も く じ
俳句を作ろうと思う人は、当然のことながら、どうすれば自分の作った俳句が俳句として認められるかを考えます。
そこで、何とかして自分の俳句を、俳句らしく見せようと工夫するのです。
でも、大切なのは、自分らしさ。
俳句らしくしようと過去の作品をなぞっても、それでは「あなた」が俳句を作っている意味が薄くなってしまいます。
遠回りかもしれないけれど、自分が感じたことを五七五(っぽい)リズムに乗せて、作品にまとめ続けること。
一茶はあまりも一茶らしく、其角はすばらしく其角なのです。だから彼らの句には存在価値がある。
人の作品を学ぶことも大切です。先輩のアドバイスには耳を傾けましょう。
けれど、それはあくまで自分が使える言葉のワザを増やすということであって、マネをするということではありません。
ただし、誤解をしないでほしいのですが、この自分らしさというものは、初めからあなたの中にできあがっているわけ
ではありません。俳句を実際に作ることによって、結果として作られてくるものなのです。
あなたが、俳句をたしなむ人としてみんなから認められるようになるころ、つまり俳句が「あなたらしさ」を構成する
ひとつの要素となるころ、あなたの俳句はあなたらしさを獲得していることでしょう。
ともかく数を作ってみてください。
自分らしさと言われても・・・
たしかにそうです。だれしも自分のことはよくわかりません。
でも自分の言葉のことなら少し分かるのでは?
あなたがもし現代詩を書いたり読んだりしてきた人なら、そこで身につけた言葉や言い回しが、俳句でのあなたの個
性となるでしょう。
あなたがもし造船所で働いているのなら、そこで使う言葉があなたらしさの素材になっていくはずです。
芭蕉は、漢詩の言葉やイメージを俳諧の世界もちこみ、俳諧の表現空間をとてつもなく深く広いものにしました。
河東碧梧桐には謡曲のリズムがしみついています。
あなたがほかの世界の言葉を、あなたなりのやり方で俳句の表現空間にもってくれば、それで俳句の世界は広が
ります。俳句とは、そういう文芸です。
季語のことを季題ともいいます。題と言えばテーマ。
とすると、俳句とは季語がテーマなのでしょうか? 季語を詠むことが俳句?
それでは伝統にしばられ過ぎ。季語は背景、季語は状況、句の中心はほかにある。
いやいや季語なんていらない・・・
いったいどれがホント?
どれも本当だと敏は信じています。答えは、「俳句にはいろいろある」ということ。
テーマなんてものは、後で読者が読みとるもの、というぐらいに思っていてください。
はじめからこのテーマの句を作ろうなんぞと考えると、妙に観念的になって、それまでの自分の表現のレベルを超え
るのが難しくなります。
それより大切なのはモチーフ。きっかけ、動機です。
川の水がいつもより多いと思ったり、今日の雪はしめっていると感じたり、そこから俳句が始まります。
なんだか「す」という文字がしつこく頭に浮かんでくる、そんなことでもいいのです。
モチーフを大切に。自分が感じたことを見過ごさないこと。そこからすべてが始まります。