葉会,,,洋々社,1975/6/18,書籍,俳句論,鶏頭の十四十五本はありぬべし 村野四郎
174,俳句観賞辞典,水原秋桜子編,,,,東京堂出版,1971/3/20,書籍,俳句論,菜の花やぱつとあかるき町はずれ 馬の尾やひらりとかはす乙鳥(つばくらめ) 稲妻や桧ばかりの谷ひとつ(28年) 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 行く秋の鐘つき料を取りに来る いくたびも雪の深さを尋ねけり 三千の俳句を閲し柿二つ ある僧の月も待たずに帰りけり 鶏頭の十四五本もありぬべし 活きた目をつつきにくるか夏の蝿 糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな 痰一斗糸瓜の水も間に合はず をととひの糸瓜の水も取らざりき 
175,俳句の世界,山本健吉,,俳句の世界1956,,講談社,1969/8/24,書籍,俳句論,鶏頭論終結
176,鶏頭論終結,山本健吉,,俳句の世界,,講談社,1956,資料,俳句論,鶏頭論終結
177,子規と村上家の人びと,森岡正雄,伊予市歴史文化の会,,,近代文芸社・日本図書刊行会,1989/9/30,書籍,エピソード,村上家 村上格致
178,俳句で読む正岡子規の生涯,山下一海,鶴見大学,,,永田書房,1992/3/20,書籍,作家論,
179,漢詩と俳句,吉川発輝,新島学園女子短期大学,,,教育出版センター,1985/4/30,書籍,その他,
180,子規随考,坪内稔典,園田学園女子短期大学,,,沖積舎,1987/3/3,書籍,エピソード,正岡子規(俳句研究社 昭和51)の増補改訂 無名の生 写生の根拠
181,正岡子規,真下五一,,,,佼成出版社,1966/9/15,書籍,小説,伝記小説
182,子規言行録,河東碧梧桐編(坪内稔典解説),,近代作家研究叢書133子規言行録(昭和11年12月1日政教社)子規言行録(天泉社昭和12年1月),,日本図書センター,1993/1/25,書籍,エピソード,陸羯南 陸てつ子 宮本仲 内藤鳴雪 五百木飄亭 佐藤肋骨 中村不折 下山為山 古島一念 末永鉄厳 三並良 太田正躬 大谷是空 夏目漱石 菊池仙湖 藤井紫影 得能秋虎 西芳菲 高浜虚子 坂本四方太 石井露月 佐藤紅録 寒川鼠骨 村上霽月 大谷(糸へんに暁)月 赤木格堂 河東碧梧桐 伊藤佐千夫 香取秀真 岡麓 森田義郎 長塚節 福田把栗 川島奇北 中村楽天 山口花笠 渡辺香墨 原抱琴 坂井久良伎 大橋葯房 磯野鮑翁 永田青嵐 寺田寅日子 宮崎梅(土へんに唐) 奈良梧月 吉田月我 鈴木芒生 伊藤松宇 安江不空 原千代女 久保より江 正岡八重子 藤野磯子 正岡律子 虚子
183,子規の回想,河東碧梧桐,,,,昭南書房,1944/6/10,書籍,エピソード,子規23回忌の際の「子規の回想」に改訂し33回忌に出版した汎文社版の再刊
184,子規を語る,河東碧梧桐,,,,汎文社,1934/2/20,書籍,エピソード,子規23回忌の際の「子規の回想」に改訂し33回忌に出版 木入れ 詩会 其戎 野球 七草 寄宿舎 小説会 月の都 渡し守 松山競吟会 月並 煙草 写生 非風 従軍
185,あべかんの難解俳句入門,阿部完市,,俳句(角川)平成元年2月号P100,,角川書店,1889/2/1,資料,俳句論,鶏頭の十四五本も」一句は、ひょっこり出てきた一句
186,正岡子規の世界,寒川鼠骨,,随攷子規居士 昭和27年10月,,六法出版社,1993/11/15,書籍,エピソード,
187,子規の話,柳原極堂,,昭和26年9月子規50年祭,,松山市文化財協会,1975/3/30,書籍,エピソード,極堂の口述。
188,子規句解,高浜虚子,,市民双書21 昭和21年創文社,,松山市教育委員会,1979/3/30,書籍,俳句論,
189,正岡子規故郷松山の文学風景,松山郷土史文学研究会,,,,松山郷土史文学研究会,1977/7/1,書籍,俳句論,
190,少年正岡子規人間形成と学校教育,影山昇,愛媛大学,,,青葉図書,1974/9/1,書籍,作家論,
191,松山に於ける子規と漱石,影浦直孝,,松山に於ける子規と漱石昭和9年4月10日,,松山市立子規記念博物館友の会,1974/3/25,書籍,作家論,
