明治俳諧の評価

 子規以前の明治の俳諧は、どのように評価されてきたのだろうか。代表的な資料を見てみよう。

表紙・箱
書名
筆者
発行年
内容
敏の感想
日本俳諧史
池田秋旻
明44
大11
改訂
 「但し一二人の俳人中、稍や之れを引揚げて、文学の範疇に入れんとするの念なきにしもあらざりしが、教育ある人にして、未だ俳諧師を以て、自ら任ずるほどの人を見る能わざしなり。(p448)」  無視に等しい。天明の次は子規といった記述である。
俳句の歴史
志田義秀
昭9

 改造社『日本文学講座8俳句文学編』所収

 「天明の俳句復興は集団的動きのものであったが、明治の俳句復興は子規一人に出ているものと言ってよい。固より俳壇そのものの動きはあったのであるが、その中に於て子規一人が俳句復興を真に成し遂げたと言える。 」
 概して昭和10年前後がもっとも子規中心の俳句観となっている。これもその典型。
明治時代の俳句
高木蒼梧
昭9

 同上
 改造社『日本文学講座8俳句文学編』所収

 「子規の改革以前のものは、大まかに天保俳壇の余瀝を舐るに過ぎないものと観て大過あるまい。(p333)」



 講座の中で子規以外の明治俳句を担当した稿にしてこの評価である。
 日本図書センター
からの復刻版しか手
元にありません。
明治俳諧史話
勝峯晋風
昭9
・12
 「所謂旧派の作家はあまりにも存在を認められていない。私はそれがなんとなく憂鬱で寂寥を覚えるので(自序)」   全編子規以前の俳諧を語った貴重な資料。自ら旧派の人である。子規まっ盛りの昭和9年に出ているのがすごい。
俳諧論
寺田寅彦
昭22
 
 「天保より明治子規に到る所謂月並み宗匠流の俳諧は最も低級なる川柳よりもさらに常套的であり無風雅であり不真実であり、俳諧の生命とする潜在的なる匂や響は姿を消した。最も顕在的に卑近なモラールや謎々だけになってしまった。(p19)」
 子規の流れを汲む典型的な近代俳句観である。たしかにそうだろうが、とらえ方が概念的である。そうなったことの意味を考えていく必要がある。
俳句講座7現代俳句史
加藤秋邨
昭34
 明治書院の「俳句講座」第7巻「現代俳句史」の第1章「明治俳句史上」を秋邨が書いている。
 「子規の革新は個人の力のみによるものでなく、すでにうん釀されていた革新への基盤があった。(p15)」 この指摘は大久保忠国『国文』に紹介した信州の『俳諧開化集』(明治15)についてのものである。
 例句をていねいに検証し、実証的に論を展開していく。状況の把握も群を抜いている。地方俳壇に目を向けているところもすごい。
俳諧史
栗山理一
昭38
 塙書房より刊行。
 「天保俳諧の月並調は、明治時代に入ってもそのまま引きつがれている。(p307)」
 「俳諧師が教導職に補され、教化運動に利用されたこともあったが、新時代の文学理念に衝き動かされて俳諧革新に着手するのは、明治20年代の正岡子規らの出現に俟たなければならなかった。(p308)」
 例句も挙げているが秋邨の緻密さには及ばない。概論であることを差し引いても概念的である。
近代俳論史
松井利彦
昭40
 「明治10年前後の俳論(広義)の特質といったものを述べてみるならば、風雅意識とその周辺に実用を考えたり、連句の古い式目を離れることによって自由を想定するなど、安易な形ではあったが、兎に角、開化社会の中での俳諧の存在意義を見出してゆこうという意欲をもち、改暦といった新制度に対応してゆこうとする、その努力の中で、現実を見直そうという契機をもち、又、発句の独立といった傾向を強めてゆくのであって、約言すれば、「新時代に取り残されまいとする意識を秘めた模索期」であったということができる。」  ともかくも大変な労作で、徹底的に原典にあたり、その結果時代を超えた認識に到っている。すごい仕事ぶりである。
明治俳壇史 村山古郷 昭53  「明治は近代俳句の黎明期であるが、その明治の俳壇において、華やかな時代の脚光を浴びて活躍した人々、暗く時代の底に沈んで行った不運の人々、その人たちが如何なる彩紋を描きつつ、哀歓の途を歩いたか、その人間模様を描きたいと思ったのである。(あとがき)」  昭和51年から「俳句」誌に連載された。明治の俳諧に新たな目を向けさせた名著である。
近世俳諧史の基層 鈴木勝忠
 「天保俳諧と明治新風」の章
 「梅室作品をさらに純化し印象化したところに碧梧桐の作が成ったと考えても不自然ではあるまい。(p225)」
 「子規の写生論が何の抵抗もなく世に受け容れられたのも、もっとも嫌われ否定された、この幕末の俳諧があったからこそといえるのであり、月並俳諧は、大衆化という量的現象的評価にとどまらず、質的な面でも再評価されてよいものと思うのである。(p227)」
 今最も新しい論であろう。歴史というものがどのように変わっていくかをよく理解した人の言葉である。しかし明治になってから子規までの間の作品の変遷も考えなければならない問題である。