21世紀初頭における俳句結社のメディア志向
−俳句結社のメディアについての意識調査を考察する−
河 合 章 男
1 研究のねらい
俳句が、興味深い社会的行為の一つとして、あるいは近代日本を作り出した重要な文化として考察されるべき対象であることはすでに述べた(河合,2001)。俳句はむろん文学の一ジャンルであるが、一方で娯楽としての側面も持ち、また生涯学習のコンテンツであると同時に、独自の生涯学習システムの広がりを社会の中に作り出している。したがって、俳句という事象を研究するためには、文学研究としてばかりでなく、文化研究として、あるいは社会現象としての考察が必要になってくる。
本稿においては、俳句を、社会的な広がりとシステムを持つ文化的行為として考察する。そのため、俳句という文学形式を巡って行われるすべての行為を「俳句文化」という名で総称し、またその行為の過程で俳句を伝えるすべてのものを「俳句メディア」と呼ぶ。
19世紀末から20世紀末にいたるまで、日本の俳句文化の主な担い手は「主宰」というリーダーを置く「結社」であった。活版印刷の普及という俳句メディアの転換期に生まれた「主宰−結社」制度は、21世紀初頭のさらなる俳句メディアの転換期に、何らかの変化を見せるのであろうか。俳句結社を初めとする俳句団体の、21世紀初頭におけるメディア状況の認識を調査し、情報化社会における俳句団体の意識の動向をとらえていきたい。
本稿は、意識調査の結果を客観的に記録しようとする試みであるが、メディアの次の二つの働きに特に注目して記述している。
一つはメディアが個人の世界観を形成する働きである。ここでいう世界観とは、さまざまな分野の全体像という意味合いを含む。したがって本稿においては、メディアを、俳句文化の参加者が、俳句文化の全体像を把握するために働くものとして見ている。
もう一つは、メディアが個人の社会参加を促す働きである。情報を発信するという行為はもちろん、受容するという行為においても、そこには個人の社会参加が行われていると考えられる。俳句文化の活動において、個人と俳句文化とをつなぐメディアがどのように機能し、どのように変化しているかを明らかにしたい。
この考察は、20世紀の俳句文化が、21世紀にどのように変容するかという問題をとおして、20世紀の印刷文化が、21世紀の電子メディア文化にどのように移行していくのかという問題を把握するための事例研究でもある。激しく移り変わっていくこの時代の文化とメディアの関わりの様相を、できるだけ具体的に記録しておきたいと考える。
2 調査について
本調査は、平成13年9月に行われた。無作為に抽出された全国200の俳句結社に質問紙を送付し、134社からの回答を得ている。多少時間の経過したデータであるが、インターネットが一般に普及してきた現時点から考察することで、俳句メディアの動向が読み取れる可能性もある。質問項目については、次章に調査結果と併せて表示する。
 実際に回答を記入した人物の団体での立場は、次のとおりである(数値は人数)。

 @主宰・代表・編集長 118 A副主宰または副編集長 2  B編集委員 3
 C同人 4         Dその他 4          未回答 4

責任ある立場の人の記入が多く、その意味では信頼性のある調査結果と言えるであろう。
調査結果の概略については、すでに『俳壇』(本阿弥書店)誌2001年12月号「俳壇時評」欄に紹介しているが、全データの考察は今回が初めてとなる。
3 質問と回答の結果
3.1 回答した団体のプロフィール
3.1.1 組織の類型
「貴俳句会はどのような団体ですか。下記より選んで下さい」という質問により、次の結果を得た。

 @主宰を置く結社 100  A主宰を置かない結社 8  B同人誌 21  Cその他 5

その他は、「超結社誌」と「個人誌」であった。「超結社誌」とは複数の結社の作品を発表する団体であるようだ。
 
3.1.2 発行所の所在地
また、各団体の機関誌の発行所の分布は次のとおりである。

 東京 31 千葉 14 神奈川 14 埼玉 8 北海道 8 大阪 6 静岡 5 青森 4
 愛知 4  栃木 3  山口 3  長野 3 群馬 3  茨城 3  愛媛 2  京都 2
 岐阜 2  熊本 2  岡山 1  奈良 2  香川 1  徳島 1  高知 1  山形 1

