Logo TrainJR全線完乗記5

ユニークさNO1 清水港線

 

 かつて列車が1日1往復しか走らない線区があった。その名は“清水港線”

この線は昭和59年3月末で廃止されてしまったが,私はその二週間前に乗りに行った。廃止されるというので乗りに行ったのは,今のところこの一回だけである。

 この時はちょうど高校の卒業旅行で山陰地方へ行った帰路であった。この旅行出発前に清水港線廃止のニュースは聞いており,廃止前に是非一度は乗っておきたいと考えていた。そのためこの旅行の帰路に組み込んだのである。

 昭和59年3月15日午前6時前,眠い目をこすりつつ名古屋駅に降り立った。前日の夜,山口県の厚狭駅から寝台特急“はやぶさ号”に乗って来たのである。このままはやぶさ号のっていれば,清水港線の始発駅である清水駅の二駅手前である静岡駅に,午前8時前というけっこういい時間に着く。でもそうするとはやぶさ号から乗り継ぐ普通列車が清水駅に着くより前に清水港線の始発列車兼最終列車が発車してしまうのである。そのため“はやぶさ号”は名古屋駅で降りて,新幹線の始発列車に乗り換えるのだ。(ちなみにはやぶさ号が名古屋駅の次に停車するのは,静岡駅である)なぜわざわざこんなけったいのことをやるのか?それは鉄道好きな人にしか分からないと思う。

 新幹線は静岡駅で下車し,東海道線の普通列車に乗り換えて清水駅にたどり着いた。ホームに降りたのはよいが,清水港線が発着するらしきホームが見当たらない。しばらく探すと“清水港線ホーム→”という案内板があった。その案内板に従って進むと貨物線らしき線路を何本か渡り,駅のはずれの位置にあたるところに清水港線のホームがあった。

 乗るべき列車は既にホームに入線していた。先頭からディーゼル機関車,客車,そしてその後になんと貨車がつながっている。このように同じ列車に客車と貨車の両方がつながっている列車は混合列車と呼ばれていて,めったに見られない貴重なものなのである。

 列車の前から後まで見終った後,改めて客車の方を見ると,けっこう人が乗っている。おそらく私と同好の士であろう。廃止になると決まってから繁盛するなど,とても皮肉なことと思う。

 そうしているうちに発車時刻の8時11分となり,そろりと列車は動きだした。工場への引き込み線のような線路をゆったりと走っていく。まず最初は清水埠頭。カメラをぶらざげた人がけっこういた。巴川口,折戸と進んでいくが,車窓はあまり変わらない。倉庫,家屋などが雑居している中を走っていく。

 ゆったりと走るが,わずか8.3km,そしてわずか4駅しかないので,25分で終点の三保駅に到着した。まるで小さな学校の校舎のような駅だった。

 この旅行に出かける時,私の進路は決まってなかった。大学進学希望だったが,一校も合格してなかったのだ。もう浪人は覚悟していたが,あと一つだけ合格発表が残されていた。清水港線に乗ってから4日後の3月19日,その発表があった。なんと掲示板に自分の名前があった。ウソではないかと思った。そこで一度そこを立ち去り数分後にもう一度戻って見直したがやっぱりあった。

 そして清水港線は3月31日限りで,やっぱり本当に廃止されてしまった。客観的にはこの二つの事実になんら関係はないのであるが,私の心のなかでは,私の合格の身代わりに清水港線が廃止されたように思えてならなかった。

 

 

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