192,正岡子規をめぐって,影浦稚桃,,松山市民双書(伊予史点描第一編正岡子規をめぐって)より,,松山市教育委員会,1978/3/30,書籍,作家論,
193,伊予路の正岡子規 文学碑遺跡散歩,鶴村松一,,,,松山郷土史文学研究会,1975/9/19,書籍,その他,
194,子規と周辺の人々,和田茂樹編,,愛媛文化双書36,,愛媛文化双書刊行会,1983/8/19,書籍,作家論,
195,子規句集(岩波文庫版),高浜虚子編,,岩波文庫,,岩波書店,1941/6/20,書籍,俳句論,2306句 序昭和15年「尚遺珠の多からんことを恐るるものである」
196,子規遺稿散策集,正岡子規,,松山市民双書,,松山市教育委員会,1966/9/17,書籍,作品,散策集
197,渡辺さんのお嬢さん 子規と性について,司馬遼太郎,,小説新潮 1992/9月号,,新潮社,1992/9,雑誌,エピソード,女性 性 渡辺さん
198,春夏秋冬,正岡子規河東碧梧桐高浜虚子,,名著複刻詩歌文学館,,ほるぷ,1983/8/20,書籍,作品,
199,なつかしき人々 碧梧桐随筆集,河東碧梧桐 瀧井孝作編,,昭和24年,,桜楓社,1992/9/25,書籍,エピソード,子規と私 子規居士と読書 子規に関し露伴翁に聴く 
200,友人子規,河東碧梧桐,,昭和18年2月「友人子規」,,青葉図書,1981/5,書籍,エピソード,
201,正岡子規,齊藤茂吉,,,,創元社,1943/12/25,書籍,作家論,写生と理想と 写生の用語例 松葉の露連作十種 「写生といふ語は洋画家などのいひ始めたものではなく、東洋画論本来の用語で」
202,柿二つ,高浜虚子,,大正四年元旦東京朝日新聞掲載、,,養徳社,1948/9/15,書籍,小説,
203,子規 節 佐千夫の文学,黒沢隆信,,,,成光館書店,1933/11/5,書籍,作家論,左千夫論が中心
204,伊予の俳諧 −子規以前の俳書と俳人−,星加宗一,,愛媛文化双書23,,愛媛文化双書刊行会,1975/7/1,書籍,俳句論,
205,遥かなる子規,天岸太郎,,,,近代文芸社,1990/5/30,書籍,作家論,
206,正岡子規,井手逸郎,,,,潮文閣,1943/8/15,書籍,作家論,
207,正岡子規,井手逸郎,,,,弘学社,1945/10/1,書籍,作家論,抜文にかへて 荻原井泉水 が冒頭(目次の次)に来ている
208,子規諸文,山口誓子,,,,創元社,1946/3/20,書籍,作家論,
209,子規居士研究,茂野冬篝,,,,茂野吉之介伝刊行会,1957/3/1,書籍,作家論,大龍寺に子規墓に墓誌名を寄進
210,子規・虚子・漱石,松井利彦,,,,雁書館,1984/11/15,書籍,作家論,
211,正岡子規,岡井隆,,近代日本詩人選3,,筑摩書房,1982/4/25,書籍,作家論,
212,正岡子規と藤野古白,久保田正文,,,,永田書房,1986/8/15,書籍,作家論,
213,子規歳時,越智二良,,松山子規会叢書第12集,,松山子規会,1981/6/19,書籍,俳句論,
214,子規といふ人,五味保義,アララギ,,,白玉書房,1962/11/30,書籍,短歌論,フモール 滑稽
215,正岡子規と万葉集,牧野博行,アララギ 都立竹台等学校,,,リーベル出版,1983/9/11,書籍,作家論,
216,伝記正岡子規,松山市教育委員会編,,松山市民双書20,,松山市教育委員会,1979/2/10,書籍,作家論,
217,士魂の文学正岡子規,松井利彦,,日本の作家40,,新典社,1986/4/10,書籍,作家論,
218,正岡子規からの手紙,三枝昂之,かりん,,,五柳書院,1991/3/31,書籍,作家論,
219,子規からの手紙,如月小春,,,,岩波書店,1993/3/18,書籍,小説,
220,正岡子規を語る,粟津則雄,,NHK心を読む 平成3年67月号,,日本放送出版協会,1991/6/1,雑誌,作家論,
221,正岡子規・日本近代文学の水路,,,国文学 解釈と教材の研究,,学燈社,1986/10/20,雑誌,作家論,
222,正岡子規,和田茂樹,,,,新潮社,1986/1/25,書籍,作家論,