 
3.1.2 会員数
「おおよその会員数(同人等も含むすべての参加者・雑誌贈呈者は含まない)をお答えください」という項目には次の回答を得た。

 @50人未満 19  A50〜99  33  B100〜199 22  C200〜299  5
 D300〜399 13  E400〜499 17  F500〜999 20  G1000以上  2

いわゆるM型分布である。この調査が全体の傾向を表しているとすると、200人から300人規模の結社は運営には何らかの困難があるということが考えられる。
 
3.1.3 会員の平均年齢
参加者のおおよその平均年齢については、次のような回答があった。

 @20歳代 0   A30歳代 1   B40歳代 25   C50歳代 85
 D60歳代 85  E70歳代 15  F 80歳代 0  G 不明  3

実際に算出したのではなく、直観的、感覚的な回答も多いと考えられるが、現代俳句協会、俳人協会等の平均年齢が70歳前後と言われていることからすると、ほぼ了解のできる数値である。
 
3.1.4 会員数
創刊以来の年数については次の結果であった。

 @5年未満  15  A6〜9年 21  B10〜19年 24  C20〜29年 23
 D30〜40年 18  E40〜49年 6  F50年以上 27

長く続いている俳誌がある一方で、新しい俳誌も発行されていることがわかる。
さらに、団体として主に参加している協会を尋ねたところ、下記の結果を得た。
 
3.1.5 所属する協会等

 @現代俳句協会 51  A俳人協会 62  B伝統俳句協会 6
 C口語俳句協会 1  Dその他  7 E特定の団体には参加していない 12

複数の協会に参加している結社もあるようで、特に現代俳句協会と口語俳句協会の重複は多いようであるが、そのことを質問項目に設定していなかったため、明らかにすることは出来なかった。また「国際俳句交流協会が選択肢にない」というコメントの付された回答もあった。その団体への思い入れが強いのであろう。
 
3.2 俳句文化に関する価値観
3.2.1 作品の表記についての考え方
「貴団体では、作品の仮名遣い表記をどうしていますか」という質問に対して、次の回答を得た。

 @旧仮名遣い 58  A新仮名遣い 7  B参加者に任せている 69

予想以上に現代仮名遣いに限定している団体が少なかった。Bが多いのは、表記が表現の自由に関わる問題のためもあろう。また、参加者を増やすためにそうしているということも考えられる。
 
3.2.2 文語・口語についての考え方
「貴団体の作品は、文語が原則ですか、口語が原則ですか」という質問に対しては、次の回答を得た。

 @主に文語である 71  A主に口語である 6 B参加者に任せている 56 未答 1

口語に限定しているという団体は少ないが、しかし存在している。Bが多い理由は、仮名遣いについてと同じ理由が想定される。
 
3.2.3 時代別の俳句への価値観
俳句への価値観を「次の@からEを、大切だと思われる順に並べてください(ご回答者個人の意見で結構です)。」という設問で尋ねたところ下記の回答を得た。

                    1位 2位 3位 4位 5位 6位 重み計
 @江戸時代の作品を読むこと      29  6  18  16  18  32  -31
 A明治大正時代の俳句を読むこと    15  27  18  30  23  7  20
 B昭和前期(戦前・戦中)の俳句を読むこと 25  30  37  14  11  3  127
 C昭和後期(戦後)の作品を読むこと  21  31  31  28  8  4  100
 D現代のベテラン作家の俳句を読むこと 31  18  12  16  43  6  21
 E現代の若手の作品を読むこと      7  11  5  16  14  64 -188

上記の「重み計」は、1位に3、2位に2、4位に-1、5位に-2、6位に-3の重みを掛けて合計した結果である。Eのポイントが極端に低い。現在の俳壇のリーダーたちは、若い作家への関心を失っているのであろうか。質問にある「大切」という用語の主観性が強いため、これが何を意味するのかを断定することはできないが、俳句文化の継承ということへの意識が薄いのではないかということは予想できる。また「江戸時代の作品を読むこと」のポイントも低い。昭和期の俳句を参考に作句するという意識が極めて強い時代なのであろう。
 
