Logo TrainJR全線完乗記9

最も身近なローカル線 相模線

 

 ローカル線と言われると?地元の人々やその線を運行している関係者の方々はイヤかもしれない。けれども旅行者としては非常に旅情をそそられる。のんびりとした運転ぶり。田畑や山野を中心とするのどかな車窓。通学時を除いては乗客が少ないという静寂。(もっともこのことは鉄道の営業,ひいてはその存続のことを考えると非常によくないことであるが…)
 私をはじめローカル線好きは,この旅情を求めて時間とカネをかけてでもわざわざ乗りに行く。というのはローカル線は大部分が田舎にあるからだ。
 私は以前長らく神奈川県の相模原市に住んでいた。相模原市といえば人口50万人を越える,神奈川県第三の都市。東京都にも隣接しており,大都市圏に属するといえる所だろう。
 ところがこの相模原市内を,かつてはローカル線が走っていた。その名は相模線。東海道本線茅ヶ崎駅を起点とし,横浜線に接続する橋本駅までの33.3km。そのうち相武台下駅の少し茅ヶ崎側から橋本駅までの約13kmは相模原市内を走っている。それだけ身近にあったので,(資金力がなかった)中学・高校時代は旅情が味わいたくなると,千円もかからない手軽なミニ旅行として,よく相模線に乗りにいっていた。そのころの状況を再現してみたい。
 かつての自宅の最寄り駅小田急相模原駅。ここから小田原方面へ四駅行くと厚木駅がある。ちなみにその当時も現在も,この駅は海老名市内にある。だから小田急線に本厚木駅があるのではないかと,私は思っている。(本厚木駅は本当に厚木市内にある) この駅は小田急線が高架上にあり,最後部(海老名方)にのみ下り階段がある。そして降りきると左側が改札口,右側が踏切になっている。この踏切を渡ると,相模線厚木駅のプラットホームがある。一線一面で簡単な屋根だけ。この厚木駅はその当時相模線唯一の他鉄道との途中乗換駅で,乗降客数は少なくない。それでもとたんにローカル線に来たぞという気分になってくる。高架上の小田急線とは異なった独特の世界を作っていた。
 その当時は時刻表を調べずふらっと行く場合がほとんどで,30分以上待つことも少なくなかった。プラットホームをぶらぶらしていると,やがて朱色のすすけた車体が,ディーゼルエンジン独特の低いうなりとキッッキッッーという鈍い金切り音を含むブレーキ音をたてて入ってくる。
 車内に乗り込むと,雰囲気・においともすすけた感じがする。お世辞にも「きれい」とも「新しい」ともいえないが,ローカルの味を漂わせていた。
 思いきりうなりをあげて,ゆっくりとジワッーと動きだす。最初は左右とも団地や一戸建住宅に囲まれているが,2〜3分も走ると周囲は田圃ばかりとなる。ところどころまた団地や住宅が現れるが,また田圃に戻る。その一面田圃のどまんなかにあるのが入谷駅である。周辺には学校二校以外は建物らしい建物はない。「なぜここに駅が?」というところにある駅である。
 さて駅に着いたのにドアが開かない。“?”と思うとドアの脇にボタンがあり,それを押さないと開かない。降りないのに入谷駅の空気が吸いたくなって,ボタンを押した。プシューと空気音がして,ゆっくりとドアが開いた。すると近くにいたおっさんが「なんだ」という感じでこっちと見る。すると現在のような図々しさ?を兼ね備えてなかった私は,あわてて閉のボタンを押す。この駅での乗降客はゼロ。またそろりと動きだす。再び田圃のなかを数分走り家がちらほら見えだすと,相模原市内に突入し,そこが相武台下駅である。
 ここは有人駅で,昔ながらの駅舎がある。そして列車が行き違いできるようになっている。相模線は単線なので,駅で列車の行き違いをしなければならない。ここでそのため5分間停車をする。仕事・通勤などで急ぐ人にとって,この5分間はムダ以外の何物でもない。でもローカルな気分を味わいたいむきには,なかなかおつな時間である。ホームに降りて日光浴をする。駅弁などをホームで売っていればもっとよいが,残念ながらそれはない。反対方向からの列車が到着すると出発!車窓は田畑から次第に木立が多くなってくる。そしてエンジンのうなりもまた大きくなってくる。相模線最大の登り勾配にさしかかってきたのだ。この登り勾配区間はかつてムカデの大群が線路を横断したり,大量の落ち葉が線路上に積ったため,列車が登れなくなったという言い伝えがある。(本当だろうか?でもこの話は私が中学生の時代,すでに言い伝えられていた)林のなかをうなりをあげつつゆっくりと登っていく。ところどころの林の切れ間から崖が,その下の田畑が,そしてその奥に相模川が見える。断続的ではあるが,よい眺めである。
 急坂をほぼ登りきった下溝から先は,また少しづつ家が増えてくる。その次は原当麻,この駅は地元の人以外はなかなか読めない難読駅名のひとつである。“はらとうま”ではない。“はらたいら”でもない。“はらたいま”である。のどかな風景のなかをさらにゆっくりと進む。番田駅のあたりから新興住宅地の雰囲気が漂いはじめ,その次の上溝駅は幹線道路と交差したところにある。この上溝は昔,相模原市(町)の中心だったところで,商店などが連なっている。このあたりまでくるとローカル線色は薄れる。
 上溝駅を出て短い緑地帯を抜けると“ガラッと”雰囲気が変わる。今度は周囲が大小の工場だらけである。今までののどかな風景があっただけに,この最終区間の演出効果は大きい。この工場群のなかにある南橋本駅で再び列車の行き違いがあり,そこから数分で終点の橋本駅に到着。あとは横浜線に乗り換え町田へ,さらにそこから小田急相模原へと戻る。こんな小さな旅を十回はやったと思う。
 今はもうこの雰囲気は味わえない。相模線は電化されて最新の電車が走り,沿線の家も大いに増えた。列車本数は増えてすっかり便利になった。沿線の人々にとってはいいことずくめだと思う。しかし個人的には,もはやローカル線の味を失ってしまった相模線に“残念”の感情を生じてしまうのである。せいぜい一年に一回でもよいからボロボロの旧型ディーゼルカーを臨時列車として相模線に走らせてもらいたいな,と考えるのは私だけだろうか。

 

 

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