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 「昼は涼風を逐(お)い、夜は名月を楽しむ」と
読むのでしょう。
 子規15歳(!)の作品です。
 これも子規15歳の「竹図」。

「寒山落木」原稿  明治28年新年の句
 
 草の戸や雑煮の夜明け酒の暮れ
 雑煮餅くひなやみたる女かな
 海老赤く穂俵黒し鏡餅
 世の中に馴れぬごまめの形かな
 名こそかはれ江戸の裏白京の歯朶


               ごまめの句は出色だと思う。 (敏)
 子規の墓碑銘。
 明治31年7月13日、河東可全宛書簡に記す。
 「アシヤ自分ガ死ンデモ石碑ナドハイラン主義
 デ石碑タテヽモ字ナンカ彫ラン主義デ」と述べ、
それでも彫るならと書いたもの。         
 子規の墓は東京北区の大龍寺にあり、この
銘が彫られた碑もある。              

中央が子規のお墓。左端が墓碑。
明治33年「新年雑記」

「役に立たぬつまらぬ事を考へて縁起でも無いから御祓ひ
をして汚れをはらふてしまはうと思ふて居ると、箱の底から、
前年台湾土産に貰ふた赤い紙が一束ね出た。紙は幅三寸
竪六寸位で支那人の名刺にするのだそうだが、それを見る
と、ふと支那の家に貼ってある赤紙の事を思ひ出して、その
紙へ、めでたい縁起の善い欲張つたやうな言葉を選んで書
きつけた。」
明治34年新年
   伊勢の芒生より蛤を送り来る
   「はまぐりの口より伊勢の初日哉」
明治34年「左千夫の携へ来たりし鯉を盥に放ちて春水四澤に満る様
を我に見するに十句」より

 春水の盥に鯉のげんぎょうかな
 盥浅く鯉の背見ゆる春の水
 鯉の尾の動く盥や春の水
 顔並ぶ盥の鯉や春の水
 春水の盥に満ちて鯉の肩
 「ふらんすのぱりにゆく絵師送らんと
  絵をかきてくひ牛かひてかく」
 
 「世の人はさかしらをすと酒のみぬ
  吾は柿くひて猿にかも似る」

いずれもアルス版「子規全集」より