3.2.4 俳句団体のあり方について
「今後の俳句団体の望ましいあり方について」次の中から選択してもらったところ、次の結果を得た。

 @主宰を置いた結社が望ましい 67 A同人誌がよい 19Bその他 2 
 C一概に言えない45  未答1

20世紀の俳句を支えてきた、「主宰−結社」というシステムは、まだその有効性を信じられているようである。
 
3.3 インターネットの利用について
次にインターネット等の新しいメディアの利用状況等を訪ねた。
3.3.1 インターネットの利用について
まず「団体の運営や連絡に部分的にでも電子メールはお使いになっていますか」という質問では、次の回答を得た。

 @使っている 22  A近々使う予定がある 19  B使う予定はない 91 他 1

約三分の一の結社が、インターネットを指向していることが分かる。
3.3.2 インターネットの利用について
「現在、団体としてインターネットのホームページを持っておられますか」という質問の結果は次のとおりであった。

 @すでにある 15  A検討中・作成中 27  B作る予定はない 88

前項の電子メールの利用と似た結果であるが、若干の違いがあることに注目したい。現在活用している団体は、電子メールより少ないが、これから作ろうとしている団体は、電子メールの利用を考えている団体より多いのである。
また、使わないと回答した結社の中には、著作権の問題が解決していないため、と付記された回答があった。
3.3.3 インターネットの利用について
また作品の横書きについて「ホームぺージに作品を発表する場合、横書きが一般的ですが、それについてはどうお考えですか」と尋ねたところ、次のような回答を得た。

 @絶対横書では困る 14  Aできれば縦書きにしたい  56 
 B特に抵抗はない  41   未回答 22

@を選んだ14のうち、すでにホームページを持っているところが2、検討中が1で、あとの11は、前記の質問で、ホームページを「B作る予定はない」と回答した団体であった。
3.3.4 インターネットの利用について
また「団体の作品をホームページに発表することについて、どうお考えになりますか」という設問の回答は次ようであった。

 @これからは必要 45  A必要を感じない 58  Bその他 14  未答 17

「Bその他」を加えれば、おおよそ半数の団体が、ホームページの活用について考えなければならないとは思っているようである。
3.3.5 インターネットの利用について
さらに、電子メールを使っていると回答した団体について、どのように使っているかを選択肢で尋ねたところ、次の結果を得た(複数回答可)。

 @投句 15  A事務連絡 19  Bその他 11

Bには、会のPR、会員同士のコミュニケーション等だという付記があった。
この調査を行った2003年は、まだ国によるインターネットの無料講習事業が展開されたばかりのことであり、ここからまた大きな変化が起きることは十分予想される。
 
3.4 メディアとの連携
「貴団体の活動と連携したいメディアを、次から3つ選んで、連携したい順にならべてください」という質問で、「@市販の俳句雑誌 A新聞の俳句欄 Bテレビの俳句番組 C地域のミニコミ D県や市町村などの主催する俳句大会等 E俳句団体の主催する大会等 Fその他」から選択してもらったところ、次の結果を得た。「重み計」は、一位に選ばれた場合に3、二位に2、一位に1を乗じたポイントを合計した数である。

      @   A   B   C   D  E   F
 1 位   63   9    3    8   6   9   13
 2 位   3  16   10    6   11    7   0
 3 位   4   5   10    3   11   16   1
 重み計   199  64   39   39   51   57   40

「Fその他」には、俳句以外の雑誌、文学雑誌、地方テレビ等が記されていた。
 従来からあるメディアについて尋ねたのであるが、「市販の俳句雑誌」との連携が圧倒的に多く、テレビやミニコミへの人気は低い。こうした傾向は、従来からのものであろうと思われる。
 
