2000/7/8(土) 待望のM:I−2!
今朝はすごい雨風だったが、お昼前にはすっかり晴天となった。
どうやら台風は関東直撃とならず、北に抜けたらしい。
今日は1日暴風雨を覚悟していたのだが、こうも晴れるといかねばなるまい。そう、待望の「M:I−2」を観に!
過剰な期待を冷ますために、まずは「サイダーハウス・ルール」なんてしっとり静かな系の映画を観て心を落ち着け、しかるのちに「M:I−2」に臨む。今日は、そんな作戦だ(笑)。
まずは、「サイダーハウス・ルール」。
今年のアカデミー賞で7部門にノミネートされたが、「ガープの世界」や「ホテル・ニューハンプシャー」で有名な米現代文学の巨匠ジョン・アーヴィングが自らの小説を自ら脚色したという話題の作品。
でも、僕がこれを観ようと思ったのはそんな背景には関係なく、
監督がラッセ・ハルストレムだという理由によるものだ。
ラッセ・ハルストレムといえば、何度観てもなんともいえない気持ちにさせてくれる名作「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」が忘れられないが、ジョニー・デップとレオナルド・ディカプリオが競演した「ギルバート・グレイプ」もなかなか素敵な映画だった(この2作は観てね!)。
さて今回の「サイダーハウス・ルール」だが、主人公は孤児院で生れ、どこにももらわれないままに(正確には出戻り経験アリだが)思春期を迎えた青年ホーマー・ウェルズ。
ラーチ院長は、ホーマーを跡継ぎにしようと医学の知識を教えるが、ホーマーはラーチ院長との主義の相違もあって自分の未来に疑問を持つようになる。そして、ある出来事をきっかけに彼は孤児院を飛び出し、生れて初めて外の世界に出て、海を見たり、恋をしたり、新しい仕事を経験したりと次々と新しい世界を発見していく。そして……。
この監督らしいのは冒頭の風景の描写や、とても印象的な子供達の表情。そして、映画が終わった後の、なんともいえず静かな爽やかな印象。
「サイダーハウス・ルール」というタイトルは、ホーマーが仕事をして住んでいたリンゴ収穫人宿舎”サイダーハウス”の”意味のない”規則を指しているが、それがタイトルに来ている意味の”深さ”は、一度映画を観ただけでは感じることはできない。(何度観ても感じられなかったりして。)
でも、心地よい映画であることは事実。ちょっと心が厳しい時にぜひご覧いただければ(でも、先に述べた「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」の方が、さらに癒し系な気もする)。
というわけで、満を持して「M:I−2」なのだが!
なんか期待しすぎてだか、イマイチ盛り上がらなかった〜(泣)。
冒頭のロッククライミング、1作目同様のロープをつけての急降下シーン、バイクチェイス、アクションと、パーツパーツを取ってみればどれもなかなかな迫力だが、全体を通してどうもイマイチ盛り上がりに欠けるのだ。なんで?
同じジョン・ウー監督なら、前作にあたる「フェイス・オフ」の方が圧倒的に面白い(実はさらに過去の作品の方が良いという人も多かろうが)。
今回はトム・クルーズが自らプロデュースするスター映画だからなのかもしれないが、ジョン・ウーらしいのはその得意技(ハト、スローモーション、銃撃シーンなどなど)があちこちに出てくるってこととアクション大作としてきちんとまとまっていることくらいか。なんか残念。
でも、じゃあトム・クルーズがダメなのかというと全然そんなことなくて、宣伝じゃほぼすべてのシーンをスタントなしで自分で演じているという(実際、そんな風に見える)、そのへんの迫力がスゴい。
危険なシーンは普通スタントが演じるのでカメラは顔を撮さないよう遠巻きになったり、顔のアップとのカット割りでごまかしたりするもんだが、そういった違和感がほとんど感じられず、どんなシーンもちゃんとそこにトム・クルーズがいるのだ。
こりゃ、相当な努力をしないと実現できなかろう……。
この映画から、いや、トム・クルーズから学んだのは、「自分がカッコ良くあるためには、それに見合う努力を惜しんではならない」ということでした。
大スター、かくあるべき。感心しました。
なんか自分の努力の足りなさを反省。
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