Logo TrainJR全線完乗記6

高い高い 瀬戸大橋線

 

 鉄道界では昭和の終わりに大プロジェクトが二つ完成した。一つは青函トンネル,そしてもう一つは瀬戸大橋である。この瀬戸大橋線は開通して約1ケ月後の昭和63年5月に乗りに行っている。この時は兵庫県の篠山でオリエンテーリング大会があり,その後にちょっと足を延ばしたのだった。

 行きは小田原から東海道線の夜行鈍行,東京発大垣行347Mに乗った。この列車は鈍行界の名門?で鉄道ファン以外でも知っている人は多い。私としても一度はこの名門列車に乗りたいと思っていたところちょうど良い用事が入ったので,ついに乗ることにした。

 時はちょうどゴールデンウィークのさなか。当然混んでいることは予想していたが,まさかこれほどとは思わなかった。とにかくすごい。これは通勤電車以上である。立っている人がほとんど密着状態でひしめきあっている。そのためデッキから中に入れない。“しまった”と思ったがもうあとのまつり。朝まで我慢するしかない。すでに草木の眠る丑三どき。夜に弱い私は完全に全身眠気に包まれているのであるが,さすがにキリンなどとは違って,立ったままでは眠れない。眠気でふらふらしながらも町や車の光が目に入ってくる。昼ならば車窓を眺めていれば何時間でも飽きないが,夜の眺めは単調ですぐに飽きてくる。

 寝ずの夜は長い。ようやく3時半になったころ催してきた。“かわや”へ行きたくなったのである。しかしこの混雑ではとてもではないが1mも進めない。私は我慢の限界まで戦うしかなかった。

 戦うこと約30分ようやく浜松に到着した。私と同じ状況だった人も結構いたようで,かなりの人が駅のWCへ向かった。またここでは下車した人も多く,おかげでWC終了後,列車に戻ると車内の人口密度は多少減っていた。

 少し空いたとはいえあいかわらず立ちんぼのままである。うとうとしようとするとひざがカクンとなり“ハッ”とするいうことを繰り返し午前6時10分名古屋駅に到着した。

 名古屋で新幹線に乗り換えて新大阪へ向かったが,ここでもなぜかほとんど眠れず,結局一睡もなく夕方に瀬戸大橋線の入口岡山にたどり着いた。

 瀬戸大橋線というより,四国方面への列車は11〜13番ホームから発車している。ここから快速のマリンライナーに乗車する。ホームにしばらくたたずんでいると,そのマリンライナーが入線してきた。前面は大きな曲面ガラス張りで,まるで特急列車のようである。この先頭車両はグリーン車になっていて,たぶん瀬戸大橋では雄大な眺望が楽しめるのだろう‥が高額所得者ではない私はちょっと遠慮して3両目より後の自由席に乗る。これがまたかなりの人気で人々でごったがえし,立席者の方が多い。「また立ちんぼか」と思いつつ発車を待つ。

 数分すると,そろりと動きだした。茶屋町までは宇野線を走る。宇野線は岡山と宇野(宇高連絡船《本州と四国の連絡船》の港)とを結ぶ線で,いままで何回も利用したことがある。宇野線の茶屋町までは今回の瀬戸大橋線の完成にあわせて一部複線化したとのことであるが,どうもそれは一部のようで,前回乗った時とほとんど変わらない。“この乗客の多さ以外変わりばえしないな”などと考えているうちに茶屋町に到着した。

 茶屋町から新線区間(つまり瀬戸大橋線)に入る。新線に乗るといつも思うのであるが,どこも立派で,味わいがない。ここもやはり立派な複線でコンクリート高架またはトンネル続出の味わいのない線路だった。そのようなところを10分ほど走ると児島駅に着いた。

 ここからいよいよJR四国,いや瀬戸大橋に入る。この橋,近景を見ているとなんてことはないただの橋である。ところが遠くを見るとやはり「海上を走っているな」と感じることができる。というのはまず第一に水景が遠くにいくに従い広がっている。それも左右両側で。つまり陸上では列車から川,池など見えたとき,それらは遠くにいく従って小さくなっていく。ところが瀬戸大橋線の場合,水が遠くにいくに従って広がっている。第二に「陸上を走っていても海岸を走っている時,海を見ていると遠景は水が広がっているじないか」と言われそうだが,そのとおりである。ただしこれは片側でしかない。瀬戸大橋の場合両側である。これが全然違う。まさに水の上を走っている感じがするという,今までの鉄道車窓史上なかったことが起こっているのである。ただしこのことが実感できるのは,車両の最先端と最後端のみである。

 目前に広がる海を見ながら,よくこれだけ大きな橋を作ったなと思う。と同時に車窓の眺めは橋を支える縦の鉄柱に遮られ,いまいちという感じもする。この橋は2階になっていて,鉄道はその1階部分を通るためなおさらである。

 2階部分を自動車で通ればもう少しよい眺めなのだろうが,おそらく今後も通ることはないだろう。というのも自動車でこの橋を渡ると異常に高いのである。普通車でも5000円以上。鉄道だと500円以下である。この料金の高さからか,本州と四国とを往来するトラックの大部分はこの橋を通らず,時間がかかってもフェリーで渡っている。そのため宇高連絡船を除く大部分のフェリーは瀬戸大橋開通後も生き残っている。建設費が膨大だったので,それを取り返そうというのも分からないではないが,もう少し通行料金を安くしなければ利用者は増えないのではないだろうか?

 それから7年後の平成7年5月3日,私は香川県の丸亀港から岡山県の下津井行きのフェリーに乗った。このフェリーは瀬戸大橋に沿って航行するので,是非一度乗りたいと思っていた。丸亀港は丸亀駅から徒歩で約5分とすぐ近くである。

 船が出港するとすぐ,進行方向右側に瀬戸大橋が見える。そしてだんだん吸い寄せられるように近づいていく。近づくと瀬戸大橋の橋脚は本当に高くて太い。橋脚一本だけでタワーのようだ。その太い橋脚が前方に何本も連なっている。こんなことは橋のうえから見下ろしていると絶対に気づかない。その眺めをずっと飽きずにデッキ上で見続けていた。

 途中本島に寄港し,再び下津井に向けて進みだしたころ,空が赤らんできた。そしてその光が橋脚に反射する。この夕焼は私がこれまで見てきた夕焼のなかで三指に入る印象的なものだった。“高い瀬戸大橋”夕焼の価値もひときわ高かった。

 

 

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