3.5 自由記述の分析
自由記述によって、「俳句総合雑誌・新聞・インターネットなどの活用について、ご意見がありましたら自由にお書きください」と尋ねたところ、134の回答のうち、56件に記入があった。うち1件は質問と異なる内容の感想だったのでそれを除外し、55件分を分類して以下に示し、若干の考察を付け加える。内容の読みとれないものや、表現の不自然なものもそのまま示してあるが、結社名がわかってしまう部分は削除した。
 
3.5.1 既成のメディア全般への意見
3.5.1.1 既成のメディアを否定的に見ている意見

・広告は出していますが多くを期待していません。
・時間があれば目をとおした方が望ましいが、必須ではない。本質的な研究の方が大切。
・ほどほどにしたい。黙殺はしていないつもり。
・特別ありません(あまり流されないようにしたい。)
・俳句に貢献しているとは言い難い。むしろ堕落に力を貸しているようなところさえある。何れも必要なしと思う。
・現在の俳壇の賞は公平だか 俳句団体の賞は功労賞めいて価値を認めにくい。
・現在の商業主義的結社、世襲制結社は、やがて堕落し、同人誌的な傾向が強くなると思います。必ず。
・特にないが、20世紀はアマチュアリズム普及であり過ぎた。21世紀、改めてプロフェッショナルの意識と実践に尽くして欲しいと思う。

近代以降の社会では、結社誌や同人誌をメタレベルで報道するメディアが存在することは当然のことと言えよう。そうしたメディアがなければ、俳壇とか俳句界という概念自体が存在しなくなってしまう。近代社会は、メディアの情報によって、個人があらゆる分野の「全体像」を形成しようとしてきた時代なのである。個人の「全体像」、つまり世界観の質を高めようとしたのが近代社会というものである。国家は、教育や社会制度によって国民の世界観の質を高めようとし、また国民の側も、国家の思惑を超えた世界観を手に入れようとさえしてきた。そうであるならば、俳句文化の内部においても、全体像を正しく把握している知性こそが重要なのだと言えるだろう。
そうしたことから言えば、上記の批判の多くは生産的ではない。メディアの現状への批判は、より質の高い全体像の把握を目指すものでなければならないはずである。
最後の3つの意見は、より水準の高い世界観への志向を内包していると言えるだろう。
 
3.5.1.2 既成のメディアの必要を説く意見

・知るにこしたことはないので時間があれば活用すべし。
・主宰を置く結社といえども、主宰一辺倒で、他を顧みないのは好ましくない。発表することによってより広く他に関心を持つよい場と思う。
・結社だけにこもっているのではなく、俳壇に目を向けて行くことは大切だと思います。
・読んで活用するのみならず発表という形で活用したい。でもそれには編集長の眼力が必要になる。
・日本語を大切に守っていく心掛けは、特に俳句(省略文学)に求められなければならない。そのための活用を。

前項で述べたとおり、結社が閉鎖的な価値観に陥らないために、外部のメディアが必要だという考え方は正論であろう。また、受容ばかりでなく、表現に活用していくという考え方も当然のことである。
最後の意見は、俳句文化こそが日本語を守っていくという考えである。いささか我田引水の嫌いはあるが、しかし、俳句や短歌が存在しなければ、文語や歴史的仮名遣いは、日本人の現実の言語生活から消滅していくであろうことを考えれば、あながち極端な意見とは言えない。近代文学においても、ほとんどの小説家が、俳句表現の手法を身に付けようとしたという事実もあるし、また、季語の存在が、近世から近代にかけての日本の習俗についての知識を今に伝える役目を担っていることも確かであり、俳句文化の存在は、日本の言語文化に、普通考えられている以上の大きな影響力を持っているのかも知れない。
とすれば、そうした重要な力を持つ文化を社会に見せていく仕掛けとしてのメディアが必要になるという意見なのであろう。
 
3.5.1.3 既成のメディアの改善を望む意見

・新聞、綜合誌等のメディアは、大衆迎合ではなく、夫々の俳句に対する認識や見解を率直に表明し、それにそった夫々の特色の出た編集や記事を望みたい。
・歳時記などに多くの結社の人からとり上げていけばもっと全国的になると思います。
・全体として文芸性をもっと昂揚してゆきたい。
・雑誌も新聞も事業であるから制約はあるとしても、ときには採算抜きでも、実験作を試みている人を採り上げることも必要なのでは。
・俳句は含羞の文学である事がうすれている。同好の士があつまっても、研さんを忘れてはいけないと思う。大会が多すぎてはマイナス面ではなかろうか。自分の俳句を生み出すという事に心掛けたい。

