Logo TrainJR全線完乗記10

高原列車の思い出 小海線

 さて最初からクイズであるが,JR線のなかで最も標高が高いところを走っているのは何線だろうか?
 飛騨の高山本線か?いや阿蘇越えの豊肥本線か?はたまた日高山脈越えの石勝線か?
いずれも違う。答えは表題に書いてある小海線である。
 この線には三度乗っている。一度目は平成2年9月9日,このときはJR線全線完乗計画?の一環+JR標高最高地点を見たいという動機での日帰行であった。標高886mの小淵沢駅が始発,発車するとすぐ急登する。標高が上がるにつれ,シラカバなどの高原性樹木が増えてくる。清里駅を出て登りきりパッと見通しが開けたところにある踏切が標高1375m,JR線最高標高点である。そして踏切脇にはそれを示す碑があり,注意していれば車窓からも見ることができる。(このとき,私はこの碑を見落としてしまった。まったくドジなことである)
 この地点を過ぎると山間の林から野菜畑&牧場へと風景が変わる。そうこの周辺はレタス,キャベツなど高原野菜の一大産地なのである。また野辺山は天体観測の一大拠点でもある。標高が高いため星に近く?空気の澄んでいるため,星からでる光や電波を観測しやすいということらしい。(木々の蔭になっているため)列車から見るのは困難であるが,野辺山駅の手前小諸方面へ向かう進行方向右側に巨大なまるでレーダーのような反射鏡を持つ,宇宙電波観測所がある。そしてほどなく野辺山駅に到着する。この駅はJR駅のなかで最高標高の駅(1345m)である。 次の信濃川上あたりから再び山が迫り,谷間の風景となる。ただし野辺山までの風景と違い,川がこの線まとわりつくように走っている。小海村,八千穂村,佐久町と山間を走り,臼田までで来ると再び眺めが開け,田畑が増えてくる。その隣の佐久市は鯉(恋ではありません)の一大産地という話を聞いていたので,鯉の養殖池らしきものを車窓から探したが見つからなかった。それから盆地のなかを30分ほど走ると,終点の小諸である。
 という風景を眺めただけの一度目の小海線乗車であった。

 二度目は平成6年7月24日,長野・新潟方面へ旅行に出かけた折である。前日に小諸での観光を終え一泊した私は,小諸駅から小海線列車に乗り込んだ。前回とは逆方向,列車の車両も前回と違いピカピカの新車になっていた。今回の目的地は八千穂駅である。小諸から50分強,久しぶりに乗った小海線は車両は変わっていたが,車窓はほとんど変わっていなかった。なんだかホッとする。
 八千穂は山間ののどかな村である。着くともう昼過ぎだったので,食堂を探したが全く見つからない。しかたなく駅近くの雑貨屋兼食品屋で菓子パンとお茶を買いバスに乗り込む。
 八千穂駅前広場を出たバスは八ヶ岳連峰にある麦草峠へと向かう。小さな街を抜けるとすぐに国道299号へ入り,登りにさしかかる。重々しく息苦しそうなエンジン音を響かせヘアピンカーブをのろのろと登っていく。登りゆくほど木々は増え,開けている窓から入る風は爽快になる(このバスにはもちろん?エアコンなどついていない)。あいかわらず苦しそうなバスとは反対に,私はとても気分が良い。あんなにムンムンしていた下界の熱気はウソのようだ。
 1時間ほど登っただろうか。前方の眺めがパッとひらけたところが,麦草峠であった。標高2120m,日本の国道で最高標高地点である。ここで茅野行のバスに乗り換えることにしている。ただし待ち合わせ時間が40分強あるため,周辺の花畑をブラブラと歩き回る。
 八千穂をでたときはあんなに真っ青に晴れわたっていたのに,麦草峠に着くころからみるみるうちに黒い雲が広がってきた。「まだ大丈夫だろう」という思いっきり甘い私の期待を裏切り,15分後には額に手に水滴を感じ始めた。山の天気の変化は早い!水滴は白糸状になり,白糸状はカーテン状になってきた。私は大慌てでバス停近くにある山小屋へ逃げ込んだ。しかしいくら待てど雨はちっともおさまらない。
 茅野駅へ向かう(はずの)バス発車時刻5分前になったので,傘をさしてバス停へ向かう。ところが来ているはずのバスは姿の形もない。???と思いつつ,もう一度確認の意味でバス停の時刻表をのぞきこむ。確かに乗る(はずの)バスの時刻は記載されている。…がその脇に※の印がついている。?と思い時刻表をなめるように見ると,時刻表の下の方に※=運転日7月26日〜8月23日,と書かれている。「ん今日は7月24日じゃないか」。さらにカバンのなかから時刻表を取り出しもう一度確認してみる。