223,文芸読本正岡子規,,,,,河出書房新社,1982/3/25,書籍,作家論,
224,正岡子規,楠本憲吉,,,,明治書院,1966/3/15,書籍,作家論,
225,正岡子規と上原三川,宮坂静生,,,,明治書院,1984/6/25,書籍,作家論,
226,子規に俳句を学ぶ,立川淳一,,,,近代文芸社,1989/10/1,書籍,俳句論,
227,子規・虚子,大岡信,東京芸術大学,子規・虚子 1976/6/20,,花神社,1981/1/30,書籍,作家論,病床子規 子規文章讃 日本人の美と自然 鶏頭の十四五本も 神様が草花を染める時 子規と露伴の主都展望
228,正岡子規,桶谷秀明,,,,小澤書店,1983/8/20,書籍,作家論,
229,子規山脈の人々,室岡和子,,,,花神社,1985/6/25,書籍,作家論,
230,子規 百首百句,今西幹一 室岡和子,,和泉選書,,和泉書院,1990/5/1,書籍,俳句論短歌論,
231,子規と漱石,松井利彦,,,,花神社,1986/11/30,書籍,作家論,
232,子規と漱石,和田利男,,,,群馬大学,1976/8/10,書籍,作家論,
233,正岡子規,福田清人 前田登美,,,,清水書院,1966/3/5,書籍,作家論,
234,正岡子規,粟津則雄,,,,朝日新聞社,1982/3/30,書籍,作家論,
235,文学<子規>,,,,,岩波書店,1984/9,雑誌,作家論,批評の創造性 万葉集と歌会 子規を通った芭蕉 子規の器 
236,批評の創造性,丸谷才一 大岡信,,文学 1984/9月号,,岩波書店,1984/9,資料,作家論,
237,万葉集のことと歌会のこと,土屋文明,,文学 1984/9月号,,岩波書店,1984/9,資料,短歌論,
238,子規を通った芭蕉,山口誓子,,文学 1984/9月号,,岩波書店,1984/9,資料,俳句論,
239,子規の器,加藤楸邨,,文学 1984/9月号,,岩波書店,1984/9,資料,作家論,
240,正岡子規・その初期短歌について,久保田正文,,文学 1984/9月号,,岩波書店,1984/9,資料,短歌論,
241,子規の散文−その発端−,粟津則雄,,文学 1984/9月号,,岩波書店,1984/9,資料,その他,
242,子規の周辺,桶谷秀明,,文学 1984/9月号,,岩波書店,1984/9,資料,エピソード,
243,子規の口語的発想表現,和田茂樹,,文学 1984/9月号,,岩波書店,1984/9,資料,その他,
244,子規の新体詩,中村稔,,文学 1984/9月号,,岩波書店,1984/9,資料,その他,
245,子規饒舌,山下一海,,文学 1984/9月号,,岩波書店,1984/9,資料,その他,
246,子規晩年の世界,ジャニーン・バイチマン,,文学 1984/9月号,,岩波書店,1984/9,資料,その他,
247,子規管見−作り手の立場から−,川崎展宏,,文学 1984/9月号,,岩波書店,1984/9,資料,その他,
248,子規の方法について,岡井隆,,文学 1984/9月号,,岩波書店,1984/9,資料,短歌論,
249,写生と口誦−子規の文学的基盤−,坪内棯典,,文学 1984/9月号,,岩波書店,1984/9,資料,俳句論,
250,正岡子規の翳−漱石の「坊ちやん」考−,松井利彦,,文学 1984/9月号,,岩波書店,1984/9,資料,その他,
251,正岡子規とナショナリズム−国語国字問題の中で−,中野一夫,,文学 1984/9月号,,岩波書店,1984/9,資料,その他,
252,正岡子規の短歌の世界,今西幹一,,,,優精堂,1990/1,書籍,短歌論,
253,子規・漱石・虚子 その文学的交流の研究,柴田奈美,,,,本阿弥書店,1995/6,書籍,作家論,
254,正岡子規評伝,小林高壽,,,,丘書房,1994/1,書籍,作家論,
255,正岡子規 ベースボールに賭けたその生涯,城井睦夫,,,,紅書房,1996/9,書籍,作家論,
256,子規庵追想,阿部正路,,,,創樹社,1997/6,書籍,エピソード,
257,正岡子規,梶木剛,,,,勁草書房,1996/1,書籍,作家論,