いずれも、建設的な意見と言えよう。いずれも俳壇の全体像を把握し、その中でも先進的な意見や作品の情報を求め、自作の水準を高めようとする意識が現れている。
 
3.5.2 俳句雑誌への意見
3.5.2.1 俳句雑誌への否定的な意見

・出版社に先導されている俳人、及び結社が不甲斐ない。
・俳句総合誌が多すぎるように思います。
・個人的に読むだけ
・地方誌であるので、会全体で誌友の活動を会誌で充実している。従って総合誌等の活用は50余年に亘り効果は薄い。
・現在出ている俳句総合誌雑誌でその名に値するものがあるだろうか、疑わしい。新聞社にも総合雑誌的なものを刊行しているが、視野に偏りがあってサロン的な観がある。
・俳句総合雑誌は、現代俳句のあるべき姿を正確に捉えているかどうかは疑問に思っている。
・読むに値するページづくりが肝要である。結社管理的な総合誌による<現代俳句>のレベルの低下は何とかならないものか。
・俳句総合誌は乱立の為、同じような企画、編集が目につく。又、広告で釣るような露骨な営利行為があるようで、商業主義に俳人が踊らされている。俳句総合誌の現状では活用など望むべくもない。
・いわゆる大衆化現象とそれを利用しようとする商業主義、苦々しい現象が多すぎる。
・俳句総合誌への意見発表は一部の人達のもの。広告は高くてとても全部は附き合いきれぬ。
・俳句総合誌は広告代が高すぎて貧乏結社には利用できない。県や市町村の主催する俳句コンクールや大会で、広告を当然のように送ってくるが、広告を載せるには印刷代が掛かることを配慮していない。勝手すぎる行動には腹が立つ。

大きく分けると、出版社主導になっている俳壇への批判、俳句雑誌の内容への批判、俳句雑誌の営利主義への批判の三つに分けられる。
出版社主導になっている俳壇についての批判は、自戒ともいうべき反省が含まれているのであろう。結社の主張に独自性がなくなっているということかもしれない。
俳句雑誌の内容への批判については、特に「現代俳句のあるべき姿を正確に捉えているかどうかは疑問」という意見が、現在のメディアの在り方に対し、大きな問題を投げかけている。俳句文化だけでなく、文化の全体像を浮かび上がらせることがメディアの重要な役割なのであるが、高度情報化社会と言われる今日にあっても、さまざまな文化の領域の全体像がメディアによって、十分にとらえられているかどうかは疑問であるからだ。
俳句雑誌の商業主義を批判する意見も一部にはある。しかし、俳句雑誌が利益を追求することは当然のことであるから、そのこと自体を批判することは的が外れている。利益に見合った価値のある情報を提供しているかどうかということが問われなくてはならないはずである。
 
3.5.2.1 俳句雑誌の改善を望む意見

・俳句総合誌も多く、一長一短あり。
・俳句総合雑誌は有用であるが、各誌とも特色をもつべきである。画一的では読まれな
くなる。また初心者の教育指導は、各俳誌に委せて、程度を高くすべきである。
・同人誌の取り上げ方が悪いと思います。
・俳句総合雑誌は、もっと結社に門戸を開いてほしい。
・俳句雑誌の場合大家と呼ばれる先生方の50句、100句の発表は考えた方がいいのではないかと思います。また有名俳人の句のみ現代俳句月評として採り上げる風習も一考を要すると思います。かくれた作家は沢山いるはずです。
・特に総合雑誌については、『俳壇』7月号の提言(貴殿)の「人を共感させる詩的実力と相手を納得させる知恵と人間性」を前面に掲げた編集に集中されるよう希望したい。つまり詩的実力第一主義です。
・この頃の記事の中心はspeakingですが(文章も短文ばかり)、昔のような30枚、50枚の評論文を中心にすえることが必要と思われる。
・俳句総合誌は経営上致し方ないが、その一部分に絶えず採算を度外視した文芸上の高い作品、評論を載せるべきで実作者を編集に加えること必要。
・総合誌への期待 (1)本格的俳句論の登載 (2)魅力的新人群の発掘 (3)分県的俳句史の探求
・流行作家ではなく、匿名の権威をどう育てるか、に期待がある。
・総合雑誌編集者に新人の発掘を。