やはり欄外にこのバスは7月26日〜運転と記載されている。どうもこのプランを決めるとき大事なことを見落としてしまったらしい。そう私が乗ろうと考えていたバスは,この日運転されてないのである。ちなみにこのバスは最終便である。また反対方向の八千穂へ戻るバスの最終便は,もうすでに出てしまっている。つまり私はこの峠に取り残されしまった。「しまった」と思ったが,もう後の祭りである。とりあえず山小屋に逃げ込む。
 だめだろうと思いつつ山小屋のおじさんに「今日泊まれますか?」と聞くと「満員です」と冷たく言い放たれた。バスがない。泊まれない。かといって歩いて降りるとのも無理である。どちら側に降りても20km以上ある。完全に八方ふさがりになってしまった。山小屋の広間のベンチに座り黙々と考えた。二十分ほどたっただろうか,雨が小降りになってきた。
 私はカバンを持ち,やおらに立ち上がり山小屋を出た。そして道端に立ち,傘もささずに右手を思いきり上に挙げた。“ひょっとしたら乗せてくれる車があるかもしれない”私はそう考え,やけくそのヒッチハイクにうってでたのである。通る車は少なくないが,止まってくれる車はない。けれども雨は降り止まない。一台また一台,車は無情に通過していく。
 おそらく30台以上通り過ぎただろうか,屋根に自転車を積んだ車が急停車した。もしやと思い,私はその車に駆け寄った。するとお兄さんが窓をあけて「どこまでいくの?」と聞いてくれた。私は内心では喜びつつも,このような経験は初めてだったためか,「えーもし茅野周辺を通られるのでしたら,その近くまで乗せていただけないでしょうか。」ととても堅苦しく答えてしまった。とにかくやけのやんぱちのヒッチハイクは奇跡的に成功し,車に乗りこむことになった。
 車のなかには奥さんとお子さんも同乗していた。さきほどお兄さんと言ったのは実はだんなさんで,のっけから「僕は若いころよく北海道でヒッチハイクしながら旅行していたんだ。それでいろいろとお世話になったからヒッチハイクしている人を見るとつい乗っけちゃうんだよね」と話しだした。私はそれを聞いただけで,とてもすばらしいと思ってしまった。私は運転免許を持ってない。だから車を運転する機会もない。しかし私がもし車を運転できたとしても,私はまずヒッチハイカーを乗せないと思う。正体不明の人を同乗させるのは,あまりにリスキーだと考えているからだ。ヒッチハイクをやりながらも,一方でこんなことを考えるという身勝手な私から見ると,この車のだんなさんはとても開放的で優しいと思う。だんなさんをはじめこの親子三人は,とても気さくで明るい。最初は恐縮しまくっていた私は10分もしないうちにすっかりうちとけ,ゲラゲラ笑いながら旅の話をしまくっていた。この一家は小海町(この町は小海線の沿線)でオフロードの自転車大会に参加した後三重県の自宅に帰る途中だったそうで,車の屋根にあった自転車はそのとき使ったものだそうだ。あっという間に30分ほど経過し,茅野の市街地に入ったところで車から降ろしてもらった。
 私の人生史上初のヒッチハイクはとてもラッキーで楽しかった。茅野に着いたとき青空が広がり,さきほどの豪雨はウソだったかのように晴れわたっていた。

 三度目の小海線は平成7年8月26日とその翌日であった。このときは(長野県の)上田市,小諸市で自治体職員の勉強会,見学会(+飲み会)があり,それが終わった後,フッと乗りたいと思ったからだった。
 26日昼過ぎ,この日は土曜日であったが,上記所用が終わり,小諸駅の改札前で“んーこのまま帰ってもよいけど,せっかくここまで来て土曜の午後と日曜使わないのはもったいないな…”などと考えていると,「まもなく小海線列車小淵沢行が発車します」とのアナウンスが入った。それを聞くと私は衝動的に清里までの切符を買い,その列車に駆けこんだ。どうもここ数日とても暑かったので,無性に涼しいところに行きたくなってしまったらしい。ではなぜ一番標高の高い野辺山ではなくて清里なのか?それは清里にユースホステルがあることを覚えていたからだと思う。お盆に最混雑期を過ぎたとはいえまだ8月,それも土曜日の晩,こういうときはユースホステルの方が泊まれる確率が高いし(もし泊まれなければそのまま帰ろうかなとも思っていた)そのうえ安いし。
 清里駅を降りるのは初めてだった。このあたりは観光地化が進んでいて,「まるで高原の原宿のようだ」と言った友人の一言を思いだしたが,実際歩いてみるとその一言以上に観光地化が進んでしまったような気がした。清里ユースホステルはこの清里駅前のミニ原宿を抜けたところにあり,少しは静かなところであった。受付に尋ねると「空いてます」とのことだったので,泊まることにした。