 「一長一短」という意見と、「画一的」という意見は逆の評価であるが、強い個性を持った雑誌がないという点で一致するのであろう。
 また一方で「同人誌」の取り上げ方が悪いという批判があり、他方で「結社」にも門戸を開けという意見がある。次の有名俳人を取り上げることへの批判と併せて考えると、取り上げられる結社が偏っているという実態があるようにも思える。
 6番目の意見に「(貴殿)」とあるのは、筆者が書いた時評を指しているのだが、しかしこの人の言う「詩的実力第一主義」は、かなり主観的な概念だと考えられる。ただ、その先の意見と合わせて考えると、俳句メディアが、しばらく前の編集に比して、分かりやすさに重点を置くようになっている実情が見えてくる。
 最後の二つの意見は重要である。おそらく文化を伝えるメディアには、既成の権威者にたよって編集されるものと、そのメディアが新たな権威者を生み出す力を持つものとがある。俳句で言えば、明治から大正に掛けての『ホトトギス』は、明らかに新人を世に送り出す力を持っていた。夏目漱石さえ、『ホトトギス』というメディアが生み出したのである。もし現在の俳句メディアが、そうした力を失っているとしたら問題であろう。
 
3.5.3 新聞について

・新聞は購読者の広さからとって大いに活用したい。
・新聞は商業主義で、俳句を扱うのをやめるべきである。
・もう15年も止めている
・新聞といっても地方新聞が主でこれも良し悪しである。

新聞についての意見は少なかった。このアンケートを回答した団体の運営者レベルの人にとって、あまり問題とならないメディアであるのかもしれない。
 
3.5.4 インターネットに関する意見
3.5.4.1 インターネットに期待する意見

・インターネットは今後絶対に必要だ。
・時間的かつ距離的な制約を克服し全国が一体化できるインターネットはすばらしいことである。
・インターネットの活用は、考える必要があると思う。
・これからはインターネットの活用もよいでしょう。
・何分私は年寄りですので昔のままでやっていますが、主宰(発行所)を若い人に変える時点には、現代風に変わることと思います。
・俳句総合誌及び新聞俳句については、かなり片寄りが見られ、参考にする程度であるが、今後、インターネットによる俳句普及は年と共に旺んになるであろう。これからの俳誌はインターネットの活用をぬきにしては考えられないと思う。
・俳句総合誌、新聞等をインターネットで情報を一括化することが出来れば。
・俳句とともに連句をやっている。国際的に連句は広がるのでインターネットを大いに活用したい。
・自由律俳句の普及のため、今後は単に結社内に止まらず他誌とも交流を図り、インターネットによる活動もより一層やって行きたいと思っています。
・(1)仲間づくり (2)作品理解→作者との対話 (3)高齢化対策とジュニア育成 月例会に出席することが困難な高齢者や、同人費や雑誌代の支払いが負担になる年金生活者(特に女性)が増え続けているが、インターネットを使ったボランティア活動として活用できないか。ジュニア育成の方法としても。

インターネットについての記述は多かった。6番目の意見は、俳句情報がニュートラルに入手できると考えての意見であろう。インターネットへの幻想があるかもしれないが、既成のメディアにはない公平感を感じ取っているのであろう。
8番目からの意見には「連句」「自由律俳句」「仲間づくり」「作者との対話」「高齢化対策」「とジュニア育成」などのキーワードが見られ、いずれもこのメディアの特質をよく理解しての意見だと言えよう。
 
3.5.4.2 インターネットに対する疑問等

・インターネットを利用した場合、どのような利点があるか知りたいです。
・インターネットがどういう新生面を開いていくか可能性はあると思うが、新しい詩観と詩学が見えてこない。
・我々自由律(俳句)系の者にとっては、近年総合俳誌を読む気になれない。進歩的結社誌、個人誌(短詩型、現代川柳等も)の主要論文やエッセイを見れる方法が望ましいのだが。まだインターネットの普及が少ないので、目的を達成できないでいる。

2番目の意見は、メディアが変わることによって、コンテンツの思想も変化するという前提で語られているのであろうか。そうだとすると、深い洞察に基づいている。最後の意見は、いっそうの普及を期待するものであろう。
 
3.5.4.3 インターネットを否定的にとらえる意見

・インターネットもすべてがいいわけではない。あまり気にしていない。
・インターネットなどは顔の見えない分、恐いところがある。
・活用できる時までには墓場でしょう。だから見向かない。
・投句も句会も各自在宅のまま出来る世の中になりそうな勢いですがどんなものでしょう。お互い顔を見合って膝をつき合わせてはじめて人間的な句会になる様に思います。古い人間です。
・インターネットの活用は時代と共に仕方ないことですが、本来座の文学である俳句の本意味わい人との目と目で語り合える親しみが失われていくような淋しさをかんじます。あと横書きで俳句がかかれることも少し抵抗あります。
・会の作家の句作充実にとって直接関係はない。いわゆる情報か軽い教材程度の活用が可能なので有れば使うこともある。あえて個々の作家の研鑽のツールとしての機能は求めない。
・地方誌としてささやかにかつ地方性(風土性)を発揮してゆきたい。したがって、将来ともインターネットの必要はないと思っている。FAXだけは設置している。
・他の人が使うのは別に良いと思います。自分自身としてはあまり使いたいとは思いません。バイオリズムがついていかないと思います。
・私の所属誌でもホームページがあり、メールによる添削ができるようにしているが、利用者は皆無(現在)。PCが自在に仕える年代が俳句人口の大半を占めるには10〜15年を要するか?それより俳句は座の文学。face to face が主流。

ここには、インターネットを活用しない理由が、かなり率直に語られている。「すべてがいいわけではない」「顔の見えない分、恐いところがある」「お互い顔を見合って膝をつき合わせてはじめて人間的な句会になる」「目と目で語り合える親しみが失われていく」「横書きで俳句がかかれることも少し抵抗あり」「バイオリズムがついていかない」などとう意見は、いわゆる情報化社会の光と影を論じる場合に一般的にいわれることと符合しており、納得のできる意見である。また「添削ができるようにしているが、利用者は皆無(現在)」という現状も、現在の俳句結社の参加者層が高齢化しているという実情を考えると、無理もないという気がする。
 
4. まとめ
俳句文化のメディア状況は変化しつつある。俳人たちもそのそのことに自覚的であることが分かる。ただ、この調査の時点では、まだインターネットが、日本の俳句文化にとって実用的なメディアにはなっていなかったようである。
しかし、この調査からすでに3年を経過した。その間、政府の「緊急地域雇用創出特別基金」を利用した地域ごとの無料IT講習会の実施などの事業もあり、インターネットの利用者はかなり増えている。前章の最後の回答者が予想したより、事態は進行していると思われるが、俳人や俳句愛好家の内部での変化は、一般より少し遅い印象もある。どうなのであろうか。再度の調査が必要であろう。
それにしても、日本の若い世代の俳句文化はどうなっているのであろうか。また海外の俳句文化の状況はどうであろう。2003年には世界俳句協会のウエッブサイトが立ち上げられ、そこには20カ国を超える参加者がいる。その人たちと日本の俳句文化は、どのように関係を結んでいくのであろう。そうした方面の継続的な調査も試みる必要があろう。
アンケートにご協力くださった俳句団体の皆様に、心からお礼を申し上げる。
引用文献
河合章男 (2001). 「21世紀初頭における俳句結社参加者のメディア行動」. 『メディア社会試論Vol.8』. 茨城: 図書館情報大学. 関口礼子発行