 連日の猛暑と閉め切った窓のせいか,室内は夜になってもあまり涼しくならない。この状況でベットに寝転がり“明日はどうしようか”と考えた。せっかく清里に来たわりには心地よい涼しさが味わえなかったためか,明日はもっと涼しいところに行きたい。
もっと涼しいのは標高の高いところだ。“よしできるだけ標高の高いところに行こう!”と決めて寝ついた。
 翌朝,さすがに高原らしく涼風が吹いていた。そのなかを駅に向かう。そして駅前のバス乗場に行くと,ちょうど美しの森行のバスが停まっていた。地図で美しの森が八ヶ岳方向にあり,標高が上がることを確認すると,そのバスに飛び乗った。バスの終点まで行くと,そこには展望リフトの乗場があった。もっと涼しくなりたい私は即座にリフト乗車を決めた。そして(上りのみの)片道券700円を買った。(ちなみに往復券は1000円)片道券を買ったのは帰路は下りで楽だから,なにもリフトに乗る必要はないし,倹約にもなるしと考えたからである。このことが帰路の苦汁のもとになるとは,全く考えもしなかった。
 リフトで快調に急登し,標高1860mの展望台へ到達した。さすがに下界よりはかなり涼しい。風が吹くと心地よい気持さがある。そのうえ前方には野辺山高原や甲斐の連山が広がり,晴れ渡っていることもあってすばらしい眺めである。そこにしばらくボーッとたたずんでいた。
 「さーて下山するか」とひとりでつぶやきながら歩きだすと道標が見えた。“赤岳山頂→ ○km”と書かれている。(○は忘れた)赤岳は八ケ岳連峰の最高峰で標高2899mある。とてもではないがハイキング気分,軽装では登れるような山ではない。しかしそのときはなんだか行けそうな気がしてしまった。まさに魔が差したとはこのことだろう。気まぐれは本当に怖い。
 赤岳への登山道,最初はハイキング道のような感じで歩きやすく,スイスイと進んだ。標高2280mの牛首山も越え,どんどん高くそしてどんどん涼しくなっていく。「こりゃ赤岳って案外楽だな」などと思い始めたころ行き手を遮るものがあった。
 「………」見上げると高さは10m以上,傾斜は40度以上あると思われる岩壁がそこにあった。さすがに「引き返そうかな」と思いだした。しかし間髪入れず「せっかくここまで来たのに…」とも思う。その二つの気持ちのせめぎ合いで足は止まってしまった。
 数分たっただろうか。岩壁の上方からハイカーが降りてきた。降りきったところで「上の方はどうですか?」と聞いた。するとそのハイカーは「まあこんな感じが続きますね。頂上近くはちょっときついでしょうけど」と答えた。よしやってみよう!決心した。そしてまさに手さぐり状態で岩登りを始めた。決心がついてしまうと急斜面であっても案外登れてしまう。その難関?も時間をかけつつも,なんとか突破してしまった。
 しかし行けども行けども頂上は見えてこない。峰を一つ越えると次の峰が見えてくる。その繰り返しである。そのうえ足場の悪い急傾斜のため,歩行速度は極端に落ちている。何個目だろうか大きな峰を登りきりそれが山頂ではないと分かったとき,これ以上の進軍は断念し撤退することにした。時間はすでに午後1時半過ぎ,もう登り始めてから3時間以上経過していた。
 撤退を決めるとふいに空腹を感じた。今まで緊張のせいで,昼をとっくに過ぎたことを忘れていたのだ。さっそく猫の額ほどの狭い平地を見つけ,そこに腰を落ち着けて,リュックのなかに入れてあったおにぎりを取り出してほおばる。「ん−んうまい!」おもわず雲一つない真っ青な空に向かって吠えてしまった。いつもはどうとも思わないコンビニのおにぎりがこんなにうまいなんて!標高も2600mは越えているのだろう,風も涼しく爽やかで気持ちよい。座っているとヒンヤリさえする。下界の暑さはウソのようだ。それに周囲の全てを見下ろしているかのような気分にさえなる,素晴らしい眺望。私は高い山に登りたい人の気持ちが,少しはわかるような気がしてきた。
 さてここでゆっくりしたいが,やはり高い山は基本的に日が暮れると魔界になるのであって,特に軽装の私は絶対に日没までに下山しなければならない。来た道と全く同じ道を戻るというのは気が重い。そのうえ下るときはどうしても下を見なければならない。30度を越える急傾斜で,下を見るのはちょっと恐い。おそるおそる薄氷を踏むように一歩一歩足を置いていく。のろかった往路よりさらに遅いペースである。それでも着々と進み,なんとかあの40度以上の岩崖(行きがけ下ってきたハイカーに会ったところ)までたどり着いた。ここが終わればもう急傾斜はない。
 前述したようにこの岩崖は最大の難所である。でもここを通り過ぎなければ下山できない。何回も深呼吸を繰り返し,「よしっ」を気合を入れて足を慎重に下ろしていく。
中程まできただろうか,次の足場までどうしても届かないところに来てしまった。往路では登りだったので少し飛び上がって通ったようだ。「やばい!」このままここにいる訳にはいかない。下を見ると急傾斜が数十メートル以上続いているように見える。意を決して足を下ろした。
 ガラッガガッー鈍い音がして私が足を下ろしたところの岩が崩れ宙に舞う。仮に私がその岩と同じようになれば,今この文を書くことはできなかっただろう。しかし足は思ったほど滑らず,その30cmくらい下の足場のところで止まった。そのうえ普段は懸垂が一回もできず,腕相撲をやれば女性にも負けるという弱腕の私が,岩場?いや火事場のバカ力を発揮してか,手の方は滑らなかった。こうして最大のピンチは乗り切り岩壁の下までたどりついた。
 あとはハイキングコースのような登山道を下っていくだけである。標高が下がったので少しずつ暑くなっていくが,つい先程冷や汗をかいているからか,それほどは暑く感じない。順調にテクテク歩いていくと,三角屋根のレストハウスが見えてきた。近づくと“リフト”という看板が見えてくる。?と思って近づくとやはりリフト乗場だった。
リフト乗場を見るとにわかに疲れを感じだした。“ふっと乗って降りたいな”と思い,ふらふらと歩いてリフト乗り場の入口までたどり着いた。
 入口の料金表を見ると片道700円,往復1,000円と表示されている。そこで行きにリフトに乗ったときの,今となってしまえば悔いが残る判断を思い出してしまった。「そうだ節約するために片道を買ったのだ。それを行きに往復券を買えば1,000円で済むところ,今また改めて片道券を買うと合計1,400円になってしまう。」別に400円が惜しい訳ではない。自分の判断ミスで余計な支出をするのがとてもしゃくだったので,また歩きだした。
 その山道は一応整備された山道だったが,なにぶん夏の終わりでいちばん雑草が茂っているときである。じゃまで歩きにくい。ズボンは草の種だらけになり,体は汗だらけになる。だらだら坂という感じでゆるい下り坂がずっと続く。こうゆう道は刺激に欠け,時間も長く感じる。1時間ほど歩いただろうか。ようやく景色が草から森に変化してきた。森になると直射日光が当たらない。標高が下がり気温があがってきただけに,救われた気がした。
 さらに森のなかを30分ほど歩くと森がパッとひらけ,久しぶりに舗装道に出た。自然に浸りたくて山に入る。いいかえれば人工物を避けて山に入ったはずなのに,舗装道の歩きやすさにホッとする。本当に勝手なものだと思う。ただし森林帯を出て舗装道に入ったとはいえ,道の両側は右をみても左を見ても牧場か畑でまだまだのどかである。
足の裏にマメができてしまっていたようで,軽いズキズキ感がある。これも舗装道に入ったため感じだしたのだろう。
 進むほどにサイロ,建物など街のにおいが強くなってきた。バス停もあった。しかし悪いことに次のバスまで2時間以上ある。悪いことは続くものである。観念して歩きだすと,今度はそのうち道沿いに看板が見えるようになってきた。みやげもの屋の看板が度々あらわれるが,それらには全く食指が動かなかった。ところが“生ビール”と書かれた看板があらわれると,もうそれはほとんど吸い寄せられるようにその店に入ってしまった。
 もうノドはからからというより干からびていて,「生ビールひとつ」という声も完全にしゃがれていた。こんなときはジョッキが満タンになるまで時間がかかるような気がする。ドッサとイスに座りビールをノドに流し込む。「ん〜んうまい!」思わず声をあげてしまい周囲の人々にジロッと見られてしまったが,うまいものはうまい。
 私のこれまでの旅行中で“三大うまい”ビールに間違いなく入る。金メダルはドイツのバーデンバーデンで混浴温泉に2時間も入りのぼせ状態になったあと,その近くのビアホールで飲んだビール。銀メダルは12月に快晴の与那国島を一周サイクリングした後フロに入り,その後飲んだビールだが,その次の銅メダルには入る。それくらいうまかった。もし帰路リフトに乗り,その終点からバスで直接清里駅まで行ったとしたらこんなうまいビールは飲めただろうか? いや飲めなかった。と思い一人悦に浸りながらビールを飲む私であった。

 

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